2026年1月11日日曜日

 


クリスマスは玄関にリースを飾った


何だかそれが、目に入るたび嬉しかった


正月飾りのしめ縄も、お花屋さんでかわいいものを買っていた

関東で暮らしていたときは、一週間くらいしか飾らなかったけど

関西は飾る期間が長くて半月以上


だから、目に入る期間が長くて嬉しい



玄関のドアに好きなリースがかけられてるって

気持ちがいいな、と思って


しめ縄をおろした後にかけられる、小さなリースを買った



心が浮き立つこと




心が浮き立つといえば 娘は今日

お年玉を持ってポケモンのぬいぐるみを買いに出かけた


新しいぬいぐるみが4つ


夜寝る時も布団にぬいぐるみを連れてきて興奮していたけれど

それは嬉しいよなって、後からじわっと思う


昨日までいなかった大好きなものが4つも急に手元にやって来たのだ

ウキウキだろう




2025年12月19日金曜日

夜に友人からシュトーレンが届いた


晩ご飯のあと、夫が「シュトーレン食べようよ」と言って
コーヒーを淹れてくれた

切り分けて食べる

娘は苦手かと思ったけれど、1口食べたら気に入ったみたいで
今年は一緒に食べられた

3人で美味しいね、と食べてたら21時近くになっていて
慌てて娘とお風呂に入る準備をする

すると
お風呂掃除する時、ずっと使っていた掃除用の柄つきスポンジの柄の部分が壊れた
スポンジだけで掃除しながら柄に助けられていたことにあらためて気づく
(明日買いに行こう)

脱衣所の洗濯機の横で
朝、自転車についた雨粒を拭いた雑巾をもう一度すすいで絞るとき
ふと、玄関のドアを拭くイメージが浮かんできたから
急いでお風呂に入りたいところだったけれど玄関のドアを拭きにいくと
意外にほこりがついていた



絵を描くときや
ものを作るとき

イメージや作業工程が頭に写真みたいに浮かんでくることがあって
その時はその通りにするとうまくいくから

ふと浮かんだイメージには素直にからだを動かすようにしている


先日
白いコートを着てシルバーのトートバッグを肩からさげてるイメージが浮かんできた
それも実行してみようかな、と思い

白いコートは買ったけど
まだシルバーのトートバッグが見つからない

あの形に自分がなったとき どんな気持ちになるのか知りたい


さて

シュトーレンは美味しくいただいて
お風呂も無事に掃除できて、きれいなお湯がわき
娘とつかって、歯磨きをして、お布団に入る


娘が隣にいるから
お布団はすぐにあたたまる


本当に一緒くたに眠って起きて
今、彼女は私の生活のほとんど真ん中にいる

そう

でも、ちょうど朝
娘を幼稚園に送って、銀行でお金をおろそうと自転車をとめるときに

子どもを産む人生もあれば
産まない人生もあって

どちらも素晴らしいって
ふっと思った


ちょうど、10年前までやりとりをしていた友人から
久しぶりに連絡をもらったからだったかもしれない

彼女は結婚して引っ越しをしたけれど多分子を育てていなくて
近々自分のお店を持とうと思うという連絡だった


子どもがいてもお店は持てると思うけど
いるかいないかで当たり前に働き方は違う

自分自身も違う

実現する形も変わるだろう

そんなことを考えて
ふと思い浮かんだんだと思う



どちらも素晴らしい

あたりまえのことだけど


2025年11月12日水曜日

なりたい自分に なればいい


なりたい、と思うとき

その姿はきっと 今の自分の中に含まれているはずだから

視線を定めて それから身軽に 変わっていけばいい

 

 

ふとそんなことを思った



いくつもやるべきことが重なる、という状況で

気が塞ぎがちで

またそんな状況になったので

「きたぞ、きたぞ」と思い、胸にいっぱいになった気持ちを

ノートに全部書き出してみた


包み隠さず全部書くと、不思議と重たかった胸が軽くなった


もうどうやって手足を動かせばいいか、わからないよ

と思っていた自分に

ノートを書いている私が「ここに隙間があるよ」と教えてあげられる

そんなことに気づいた


それでここのところ

毎朝目が覚めたら、ノートに思いつくままを書き出している


書きながら、いろんな気持ちと出会った


ほんとうに苦しかったときは、神様宛に手紙も書いた


今朝

娘が青空を見ながら

「なんで宇宙なのに青いんだろう」って言った


宇宙の色は暗闇、と思っているから

明るい青で、驚いたのかな



ノートに書いたら 私の中のおしゃべりたちは

満足して飛びだって行くんだろうか


聞いてもらえたぞって


不思議だ


「雲がおもしろい形してる」って

焼きたてのパンを食べながら夫が言って

(義母から譲り受けたパン焼き器で初めて夫がパンを焼いた今朝)

