2022年8月29日月曜日

 


秋の風

昨日は、買ったままになっていた花火を
夕食のあと 玄関先でみんなでひらく

 

はじめての花火は怖がっていた娘も
おばあちゃんちで晩にした花火で、お父さんと一緒に手に持てるようになって

昨夜ははじめから手に持ちたがって
(なんなら「自分で!」とひとりでやりたがって)
すっかり一緒に楽しんだ

 

もう夜風が冷たくて 今年はこれで最後の花火だなと思いながら片付ける


バケツにはった水の中に、燃えた花火の先が固くなって沈む

水を流した洗面所に火薬の匂い

 


お風呂には湯をはっておいたから、花火を終えてすぐに

みんなでどさどさと入った

 



ここのところ、わたしは気持ちが落ち込むことが多くなっていた


色々試しても、またふっと落ちて

何か動くにも初動を起こす気力が湧かなくなっていた


長期授乳について調べていた時に
長期授乳が原因で、疲れや気うつなど同じ症状の人がいたことを知り

あれ?心に何か問題があるのかと思っていたけれど
体なのかな?と思い

産後飲んでいた漢方を飲んでみたら

ぐっと体温が上がって汗が滲み

ぐるぐる巡っていた思考がぴたーっとやんで静けさがやってきて

それから猛烈に眠たくなって 寝入ったら

娘を保育園に迎えにいく前1時間ほどだったけれど
最近なかったくらい、ふーっと深く寝入れて、起きたらぐっと元気になっていた


よかった

それから漢方を1日3回飲んでみている


体の真ん中の栓が抜けてしまっているかと思うほど
気力や体力が どうしても ずいずいと流れ落ちていた状況から

自分のからだの中にふっと座っていられるようになってきた



多分、高齢出産なこともあり自分の回復力はスローペースになっていて
娘はおっぱいが大好きだから授乳回数は減らず、
血液を作るのが間に合わない状態なんだろう。

そして
漢方を飲み始めた後、生理もやってきたから
ここ最近は、なおさら血が足りない状況だったのかもしれない。




漢方って、
植物って、ありがたい。

植物の力が、足りなくなった部分を補い、巡らしてくれるって
なんてありがたいんだろう。



そして、自分の体から、他者の体を作り、出産し
また血を分けて育てるということは、
やっぱりこの体にとって大きなことなんだなぁと感じた。



授乳については、娘が欲しがるだけあげたいと思っていたけれど
自分の体調も見ながら、少しずつ考える時期なのかもしれない。

同時に、今彼女は
排泄をおむつからトイレに移行しようと挑戦中で

2つ同時に挑戦は負荷が大きいと思うから、
色々バランスを見ながら。
 
 



トイレでの排泄の練習について


排泄は自然なことで、報酬を得るためのことではない
という考え方もあるみたいで心から共感したけれど
(大げさに褒めたり、トイレが成功したからといってご褒美をあげるのは
違う、というもの)

娘と一緒に取り組むことを考えた時に
トイレの壁にシールを貼る台紙を貼って
トイレが成功するごとに、シールを貼っていく
よく紹介されているやり方を採用してみた。


娘を見ていると
トイレに行くのも
シールを選んでひとつずつ貼るのも楽しそうだから
よかったなって思う。

シールが全部埋まったら、彼女が好きなキャラクター
うっかりペネロペちゃんがうちに来てくれるよ(ぬいぐるみをプレゼントする)
と伝えている。

 

楽しいがたくさんあることは
やっぱり嬉しい。






昨夜はぐっと冷え込んだから
今日は朝から毛布をベランダにほした

今夜冷え込んでも使えるように



いろんな場所に暮らす友人たちに
やさしい秋があるようにって祈る



2022年8月24日水曜日


 













台所の小窓。

保育園から家までの間にあるお花屋さんで
時々お花を買って帰る。


娘に「どのお花がいい?」と選んでもらって
その後、それに合うような花を私も選んで買うことが多い。

昨日は娘が白い花びらで、花びらの縁にピンクのラインが入ったカーネーションを選んで
それに合わせてワレモコウ。
私が欲しいと思った、ピンクのワックスフラワーを買った。

