2020年2月20日木曜日

ちいさな生活

 
 
家で過ごすのは好きだけれど
この頃は家の中でばかり過ごしていて
変化が足りないので
机の位置を動かしてみた
 
視界が変わると
空気が少し、動く感じがする
 
 
気分転換にどこかへ出かけたい気持ちにもなるけれど
家でやる用事が重なっていることもあって
しばらくは引きこもりで作業の日々
 
こんなとき
近くにお店の人とおしゃべりのできる
喫茶店があればいいな、と思う
 
 
 
ただ、最近印刷物を続けて発注しているので
佐川急便の配達員さんが連日配送に来てくれる。
 
いつもありがとうございます、という感じで
顔を合わせられるのが嬉しい。
 
 
本当に、なんてことないことなのに
1日の中の一瞬のことなのに

人に触れる瞬間が嬉しい。
 
 
 
日中は暖かくなってきたので

ベランダの窓をあけて作業をする。
 
鳥の鳴き声や
隣の事業所で働く人たちのおしゃべり
隣の家のフランス人の方の聞く、フランス語のラジオが
窓の向こうから聞こえてくる。

音が春になっている。
 
 
 
町の中なのに
山の中で暮らしているようだ。
 
 
 
どこもかしこも遠い気もするし
なにもかもが近い気もする
 
 



お腹は日に日に大きくなってきて
お腹の皮がツンと張って、伸びてきている気がする。

前屈みがしづらくなってきて、落としたものをとるのにも
スクワットするみたいにしゃがんできつい。
 
 
 
ホルモンバランスの関係で、妊娠すると感情的になるというけれど
本当に他愛もないことで涙が出たり
イライラしたりすることが多くなった。
 
感情的になる、というよりは
感情がそのまま表に出るようになっている、という感じだ。
 
 
今まで、体の中は、自分の中の小さな宇宙というか
体の中に入ると、自分ひとりのだだっ広い空間がある、そんな感じの場所だった。
 
 
だから、感情がぶわっと湧くことがあった時に
それを表に出すのではなくて
いちど、自分ひとりの空間の中でその感情を受け入れていた。
 
そのまま、表現することもあれば
自分の中で受け入れられることができれば、表に表す必要のないこともあった。
 
 
それが、今や体の中に、もうひとりの生命体があるので
ずっとひとりだった体の中に、同居人がいる。
 
湧き上がった感情を、受け入れよう、ゆっくり見てみよう、と思って抱えて
部屋のドアをあけたら
他者がいるものだから、あ!と思ってドアを閉めた瞬間に
もう体の外に感情が出てしまっている、といった具合だ。
 
 
今、生活していて主に関わっているのは夫だから
夫に対しては顕著に、イライラした顔を見せたり
わがままなことを伝えたりしてしまう。
 
どうにかしたい、と思うけれど
どうにもならない。
 
体の中でも「ひとりになれない」という感じなのだ。
 
 
それでいて、いざ暮らしている中では
夫が仕事へ出かけている間は、外向きにはひとり。
 
他愛もないことを、誰かと話したくなったりもする。
 
 
おなかくんが生まれてくるまで、あと3ヶ月。
 
 
楽しいし
寂しいし
嬉しいし
悲しい
 
 
いろんな気持ちが静かに巡っている。
 
みんな「おめでとう」と祝ってくれる。
それはとてもありがたく、嬉しい。
 
その言葉が、明るい方に、自分を引っ張ってくれている気もする。
 
「そうだ、おめでたいことだ」
「そうだ、うれしいことだ」
 
そんな風に。
 
実際、このめぐりあわせが、私はとても嬉しい。
心から、やってくる誰かのことを、楽しみに思い歓迎している。
 
同時に、ずっと戸惑っている。
おなかの中で、命が出来上がっていっている
その途方もなさを、面白くも観察しながら。
「今だけなんだ」と思いながら。
 



 
 

2020年2月18日火曜日



夫の新しいアルバム、出来上がりが嬉しくて
つい手にとって、眺めてしまう。
嬉しい。いいものが出来上がった。
 
 
 