白い雲がもこもことしてて

「鱗雲かな」

「羊雲かな」

「羊かな」


と話した朝


娘は雲じゃなくて、空の青を見てた





2025年10月25日土曜日

 

出産が影響するものなのか

年齢ゆえの変化なのか


以前は生理前に気持ちが揺れがちだったのが

近頃は排卵日付近で気が塞ぐ日が出てくるようになった



ホルモンバランスの影響とわかっていると、感情を深追いしなくていい


お、と思ったときにはアプリで生理周期を確認して

「排卵日か」とわかるとほっとする


漢方を飲んで、時が過ぎるのを待つ





でも、胸がキュッと小さくなっているので

娘のわがままに余裕ある対応ができなくなる


昨日もそれで怒りをぶつけないまでも

怒りを抑えられずに、帰り道の自転車を漕ぐ間むっつり黙ってしまう




家の近くまで来たら

娘の保育園時代の先生とばったり会って

それで、娘と私それぞれに、空気が少し柔らかくなった


それから

娘が自転車の後ろから私の背中に両手をあてて

「仲直りしよう」と言う



娘の優しさに救われてる43歳の秋

2025年10月24日金曜日

 


探し物をしていたら、思いがけず見つかったものがあった。

こぎん刺しの名刺入れとヘルパー2級の修了証明書。


どちらも、少し前に「あれはどこにあったかな」と思い浮かべていたもの。


この秋は名刺を使う機会があって

ずっと前に買った、そのこぎん刺しの名刺入れを探していた。


そしてヘルパー2級の修了証明書は

今は福祉の仕事をする予定はないけれど

もしいつかまた復帰するときには必要だなと思って

「探さねば」と思っていたもの。(こぎん刺しの名刺入れに入っていた)




この秋、思いがけずインタビュー記事を書いてもらう機会があった。

不思議なことだけど

インタビューを受けている間、「私って何もないな」という感覚がやってきて

丁寧に仕上げてくれた記事を読んでも、やっぱり自分が何もしてきていないということが

浮き彫りになっているような、そんな感触だけ残った。

(もちろん、自分の取り組みを丁寧に書いてくれている。そのはずなのに)



私は空っぽなんだったけ

この空っぽはどうしたら埋まるんだっけ


という感覚がずっと残ってた。



ヘルパー2級の修了証明書が手元に戻ってきたとき

私はほっとした。


空っぽの虚しい感覚が解けた。


今は福祉の仕事はしていないけれど

今していることも、福祉の仕事で見てきたこととつながっている。

それは、ひとりひとりと出会うということかな、と思う。


たったひとりの、その人を見る。ともいえる。



インタビュー記事の中では

文章を書く仕事ができなかったから

ヘルパーの仕事をしていたような描かれ方をしている、と感じたけれど

そうじゃなかった、と思う。



ヘルパーの仕事を介して

人と向き合うことや、隠れずに生きることを教わった。


私はちゃんと、そこにいたんだって思う。







2025年9月10日水曜日

8月は、娘とたっぷり夏休みした


娘とはいつも一緒で
友人たちと遊んで 話して
海へ行き 滝へ行き ポケモンセンターへ行き

夫の実家にも 私の実家にも帰って
祖父母たちと過ごして
 
夏の終わり、娘は子どもらしく
すーんと素直になっていた

大人ぶることが多い子だから
子どもらしい姿が嬉しかった

 

