2024年3月31日日曜日

 

娘が卒園して

ようやく止まっていた原稿作業が進み始める

文字起こしなど、できることは淡々と進めてきたけれど
ぐっと内容に入ってまとめる、自分の感性を使うところがずっと止まっていた

そのくらいにエネルギーが動く分岐点だったと感じる


パートに行くとかシステムに乗っている部分は体を運べば動くけど
柔らかい流れを汲むみたいなところは
娘の卒入園に向けた流れが強くて、そことなかなか分離しにくいんだなと
あらためて感じる

 

分けられたら便利だけれど

でも、文章を書くのは自分の軸に立ちながら、流れに乗るようなことだから

命に流れてる時間を分けるのはなかなか難しい

天気を浴びているようなもの

分けるというふうに考えずに

娘の変化の流れを 
自分の人生はしばらくの間、ダイレクトに受け続けるということを
受け入れて

環境をととのえていくのが自然なんだろうなと思った

 

 

桜が咲き始めて

娘は静かに、もう保育園に行かない、ということを感じているのが
表情からわかって
でも理解するほどにはまだ体験がなくて

小さな体に、浴びた3年の日々
 

お別れ会のダンスの合間に、みている私のところに
タッチしにきてくれた娘の
小さな手のひらと はにかんだ笑顔と

2024年3月22日金曜日

春分の日は、風が強くて
翌朝目が覚めたら、屋根の上に雪が積もっている

 

保育園へ行く前に自転車に積もっていた雪を
ちいさな雪玉にして娘に渡すと

どこに置いておこう、となって玄関先の花鉢の横に小さな手で置く


「あったかくなったら溶けちゃうかもしれないね」


と娘が言う

 

 

娘を後ろに乗せて

自転車を漕ぎ始めても 小さな霰のような粒がぽつぽつ

不思議な天気の日

 


鴨川沿いを自転車漕いで、アルバイトに向かうとき
 
中洲で濡れた枯れ草が倒れているのを見ると

その荒涼とした感じが実家近くの川の様子に似ていて

じわっと嬉しかった

 

アルバイト先には初めて会う、入ったばかりの女の子がいて

29歳と聞いているその子はハツラツとしてた

29歳の頃って何していたかなぁと思い返して

ずっと前みたいな気もするけど チラッチラと蘇る景色もあって

時間は距離だなって思う

星の光と同じ

29歳の自分と今の自分 距離があるけど 同時にいる

『麦ふみクーツェ』でクーツェが言っていたみたいに

(とおい ちかい は きょりのもんだい)
 


夕方 娘を保育園に迎えにいって

自転車での帰り道 電話が鳴って 自転車を停めて電話に出る

 

4月から、娘が幼稚園のあとに使う延長保育の手続きで

まだ降りてなかった認定があるから、問い合わせの電話をしていた

その折り返し


提出書類に書き漏れがあったとのことで、口頭で伝えて、無事に受領してもらえた

4月1日から利用できるとのこと

電話越し 担当の方の声が優しかった


 
娘のことで会う人は みんな私のことを「お母さん」って呼ぶ

小児科の先生や看護師さん

役所の子育て担当の職員さん

娘からの「お母さん」は水のようにもう体に入ってるけど

大人から「お母さん」と呼ばれるのには今もまだ少しびっくりする

 


家の近所のスーパーへ寄って

娘は大好きな警備員のおじちゃんと会えてハイタッチしてぎゅーっとしてもらってた

お刺身、牛乳、お豆腐、お水、苺、鶏肉、菜の花、茗荷、きゅうり、
チューブの生姜、チューブのにんにく、玉子、焼き芋

100円ショップで娘はヘアゴムとステッキ型のプラケースに入ったガム
私は石鹸ネット

買って帰って

晩ごはん

娘は塩むすび(何も入れず、海苔も巻かないのが好きらしい)ふたつ
コーンスープでお腹いっぱい

大人は豚汁と、お刺身と、漬物と、菜の花の胡麻和えとミニトマトとご飯

とろろをすろうと思ってたけど忘れてた