2020年7月24日金曜日


ここ2日くらい、たっぷり眠って起きている時は落ち着いていた娘が
今日はぐずぐずと、眠たいのに眠れずに、よく泣いた。
 
こんな日もあるね、と思って抱いたりあやしていたけれど
夕方、散歩に出てお風呂に入ったら、気分が変わったのか
目をぱっちりとあけて機嫌がよくなった。
 
その姿を見て、もっと早く、おもてへ出たり
シャワーで汗を流してあげたらよかった、と思う。

「そんな日もあるね」となだめるだけじゃなくて
楽しい方へ、心地よい方へ。
 
お風呂は1日に1回じゃなくたって別にいいし
気分を変えるためにシャワーを浴びること、自分にもある。
 
もっともっと、自由に
臨機応変に
すこしずつ
風通しよく、していきたい。
 
 
 
 
今夜は夫のライブがあって、配信されていたので
娘の寝かしつけをしながら、片耳にイヤフォンをつけて
ライブをみていた。
 
丁寧に歌われて、いいライブだった。

ライブの後、娘と一緒に私も寝入って
授乳のために夜中の1時過ぎに起きたら
夫はまだ帰っていない。

きっと久しぶりのライブハウスでのライブだったから
それにいいライブだったから
ゆっくり飲んで帰ってくるのだろう。
 
私は、娘をお風呂に入れる前にさっと汗を流しただけだったので
授乳を終えて娘をまたお布団に戻した後、
お風呂場で髪の毛を洗った。


それから手帳を久しぶりに開いて
今、胸の中にあることをとりとめもなく書き留めた。
 
 
手帳に、手書きで、胸の中のことや、起こった出来事を綴ると
自分の軸に、立ち戻ることができる。
 
 
今日、綴ったことは
 
からだは星からあずかった舟
そのかたちに宿っているあいだ
おどった軌跡が、命のあらわれ
 
その命に触れようと思ったら
軌道をなぞること
なぞるうちにたちあらわれるものが命
 
命はとまっていない
点に命はない
 
一部を切り取って、つまみ出すこともできない
 
軌道全体で歌
 
歌を聞きたいと思ったら
 
そう、やっぱり一部を切り取って、みることはできず

その息、軌道に触れ、たどること
 
たどっているその間に感じられること
そこにたちあらわれているのが命、命の歌。
 
いつでもそう。

今たちあらわれるものに触れることでしか
命は感じられない。
 
切り取って、止まっているものを、眺めても
それは、命から、離れてる。
 
見ることは、できない。

2020年7月18日土曜日



コーヒー豆が少なくなっていたので
午前中、娘を抱っこ紐で抱いて、お散歩がてら豆を買いに行く。
 
だいぶ暑くなってきたので
タオルで包んだ保冷剤を、抱っこ紐の中の娘の背中にあて
日傘をさして歩く。
 
いつもコーヒー豆を買っている喫茶店に着くと
店内が賑わっていて
店員さんに「奥の席へどうぞ」と声をかけられる。
 
豆を買うだけにしようかと思っていたけれど
店内の賑わいから、豆を包んでもらうまでに時間がかかると思ったので
そのまま奥の席に通してもらい
冷たいコーヒーと豆を頼んだ。
 
娘は抱っこ紐の中で眠っていたけれど目を覚まして
店の天井のあかりを目で追っていた。
 
ちょうどコーヒーと豆が届いたあたりで、ぐずぐずっと表情がくずれ始めたので
ぐびぐびっとコーヒーを飲んで、お会計を済ませた。
 
いつもクールに見えるカウンターの中の店員さんが
「おおきに」と声をかけてくれて嬉しくなる。
前に来たのはお腹が大きな時だった。
おぼえてくれているかはわからないけれど
「生まれましたよー」と心の中で声かけた。
 
 
お店からすぐの鴨川の土手に出て
帰る前に、初めて外で娘に授乳してみる。
 
ガーゼの授乳ケープを首からかけて
その中で娘におっぱいを飲んでもらう。
 
土手の道から少し奥まった、木の根本に腰掛ける。
足元に広がる木漏れ日が綺麗だった。
 
空が青くて、山の緑が眩しい。
川面はきらきら照っている。
 
外で授乳するのは、なんだか気持ちがよかった。
「外で飲むビールは美味しいな」という感覚と、どこか似ていて。
 
空と山のおおらかな景色と向き合って
こくこく胸の中で娘がおっぱいを飲んでいる。
ふんわりとかぶった授乳ケープのやわらかさ。
 
少し離れた道を、散歩やマラソンする人たちがのんびり行き交う。
 
授乳を終えると娘は落ち着いた様子で
そのまま土手をふたりで歩いて帰った。
 
風がしずかに渡って、すこし涼しかった。
 
 


