2020年10月24日土曜日

 

夕方に出かけたスーパーで

ホッケのひらきが半額になっていたので買って帰る。

お肉を解凍してしまっているけど、最近お魚を食べていなかったから

ホッケも焼こう。

あと買ったのは、ヨーグルトと牛乳とお味噌と小松菜、お豆腐。

 

帰り道はもう暗い。

 


この頃、娘のお風呂を夫ひとりにお願いしていて

夫が娘をお風呂に入れてくれている間

ひとりで晩ご飯の食器を洗う時間が好き。

 

ゆっくりととのえられることにほっとして

束の間ひとりになれる時間が嬉しい。

 

お風呂場の前を通ったら夫が娘に話しかけてる声が聞こえてきて

なんだか胸があったかくなったり。

 

 

 

 


2020年10月21日水曜日

 

 

朝、夫が娘を見てくれている間

布団をかぶっておいおい泣く。

 

本当は、そのたび、自分の感覚に触れながら

自然体で子育てもできたらと思うのだけれど

どうしても、ぐっと自分に蓋をして、黙々と頑張りぬく、という場面が日々にはあって

かたくなってしまっているところが、あるなぁ…と思っていた。

 

娘が朝早く起きてから、一緒にしばらく遊んで

頭が少し痛かったので、眠っている夫を起こして娘を見てもらう。

ひとりで眠らせてもらっていたら、涙がやってきたので

「あぁ、よかった。涙がやってきた。かたまっていたところ、解けてきたぞ」

と思い、そのまま泣かせてもらう。

 

涙が出ると、陰っていたところに日があたるようにして、

ふっとかるくなる。

かたまって、感じられなくなっていた心が、またふわっと膨らむ。

 

涙になったのは、ぐっと蓋をして、黙々と頑張り抜いている間

蓋のしたで堪えてくれていた小さな私で

やっと私は、そのこに触れられたから

「頑張ってるね」「ごめんね 」と声かけた。

「頑張ってるね」と私から声をかけられたら、私はほっとして、緩み、安心した。


小さなこどもが、自分の中にもいる。

 


 

9月のはじめ頃から、整体に2度行ったけれど

またすぐに授乳の体勢で体が歪んでしまうので

整体に通い続けるよりも、こまめに自分でケアをして、

毎日少しずつ調整することの積み重ねがいちばんよいように思えて

夜眠る前に、巻き肩を直すストレッチと、足の指のストレッチを始めたら

肩の力がすとんと抜けて、よく眠れるようになった。


 

娘は4ヶ月半を過ぎて、よく笑うし、それから怒るようにもなった。

例えば、おっぱいを飲みながら娘がうつらうつらしているとき

私が夫と話していて、話声で眠れないと

娘はパッとおっぱいから口を離して、きっとこちらを睨んできたり

手でバンバンと私を叩いたりする。

 

ごめん、ごめん、と謝りながら

感情があらわれて、それを表現できることが新鮮で

心の中で拍手してしまう。



泣き終えてすっきりしたあと

夫が朝ごはんを作ってくれた。


コーヒーを

休みの日とか、ちょっと特別なときに使う

ウェッジウッドのカップアンドソーサーに入れて出してくれた。

 

 

天気がいいので、おむすびをむすんで

ウィンナーと卵焼き焼いて

3人で京都御所へ。

 

御所の中の公園へいくと、子どもたちがたくさん遊んでいて、

木漏れ日がきらきらとして、娘の顔が輝いていた。

 

抱っこ紐で娘をだいて、一緒にブランコに乗ると

わーと口を開けて喜ぶ。


生まれて、はじめての秋。

 

ぐんぐん成長していく娘は、きっと忘れてしまう秋の日。

 

わたしにはきらきらと残って

娘を寝かしつけたあと、夜になった今も

まだ日差しが、近くにあるみたい。

 


 

 

 


 


2020年10月12日月曜日

 

