娘が卒園して
ようやく止まっていた原稿作業が進み始める
文字起こしなど、できることは淡々と進めてきたけれど
ぐっと内容に入ってまとめる、自分の感性を使うところがずっと止まっていた
そのくらいにエネルギーが動く分岐点だったと感じる
パートに行くとかシステムに乗っている部分は体を運べば動くけど
柔らかい流れを汲むみたいなところは
娘の卒入園に向けた流れが強くて、そことなかなか分離しにくいんだなと
あらためて感じる
分けられたら便利だけれど
でも、文章を書くのは自分の軸に立ちながら、流れに乗るようなことだから
命に流れてる時間を分けるのはなかなか難しい
天気を浴びているようなもの
分けるというふうに考えずに
娘の変化の流れを
自分の人生はしばらくの間、ダイレクトに受け続けるということを
受け入れて
環境をととのえていくのが自然なんだろうなと思った
桜が咲き始めて
娘は静かに、もう保育園に行かない、ということを感じているのが
表情からわかって
でも理解するほどにはまだ体験がなくて
小さな体に、浴びた3年の日々
お別れ会のダンスの合間に、みている私のところに
タッチしにきてくれた娘の
小さな手のひらと はにかんだ笑顔と