今までは、勢いでものを作ってしまうところがあったけれど
(そして、その勢いというのも、とてもとても、大切だと感じながら)
勢いのみで取りこぼしてしまったこと
行き届かなかった経験もしてきたので
 
今の自分にできる限り、たくさん確認をしながら進んだ。
 
 
そうしながらも

時々は離れたり、外を歩いたり、気分を変えて
体の中を新しくしながら
 
感覚的に「気持ちのいいところ」を
探した。

迷ったときには
頭を空にして

「気持ちのよさ」「空気のとおるところ」

を指標にした。

 
 
形になったものは

無駄がなく
不足もなく
ちょうどいい、のところに
生まれてきた。

そう感じられる。
 
 
 
手間は重ねても重ねても
重ねたことが
手間となって目に留まるようにはうつらない

でも、ひとつひとつの手順を
ちゃんと経たものには
ふんわりとした
空気が生まれる気がする。


調和、と呼ぶのか
 
そのものが在るところに
空気が生まれ、流れ出すような。
 
 
 
この感覚、大切にしよう。



これから、ものをつくっていく時には
この道のり、忘れずに。
 

 
 


大阪に住むシンガーソングライターの女性の
フライヤーも昨夜無事に入稿した。
 
気に入りました、とメッセージをいただいて
安心したし、嬉しかった。
 
よかった。
 
印刷があがるのが、たのしみ。
 
 
 
 
とんとんと、いろんな締め切りが立て込んでいたので
産院に検診に行くのが遅くなっていた。

夫から「忙しいと思うけど、時間作って(検診を)優先したほうがいいよ」
と言われ
それもそうだ、と思い
昨日は産院へ。
 
いつもはバスに乗るけれど
30分の道のりを散歩がてら歩いていく。

産院でおじいちゃん先生に
「何か変わったことはありましたか?」と聞かれ
「特にないです」と答えると
「何より」と言われる。
 
 
いつもより鮮明に見える4Dエコーで赤ちゃんの顔を見せてくれる。
指が生えた手を、顔の前に重ねている
横顔がうつった。
目を閉じていて、小さな鼻、小さな口。

かわいい。
 
 
「あ、消えちゃった」
と、データを先生が消してしまい、写真はもらえなかったけれど
記憶に残った。
 
 
妊娠していることに、慣れてきたけれど
奇妙な感覚が抜けることはない。
 
お腹の中に、生きている人がいるなんて
やっぱり何とも不思議だ。
 
そして、自分の体がかつて
こうして母の中で出来上がっていっていたとは。
 
そうまでして、どうして生命は続いているんだろう

こたえの出ないことに
心が飛んでいく。
 
 
 
生きてることを与えられた。
何もわからないまま。
 

「ラッキー」
 
 

 


 
 
 


 

 
 

2020年2月15日土曜日

 
 
以前、フライヤー制作をお願いしてくださったミュージシャンの方が
初夏のライブのフライヤーを依頼してくれたので、作り始める。

水彩画のモチーフをたくさん使うので、今日は絵を描く日。
 
午後に作業に集中できるよう
午前中は洗濯機をまわしたり、近所のスーパーへ買い出しへ出かけたり。
食材を見ながら、菜の花はつい籠に入れてしまう。
パスタにしてもいいし、湯がいてもいいし、食卓に出てくると
毎回ちょっと嬉しくなるから。
 
なんていうことのないところで、心は動き
日々のなかで喜びとして、小さくぴかりとひかる。
 
見過ごしてしまえるようなささやかにともるそのひかりで
きっと毎日、すくわれている。
 
 
 
お昼のうちに、晩ごはんの下準備をしておき
バレンタインデーなのでブラウニーを焼く。
 
部屋にチョコレートの匂いが香ばしく広がった。
 
 
 
作業をしていると、夫から連絡が入り
アルバムの発売ライブ、京都の出演者が決まったという。
連絡が滞る場面があって夫が気にかけていたので
すとんと決まって、落ち着いた。
 