肌寒くなったと思ったら、今日は気温が高くなった。

それでも、空気は秋から夏へは戻らない。

芯の部分が、すん、と冷たい気がする。

 

 

娘は私の膝の上で朝寝を1時間ほどして

私の膝の上から布団にうつしてみて、目が覚めたら児童館へ行き

そのまま寝ついたら児童館はおやすみしよう、と思ってお布団へうつしたら

ぱちっと目を開けた。

 

児童館では、ベビーマッサージを教えてもらった。

 

ベビーマッサージの講師の方が

「自分の娘が赤ちゃんのときに、自己流で、歌いかけながら毎日マッサージをしていて

大きくなってからも、マッサージして、と娘から言ってくる日があった。

そうしてマッサージをしていると、今日な、学校でな、って、

つらいこととかをぽろっと話してくれたりする。

今はもう大学生で、きつい言葉を言ってきたりもするけれど

それでもなんでも話してくれる。

コミュニケーションの基礎に、マッサージも歌も、なっている気がする」

と、はじめに話してくれたとき、聞いていてなんだか涙が出そうになって

講師の方を見ると、彼女の目にも涙が滲んでいた。

 

きっと話しながら、彼女は

赤ちゃんの時の娘さんとの時間に触れて、

大きくなってきた娘さんがマッサージして、と言ってきた日に居て、

そうして今、向き合っている娘さんの姿を思い浮かべてる。

 

そこにある慈愛みたいなものが、涙になって

やってきてるんだろうって、そんな気がした。

 

 

 

先日、30歳になる友人と久しぶりに会った。

娘と3人でお茶をして、夕方までずいぶん長く、一緒に過ごした。

 

彼女は

「娘さんといるなおみさんを見て、なんだか大丈夫って思った。

子どもを産みたいし、結婚したいって思った」と言った。

そうして彼女は笑って、

「人間が育つところを見てみたいから」と言い足した。


その前に、彼女の友人の話で

彼女の友人が「人間がどうやって言語を獲得していくか知りたいから子どもを育てたい」

と話していた、ということを彼女から聞いていた。

 

それらを聞いて、私は

(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)

と、思った。

 

なんとなく


もしかしたら本気で、そう思っているのかもしれないし

言葉の背景を聞いていないから、それぞれの言葉のむこう側に触れてはいないけれど

でもなんとなく、自分を納得させる理由を、あとから持ち出しているように

そんな風に、感じられて。

 

というか、

自分を納得させる理由を求めていた

数年前の自分を、彼女らに重ねて、

(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)

と、思ったんだと思う。


自分ごとの理由を越えて

多分、命はやってくる。

 

だから「なんで欲しいか」に

こたえられなくても

それは、自然なんじゃないか。


今はそう思う。

 

 

理由がなければ、自分の望みを望みとして置けなかった過去の自分の心細い肩を

今の私が眼差す。


どうしてもそう思ってしまうこと

なんだか涙が出るくらい多分望んでいることも

理由がわからないから、そのたび濁すことも、してきた。

(素直に、従ったことも、もちろんある)



深呼吸。







マッサージをしたら、

娘の手足はポカポカになって

私もなんだか血が巡って、楽しくなった。

 

 

ベビーカーに娘を乗せて、家までの帰り道


「気持ちよかったね」って、娘に話しかける。


娘は眠たそうで、口の端をちょっとだけあげて笑った。

 

 

 


2020年10月9日金曜日

 

ここ数年のうちに起こった出来事で

私がいないと思って言われた陰口を聞いてしまったことや

真っ直ぐに「あなたのためにこういう場を開くよ」と言われた日

違う場で開かれた飲み会で「あんなこと言っちゃった」って笑いながら

話されていたと聞いたこと

そういう様々が、日々の暮らしの中でふと思い浮かんできては

何度も思い返してしまうということがあった。

 

ぺったりと薄く張り付いているようで、何度でも思い返してしまうその景色を

やっぱりまた、見つめてしまっていたとき

ふと

「どうしてこればっかり、見てしまうんだろう。チャンネルを変えよう」

って、思った。

 

