2020年4月28日火曜日



インターネットでパンの作り方を調べてみた。

調べながら「作ってみようかな〜」というところを
うろうろとしていたけれど
今、ふと気がついた。
パン作りのようなこと、産後はしばらくきっとできない。
 
明日、強力粉とドライイーストを買おう。
 
 
 
お腹がどんどん出てきて
歩幅も小さく、とてもゆっくり動く日々。
 
今日は区役所に用事があって歩いて出かけたけれど
本当におばあさんのように少しずつ歩き進める。
 
大きなお腹が膀胱を圧迫するので
トイレも近く、歩いている時にトイレに行きたくなると
上からはお腹が膀胱を圧迫し
下からは地面を踏む振動が刺激するという始末。
 
それで本当に、もう、ますますゆっくりと歩く。
 
 
それでも、今日
友人と電話をしている時に
自分で口にしていて、そうだなぁ、と気づいたのだけれど
「ゆっくりを遅いと思わない」
 
妊娠初期の、自転車に乗るのをやめた時の方が
よほど自分の世界が制限されていく感じ
動きが小さくなる感じを受けていた。
 
今はその日々にも慣れたからなのか
ゆっくりしか歩けないことを煩わしく感じない。
もっとはやく、とも思わない。
 
ただゆっくり歩いていく。
歩ける速度で。
 
 
ゆっくり

遅い

同じではないんだな
というのが、今日の発見。


 


2020年4月27日月曜日


誕生日プレゼントのシャツは、とても丁寧に包装されて届いた。
「昨日見つけたから」と、
四つ葉のクローバーまで、添えられていたのだった。
あたたかなお手紙と一緒に。


それでお礼のお手紙を書きたいと思い
先日、自分のために絵を描いたのが嬉しくて楽しかったから
お店で働くおふたり、それぞれのことを思い描きながら
1枚ずつ、絵も描いた。

絵を描いている時に思い浮かんだ言葉も添えてみる。
なんとなく、浮かんだ言葉のフランス語を調べて
フランス語で書き添えたのだけれど
そのお店で買った巾着にも、
フランス語でメッセージが添えてあったのを思い出す。
 
ポストカードサイズの紙に絵を描いて
裏にお手紙を書き
封筒に入れて、ポストに投函した。 



数日前の夜、不意にお腹がとても痛くなった。
ビリビリビリ、と電気が走るような
皮が引っ張られているような痛みがあって
「いてて…」と思わず声になる。
 
横になっても痛かったけれど
うつ伏せの体勢になったら急に痛みがなくなった。
 
それで調べてみたら、多分、前駆陣痛というものみたい。
人によって痛みの出方は様々なようだけれど
「びりびりとした痛み」とか「痛みがあるのはお腹の前の部分」とか
「体勢を変えれば治る」とか、当てはまるものもあったので
きっとそうだと思う。

前駆陣痛から本当の陣痛が始まるまでは
2週間から1ヶ月くらいとあったけれど

今まで感じたことのない痛みを感じて
ちょっとびびってしまった。


 
こんな風に不意に、やってくるんだ。
今度は本当の陣痛というものが…!

そしてそれはもうそんなに遠くない先のことで
その陣痛が始まったら、出産だ…!


実感が突然迫ってきた。
 
こわい、という気持ちもあるし
どーんとこい、という気持ちもあり
その両方が、今私にやってきているもの。
 
そしてその両方を感じていると
胸の奥からわくわくわく〜っとエネルギーが湧いてくる。
 


2020年4月25日土曜日


おととい眠る前に
ふとんの横の壁に、黄色い絵があるといいな
というイメージが浮かんできた。
 
それで昨日は水彩絵の具を出して
黄色を中心に色を重ねて、絵を描いた。

眠る前に壁に絵をたてかけて横になったら
視界に入った時に、胸の奥があたたまる感じがした。
安心する。
 
自分のために、絵を描いた。
 
 
 
友人が贈ってくれたジンジャーエールの素が美味しくて
すぐに飲み終えてしまったので
自分でも作りたいと話していたら、
八百屋さんで高知産の大きな生姜と、無農薬のレモンを見つける。
「市内に確かスパイス屋さんがある」と夫が言って調べると
家からそう遠くなくスパイス専門店があることがわかって
夫が自転車で出かけて、アニスとクローブとシナモンを買って帰ってきてくれた。
 
それで材料が揃ったので
なるべく友人のくれたものに近くなるように工夫しながらシロップを作った。
 
作ったばかりは生姜の味がとんがっていたけれど
数日経つと落ち着いてきて、炭酸水でも水でも、割って飲むととても美味しい。

切りすぎて余ったレモンは蜂蜜漬けにして
それも割って飲んだら美味しかった。
 
 
今は家にいる時間が長いので
今度はパンが作れないかな、と思っている。
 
自分の家に飾る絵を、自分で描いたり
自分で飲むもの、食べるものの、お店で買っていた部分を
少し自分で作ってみたり
そんなことで、手に力が戻ってくる気がするし
生活という土壌に水が注がれる感じがする。
 
