2022年6月27日月曜日

 

お義母さんが今年もスイカを送ってくれて

娘と夫が一緒に箱を開けて

娘の前で、私がまるごとのスイカに包丁を入れて切り分けたら

めずらしく彼女が自分からスイカを口に運んで

気に入ったのかぱくぱくと食べた。


ひと口サイズのおにぎりと

スイカを朝食に出したら


「わぁ〜美味しそう!」と言って、手にとり頬張る。



(ご飯を食べない)ことで、ずっと悩んできたから

彼女が自分から手をのばして
嬉しそうに何かを食べてくれる姿を見ると静かに感動する。



ご飯を食べないのは、娘がおっぱいが大好きだからで

断乳すれば、ご飯を食べるようになるのか

でも、保育園ではしっかりご飯を食べているし、断乳が本当に必要なのか

そんなところをウロウロウロウロ。

(彼女がほしがる間は授乳を続けてみよう!)そんなふうに決意しても

実際にご飯に全く興味を示さず遊び始める姿を見ていると

何度でも揺らぐ。


そして揺らぎながら

10歳になってもおっぱいを飲んでいる人はいないし

少食の子はいても、全くご飯を食べない人には会ったことない

って少し先に思いを馳せると(そうだ、そうだ)って思う。

思うのに何度でも、ウロウロしてしまう。

そういうものなんだと思う。




来月引越しが決まって

昨日は家族で電気屋さんへ行き、この機会に新しくしようと洗濯機を注文してきた。

ひとり暮らしをしていた夫が使っていた洗濯機。

今の家に越してきてからも4年間、充分に働いてくれた。


そして、新しい家は駐輪スペースがほぼないから

自転車を小さくしよう、と

私が大阪で暮らしていた頃に買ったママチャリと引き換えに

先日自転車屋さんで折りたたみ自転車を買った。


九条のマンションの前に停めていた、緑色の自転車。

大阪の街も京都も、いっぱい走った。

自転車屋さんに引き取ってもらうときにはちょっと寂しかった。



そして新しいおうちは備え付けの靴箱があるから

今の家で使っている靴箱も

これからジモティーに出してみようとしている。

夫と一緒に暮らす前にIKEAで買った白い靴箱。

気に入っているから離れがたい。

捨ててしまうのはあんまりだから、誰かが使ってくれるならありがたい。



手放すもの

持っていくもの

新しく使い始めるもの



なんだってこの生きてるっていうのは

ずっと旅なんだな。







2022年6月23日木曜日

 

娘の風邪を家族中がもらって

季節の変わり目にともなって、家族全員大浄化中というような半月ほどを過ごした。


娘も夫もまだ少し風邪が残っているけれど

だいぶ元気になってきてホッとしている。


私もくったり風邪の最中は、食欲がすっぽりなくなって

ベランダに出て陽にあたると少しだけ体が楽になる感じがあったりして

まったく植物のようだった。


シャワーを浴びるたびに少しずつ淀みが晴れて元気になる感じとか。


何も食べなくなっていた娘がアイスクリームをひと口食べてくれた時の喜びや安堵。


そしてまだ万全の体調ではないのに

以前から予定していた私の外出の予定に合わせて
朝から晩まで娘を見てくれた夫。

「こちらも楽しむから楽しんできてね」と送ってくれたラインのメッセージ。


ささやかに

でもなんだかダイナミックに

日々を通過中。



そして引越しも、気づけば間近に。


昨日、夫に頼まれたコーヒー豆の生豆を買いにコーヒー屋さんまで歩きながら
(引っ越すとますますそのお店は近所になる)

今の家で暮らし始めてから、いろんなことが変わった。

娘がやってきた。

夫はコーヒー豆を自分で焙煎するようになった。

そんなことをふっと思った。



変わらないように見えても

変わっているんだ。

気づかないながらに

変わってきたんだ。



生きていることは

進化すること、というと、気持ちがちょっと引っ張られるというか

苦しい感じになる。

生きていることは、変化すること

というのもなんか、何かを言い捨てている気がする。


ただ生きている それだけで 自ずと変化をともなっている


この表現がいちばんしっくりくるような。


変わろうとしなくてもいい

(変わりたい時は変わろうとしてもいいだろうが)

変わっていくから



風邪もひくし


また治るし