「よかったね、よかったね」と返信する。

いろんなことを同時進行で進めていて、
自分自身の望むこととはいえ、本当に大変そうに見える。
作ることだけができればいいけれど
交渉や会場取りや広報も行う。
 
いっこいっこのことに関われることの良さもあるし
タイトな中では抱えるものの多さが響くこともあるだろう。
 
淡々と、ひとつひとつ
積み重ねているものが
遠くまで、届いていきますように。
 

 
玄関のチャイムが鳴り
出ると作業着のおじさんが、「台湾からお荷物です」と告げて
台車から段ボール箱2つ、持ち上げようとしている。
 
 
夫の新しいCDが工場から届いた。

予定よりも4日も早く、不意に予想もしていなかった新鮮な風が渡る。
 
「重たいですよ」とおじさんは言って、
家の中に、段ボールを運び入れてくれた。
 
段ボールの写真を、早速夫に送る。
 

今日はなんだか、ものごとの流れ、運ぶ日だ。
 
 
 
夕方になり
作業の手を止め、晩ごはんを作り始める。
 
瀬尾幸子さんの本で、キャベツは弱火で4分しっかり炒めると美味しいとあって
以前そうしたら本当にシャキッとして瑞々しくて美味しい炒め物になった。
 
なので今晩も、春キャベツをじりじりと炒める。
薄切りの人参と、ちくわと、豚肉も入れて、中華風の炒め物にした。
 

ごはんを作っているうちに夫が帰宅し
着替える前に、真っ先に段ボールに向かって行った。
 
私も手を止めて、ふたりで段ボールの前。
 
夫がカッターで段ボールの封を開ける。
 
中にたっぷりと、新しいアルバム。
 
 
ひとつ手に取ってみると
 
パソコンの画面でずっと見ていた写真が
ジャケットになって、手の中でぴかぴかしている。
 
シュリンクを開封して、
ジャケットを開き、CDの盤面、歌詞カード、とひとつひとつ見ていく。
 
きれい、きれい。
 
「おめでとう」
と隣に座る夫に言う。

「ありがとう」
と夫が言う。
 
 
生まれた、生まれた。
 
 

生まれました。




2020年2月9日日曜日



ずっと取り組んでいたデザインのことが手元を離れて
DMの仕事を1件いただいたけれど、メッセージを返信して
その折り返しがないので、止まっていて
 
なんだかポーンと、目の前にやることがなくなった。
 
お腹はぐんぐんと、大きくなっている。
 
 
 
夫が土曜日の朝早くに東京に出かけて行ったので
週末、ひゅん、とひとりになる。
 
そうなると、この土地に私にはまだ
友だちや 
出かけたらおしゃべりできるお店もないんだなぁ、と思う。
 
(詩人の女の子は「一緒に何か作りたいです」と言ってくれたし
きっと声をかけたら、お茶を共にしてくれるだろう。
でも彼女も今月末に東京での展示を控えているから
きっと準備をしていると思うとひょん、とは声をかけられない)

金曜日は、ひとりで過ごす2日間を思って寂しくなったけれど
土曜日がやってくると、なんだか気が抜けて
パジャマで1日過ごした。
 
眠ったり、絵を描いたり、簡単な食事を作って食べたり
21時からテレビで翔んで埼玉が放送されていたので、それを見たりして
気ままな土曜日であった。
おなかを時々、おなかくんが蹴るので、そのたび、ぽんぽん、とこちらからもお腹を押して、応答する。
 
なんとなく心細く
夫のふとんに入って居間の電気をつけたままで眠る。

眠る前に、膨らんだお腹を撫でながら
「生まれてくるのを、楽しみにしているよ〜」と話しかけたら
なぜか涙が流れた。
 
 
 