 
もちろん、誰かが描いて、好きになった絵を飾るのも
お店で美味しいお惣菜を買ってきて食べるのも、素敵だ。
 
それしかない、じゃなくて
それもあって
これもある、という豊かさの広がり。
 
 
 
夫と薬局に出かけて
水やトイレットペーパーなどを買う。
ジンジャーエールの素のために買ったスパイスを使って
夫がカレーを作ってくれるというので、スーパーにも立ち寄って
トマト缶を買い足した。
散歩ついでに、と出かけたけれども
しっかり買い物が目的になってしまって
「散歩した感じがないな」と夫が言ったので
家に荷物を置いた後、もう一度川に散歩に出かけた。
 
少し前までスーパーも薬局も
いつも通り賑わっていたけれど
今日はどちらも空いていた。
 
レジのところに飛沫感染防止のビニールがかけられていて
足元には順番待ちの立ち位置を指定するテープが貼ってあった。
 
 

スマートフォンと500円玉をポケットに入れて
夫と散歩に出かける。

夫はお腹が空いた、と言って
コンビニでチキンと発泡酒を買った。
私は明日のおやつに、と思って、ポケットに入れた500円玉でひねり揚げを買った。
 
 
夫は発泡酒をあけ、歩きながら飲み始める。
チキンもかじって、美味しそう。
私はひねり揚げの入った袋をぶらぶらさせながら歩く。
 
 
日が暮れて、金星が光り始めていた。
 
土手に出ると、ひんやりと冷たい。
夕飯時の時間だからだと思うけれど、ランナーもお散歩の人もあまりなく
広々とした土手の橋と橋の間をゆっくりと歩いた。
 
ふだん通りに歩くとお腹が張ってくるので
ゆっくりゆっくり、歩くことになる。
 
 
夫の働く会社も、社員の勤務日数を減らしている。
正社員はまだいいけれど、
アルバイトの人は今月は休業補償が100パーセントあるけれど
来月はどうなるだろう、という話になる。

ライブハウスは軒並み休業しているから
それぞれグッズ販売をしたり、クラウドファウンディングを立ち上げて
工夫している。
 
飲食店は休業か、開いていても営業短縮やテイクアウトのみになっている。

友人や知人のお店は、今どうしているのかな、と思いが及ぶ。

補償には限界があるから
それぞれが自分で考え、工夫するしかないよね、という話をする。

するしかない、し
不思議だけれど
よくよくそれぞれが考え、出した工夫に
やっぱりそのお店があらわれて
こんな時に、光になって見えたりする。

毎月あった売り上げが、0になるかもしれない自営業の方や
閉店を選択する方も多くいるから
軽率な言葉にどうしたってなるだろう。。
それでも、そこにいる人が真摯に考えて出したアイデアというのに触れた時
どうしても美しく、光って見えてしまう、という体験をしている。

その光は
こういう時だから、眩しく目に入るけれど
ふだんの営業時にも、ずっと灯っているものなんだろう。

そしてそれを見えなくても感じるから
普段からそのお店に
通うことになっているんだと思う。
 



自分でお茶を淹れて飲むのも楽しいし
配信ライブの面白さも発見しつつも

喫茶店でお茶をするのや
ライブハウスで音楽を聴くこと

その時間からもたらされていた胸のときめきを再認識する。

きっとあの光に、触れに行っていたんだ。



何があると
自分は楽しいのかが
今、とてもよくわかる時期。
 

 
 
橋から橋まで、往復して
また土手から道路に戻って帰路をたどる。

 
 


 


2020年4月24日金曜日


四月ももうすぐ終わる。
再来週から臨月に入る。
 



少し前に、誕生日を迎えた。

京都にある、あまゆきというお店から
「me, first shirt」という名前のついたシャツが
誕生日前日に届いた。
 
夫からの誕生日プレゼントだ。
 
到着日を日時指定できるとお店からお伝えいただいたけれど
こんな時だから、指定はしなかったのに
ぴったり、誕生日にそのシャツを着られることになった。
 
すごく丁寧に作られているリネンのシャツで
細かなところまで、本当にかわいい。
タグが金色の糸で縫い付けられていたり
タグにもフラワーオブライフの紋様が
多分、シルクスクリーンか判子、手作業でプリントしてあったり。
袖はドロップ袖でふわっと膨らんでいる。
 
「me, first shirt」というのは
自分自身の中心を生きる、というメッセージ
と、以前、お店で伺った。
 
誕生日に欲しいもの、と聞かれていて
このシャツをお願いするのは、いいもので高価なので
ちょっと勇気がいったけれど
長く大切に着よう、と思って夫にお願いした。
 
真っ白いシャツ。
 
 
誕生日の日、夜明け前に夢を見て起きた。
 
母がご飯をあたためてくれる夢と
私が、お財布の中に入れている身分証明書の写真を新しくする夢。
 

お腹にもうすぐ生まれてくる人がいて迎える自分の誕生日は
なんとなく特別な感じをもって迎えた。

夢を見て起きた後、妙に目が冴えて眠れないでいたら
「自分が扉」という感覚がふっとやってくる。
自分自身が扉で、どんなところへも行って、ドアを開けることができる。
そんな感覚が湧き上がってくる。