お花屋さんのお店のお姉さんも覚えてくれていて
いつも包んだ花を娘に持たせてくれる。


買って帰ってきた花は切り分けて、
家のいろんなところにちょっとずつ活ける。


台所の小窓にも置く。自分が暮らしている中で、いちばん目に入る場所だから。


台所の小窓には

アロマポットと
小さな花瓶と
コップに入れたビー玉と(娘のおもちゃ。誤飲を避けるためにここで保管)
アボカドの種と(綺麗だからそのまま)
白い陶器の一輪挿しと
和歌山の海で拾った小石たちと

それから歯ブラシと歯磨き粉

洗面所は階が違うので、洗面所でも台所でも歯磨きができるように、
両方に歯ブラシを置いてる。これは夫の提案。

夫は台所で歯を磨くことはないけれど、
私は朝ごはんの後とか
娘の歯磨きを台所がある居間でするから一緒にそこでしたりして
ほとんど、台所の小窓に置いた歯ブラシを使っている。


暮らしってなんて、なんてことないんだ。

でも誰にも応用できそうで、本当にはできない。

自分の 自分たちの暮らしの上 だけの

小さな工夫が効いたとき

よろこびと、好きという気持ちと、いろんなものが立ち上がる。


いつでもどこでも、

そこはそこだけの場所で どこにもない場所。


2022年8月23日火曜日

 


夫の実家に帰省した時に
海で拾ってきた石を台所の窓辺に置いている。


目に入るたびに、海が浮かんできて
ふと ちいさく 心がひろがる。

波に何度も撫でられた石はみんなまるい。


娘もいくつか拾ってきたのを
おもちゃに混ぜて時々手に持っているのを見る。


 

昨日の夜中、目が覚めて
とりとめもなく考え事をしていると

キュッと心が一瞬かたまるような言葉が浮かんできて

ひと呼吸おいて、その言葉をそのまま眺めてみた。


この言葉はどこからやってきているんだろう、と。

しばらくするとスーツ姿のおじさんが出てきて
「この人が言っているのかな」と思う(そしてそれはわたしだろう)

鳩尾がぎゅっとかたくなってる。


しばらく おじさんの姿を眺めていたら

(呼吸をとめないように、ゆっくり深呼吸しながら)

おじさんは姿を変えて消えていった。

何度も頭に浮かぶ言葉だったけれど
その言葉がどんな言葉だったかも、今思い出せない。



2022年8月18日木曜日

 

お盆は、夫の実家へ


朝、夫と娘と、義兄と甥っ子と姪っ子と一緒に
近くの海へ行った。

娘は初めて目前にする海。

寄せ返す白い波を見て「こわい」と言った。


海から見たら、わたしも娘も同じようだと思うけれど
彼女のちいさくてまっさらな体に、海はどんなに大きく迫ってきただろう。


浜辺で思い思いに好きな石を拾ったりもして。

午前のうちから日差しが強い。遮るもののない浜辺。



 

 

台所に、義母と義姉と立つ。

ふたりともさっぱりとしているから

それぞれのやることはそれぞれのまま
互いを見ながら、じゃあ自分はこれやるか、
という具合に回っていく動きが心地いい。


大人数で食べる焼きそばをフラインパンで2回に分けて作ったり
絶えず麦茶を煮出したり

たくさん湯がいたそうめんに氷をのせて冷蔵庫で冷やしておいたり

干し椎茸を戻して作る義母の自家製麺つゆ

 

娘は、甥っ子と姪っ子に刺激されてか
めずらしくご飯をたくさん食べた。

そして小学生のふたりに、まるで対等なつもりで
マイペースに関わっていくのが可笑しい。

時にはふたりの喧嘩に驚き、かたまったりもしつつ。




夜中に目が覚めて眠れなくなって、

ふと手元のスマホでGoogleマップを開き、
実家の近くに何かお店はあるかなと検索したら

素敵そうな雑貨屋さんが、500メートルほどの距離にあって

翌日、夫に言ってみたい、と話したら

夫が知らないうちにみんなに「なおみが行きたがってる」と話してくれていて
義姉が「今のうちに行っちゃいな」と声をかけてくれる。

近くだから歩いて行こうと思っていたら、義母が「暑いから」と
車で一緒に出かけてくれる。

 