夕方、インターネットのニュースで若い俳優さんが亡くなったことを知る。
ALSになった青年を演じているドラマを観た時から
テレビで観ると、嬉しい人だった。

心がしんと静まって、悲しい。
 

夫が作ってくれたカレーを晩に食べて
ポカポカあたたまった体をごろんと横にして
1度眠ってから起きてきた娘をまた寝かしつける。
 
娘の小さな手に触れながら
 
やっぱり、俳優さんの死に、胸がいたむ。
 
誰にでも、この時間があったはずだと、思えて、なおさら。
 
 
小さな手。
必死でおっぱいを飲む口。
 
ただ無垢に泣いて
満たされたら、すやぁっと眠る。
 

 
ご冥福を祈る、ということは
亡くなった先にも、その命が癒えることを願う、ということなんだ
と、今、思った。
 
 

 

2020年7月16日木曜日


生まれてひと月が過ぎたので
娘のお宮参りへ。
 
祖父母がそれぞれ来てくれて
みんなで揃って昼食を食べ
タクシーで神社へ行き、御祈祷を終えたあと
自宅近くの写真館へ行き、家族写真を撮影してもらった。
 
娘は白いよそ行きの服をまとって
わからないままあちこちに運ばれていたけれど
ずっと大人しくしていた。
 
昼に集まってから、どどどっと過ぎた1日で
祖父母が帰ってから「疲れたね」と3人で横になった。
 
味わう間もなく過ぎていったけれど
それでも、娘にとってのおじいちゃん、おばあちゃんに
娘をみてもらい、抱いてもらって、声をかけてもらった日。
 
バタバタと撮影してもらった写真。
そういえば自分の身なりを鏡をみてととのえることもしてないのだから
出来上がりを見るのが少しこわいけれど
それでもきっと、この日、こうでね、と後から振り返る手掛かりになるような
そんな写真になってくれると思う。
 
娘はきっと、忘れてしまうだろうから
出来上がった写真を手掛かりにして
数年後、どたばたとしたその日のこと
 
大雨続きだったのに、ぽっかりと晴れた日のこと
 
話して、聞かせてあげられたらいい。
 
 
 
 
私の両親は遠方から来たので京都に3泊して
4日間毎日、娘に会いに来てくれた。
 
父が娘の名前を呼んで、こわごわ娘を抱いて
「かわいいなぁ〜」と頬を撫でる。
 
母は、置きっぱなしになっていた洗濯物を見て
「ほすよ」と言ってすぐに洗濯物をベランダにほしてくれた。
 
父が「○○ちゃんが成人するまでは見られないから」と言ったのを聞いて
切なくなる。
「そんなこと言わないで」と言ったら
「保育園か幼稚園に上がるのは見られるかな〜」と父が言ったので
「ランドセル買ってね」と、私は父に言った。
 
 
 
両親も実家に戻って
久しぶりに娘とふたりのお昼間。
 
ずっと気になっていた、友人へのお礼と
出産祝いのお祝いのお返しを送りに、娘を連れて電車に乗り
京都駅の伊勢丹へ出かけた。
 
娘と電車に乗ると
(私も、電車はものすごく久しぶりだった気がする)
電車の走行音や、ドアの開閉の音、アナウンスの声がとてもとても大きく聞こえる。
 
娘は驚いているのか、抱っこ紐の中で
私の胸に頭を突っ伏している。
 
刺激が強過ぎたかもしれない、と思って
電車に乗せてしまったことを申し訳なく思い
空調のなるべく当たらないところに移動して
娘の腕を、自分の腕で包んだ。
 
途中で降りるか迷いながら、結局京都駅まで行き
伊勢丹でそれぞれのお返しを選んで発送してもらった。
娘はずっと眠っている。
 
通りすがりの人や、お店の人が
娘を見て「かわいい」と言ってくれる。

用事が済んでからまっすぐ帰って
帰り道はせめてと思って、ひとつ前の駅で降りて
歩いて帰った。
 
駅をでて、空の下歩くと
私の心がほっとした。
 
「遠くまで連れていっちゃってごめんね。一緒に来てくれてありがとうね。
もうすぐおうちだよー」
 
娘は目を閉じたままだけど
話しかけてしまう。
 
自分がそわそわしていたから。
 
 
家に帰って、おっぱいをあげると娘はそのまま1時間と少し眠った。
 
目が覚めたときに横にいき、
娘の顔を覗くと、娘が笑い
あー ウゥー と
たくさん声をあげたので
私もあー、ウゥー、と言ってこたえた。


 