 
夢を見て起きた日曜日の朝。
また雪が降っている。

冷凍していたパンの端っこを解凍して
マヨネーズで縁を作り、真ん中に卵を落とす。
トースターでゆっくり焼いて、粉末のバジルをかけて食べる。
 
窓を開けて、雪の気配を感じながら。 
 
雪が降る日は
どうして静かで明るいんだろう。
 
 
 
窓辺に置いたミモザの黄色と
カーテンの淡い影
窓の外の粉雪と 雲間を透けて届く光
 
 
パンはサクサクとして
卵はちょうどよく焼き上がり、とても美味しかった。
 
 
雪だけれど、今日は出かけよう、と思って着替える。
本屋とパン屋へ行こう。
 
 
 
 
 
京都市内は小さな本屋さんがたくさんあるから
市内に住んでいるうちには必要がないけれど
 
もし本屋のない街に引っ越すことがあれば
 
私は小さな本屋を開きたい。
 
 
何かのスペースの一角に、本を置いて販売してあるような
そんな感じでもいい。


今日は充分に、ひとりだから

自分が何に触れているのか

ゆっくり取り出して、触れて、眺める日にする。


おなかくんのキックを感じつつ。

2020年2月6日木曜日


朝、目が覚めたらうんと寒い。
いつもは暖房をつけるとすぐに暖まるのに
なかなか部屋が暖まらないでいた。
 
 
朝食を食べ終えて、夫とわたしおのおの身支度をととのえる。
わたしはベンチに座って、朝ドラを見ながらお化粧をするのが
8時からの日課になっている。

そばでYシャツに着替えていた夫が「雪だ」と言った。

窓の外を見ると、粉雪。

カメラを向けようかと思い浮かぶけれど
きっと写らない。
それくらい繊細な、粉雪が
降りてきているのか 舞い上がっているのか
わからないくらいの軽さで
空に散っている。

(そういえば、雪は神様からのメッセージって、前に聞いたことがあります)

すぐにやむかと思っていたけれど
昼を過ぎても、ずっとふわふわと雪は舞っている。
その中で、お日さまがふぁっとさしたり
あかるい雪の 不思議な景色。


「終わりの雪」って
素敵な本が、あったな。感触だけ思い出す。
冷たいような、温かいような空気。

どんな話だったっけ。

 
 

一昨日

立春の日に
夫のアルバムのデザインデータと音源データを
無事にプレス会社に入稿した。
 
あとは、無事に形になって生まれるのを待つだけ。

ずっと目の前にあったものが流れていって
急に視界が開けたような、不思議な軽さがある。


文字の間違えがないか、画像がちゃんとはまっているか
何度も何度も確認して、確認したあとまた確認して
ドキドキしながら入稿した。
 

物になって、手にとるまではわからないけれど
きっといいものになっていると思う。
 
 
 
確認用の画像データを何度も見たくなって開いてしまうし
ここはちょっとな、というような心のこりがない。

はじめに私に浮かんできてたものとは
全然違う形になったけれど

たぶん、この作品の「かたち」は、これなんだ。
 
 
そこにある魂のかたちに、ものはきっと近づいていく。
 
そして魂の通り道として、かたちがうまれたとき
 
それがぴったり、しっくりならば
 
ものを手にとっても ぴったり しっくりときて

それ以上はないし

それ以外はない
 
 
きっと、そういうものなのだと思う。
 
 
 
アルバムジャケットを作る合間に気分転換と息抜きも兼ねて
夫には頼まれていない、ポストカードサイズのライブ告知用DMも作った。

自分の友達に送る用に作ったのだけれど
夫も見て喜んでくれたので、東京のお店にも送ろうかと思う。
 
もともと自分でもポストカードのDMが好きだから
(お店で見つけるのも、それが送られてくるのも)
これは作っていて単純に素直に、楽しかった。
カードを手にとる時のことや
それを手帳にはさむこと 壁に貼ること を思いながら
かわいさも大事、と思って作る。
 
 
もともとは、こんなことばかりをしていたのに
いつの間にかアルバムジャケットを作るところに身を置いている不思議。
 
 