ラジオの周波数を合わせるように
エレベーターの階数ボタンを合わせるように
自分自身が合わせた景色が、開かれていく。

自分自身が扉。

 

すっかり意識が冴え渡って、もう寝付けないでいたら
夫も眠れないと言って起きていたので
思いついて夫の足をマッサージオイルでマッサージさせてもらう。
 
そうしていると夫が緩むのと同時に、こちらも緩んでくるので
マッサージを終えた後、ふたりとも長い2度寝につくことができた。
 
 
お腹に人がやってきて、思うこと。

妊娠がわかってから、どんどんと体が勝手に
あたらしい体を体内に作り始めた。
 
体は体が作っているけれど
精神はどこからくるのだろう。
 
私の精神が分かれて、新しい人に宿っているわけではない。
 
そうして感じる。
やっぱり、精神は、この世の外からやってくるのではないかな、ということ。
そうやって(ここ、にいる視点からしたら)何もないところからやってきたのなら
 
この世の宿り木である体が朽ちた時
精神はまた、新しい場所へ放たれていくんではないか。

この世で会えるということは
同じ夢の場を、共にしているということ。

いっとき、同じふるえの中、現象を分かち合っているということ。
 
たまたま
一瞬
同じ湖に、映し出されたような
そんな間柄ではないのだろうか。
 

儚いようで、たしか。
たしかなようで、儚い。

丁寧に淹れた美味しいコーヒー。
そのコーヒーが冷めていくということ。

味わおう、味わうことだけが
もたらされている。


 
 

 
 

2020年4月15日水曜日






雨のあがった火曜日
たまっていた洗濯物をほす。
 
朝から体が動くので、夫とふたり
おのおの家の掃除をする。
 
お昼は、簡単なお弁当を持って
御所へ出かけて食べることにする。
 
炊き上がったお米で昆布のおむすびを2つ結ぶ。

前日に、小さな頃からお弁当に必ず入っていた甘い卵焼きのことを考えていたので
お砂糖を入れた甘い卵焼きと
出汁巻き卵の2種類の卵焼きを焼く。
 
夫が鮭を焼いて
冷凍の唐揚げを2つレンジで温めた。
 
水筒に麦茶を入れて
銀行と郵便局に寄って
途中の和菓子屋さんでおやつに最中を2つ買い足し
御所まで歩いていく。
 
 
花はだいぶ終わってきたけれど
今度は新緑が溢れている京都御所。
 
観光の人はもうすっかりいない。

老若男女
散歩したり、遊具で遊んだり
ベンチに座ってお弁当を食べたりしている。
 
 
入り口から少し歩いたところのベンチに座って
私たちも持ってきたお弁当をひろげる。

なんてことのないおかずも
お弁当箱(タッパーだったけれど)につめて
外で食べれば、より美味しく感じられるから不思議だ。

視界が開けると
心まで解放されるようで不思議。
 


 
もうしばらく飲食店で外食はしていない。
好きな本屋さんへも出かけていない。

休みとなると散歩をしているので
今年はなんだかんだと、例年よりも桜の花を
ずいぶん長く、楽しんだ気もする。
 
 
お弁当と最中を食べ終えて
新緑の中をしばらく散歩する。
 
若い緑が気持ちいい。
芝や苔の緑もあわさり、そこに木漏れ日が落ちる。
 
木の近くに立って、深呼吸。
 
 
心の奥っかわにはりついてた、怯える気持ちが
流されていくような感じがする。
 
 



出産間近になって
産後、母と義母に2週間ずつ手伝いに来てもらう予定だったけれど
もしかして来てもらえないかもしれないな、ということを考えてる。
 

少し前に、今からでも里帰り出産に変更するかということを
夫とも話しあった。

結局変更はせずにこのまま京都で産むことにしたのは
今から地元で産院を見つけて受け入れてもらうのも大変だし
帰省することで起こるリスクもあるし、というのもあるけど
一番の理由は違う。
 
出産、産後といちばん近くにいてもらって
新しい命を一緒に迎えて
そこで起こることを一緒に乗り越えたいと思っている人が
自分にとっては夫だということが
今は、くっきりはっきりとわかる。
 

数ヶ月前、今とは全然違う状況のなかで
里帰り出産をするかしないか迷っている時には
この気持ちはもう少しボワっとしていて
こんなにくっきりしていなかった気がする。



その時も、産後、赤ちゃんのそばに夫にいてほしい気持ちはありつつ
もう少し、産後の自分の状況を心配していた。

体や気持ちが追いつかないのでは、とか
ノイローゼになったらどうしよう、とか。

結局、義母も手伝いに来てくれるとなって
赤ちゃんにとって、両親がそばにいて
おばあちゃん2人に関わってもらえることが
とてもいいことに思えたから京都で産むことに決めたのだった。