2020年7月14日火曜日



やさしい世界になりますように。
 
 
育児放棄とか、虐待のニュースを見たときに
感じることが変わってきた。
 
とつきとおか、お腹の中で育つ命を守ってきて
出産して
それから、3歳とか、5歳とかに子どもがなっているということは
それまでに何度も何度も、おっぱいやミルクをあげてきたはずで
はじめて笑った顔を見たり
立ったり、歩き始めるのを、見守ってきたはずで
 
それでも
育てることが困難になって、嘘みたいにそこから身を離してしまうことになるのは
 
母親ひとりに責任があるわけじゃない気がする。
 
 
たくさんの要因がきっと重なっているし

周りの助けが届かなかったり
周りに助けてって言えなかったり
 
そういうことが、重なって重なって、重なっていってしまった先のことに思えて


報道は、事件を起こした母親を鬼みたいに扱うのではなくて
どうして、ひとりの女のひとが鬼のようなことになってしまったのかを
一緒に考えていくような流れになってほしい。
 
 
ひらいて
ひらいて
 
 
ふんわりと
 
 
誰もが、自分自身であることに安心していられて
 
こまったときには、こまってる、助けてください、ということができて

それを聞いた人が、あらあら、と、すっと手をのばすことができて

そしてまた、その手を、ことがたりれば、すっと離すことができたり
ひとりじゃ無理だわ、と思ったら
「大きなかぶ」の物語みたいに、ほかのひとも呼ぶことができて
解決したら、あーよかったよかった 、と笑えて
 
助けてもらったひとが、またちがう場面では助ける側になっていたり
 
とにかく、穏やかに交流があり

そんな風に、まわっていく。

そういう世界で生きたい。
 
 
 
 

2020年7月11日土曜日

記録



 
洗濯桶で沐浴していた娘が、湯船に入れるようになった。

夫が娘の体を洗って、
湯船に浸かった私が体を洗い終えた娘を受け取り
一緒に湯船に浸かって
また夫に娘を渡してお風呂上がりの身支度をととのえてもらっている。
 
おかげで私も湯船にゆっくりと浸かれて嬉しい。


娘は軽いので、お湯に浸けると
ぷかぁっと体が浮いてくる。

両手で浮いてくる体をおさえて、肩までお湯に浸けて
湯にぷかぷか浮かんでいる娘は、いつもきょとんとした顔をしている。


この頃は、いろんな声も出るようになった。
離れていると、「あー!」「あー!」と言って呼んできたり
目を合わせていると、猫が喉を鳴らすような声を出したりする。
 


 
 
 
産院で入院中にそうしていたように
退院してしばらくは、授乳した時間と、
母乳と合わせてどれだけミルクをあげたか
毎日記録していた。
 
それを見ながら、授乳間隔を確認したり
ちゃんと飲めていそうか判断したりしてきたのを
7月に入ってからやめた。
 
今はミルクは湯あがりに1回だけ夫に飲ませてもらっている。
(湯あがりのスペシャル)

それ以外は母乳をあげているのだけれど
母乳はどれだけ飲んでも大丈夫、と言われているので
欲しがるたびに、あげるようにしている。
 
そうすると30分くらいしか間があいていなかったり
大体20分ほどで終えている授乳が40分くらい続くこともある。

初めは、まだこれしか時間が空いてないけど、大丈夫なのかな?とか
こんなに授乳に時間がかかって、よくないのではないかな??とか
不安になったけれど
 
赤ちゃんはちゃんと、自分の必要をわかっている。
ということが
娘を見ていて、わかるようになった。
 
 
さっきあげたばかりで、お腹は空いていないはずなのに
おっぱいをほしがったり
えんえんとおっぱいを飲んだりする時は
眠たくて、眠るためだったり
気が立っているのを落ち着かせるためだったりする。
(おっぱいを飲んでいるうちにすやぁっと眠ってしまう)

いらなくなれば、どんなに口元におっぱいを持っていっても
唇をきゅっと閉ざす。
 
 
 
えんえん飲む時もあれば、
5分ほど飲んでふいっとやめてしまう時もあり

そういう時も、最初の頃は「なんで〜?飲んで〜」と思って焦ったけれど

ごくごく飲みたい時もあれば、ちょっとだけ飲みたい時もあるよな
と、当たり前のことを思えるようになってきた。
 
 


