年明け はじめてのインタビューのお仕事で
電車に揺られる。
昨夜は緊張して、夜中に何度も目が覚めた。
遅刻しないように朝早く起きて、朝ごはんの善哉を温めながらも
緊張してしまう。
緊張のもとは
ちゃんとお話が聞けるかな、という不安で
やっぱりお話を聞かせていただく以上、しっかりしっかり
できる限りで聞きたい。という気持ち(欲なのかもしれない)が働くから。
でもいつも
自分の器に受け止められる以上のお話を相手の方がしてくださり
(それは一緒にお話を聞いてくれている友人や、先方の社長の存在と
お話をしてくださる方の器量によるもので)
録音機がそれを余すことなく録音してくれていて
私は後から、追いつこう追いつこうと必死に追いかけるようにして
何度も聞き返して、文字起こしをして
紙に起こした言葉の端々を何度もなぞって
やっとやっとやっと、やっと、そこにあるエッセンスのようなものに
触れさせていただけたら幸い。そこを目指そう、っていう感じだ。
でも今日も、ふたりの方からそれぞれお話を伺って
1時間ずつなのに、人生がのっかっているから圧倒されてしまい
クールダウンできずにまた真夜中目が覚めてしまって今。
生きてるってすごい。単純だけど、深くそう思う。
そして、自分の人生がどう運ばれていくかって
自分自身でもわからないもので
だけど、その瞬間その瞬間にどんな在り方でいるかが
必ずその人を運んでいく
そこには意識できる部分と
無意識のものがあり
でもどちらもその瞬間の態度や在り方にはそれがきっと現れ出ていて
そこにその人がいる。
そんなふうに思える。
週末、夫の誕生日に
夫が注文したレコードプレイヤーが届いた。
ずっと欲しいと言って、ずいぶん探していたものが
家にやってきた。
私と娘が実家に帰省している間に
一新したいと話していたオーディオ棚も
夫が注文したものが届いて、残業続きの忙しい中、組み立てていた。
そこにレコードプレイヤーがはまる。
レコードをかけると
空気に働きかける臨場感があって面白い。
夢中になってしまいそう。
夫が調えたオーディオ棚を見ながら
この棚はこれから先もずっとあるんだろうなってなんとなく思う。
自分たちが年をとって
娘が大きくなる風景の中に。
インタビューを終えて帰り道
いつもより1時間遅く保育園へ向かった。
お友達も少なくなって
宵のとぷんとした静けさが保育園の玄関先にもわたってる。
娘は走ってきて私に抱きついて
笑顔の先生が追いかけて出てきてくれた。
小雨が降る中、自転車を漕いでふたりで家に帰って
タイマー予約して炊き上がっていた炊飯器のご飯の匂いに迎えられる。
雨も降っていたしスーパーに寄る気力はなかったものの
途中、ぱっと寄れるコンビニで買った牛乳と娘が手に取った納豆を
買い物袋から出して冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫の中身を見て
鮭を焼き、玉ねぎと小松菜のお味噌汁を作って
今日お土産にもらってきたお豆腐を冷奴に。
夫が帰ってきて
納豆をかきまぜて
蕗味噌をちょっと小鉢にいれて
実家でお父さんが漬けた、生姜の赤紫蘇づけも小皿に盛る。
昨日作ってたニンジンラペもあった。
晩ごはん食べて
1日は終わっていく。
そしてお風呂に入って娘の寝かしつけと一緒に眠り
また、聞かせてもらったお話の厚みで
夜中目が覚めて眠れなくなっている今。
布団を出る前に
胸に感じていた色々の中に
(運ばれていく)っていうのがあった。
自分をどうこうしようとせず
流れとともに、この航海をいくだけ、というか。
(小さな波も大きな波も、同じ水)
数日前に友人が教えてくれた言葉も一緒に
思い浮かべながら。