その時見えたのは、その景色だった。




今は
もし母と義母がこられなくても
夫がいる場所で子育てを始めたいと思うし
 
数ヶ月前にはあまり感じられなかった、
赤ちゃん自身の存在も感じる。
 


出産を経験した友人たちは
産後の育児について
「髪振り乱して」とか「白目向いて」とか、いうので
きっと自分もそうなるのではと思うけど
 
たぶん、私が赤ちゃんにしてあげる、という
一方的な関係ではない気がする。
 


赤ちゃんとふたりきりになって、困ったらどうしよう
と思っていた時
想像の中の私は一人ぼっちで、
抱えている赤ちゃんは人形のように無反応なイメージだったけれど

お世話は必要だとしても
生きる力自体は、赤ちゃんにあるんだということが
今は感じられる。
 
というのも、この9ヶ月、私は食べて歩いて寝ているだけだ。
ぐんぐんと、育ってきたのは、お腹の中の人だ。
 
だから、きっと

一緒に乗り越えるメンバーの中に
夫もいて、赤ちゃん自身もいる。
 


今、いちばんはじめに就いた
介助の仕事も思い出した。
 
その時も、全介助が必要で
介助者が、障害のある方をサポートしているというように見えたと思うけれど
実際の関係性は違っていた。
 
自分は充分に、相手からのサポートと信頼を与えてもらうことで
介助の仕事ができていたのだった。
 
 
思えば、
成人の方ではあるけど、オムツ交換もしたことがあるし
お風呂の介助もしてきたし
利用者の方のお子さんのオムツ介助や寝かしつけもさせてもらったことがある。
 
 
自分の手足が行ってきたことも、信じよう。



きっと大丈夫。
 
 

 



2020年4月13日月曜日


コロナの影響で、夫の出勤日が少し減って
週末から彼は4連休になった。
 

土曜日はお天気もよかったので
午後からふたりで散歩して、コンビニで買ったコーヒーとシュークリームを
公園で食べたりしてのんびりと過ごした。
 
日曜日は雨で、外出もしなかったのと
午前中まるまる眠ってしまい、起きた後、退屈に飲み込まれる。
何もやる気がしないし、その上、暇で仕方ない、という気分。
夜からようやくリズムが出てきて
夫は歌を練習して、私は絵を描いたりして過ごした。
 
週明け、
明け方、ものすごく大きな雷の音で目が覚める。
ドドドドドドドドド…と龍が空を移動しているような
長い長い轟き。
少し怖い、と思うくらいだった。
しばらくして同じような長い轟きが、もう1度聞こえた。

8時頃布団から出ると雨がやんでいて
天気予報では10時からまた雨の予報だったので
その前に散歩しよう、と朝食のあと夫とふたりで外へでる。

川沿いを桜を眺めながらずっと歩く。
 
ぬかるんだ道。
靴先に土がついていく。
散った花びらが地面にはりついている。
水たまりにはまらないように、気をつけながら歩く。
もう花も終わりかけ。
新しい季節に向かっている。
桜じゃない木々にも、新芽が出ていてかわいらしい。
たよりないくらいやわらかい葉っぱ。浅い緑。
でも、育つ方向にしか、むいていない。
無垢という、いさぎよいつよさ。


 
外の空気を浴びて、体を動かすとリズムが巡りはじめる。
昨日のようには退屈に沈まない。

ずいぶん歩いて家に戻ると、お腹も空いてきたので
オムライスを昼食に作って食べた。

オムライスは、私はケチャップライスが好きだけれど
夫はバターライスがいいと言ったので、今日はバターライスで作る。
厚めの豚肉をいれて、粉末のブイヨンを使って味付けしたら美味しくなった。

散歩の帰りにバニラアイスを買ってきたので
このあと、昨日買ったカステラをトースターで少し温めて
そこにアイスを添えて食べようと思う。
 
と、思ったけど
カステラにコーヒーをしみさせて、少し冷やして
その上にバニラアイスをのせるのもいいな。
ティラミスみたいに、純ココアもかけて。
(そうして食べた。美味しかった)


お昼を食べたあと
夫は子育て漫画を読み始めたので
私も寝室に「初めての妊娠・出産」という本を持ち込んで読み始める。
 
その後、夫は居間にパソコンを持ってきて調べ物をしている。
私は寝室のはじっこで本を読んだりパソコンをいじったり。
 
時々夫の鼻歌が聞こえてくる。
 
猫のようにそれぞれの場所で。
 
 
 
 

ひとと一緒に暮らすって、どんなことだろうか。
自分勝手な私は窮屈にならないだろうか、とか
ひとりの時間がなくなって、大丈夫だろうか(ダメなんじゃないだろうか)とか
結婚する前はそんなことを考えてた。