おおらかな時間のなかで娘がのびのびできたように
私も一緒に緩んだらしく
 
娘が幼稚園の預かり保育に通い始めた7月最終週から
すっかり2週間、私の頭は動かなかった
 
文章を書く仕事があるのに、なかなか入り込めない
 

娘と一緒にいるときは、一心同体のようになる
文章は、ひとりじゃないと書けない

だから、からだがひとりになって
脳がわたし基準で動き始めるのにも それくらい必要なんだな、と思った


幼稚園が始まってからは
娘とわたしが物理的に離れているから

その期間にわたしはひとりに戻る時間ができて
継続して仕事ができるようになる


娘が帰ってきてからも仕事をしてしまう日もあるけど

あの一心同体の感覚が娘にとってもきっとまだ必要で

わたしにとってもこの感覚の中に娘といられるのはきっと限りあるギフトで



できるだけ、夜まで仕事を持ち越さず
一緒にいる時は娘の顔を見て過ごそうと決めた

そうはいかないときもあるけど
なるべく






2025年7月2日水曜日


近くのスーパーで
定休日前の夕方、青梅が半額になっていた

ほくほくと買ってきて
追熟させて、2キロは梅干しに
残りは梅シロップにした
 
梅を袋から出して追熟用に並べてくれたのは夫で
夜のうちに階段に、段々に広げてくれたから
朝起きたら梅のいい匂いがした
 
先に娘とつけていた梅シロップは氷砂糖で作ったから綺麗な透明で
 
半額梅は痛んでいる部分を切って、早く浸かるようにきび砂糖でつけたから
茶色いとろんとしたシロップになった

2025年6月17日火曜日

今月に入ってから洋服とバッグとサンダルを買った。



娘が生まれてから
毎シーズン、サイズアウトして
新しい服や靴が必要になる娘のために
買い物をすることに夢中で
自分の買い物はあまりしてこなかった。

 
洋服をゆっくり見られる時間がないというのもあったけど
自分がどんな服が好きだったかすっかり忘れてしまって
同時に、服を見て素敵!と心が動くこともなくなっていた。

 
それが、先月、埼玉に帰省した際に友人から言われた
「ママ友に1mmも寄せなくていい」という言葉が扉になって、
私はまた、”自分の好き”で、ものを選べるようになった気がする。


自由でいいんだ、と切り替わった。

そしたら、ものを選ぶ基準が「ときめき」に変わって
アンテナが動くようになったのだった。
 

2025年6月3日火曜日

 

大きな海 時間 島 船

水面

サンダル

貝殻


潮風を浴びて髪の毛がしっとりしている

海に浸かってお日様をたくさん浴びた娘は

午後の帰りの電車で ぐっすりと眠った


濡れた服と着替えた、大人用のTシャツは
娘が着るとワンピースのようになって

締め付けのないコットンの生地が

きっと眠るからだにやさしい



家に戻って朝起きて
窓の外に海がみえないのが すこしさびしいけど

ここもあの場所のつづきで

はなれているけど海と繋がっていると 今はわかる


娘は海と

年上のお姉ちゃんたちのやさしさのなかで自由でいられた



2025年5月23日金曜日

 

朝焼け

朝のひかり 雲


朝5時前に目が覚めて
シンクにすこし残していた洗い物をして
お米を炊いた

 

きのうは、だんごむしに夢中な娘に
「ベランダでお茶しよう」と声をかけて
家に入った

買ってきたパンを切ってお弁当箱につめると
娘が持ってきたギンガムチェックの布に包んだ

娘にはアイスココア
私にはアイスコーヒーを
それぞれカップと水筒に入れて

ぬいぐるみや人形も一緒にベランダに出る

レジャーシートを敷いて一緒にお茶をしていると

娘は太陽の方を見ながら「きれいだねー」と言った

「白、青、オレンジ」

と光線の光を観察して言う


私が自分の足先を見ながら

「爪切ろう。あと、お母さん爪に色塗りたいな。何色がいいかな」

と言うと、娘は

「青と紫とピンクなんてどう?素敵じゃない?」

と言う


「いろんな色を塗るのいいね」

と答えると

「青と紫もいいかもね」

と言った




この頃、胸に置いてあったこと

今日、1日を

今日自分ができることで楽しい1日にしよう

ということ


それは結構 こんなベランダピクニックのようなことで


娘と屋根を跳ねていくカラスを見て笑ったりして



できることで楽しい1日にする、と思うと
できることもしたいことも 結構出てくる



娘が色をこまかく見る姿が素敵だった



2025年4月21日月曜日

 