短い滞在の中、みんなで過ごす時間に
自分の単独行動の希望にみんなが気兼ねなく「いいよ、いいよ」と言ってくれて

夫、娘、義母と4人でひょっと向かい
娘を夫と義母が見てくれて、さっとお店を自由に見せてもらって

ありがたかった。



その雑貨屋さんに並ぶものは、どれもちゃんと選ばれてそこにあって
暮らしの中に置かれたら、実用的で、かつ、目に入ると嬉しいもの、という感じで

本当によかった。

私は
ガラスのマドラーと、マッチ式のお香と、自分のお箸と絵葉書を3枚選んだ。

夫が、義姉にも同じお香をお土産に
義母が「ほしい」と言ったガラスのミルクピッチャーを義母へのプレゼントに。
 
 
何を見ても、嬉しくなるものが並ぶお店で
自分の暮らしに使いたいものを選んで買う。
帰ってから、それを使う日々を楽しみに。

なんだか久しぶりな気がした、うれしい感覚。



夫の家族(わたしの家族)と過ごすと

なんだかやさしくなる。

自分の中に、養分をたたえた水がちゃんと流れる感じがする。



そして、えっさほいさと帰ってきて
途中で買ったラザニアとパンでさっとお腹を満たして

また始まる日常。

淹れたばかりのアイスコーヒーを、ガラスのマドラーでかきまぜて。

娘は
「一生懸命やったんだから、〜しないで!」という言葉を覚えて
帰ってきた。






2022年8月5日金曜日


雨降りが続く8月のあたま

 

昨日、夕立が過ぎ去った後
少しの間を置いて、ジィーーーーー…と一匹の蝉が鳴き上げた。

その声を聞きながらふと

蝉にとって短いのか長いのかわからない1週間
わからないけれど、限りは見えていて

土から出てきて雨続きでもその運命を嘆く暇もない
晴れ間を見つけたその隙に鳴いて鳴き上げる 声が出るその間に

そんなことを思った。



洋服を作っている友人と、お菓子を作っている友人が声をかけてくれて
一緒に商品を作ることに。(私は紙もの担当)

久しぶりに感受性のすっと先端で、言葉を探して、線を探して

探る中でふっと



あのとき、どうしてああしちゃったんだろう…

あのとき、あれでよかったのかな…


ということが私にはあって、そのことがふと心に浮かんでは
ついつい、そこにしばし居座ってしまうことがあるのだけれど

(居座ってしまうのは、何か間違えてしまったのでは、という不安から
もっと、選択するべきものがあったのではないか、という気持ちから)


「それがあっても、いいか」


という言葉がやってきた。


40年生きてるんだもん。


思い出すと今でも恥ずかしくなること
後悔していること 間違ってしまったかもしれないこと

膝小僧の擦り傷の痕みたいに

そんなことがいくつかある。そりゃ、あるさ。

そんな感覚が腑に落ちてきた。

 

 

そしてそこから出てきた言葉を、ふと書き記してラフを作る。





脱衣所の床が傷んでいるのが気になっていて
自分で簡単に貼れるリメイクシートを貼ろうと買っておいたのを

いつかいつかと先送りにしていたけれど
ふと気が向いてやり始めたら、貼りやすくてすぐに貼り終えられた。

お風呂に入る度になんとなく気になっていたことが気にならなくなってホッ。


ずっと段ボールが積まれるままになっていた、自分のスペースも少し整理する。


居心地良く感じるこのお家。どれくらいここに住むんだろう。

なんて未来に気を向けてみるけれど、まったく想像もつかない。





2022年8月3日水曜日


友人が頼んでくれたチラシの作成で
友人を介した先方から、直しが何度も返ってきて
なんとも晴れない気持ちになる。



直接のやり取りではないから、相手の顔も見えず
「申し訳ないけれど、ここの訂正お願いします」とか
そういう一言のやりとりがなく、赤字だけが返ってくるので
自分が作ったものに、ただただ、バツがついて返ってくる。
それが少し辛かった。

相手の顔が見えたり
今、どう感じているかという小さなひとことの大切さを知る。



コミュニケーション不足から、探り探りのデザインになってしまったけれど
本当は相手とのコミュニケーションの上で「自分がいい」と思うところに
100%かけていくことが大事だった。