しかし人生は面白い。
ひとりで暮らしている気楽さとは
また別のいいものがやってくる。
 
それはまた違う体験になるから
ひとり暮らしの時の心配
(自分には人と暮らすなんてこと、できないんじゃないだろうか)は、
新しいフィールドでは無効になる。

子どもが生まれてきて、3人家族になる、というのも
そういうことなのかな。


 
今、妊娠34週目に入り
37週目から41週の間に産まれてくるみたいなので
出産までもう間近。
あとひと月ちょっと、と思うとまだまだ長いような気もするし
ここまでのことを振り返れば、あっという間だったような気もする。

今は早く会いたい気持ちの方がまさる気もするけれど
お腹の中にいた時間を懐かしく思う時もきっとあるんだろうな。
今ふいに、
未来の自分が、今の私とお腹の人の状態を、懐かしんでいる眼差しが
ヒュン、とやってきて、胸がきゅっとなった。

忘れないよ、ひとつの船に、ふたり乗りしていた時間。
 
 
 
赤ちゃんの名前を「考えてる?」と夫にたずねたら
夫は
「その子にちなんだ名前がいいと思うんだよね。
産まれた日がどんな日だったかとか」
と言った。
 
それを聞いて、それもそうだな、と思う。
 
この間、文字が思い浮かんできた名前もあるし
まだ妊娠初期に、ふわっと出てきた名前と
私の中には2つ、候補のようにふわふわ浮かんでいるのがある。
でもなんとなく、その子の顔を見た時にきっと、わかるんじゃないかな
という気持ちもある。

夫からしたら特に
お腹がふくらんだり、つわりがあったり、胎動を感じてる私よりも
この命に対して、実感が持ちにくいだろう。
 
本人に触れる前に
名前があることもないかもしれない。



いるのにいない
いないけどいる
 
不思議なひと
 
出てきたら、いっぱい遊ぼう。


2020年4月10日金曜日

今朝も不知火と食パンの朝ごはん。
夫はコーヒー。
私も1日1杯はコーヒーを飲んでいたけれど
最近お腹がよく張るようになってきたので
(カチンカチン、と硬くなる。
休めば治るけれど、あまり長いこと張っていたらいけないとのこと)
朝もカフェインの入っていないお茶にする。
 
 
おのおの、好きなジャムを選んで
トーストに塗って食べる。
 
昨日は夫が会社帰りに髪を切ってきて
少し帰りが遅かったのと
最近は台所に長く立つのが少ししんどくなってきたので
 
夕方作っておいた春キャベツのポトフと
豚肉と水菜のペペロンチーノを作ってさっと晩ごはんにした。

夫はハイボールを作り、そこに先日自分で選んで買った、
ベルガモットのマーマレードを少し入れていた。

ベルガモットが柑橘の実のなる木だと、そのジャムの瓶を見てはじめて知った。
ライムみたいな爽やかさと、すっとした苦味のある、大人っぽい味。

食後、また鴨川に歌いに行く、と夫は言っているけれど
時計を見るともう21時半。
寝転んでケンミンショーを見ているふたり。
あんまり夜遅くなるのもな、と思い「歌いに行くならもう行けば」と
のんびりしている夫に言いたくなる気持ちが湧いてくる。
 
でも、夫は夫のタイミングで動いているんだろうとも思い
言うのはやめて
私はなんで、早く行けばと言おうとしてるんだろうな
遅くなったら土手は暗いし危ないんじゃないかな、と思って不安なんだな。
それだったら鴨川の治安はいいし、走ってる人もいるから大丈夫だろう、と
ケンミンショーを観ながら内省した。
 
青森県民が
スーパーで鮫の頭を買うところを観て
「こわい」と話しているうちに
夫が支度をし始め、
ギターを持って川へ出かけていった。
 

この頃は
出産の準備もひとまず落ち着いたし
散歩、昼寝、家のこと、と、なんともシンプルな暮らし。

さすがに寝てばかりもな、と思って
本を読もうとするけれど、集中力があまり続かない。
 
刺激が欲しくなって、フリーペーパーを作ることにした。
パソコンで作ろうと思って、イラストレーターソフトを開いたけれど
どうしても手で切り貼りしている映像が出てくる。
 
なので、アナログで手作りしてみようと思う。
切り貼り、アンド、コピー。
 
タイトルは
「西瓜とたらこおむすび」

今日は昼のうちに煮物を作っておこう。
 

2020年4月9日木曜日


お義母さんが送ってきてくれた、不知火というオレンジを
最近、毎朝いただいている。

実が大きくて、瑞々しくて、とても美味しい。
 
今朝も不知火がある、と思うと
朝起きるのも楽しみになる。
 
 
昨日は、産院でラマーズ教室があった。
出産日の近い5人が集まり
お産の時の呼吸法を助産師さんから教えていただいた。
 
 
そこでも、本当に眠ってるときくらいの「脱力」を教わる。
「この力の抜きかたで、いきます」と。
そして、はーっと、吐く呼吸。
お腹からずーっと、お尻まで、呼吸が抜けていくように意識する。
これが、「いきむ(息む)」ということなんだと。
 
 
「吐けば自然と吸ってるから、吸うことは考えずに、吐くことだけ意識して」
 
呼吸のCDと、全く同じことを教わるのだった。
 
 