はじめは母乳がなかなか出ずに焦ったけれど
今は母乳も順調に出るようになってきた。
 
なんとなく、母乳で育てることがよい!という風潮があり
私も、母乳がでないことにこんなに焦るんだ、と焦る自分に驚きもしたけれど
(ミルクでもいいや、となかなか割り切れなかった)

母乳が出るようになった今も
湯あがりには、夫から娘にミルクをあげてもらっている。
 
まだ言葉を交わせない今、
口にするものをあげる、って、とても大切なコミュニケーションに思えるから
夫と娘の間でそれを交わせるのっていいな。と思えるし

娘に命を分ける、という役割から
1日1回、私はお休みをもらっている。
 
 

こういうことは、本には書いてないし
インターネットで検索しても、でてこない。

このひと月で見つけたこと。
生まれたバランス。
 


初めてで、何もわからないから
ついつい検索魔になってしまうけれど
 
ひとりひとり、みんな違うのだった。

それは、赤ちゃんもだし
父親や母親も。



今日は
夫と娘と3人で、あの、名前のない喫茶店へ行った。
 
以前、店主の方に「うちは赤ちゃん、大丈夫ですから」と
言ってもらっていたのもあって。
 
かき氷と、ホットコーヒー
それからジャスミン茶とクッキーもいただいた。
 
娘がぐずる場面があったけれど
「他にお客様もいませんし、泣いても大丈夫ですよ」
と言ってもらえてありがたかった。
 
 
お店から帰ってきて
家で娘に授乳しながら、夫と話していたら
「この家もいいなぁ」とあらためて感じている自分を見つけた。
 
それは、あのお店に行けたからだと思う。
 
(娘と一緒に、三者でより快適に暮らすには
どこかで引越しが必要になるのは変わらないけれど)

この家からなら、歩いてあのお店に行ける。


それで

「家」(住まい)って、
「家そのもの」だけじゃないんだな。
 
その周りの環境と地続きにあって
 
その環境まで含めて、というか
その環境にある家、としての、住まい、なんだ。
 
と気づいた。
 





2020年7月9日木曜日



いま暮らしている家は
風通しと採光がとてもよい。
自転車で川にも御所にも本屋にもライブハウスにもぴゅーんと行けて
周りも静かで気持ちがいい。
 
夫とふたりで暮らし始めた時
引っ越したばかりの時にも、とてもしっくりきて
新しい場所なのにそわそわすることもなかった。
暮らし始めた時から、とっても馴染んでいたのだった。
 
 
それくらい、好きな場所だけれど
娘が生まれてから、子どもがいるとこの部屋では
少し暮らしにくいかもしれない、と感じるようになった。
 


すぐの話ではないけれど
引越し、ということが浮かんできていて

 
娘がもし1歳から保育園に行くとしたら
今年の11月には申し込みが必要、と聞いて
そうだとしたら、それまでには新しい家を決める必要があるかも
と夫と話すも
 
でも毎日が目一杯で、
そこまで考えられないのが今。

「自分たちはどこで暮らすんだろう」という漠然とした不安から
掘立小屋のような家にいたり、
とてもいい家なのに水辺に浮かんでいたりという夢を毎晩見るようになった。

 
夢の話と漠然とした不安をそのまま、夫に話してみた。
 
夫に聞いてもらうと、漂っていた気持ちが言葉を持って落ち着いて

とりあえず、今目の前にあるところをひとつひとつ
という気持ちと
今はここにいるのだから、ここからどこかへ行くとしても
まずはここでの生活に心を置こう、と思えた。

 
 
 
いつでも「ここ」から

「ここ」にしっかり足をつけていた時に
「ここ」からむかう新しい景色が
いつの間にかやってきてる
 
 
焦りが生まれたり、不安になると忘れがちだけれど

いつでもそうだった。
 
まずは着地すること。
いまここに充分に触れること。
 
 
 

 
近所に子育てをしている友人がほしい、と思っていたので
近所の児童館の子育てクラブに申し込んだ。
 
当たり前だけれど初めてのことだからドキドキと緊張して
申し込みの電話をするのも躊躇ったけれど
一歩踏み出さないと開かない場所もある、と思って申し込みして
さっそく娘と出かけてみた。
 