心にとめよう。



そんなこともありながら

さっき洗濯機から洗い終わった洗濯物を取り出し、かごに重ねながらふと思う。

そんなことがありながらもやっぱり、

「わたしは、人とものを作ることが好きだな」ということ。

対話を重ねたり
小さな空気から相手の伝えたいことを感じとって。
 
何度も何度も思ってきたけれど
それは
「私自身の作品じゃない」って
「誰かのサポート的な生き方じゃなくて、自分を生きなくちゃ」って
繰り返し声をかけてもらって、私自身も、そうだ、そうだって思うところがあった。

でも、ひとりで生きているわけじゃない。

山や空から受け取って、溢れるものを描くことと
人の中から溢れるものに触れて、それを形にすること
 
何も違わないのではないか。


今までものを作ったときに喜びが湧き上がった瞬間にはいつも誰かがいる。

わたしが勢いで何かを作った時にも、
それを受け入れてくれる誰かがいた。

人との間に、ものを生むこと。

それが好き。
 


だから
あんまり考えないで、
ただ、エネルギーが湧くところを歩こうって思った。


この世の道理がよくわかっていそうだ、と思う人と会うと
その人の言うことを自分自身よりも信じてしまったいつかの私よ

ずっと自信がなかったから。


でもやっぱり
どうしたって

わたしを生きているのはわたしだけで

この目の前の濡れた洗濯物を、今日乾すのも、わたしなんだから。



2022年8月2日火曜日



夫の残業がはじまる月初。

娘とふたりでカレーを食べたり
おままごとをして遊んだりして夕べを過ごす。

もうすぐお父さん帰ってくるかな、という時間になって
お風呂の湯はりボタンを押してから
ふとふたりで表へ出てみる。

暗がりの向こうに、人影が見えて
「お父さんかな」と私が言うと
娘が大きな声で
「おとうちゃーん!」「おかえりなさーい!」と言って手を振った。

手を振り続けていたけれど、人影は途中の角で曲がってしまい
人違い。人影の人も、戸惑っていたかもしれない。

人気のなくなった暗い道をぽかんと見つめたまま
違ったね、と話していたら
見ていたのとは違う方向、商店街の向こうから夫が帰ってくるのが見えて
「あ!お父さんだ」と言うと
「おかえりなさーい!」と声を上げて娘が駆け寄っていった。

嬉しそうに家まで歩く道。
「こっちゃんの影はどれ?」と言って
街灯の灯りに浮かぶ自分の影を見つけて嬉しそうにして
自由な魂が跳ねている。
 
 
「お父ちゃんとお風呂入るぅ!」と言うので
家に着いて早々、湯がたまったお風呂にどさどさと3人で入る。
 
湯上がり、はだかんぼの娘を
クーラーの効いた居間まで抱っこしていく。
「こっちゃんが来たぞ〜」と言って居間に入ろうとすると
「こっちゃんじゃないよ!はだかんぼうだよ!」と言って
ぬいぐるみたちの間に「はだかんぼうだよ〜!」と言って転がっていった。
 
 
夫は職場のキッチンから鮎の塩焼きをもらって帰ってきて
アルミホイルに包まれた鮎をトースターで焼き直し
カレーを温めて、いつもより少し遅い晩御飯。
「鮎、いらない?」と3回くらい聞いてくれた。
美味しかったみたい。

「鮎って繊細な味」というようなことを言っていたっけ。
 
毎晩嫌がる歯磨きを頑張って終わらせてから
娘は就寝。
 
直前まで見ていた絵本を「持っていく」と言って布団まで連れていきながら。
 
 
 
バタバタと過ぎる日々
その中で娘はどんどん大きくなって
昨日の彼女はもういない
いつでも新しい女の子がいる
 
小さなあかるい、嵐のようなひとだ

賑やかな嵐だけれど、夜はよく眠る。

絵本を置いたふとんの上にごろんと横になったら
好きなようにおっぱいを飲んで(右、左、右、左、と。乳首を引っ張って自分の顔に寄せて)
大好きな猫のぬいぐるみを抱いて、すとんと寝付いた。