呼吸法の練習をした後に
「瞑想をします」と言われ
静かなピアノの音楽が鳴る中
「言葉にしていく体の部位を、意識していってください」と言われた通り
頭の先から、足の先まで、順々にからだに意識を置いていく。
 
心身が落ち着いたところで
助産師さんが、詩のような散文を、朗読した。
 
 
それは、私がまだ都内の図書館で働いていたとき(10年以上前だ)
一緒に働いていたはしださんが妊娠されて
「おおくぼさんにも、読んでもらいたくなって」と
はしださんがわたしに贈ってくれた本だと
すぐにわかった。
 
産まれてくる前の赤ちゃんから、語りかけられているような文章。
 
はしださんにいただいた本を読んだときにも
なんだか込み上げるものがあったけれど
今また、同じ文章が自分の前に巡ってきて、じん、と沁みて
涙が流れた。



出産前に、こんな風に心身の準備ができるようなサポートをしてくれて
偶然だったけれど、いい産院にやってこられたな、とも思った。
 
 
呼吸をならい、瞑想を終えた後は
ひとりひとり、乳房のチェックがあった。

授乳できる状態か、助産師さんが乳首を見ていく。
 
「37週くらいから、ちょっと痛いけど、これくらいの力で
マッサージしてくださいね。
でも痛いのがストレスになってはいけないから、お風呂上がりに、タオルで強めにこすったりするんでもいいです」
 
助産師さんにそう声をかけていただいた。
 

助産師さんや、看護師さんに会うたび思う。
乳首を見てもらったり、チェックのためとはいえ、触れられたりするのって
ちょっと恥ずかしい気がするのに
彼女たちに触れられるとき、そんな気持ちが起こらない。
 
それは、少しも余分がなくて
純粋にどんな状態であるか、いのちしか見てない感じがするから。
 
いつか、風邪をひいて病院に行ったとき
看護師さんに手をとられたときにも、そう感じた。
そのときに、私もこの手のようになりたいな、と思ったことを思い出す。
昨日また、あぁ 、いいな。と思った。
 
 
 
 
 
ラマーズ教室を終えて家に戻るともう夕方で
ちょっと疲れたのもあるし
このまま買い物に出ずに、家にあるもので晩ご飯にさせてもらおうと思う。
 
根菜類があったので、玉ねぎと人参を切って、かき揚げにする。
さつまいももあったので、イモ天も揚げられる。
あとは冷凍餃子を焼く。
 
帰ってきた夫に、今日の晩ご飯はこんな感じで、と伝えると
夫はスーパーに行って、きゅうりとトマトとビールを買い足してきた。

かき揚げもイモ天も、サクッと揚がって美味しかった。
餃子もうまく焼けて、夫がきゅうりとトマトを切ってくれた。

簡単だけど、美味しいご飯。
 
夫が食後、ギターを持って鴨川に歌の練習に出かけてから
私は冷たいものがほしくなり、アイスクリームを食べたらお腹が痛くなってきた。
食べ過ぎに違いない。
 
いてて…と思いながら
シャワーを浴びて早めに布団に入った。
 
横になっていると夫が帰ってきて
「歌えた?」と聞くと
「気持ちよく歌えたよ」と返事があった。
 
月が大きくて明るかったとのことで
「見せようと思って撮ってきたんだ」と
スマホを持ってきて、月を映した動画を見せてくれた。
 
まんまるでパカーンと明るい月。
雲が月明かりに照らされながら、ゆっくり流れていく。




 
 


2020年4月8日水曜日



川沿いをずっと歩いて
検診を受けに産院まで歩く
 
桜の木の枝が道にかかって
トンネルのようになっている
 
歩いていると風が渡って
こちらに向けて雪が降るように
花びらがちらちらと流れてきた
 
 
産院は空いていて
すぐに検診を受けられた
 
エコーで赤ちゃんの様子を見せてもらうと
右足の付け根の少し上あたりに
赤ちゃんの頭があるのがわかった
 
 
順調に成長しているけれど
標準より少し小さくて、体も細いとのこと

先生は
「まぁ、こういうタイプでしょう」
と言った
 
「骨は週数通り揃っています」
とも聞いて、ちょっとホッとする
 
「もっとご飯食べたほうがいいんですかね?」と聞くと
「そういうことでもない」とのことだった
 
 
 
帰り道も、運動、と思って
また、こういう時なのでバスを使うよりは歩こうとも思って
ゆっくり歩いて帰る
 
家に着いたらさすがに疲れて少し眠った
 
 
 