アイテムやページ数が増えて、見るところが増える中で
イラストレーターソフトやフォトショップの勉強を
1度きちんとしたいなと思い始めている。

まずは、あのよく本屋で見かける分厚いテキストを読んでみることを
してみようかな。
 
 
 

煮詰まって、棚からいろんなCDを出して
それぞれのジャケットをみると
やっぱり、仕事が本当に綺麗なんだ。
 
使い方を知ることで、可動域が広がるのならば

また、可動域が広がることで
目には見えないイメージと
3次元の「もの」の世界が
より深く繋がるなら。
 
 

技術も、とても大切だし
知識も、とても大切。
 
そう感じる。
 
 
そうして変わらず大切なのは
 
感じること
祈ること。

感謝すること。
 
 
 
和菓子屋さんとかに、神棚があるのが
なんか今、わかる。
 
 






2020年2月3日月曜日



昨夜、炭酸水を買いにおもてへ出たら
街灯がやさしく点って、美しかった。

春の夜は、空気があたたかくなるからか
湿度が高いからなのか
じわんと光が滲んで綺麗。

小さなレストランの窓辺についた小さなライトたちも
星々みたいに光って美しい。
 
窓辺のあるレストラン。
 
今こうして書きながら、不意に国分寺の
トネリコ、という食堂を思い出す。
今は違うお店に変わっている。
 
そこの窓際の席で、
なおちゃんとごはんを食べながら
いろんな話をして
南風荘ビール、ビールをグレープソーダで割って、コップの縁にお塩がちょっと盛られているのを
くいくいと飲んでは、
美味しい、美味しい、と料理に感嘆していた時間が
近づいてくる。
 
胸の奥がキュッとなり、
腹の奥が、じんわりと光っているみたいになる。
 
 
今は、そのお店はもうないし
(後に入ったお店も、美味しいのだけれど)

あんな風に気軽に、なおちゃんとぷらりとご飯を食べに行けるのが
今は難しいけれど
(新幹線で2時間半の距離)
 
それでもあの時間の光が
今日の今のここまで、届いている。
 
 
何も知らずに
その時の目の前にあることに一生懸命で
やってくる料理に、美味しい美味しいと、互いに言い合って
喜んでいる楽しいひとときの光が。
 
 
 
今朝は、赤ちゃんがもうすでに生まれている、という夢を見た。
実家に戻っていて、両親が赤ちゃんの話をしているので
「あれ?」と思って、自分の部屋に行くと
ベッドの中に、小さな赤ちゃんがいる。
 
チューリップのつぼみみたいにかわいくて
抱っこして話しかけると、赤ちゃんは話せないけれど
こちらの言葉を理解しているのがわかる。
 
かわいい小さな人。今日で7ヶ月目に入った。
さっきエレベーターの中で、お腹を撫でながら
「あとお腹の中で一緒なのは3ヶ月だね」と話しかけたら
さびしいようなあかるいような不思議な心地が湧いた。
 
 
 
 
昨日は、夜ごはんのチャーハンを食べてから
じわじわとやる気がでてきて、そこからパソコンでパチパチと作業をする。
 
写真を撮影してくれた女の子から、今回使う写真を
それぞれ調整してくれたデータが届いて
(急なのに、丁寧に作業をしてくださった)
その写真をはめこんでいった。

 
ひと区切りついてシャワーを浴びて、眠たくなったので
ふとんに入る。
 
夫から、阪急線の駅で降りてラーメンを食べてくる、とメッセージがあった。
電車はもうないから、そこからタクシーで帰ってくるのだろうな、と思って
ふとんの中でぼーっとしていると、夫が帰ってきた。
 
上着を着たまま、どさりと横になった夫。
ライブが楽しかった、という話と
今度、東京に撮影にいくミュージックビデオの打ち合わせをしてきた話を聞く。
 
聞きながら、
東京の友人たちが、夫のために色々してくれていることを思って
そしてそれが、彼の刺激になっていることを感じて
「東京に引っ越そう」
と夫に言った。
思わずまっすぐ言葉が出た。
 