誕生日がきた
 
夫と美術館にモネを観に行った
 
久しぶりに美術館を訪れて 生で絵をみるってやっぱりいいなって思った
 
筆圧のあとや、筆運びが見られるのも面白いし

油絵の中には時間が入っていると思っていて

そこにその時その人の命があって景色や流れる世界があって

それを見られるんだなって あらためて感じた

 

モネが、世界に感動しているのが伝わってきて(多分、おそらく)
その衝動に突き動かされて描いているんじゃないかなと感じられて

ぐっときた

 

夫と花を買いにでかけて

小さなクジャク草みたいな白い花と
赤紫のスカビオサと、カンパネラを買って帰った

ベランダの鉢植え用の植物も選んで

夕方、鉢植えを入れ替えたら

気持ちが安らかになった

 

植物が風に揺れるのをみると

すーっと自分の奥もしずかになる


娘はハッピーバースデーを大きな声で歌ってくれて

面白い顔で私を笑わせようとしてくれて

嬉しかったな

 

このあいだ娘がふと

「ずっとお母さんと一緒にいる。お母さんが死んでも、ずっとそばにいるよ」

と言って

なんだかそれが心に残った

 

ともだちから「あと7年で50歳」とメールがきて

さぁどう生きようかってなんとなしに思う

 

 

ことばをのこしたいなって
今 すごく奥の方が 言ってくる


むすめが昨日から「魔法使いになれなかった女の子の話」というアニメを見始めて

それが面白くて、一緒になってみてる



 

 


2025年3月5日水曜日

すごくささやかなことだけど、
トイレの隅っこに置いてた、娘のおむつを捨てていた蓋つきバケツを
このあいだ捨てた。


もう必要なかったのだけど、けっこうしっかりしたものだったし
置いていて邪魔になることもなかったから
長居させてしまっていた。

 

しばらく前から、再利用は考えてないし
処分だよな。とトイレに入るたびふわりと思って
思っては忘れてしまっていた。

この間、プラごみの日に「よし」と思って
さよならした。

 

 

 

娘のものは、手放すタイミングがなんとなく曖昧になりがちかもしれない。

成長って、境界線を越えるようには訪れない。


ゆっくりゆっくり、行きつ戻りつしながら

気づくとその時期を過ぎている。


そんな感じで、

オムツが外れたのも、もうずっと前だけど

でも、今日からもうパンツ一択です。とはっきりくっきり
オムツと訣別したわけではなくて

娘からの「今日はパンツがいい」「今日はオムツ」を行き来し
トイレで用をたせるようになったあとも
わざわざ「オムツでする」とオムツに履き替えて致すなどして

そうしている間に気づけばすっかり履かなくなっていた。

いつからからって、もう思い出せない。


まだいるのかな?もういいのかな?
と揺れながら 気づかない間に移行していく。




2025年2月12日水曜日

 

年末から、立春。
ここまでなんだかわたわたと、忙しく走ってきた。
 
手元でノートや手帳を開いて
何かを書き留めたり、今と、すこし先のことを整理したり
そんな時間をもってやっと、今ここに座れた気がする。

数日前、夏から受けていた文章講座が終了した。

東日本大震災後、東北へ赴き
地域の情報誌を編集したり、
さまざまな人のインタビュー記事を書いてきた女性が、先生だった。


彼女の生き方や、考えにすごく共鳴を感じたし
彼女が、提出した文章に入れてくれる朱入れ(赤ペン先生)は
書かなかった部分、書けなかった部分、書きたかった部分まで
見てくれているのがわかり、
文章を見てくれているというより
”わたし自身”の深いところを見てくれていると感じて
こんなふうでありたいと思った。


どうして、書くのか

何を書きたいのか

彼女との出会いを通して、また深く教わったし
自分の奥にあった”書くこと”を通じての、願いや喜びと出会えた。


本当に、巡り合わせに感謝。



春も間近に見つつ(蝋梅がもう咲いてる)
寒波がやってきて雪が積もったりしているこの頃。


夫は15年着たパタゴニアのダウンから
新しいダウンコートに。
(これも、パタゴニア。
15年着た方も直してもらいながらまだ着られるのだからやっぱりしっかりした作り)

私は、キュレルの保湿バームを塗り始めたら
眉間の皺が消え始めた。


生きてる。日々、日々。