晩ごはんは
豚のロース肉を焼いて、お味噌ベースの甘辛ダレで味付けしたもの。
もやしのナムルと
サラダとお味噌汁とご飯
 
簡単なもの


軽い片頭痛が出てきたので
夫にマッサージしてもらい
早めにお風呂に入って眠ることにした
 
 
お風呂上がり、頭痛もやわらいできたので
今夜もCDを流して呼吸の時間

夫も私も、終盤はうつらうつら
でもリラックスして、そのあと布団に入って、よく眠れた
 
 
朝までに1度、うっすらと目が覚めて
寝ぼけながら
隣で眠る夫に話しかけていた

と言っても、寝ぼけているから声は出ていなくて
頭の中で
「まだ眠ってていいよ」みたいなことを話しかけていたのだけれど

すると夫が不意に
「優しいね」と寝言を言ってきたので

その声を聞いてハッと目が覚め
今テレパシー通じた!?
と思った



 
 
 

2020年4月7日火曜日



少し前に、本屋さんで夫が買った
加藤俊朗さんと谷川俊太郎さんの『呼吸の本』

しばらくずっと、ダイニングテーブルの角に置かれたままになっていた。

呼吸のナビゲートが録音されたCDが本に付いているので
週末に夫とふたりでCDを流して、試してみた。

正座して礼から始まり、
テンポよく体のいろんな部分を意識した呼吸法がナビゲートされていく。

夫は最後の方、体が緩んだのか眠ってしまっていた。
私も、どうしても強張ってしまっていたところの力が抜けて
体がとても軽くなった。

本の表紙を見ると49分、とCDの録音時間が書かれていたけれど
体感ではその半分くらい。それくらい、テンポよく、楽な感じで進んでいく。

とりあえず、毎日やってみようと思い
昨晩も眠る前に夫とふたりで試してみた。

夫はまた最後の方で寝落ちしていた。
 
 
どうしても、いろんな情報が入ってきたり
自ら調べたりもして、
心身に力みが入ってしまうので

いったんそこから離れて、呼吸をととのえ
からだを意識していく時間をもつことが
今は大切に思える。
 

普段通りの生活と
プラス、自身を日々日々、
ささやかにケアしながら
この時を過ごしていけたらいいな。
 
 
 
そんな中、妊娠33週目に入り、お腹は順調に大きくなっている。
先週末は、ベビー服やタオル類を洗濯して、ベランダにずらっとほした。
 
夫とふたりで新生児用の肌着を
「ちいさいね」と言いながら、これまた小さなハンガーにほしていく。
 
ベビー服が物干し竿にずらりと並んだ眺めは
なんだか平和でかわいらしく、ほっこりとした。
 
これで、いつ生まれてきても大丈夫。
無事にやってこられますように。
 
 
まだまだお腹の中にいるから
顔も知らない、小さなひと。

そのひとのために、せっせと寝床や衣類の準備をしている。
そして、
陽当たりのいい窓辺に、着々とそのひとのスペースが生まれ
静かにととのっていく。
 
当たり前だけれど
本人が出てくる前から
出てきた先の世界では
本人を迎える準備を、ととのえてる。
 
まだ会ったことのない人のために
小さな枕、肌触りのいいふとん、小さな服があつまってきて
その人に使われるのを待ってる。
 
 
 
なんだか、なんだか
これはすごいことのように、思える。
 
きっと私もそうだったんだ。
 
お腹から出る前に
はだかんぼうで何も持たないで出てくるわたしのために
 
先にこの世で生きている人たちが
いろんなものを、用意してととのえてくれていた。 
 
そこにすぽん、とやってきた。
 
そして当たり前のように肌着を着せてもらい、
お風呂に入れてもらい、
ふとんをかけて寝かせてもらって
お乳をもらって、おしもの世話もしてもらい…



「エグゼクティブ」という言葉が浮かんできました。
 


2020年4月3日金曜日



ふたりの子どもを育てているお義姉さんが
いろんなことを教えてくれて

出産時に必要と教えてくれたものの中に
マタニティパジャマ(産前・産後と着られて、産後も授乳がしやすいもの)
があった。
 
今は、妊娠前と同じ服
(ウエストもゆるゆるのスウェットパンツとカットソー)で眠っているし
産院でも入院中は寝間着を貸し出してくれるとのことだったけれど
「長く着る」とお義姉さんのメッセージにあったように
きっと産後も必要なんだと思って2着買った。
 
