2020年9月18日金曜日

 

4月から娘の通う保育園を見つけるために

保育園見学を続けている。

今は3つ見たところ。

どこも同じ「保育園」という場所なのに、全く違う時間の流れる場所。

 

場所が違って、空間が違って、人が違えば、当たり前かもしれないけれど

本当に、全然違うから、驚く。

 

いろんな場所に触れながら

娘が、娘自身にあるものに、触れながら暮らしていける場所はどこだろう

と探している自分に気がつく。

 

彼女が彼女に備わったものを、すくすくと活かせる道を歩いていってほしいし

時間がかかってもよいから、自分自身が感じているものに充分に触れて
ひつようならば、ゆっくりとでも、それを表現できるひとになってほしい。

 

私が、彼女にそんなことを望み始めていることに気がつく。

 

保育園探しをしながら、見つけた私の中の望み。

それを自分に、照らし返してみよう。

どうしてそう感じるのか。私自身はどうあるか。

そして、娘がそうあれるように、自分にどんな関わりができるのか。

 

 

昨日の午後、急に寝返りができるようになった娘。

新しい扉が開いて興奮しているのか、夜の寝かしつけの時も、目がらんらんとしていた。

今朝起きてからも、なんだかいつもと違って

寝転がると寝返りをしようとして、一度抱っこしたらそのあとは、降ろそうとすると泣くのでずっと抱っこ。

大きな変化の中を、過ごしているのかな。

 

抱っこしながら、姿見の前へ行って

「かわいいこだーれだ」と娘に鏡を見せていたら

今まで娘は、鏡の中の私をいつも見ていたのに

今日は自分自身を見ていた。

 

そのことに気づいた瞬間、不意に

「わたしたち、別々の人間だね」という感覚が一気にやってきて

娘は娘の道を、もう歩いている、ということが、急にわかって

胸がきゅうっと切なくなった。

いろんなことが、急だよ。切ない。寂しい。娘の変化が、嬉しい。

全部がぐるぐると、結ばれて、一本のリボンになっているみたいだ。

 



2020年9月15日火曜日

 

空気が澄んで 音の響きが変わった

雲の形も変わって 秋があらわれてきた

 

 

 

体が油の回っていない機械みたいになってしまって

心にも余裕がなくなった

 

ひとりになりたいと思って、真夜中に外へ出たら

マンションのエントランスにお隣に住むフランス人の男性がいて

階段に座り、とてもリラックスした様子でスマートフォンで動画を見ていた。

 

思いがけない場面に出会って

「こんばんは」と挨拶を交わしあう。

「ちょっとコンビニへ」と咄嗟に言い訳のようなことを言うと

「雨に気をつけて」と声をかけてくれる。

 

雨あがりの夜だった。

 

交わした言葉が温度になって、自分をそっと繋ぎとめる。

灯台のひかりみたいに、形のない柔らかさで。

 

 

コンビニに行って帰ってくるくらいの時間、夜を歩いて戻ったら

エントランスにお隣さんはやっぱりいて

「おやすみなさい」と言い合って、家に戻った。

 

 

夫と話して、母に来てもらい、父も一緒にやって来て

娘を見てもらい、整骨院へ行って、みっちり体をととのえてもらう。

骨盤がグーンと歪んでいて、産後の体についても教えてもらった。

 

 

 

娘は、両親にかわいがられて、お宮参り以降の再会になった父にも

ずいぶんなついた。

 

ベビーカーを買って、それから抱っこ紐も変える。

毎日ちょっとずつ、ストレッチもしよう。

 

日に5分でも、ちゃんと自分をみるように。

 

 

ちょうど1年前くらいに妊娠がわかって

それからずいぶん、遠くまでやってきてしまった感じがする。

 

潮の流れにのって。でも、ポイントポイントで、ちゃんと意思を確認してきたから

大きな流れに流されながらも、軌道にのっていることもわかる。

 

どこへ向かっているのかはわからないけれど

ここ、は

いま 最善の ここ

 

 

夜中に飛び出す場面も含めて。