 
出かけてみると

娘と同じように生まれて1ヶ月の子もいれば
ちょうど生まれて1年経った子、半年頃の子、
いろんなこどもとお母さんたちがいて
 
娘の顔を「小さいね〜可愛いね〜」と覗き込んでくれる先生たちがいて
 
なんだかとても、ほっとした。
 
 
娘がぐずって、抱っこしてあやしていてもいいし
手遊びの途中で走り回る子がいてもいい。
 
こどもはそういうもの、と
ひらかれていて
たくさんの人のまなざしがある空間。
 
 
娘ははじまる前に泣いて、
はじまってからは私の腕の中で眠っていた。
 
終わってからは、先生に抱っこしてもらっていた。


日中はほとんど、私に抱っこされるばかりなので
こんな風に、これからいろんな人に抱っこしてもらえたらいいな
と思えた。
 
 
帰り際に声をかけてきてくれたお母さんがいて
ちょうど息子さんが1歳。
娘のことを「小さくてかわいい」と言い
「わたしも1年でこんなに大きくなるとは知らなかったから、小さい今を楽しんで」
と話してくれた。
 
 
息子さんはとたとたと歩いていて
顔立ちもとてもしっかりしている。
「赤ちゃん」ではなくて、すっかり「男の子」。
 
1年経ったら娘も、あんな風になっているんだろうか。
きっとそうなはずなのに
今は全然、想像がつかない。


 
家に帰ってから、娘も疲れていそうだったし
私も初めてのことで疲れたので、昼寝を始めた娘の隣で、自分も眠った。
 
 

2020年7月1日水曜日



今日、娘を抱っこしていたら
もぞもぞと動いて持て余している感じがあり
部屋にカーペットを敷き、その上にタオルを敷いて寝かせてみると
手足をバタバタと動かしながら機嫌よくしている。
 
音の鳴るおもちゃを顔の前に持っていくと
今までよりも明るい表情でおもちゃを目で追った。
 
 
 
もうすぐ一ヶ月健診があり産院へ出かけるので
抱っこ紐に慣れよう(私も娘も)と思い
今日は午前中、抱っこ紐で娘を抱いて外へ出かけてみた。
抱っこ紐があるのに、なんとなく腕を娘の体にまわしてしまう。
両手が開くのに、両手を離すのはまだ不安で
娘の体のまるみを感じて安心する。


娘と一緒に外を歩くのは新鮮だった。
人とすれ違うたびにそわそわしたけれど、
すれ違う人にとっては別に特別でもない光景の一部だっただろう。

娘は抱っこ紐に頭をすっぽり覆われているので
ほとんど外の景色は見えていなかったはず。
でも室内と様子が違うのはわかっていたと思う。
なんとなくじぃっと抱っこ紐の中で静かにしていた。
 
 

夕方になって、娘が機嫌よくしていたので
また抱っこ紐で抱かせてもらって
ふたりで駅まで、会社帰りの夫を迎えに行った。

さんにんで家路をたどる。
空はまだ明るい。
娘の黒目にも明るい空がうつっている。
ここひと月ほど、家から見送り、迎えるばかりだった夫と
横並びで歩いているのも嬉しかった。


今日も冒険だった。





 
  
 
 


今朝、夫と朝食を食べていたら
娘が泣き声をあげたので
「はいはーい」とかけよって、すぐに抱き上げた。

ひょいっと抱き上げると、娘は目を丸くしていて
「寝起きに、こんないきなり抱き上げられるってどうなんだろう。
びっくりしたのではないかな」と思った。

自分だったら、目が覚めて
まだまどろみの中にいるときに、いきなり体をぐーんと
動かされたくない。


それでさっき
昼寝していた娘が、泣き声をあげたので
かけよってから、
娘の隣に私も横になって
彼女の顔を見て、小さな声で
「起きたの?」と声をかけた。

すると、目をパチパチさせていた彼女と目があって
彼女はにっと笑ったあと
またゆっくり目をとじていって、寝入った。


そのすこしの時間が
なんだか胸に響いてくる。

目が覚めて、ちょっとぐずっていたら
お母さん(というかいつもおっぱいをくれるひと)が近寄ってきて
隣にいるのを見て
また寝入っていく。



私はこどもの頃、自分がいつも何か大きなものに
見つめられている気がしていた。
 
「かみさま」なのか
「うちゅう」なのか

わからないけれど

自分よりも大きな、私の全体を見ることができる存在に
ずっと見られている気がしてた。



それはもしかして
本当に「かみさま」や「うちゅう」みたいなのを感じていたのかもしれないけれど

最近、娘を見ながら

あれは、私の周りにいた大人たちの眼差しだったのでは
ということをふと思う。

眠っていても、何していても
じっと彼女を見つめてしまう自分の姿に気がつきながら。