それが今朝届いたので、早速洗濯機にかけ
乾いたものをさっき着てみた。
 
お腹のぷっくら膨らんだ体に、すとんと似合って
鏡を見ながら、嬉しくなった。
 
 
今は、妊娠前から着ている
身幅に余裕のある服を着て生活している。
 
身幅があるとはいえ、それらは妊婦用の服ではない。
当たり前だけれど、妊娠する前の方が似合っていた。
 
 
それでも、短い妊娠期間。
着られるサイズの服は充分にあるのだから
マタニティ用の服を揃える必要も感じていなかった。
 
 
でも、マタニティパジャマを着てみて
「自分に似合ったものを着る」よろこびと
「今の自分に合わせてある服」を着るよろこびを
ふわぁっと感じた。
 
 
これって、これって、
とても大事な嬉しい感覚。
 


どんどん体が変わっていくこと。
最近は慣れてきたし、日ごと大きくなる西瓜のようなお腹も面白く感じる。
それでも、最初はとっても怖かった。
 
胸がどんどん大きくなること。
お腹が膨らんでくること。
その中でグルングルンと、生きている存在が動く
内臓が勝手にひねり返るような感覚。
 
手に負えない変化と
親しみ深く感じていた体が離れていってしまうような寄る辺のなさ。
 
 
あの時にも
その自分に向けた服を着られたら、少し心強かったのではないかな。
それも受け入れ難かったかな。わからないけれど。
 
 
とにかく
代用がいくらでもきくとしても

特殊な状態にあって、
その状態に合わせたものを
(現在の自分自身に合わせられたものを)
身につけられるということの
よろこび。
 
今日知った。

うれしさと一緒に、メモ。
大切なことに思えたから。


 
朝起きて、お腹の中で赤ちゃんが動いたので
布団に寝転んだまま、お腹に手を置いたら
ふわっと文字が浮かんできた。
これはもしや、名前…?
 
忘れなさそうだけれど、起きてから
紙にボールペンで書いてみた。
 
夫に
「名前、…ってどう?」
と聞くと
夫はいいとも悪いとも言わずに「なんでそう思ったの」と聞いてきたので
「朝、お腹に手を置いたら文字が浮かんできた」と答えた。 
そう答えた後も、夫はいいとも悪いとも言わなかった。
 
まだ2ヶ月あるから
その間にもっとしっくりくるものが思い浮かんでくるのかもしれない。 
それでも
ふわぁっと明朝体の文字がはっきりと浮かんできたのは不思議だった。



 
 
インターネットで注文したものが続々と届き
すっかり赤ちゃんスペースが出来上がりつつある。

全部を揃えていくとなかなかの購入代金になるから
収納ケースは安価で掃除もしやすいプラスチックケースを買おうかと思っていたけれど
やっぱり自分自身も暮らす空間だし
自分にとっての快適さも大切だと感じて大きな籠を3つ買って、収納に使うことにした。
日々、目に入るものが好きなものだと嬉しいし楽しい。
 
 
インターネットで情報収集をして
多くの人が便利だ、と紹介している赤ちゃんのお世話グッズを揃えた三段ワゴン。
介助の仕事で訪問したお宅でも
同じように三段ワゴンにケアグッズを揃えていたのが便利だったことも思い出され
これはいい!とワゴンも購入。
 
ラックの中の細かな収納は、ニトリだったり100円ショップで
小さな収納ケースを揃えている人が多く、自分もそのようにしようと思って
100円ショップを見に行ったけれど、なんとなく買う気持ちにならない。
 
便利なのはわかる。
でもかわいくない。
それで100円ショップへ行き、買わずに帰る。ということを2、3度重ねた後
別に、あのケースじゃなくてもいいか、とやっと思いあたった。
 
家の中を見ると、取っておいたチョコレートの入っていた缶や
アジア雑貨屋さんで買ったアルミの弁当箱や
ブリキの箱が目に入ってくる。
なんだなんだ、あった!あった!
こっちを使う方が、ずっと楽しい。




楽しいは、大事だ。
とても、とても。
好き、も大事だ。
とても、とても。

触れると、元気になるから。


入院するときに必要で注文していたものも届き始めたので
この間訪問の保健師さんに「もう準備しておいてください」と言われた
入院の準備も整えられそうになり、なんとなくホッとする。

 
 
 
続いていた雨が上がったので
運動がてら土手まで出て
川沿いを散歩する。
 
桜の花が満開で、とても綺麗だった。
 
 
コロナウィルスのことで、人は動きを制限されているけれど
その分、自然にとっては、息を吹き返す時間になっているのかもしれないな
と、ふと思う。
 
 
沖縄で聖地である御嶽が、年のうちある一定期間
人を入れずに場を浄化するように。

もしかしたら地球は今この瞬間、治癒に向かっているのかもしれない。
 
 

 
川沿いを散歩して、北へ向かってずいぶん歩いたので
いつも使うよりも少し大きなスーパーに寄って帰ることができた。
 
そのスーパーではいつもジャムを買うので
どのジャムがいいかな、と夫の顔を思い浮かべながら考えた。
ふと、今度夫と来て、夫に選んでもらおう、と思いつき
買うのをやめる。
ここのところはいつも私が選んで買い足すことが続いていた。
でも毎朝食べるパン、自分で選んだジャムで食べたほうが
きっとちょっと、嬉しいはず。
 
 
夕方、ハンバーグの種を仕込みながらふと
生まれてくる人が少し大きくなった姿で横にいて
ハンバーグを丸めるのを手伝ってくれてる姿が思い浮かぶ。
 
もしもそんなことになったら
きっと楽しい。
 
 
ご飯を作る間、アマゾンプライム ビデオで
「かもめ食堂」を流す。

ちらちら見たり、音だけ聞いたり。
 
 
そんな風にしながら、あらためて、いい映画だなぁ…と思った。
 


ユーモアと品があって
空気と光が流れていて
 
それぞれがそれぞれで
 
でも気持ちよく循環しながら同じ空間に生きてる。