夫は「東京か〜」と答えて、まだ横になっている。

そのまま眠ってしまいそうだったから
シャワーを浴びることを促すと、むくりと起き上がってシャワーを浴びに行った。
 
 
私の昨夜の記憶はそこまで。
気がついたら今朝になっていた。

2020年2月2日日曜日


 
よく晴れた日曜日。

ゆっくり起きて朝ごはんを食べたら
市長選挙の投票に出かける。

投票所は近所の小学校で
いつもは入れない校舎の中に入れるのが嬉しい。
校庭、遊具、下駄箱の中の小さな上履きたち。

結果はまだわからないけれど
自分の意志を投じると、なんだかすっきりとする。
 
「おつかれさまです」なんて、係りの人たちに労いの言葉をかけてもらって
少しだけ粛々とした気持ちになる。

 
 
昼間は、夫のアルバムリリースの準備。
作業をしながら「えらい」と自分を褒めて、頭をぽんぽんと撫でた。
それを見て夫が笑った。
 
締め切り直前なのでもうひと頑張りだけれど
形がすっきりと見えてきて、あとはととのえていくところだから
少し気持ちが落ち着いている。

前に一緒にアルバムのデザインの仕事をしたデザイナーの女の子が
何度も何度もデータを原寸大にプリントアウトして、
確認しながら作っていた姿を思い出して
私も何度もプリントアウトして、
はさみとのりを作って、アルバムジャケットや歌詞カードの形を作りながら
手に触れて、確かめ、確かめ、作っていく。


 
プリンターのインクが切れたのでコンビニでプリントしようと
外へ出る。

路地を入ったところ
お寺の入り口に蝋梅が咲いている。いい香り。
 
おじさんがスマートフォンで蝋梅を撮影している。

そんな姿を流し見つつ、
中学生の頃に、アルバムジャケットを作る人になりたい、と思ったことが
叶っているなぁ…ということを思った。
 
夢は、叶っているとも気づかないところで、叶っている。
 
 
そう思いながら
ここまでやってくる道のりのすべてに、ふんわりと感謝した。




天満宮の前にも人がちらちらといて、人の視線の先をたどったら
そこには紅梅が咲いていた。
 
気づいたら、春の中にいた。




夕方、夫は友人のバンドが東京からやってきているので
彼らのライブをみに、大阪へ出掛けて行った。
 
私は眠たくなって横になり、少しのつもりが2時間ほど眠っていた。
 
起きたら、なんとなくうら寂しい気持ちになり
作業もあるし、大阪まで遠いから行かない、と自分で決めたものの
私もライブに行きたかった、とすねるような気持ちも出てくる。

気分転換に外食に出かけようかと思うけれど、
食べたいと思ったタイ料理屋さん
休日の夜にひとりで行くには向いていない。

近所のラーメン屋さんは美味しいけれど
店主がとてもお喋りで、普段は楽しいけれど
今日はちょっと会いたくない。
 
途方にくれた気持ちになり
でも、誰かが作ってくれたものが食べたくなり、
デリバリーを調べているうちに、中華が食べたくなってくる。
 
チャーハンなら作ってもいいかも、という気分になって
もそもそと動き始める。
 
心がささくれているので
部屋の明かりを消して、ロウソクに火をつけた。
 
台所だけ明かりをつけて
ねぎと豚肉を切って、卵とキムチも入れて
冷凍ごはんを解凍してチャーハンを作る。
 
作っているうちに、元気が出てくる。
炒まっている卵の黄色を見ながら、美味しそう、と胸がふくらむ。
 
お湯を沸かして、母が送ってくれた中華スープの素をお椀に入れて
スープも準備。

ロウソクの明かりの横で
まるくお皿に盛った、チャーハンを頬張る。

じんわりなぐさめられるように
元気が出てくる。


時々やってくるひとりの夜は
さびしくもなるし
あたたかくもなる。
 
 
 
さて、
このあとは炭酸水を買いに
すこしだけ、夜散歩してこよう。