2021年2月16日火曜日

 

春の匂いがしてきた

 

今日は久しぶりにザボザボと降る雨

土の匂いが立ち上がってくるような、春らしい雨

空気も暖かい

 

 

長い朝寝から起きた娘を抱っこして、一緒に児童館へ

 

 

 

娘は、はじめは私の側にいたけれど

好きな先生がやってくるとずり這いして近づいて、ゴロンと頭を先生の膝につけて

甘えるようなそぶりをしていた

 

人懐っこい子なのかもしれないな、って

まだまだわからないけれど、なんとなくそんな風に思った

 


今日は、彼女は手を開いたり閉じたりグーパーして

その手のひらを、じーっと自分で見つめていた

 

その姿を見たのは初めてな気がして

並んで私も、私の手のひらをグーパーして

「グーパーできるね」と娘に声をかけたら、娘は笑顔でこちらを見た。

 

グーパー

グーパー

 

ひらいて とじて

 

彼女は何か、発見したみたい。新しい、手の動き。

 

 


すると晩になって

ご飯の時に変化が。

 

今まで手掴みでものを食べる時に、

1度握ったものを、離せなかった彼女。

だから手の中にまだ食べ物が残っているのに、それをうまく食べられなかった。

 

それが、手のひらを開くことを覚えた彼女は

お米を握って、口に運んで、

手のひらを開いて、握っていたお米を口に入れた。

 

今までできなかったことができるようになった瞬間を見て

わ!と彼女を見たら

彼女の顔が明るくなったのを見た。

目があった時に「できたね!」「できたよ!」と、言葉はないけど

意思を交わした気がした。

パッと彼女が笑った。





どんどん、ひらいていくいのち。


毎日全力で生きてるひと。



2021年2月11日木曜日






食器を自分で作りたいなと思っていたら
いつも通っている児童館で「親子の陶芸体験教室」が開催され
娘も見てもらいながら、陶芸ができる!という夢のような機会に恵まれた。


粘土もたっぷり用意されていて、お皿が2、3枚は作れそうだったけれど
後追いが始まった娘が、私がちょっと席を立った間に泣いてしまい
(娘は児童館の先生と遊んでいたから、すっかり作ることに夢中になっていた)
結局ぐずっている娘を抱っこしながら、
なんとかなんとか、シンプルな丸皿を1枚作った。

でも、作り終えると欲が出てきて、
余りの粘土でなんとか豆皿をもうひとつ。
 
出来上がりが本当に楽しみ。
 
丸皿は、娘のお皿にしようと思って、「K」と彼女の名前の頭文字を彫り入れた。
 
今までの人生で何度か陶芸体験をして失敗から学び出したことは
「余計なことはしない」

独創性を狙って変な装飾をしたり、特異な形にしたりすると
本当にただただ、使いにくいものが出来上がり、日常的に使えない。

(自分らしさ)とか(味わい)みたいなものは
多分、滲み出る物で、作り出そうとするものではないんだろう。
 
なのでただただ今回は、無心で丸い皿を作った。
 
 
 
作り終えたあと、
充実した気持ちがずーっと今、この夜まで広がっている。

何かを作るって、すごく楽しいな。
 
 


そして、ベビーマッサージや、陶芸教室や、おもちゃ講座とか
本当にいろんな企画を立ててくださる、児童館の方々へ感謝の気持ちが湧き上がる。
すごく、ありがたい。
 
 
4月から娘が通う保育園も決まった。
 
児童館の0歳児クラスも3月まで。
7月頃から通い始めた児童館。本当に助けられてる。



気にかけてくれる、家族や友人たち

それから、
スーパーですれ違ったおばちゃんとか
(かわいいね、大変ね、とか声かけてくれた)
ミスドの店員さんとか
(席までドーナツ運んでくれて、頼んでいないのに飲みやすいように飲み物にストローつけてくれた)
本当にいろんな人に 助けられてる。


助けられながら、ここまで運ばれていること
あらためて感じて
じんわり、身が、あたたかくなる。


2021年2月7日日曜日



今日は、朝
「ひとりになりたーい!」と思い、
夫に娘を見てもらい、ひとり喫茶店でモーニングをした。

喫茶店は娘を出産した産院の近所にあって、
思い立って、モーニングのあと産院まで自転車を漕いだ。

入院していた部屋の窓を見て、産院のベランダに乾されているタオルを眺めた。
それから、
「この8ヶ月頑張ったな〜」
「娘、小さかったな〜」
「大きくなったな〜」
とか思いながら、ゆっくり神社の森を抜けて、
パン屋さんでパンを買って、また家に帰った。

橋を渡って、久しぶりに川を見る。川を見るとホッとする。

娘はとってもかわいい。
でも当たり前だけど、言葉にするととても表面的で、
本当に彼女を前に感じていることは、何かあたたかなもので、
それの名前を、私は知らない。


そして、
彼女を見ながら「この子は誰?」って、ふとふと思ってる。


わからないまま、目の前でどんどこ大きくなって、
この頃はなんでも手に持って「いないいないばあ」をして笑っている、
ちいさなたくましい生きものよ。




最近は少し暖かくなってきて、夜がきらきらしてる。

春の予感が混じってくる夜は、
花の匂いがして、
空気の粒が光っているみたいで、
とてもきれいだな。


夕方、そんな空気を感じながら洗濯物を取り込んでいたら、
コロッケが食べたくなった。



揚げ物が食べたくなる、春の不思議。
昨年はお腹の中にいた人が、今年は出てきている不思議。
3人暮らしになった不思議。


自分は10トンくらい持てる人間だと思い込んでいたけれど、
娘が生まれて、本当に私が持てるのは、葉書1枚くらい。
自分のキャパの小ささを教わった。


でもそれは、新しい切符だった気もする。
「助けて」って言う。ということを、教わった。
それから、休むこと。


思えば、地球だって、明るくなったら、暗くなるようにめぐっていて
「休みやすい」ように、場はととのえられている。
とはいえこの頃、夜泣きが始まった娘は、
何度も夜起きるわけで、
ととのえられた場に従って、
ゆっくり休めるわけでもないけれど、

1年前はずっと、真っ暗な中にいた彼女が、
ほんの数ヶ月で、
朝をおぼえて、風をおぼえて、
鳥が鳴いたら空を見上げるようになって、
彼女の世界に空が生まれたわけで。

とてもまとめきれない、そんな日々を滑走中です。



そして彼女の夜泣きにわたしは、ヒーッとなりつつ、
体の一部が触れ合ってると安心するのか、
手を伸ばしてきて足を伸ばしてきて、
わたしの鼻やお腹に触れてまた眠るその人を見ると、
「よく出てきたね」と、やっぱり思う。
 
わたしはこの星に慣れたかもと思えるのに35年はかかったけど、
まだまだ未知を歩いてる。
 
かつての故郷(わたしのからだ…故郷というより、中継地点かもしれないけど)
に触れたくなるのは
彼女が母体からいよいよ離れて、
ひとりで地上に着陸きめようとしてるからのようにも、思えて、
わたしよりよっぽど、果敢なたくましい人に思える。
 
またまた、まとまらない。徒然現在地。