自分の今までの体験の中には

いろんな経験があって、嬉しかったことや、喜ばしいことも、すごくたくさん、ある。

 

でも何度も、苦い景色が浮かんでくるのは

(そこにまだ解けていないメッセージがあるから)とか、そういうことでもなく

ただ単に、チャンネルの設定のような気がしたのだ。


…むしろ

(何度も浮かんでくるのは、そこにまだ解けていないメッセージがあるに違いない)

と思い込んだり
(なんであんなことが起こったんだろう)と、

自分の人生についた傷のようなものを、もうなかったことのように消し去りたいと思っている、ある種貪欲な私が、そのチャンネルを好んで見続けてさえいるような。


それで、意識の上でだけれど

チャンネルを変えることにした。

 

そうしたら、その日の晩、夢に懐かしい友人が出てきてくれて

その友人と、話すことができた。

 

起こったことは起こったまま。

間違えも正しさもない。


もしもリモコンを自分が持っているのなら

映っている番組に文句を言い続けるよりも

テレビを消すか、チャンネルを変えるか、すればいいだけ。

 

 

 

 


2020年10月7日水曜日


外へ出れば、金木犀の甘い香りが空気にしみていて

すーんと遠い、澄んだ気持ちになる。

 

娘に「金木犀の香りがするね」と話しかける。

 

でも、この匂いがなんの匂いかなんて知らなくても

香りはきっともう、彼女に届いている。

 

そういう、そういう、積み重ねで

秋がくるとつーんと、いろんな記憶が煙のように、

見えるような見えないような、瞼の裏側に

浮かんできたりするんだろうって思う。

 

 

娘は、この頃ときどき「ははっ」と声を出して笑うようになった。

どことなくぎこちない「ははっ」がかわいらしくて

聞けると嬉しくなる。

 

 

 

首が座って、彼女自身が、自分で動けたり

興味を示したりできるようになってきたから

彼女の反応をみながら、次はこうしてみよう、ああしてみよう

という動きが出てきて

ここ数ヶ月の「これでいいのかな?」と不安でいっぱいだった時期が

終焉を迎えつつあるような。

 

そう、それから、ある時から

自分への問いかけを変えた。


「これでいいのかな?」と心に浮かぶ時、

いいか悪いかなんて、誰にもわからないし、外側に答えを探しても見つからない。

見つからないから、問いが浮かび続けて、心が彷徨っていく。


「これでいいのかな?」と思うということは、

何かが引っかかっているということ。だから問いの向きを自分に変えて

「なにを悪いと思ってる?」と尋ね始めた。

すると自分からは応えが出てくる。


「充分に一緒に遊べていないんじゃないかって、不安になる」

とか

「日中、ずっとふたりきりで、私が心細い」

とか。

 

 

そうすると、その「わたし」と、わたしは

話すことができるから

「これでいいのかな?」と無限に穴を掘るような感覚が抜けていった。

 

「充分に一緒に遊べていないんじゃないか」という「わたし」には

でも、今できる範囲の中で、充分に遊んでいるよね、と

声をかけることができたし

「日中ずっとふたりきりで心細い」という「わたし」のために

じゃあ、人がいるところになるべく娘と一緒に出かけようって

提案することもできた。


 

そうすると不思議なもので

近所の人の優しい言葉に触れたり

新しい遊び場所(児童館や、場所を開放してくれている保育園)」にも出会い始める。

 

 

いつでも、(じぶん)のところ、から。
 
なんだろうな、きっと。

 

 

 



 

 


2020年10月2日金曜日

十五夜だから

河原にススキをつみに行こうと

娘をベビーカーに乗せ、一緒に河原を目指す。

途中でハサミを忘れてきたことに気がついて、ただのお散歩に変更。

娘と一緒に鴨川に出るのは、送り火の時以来。昼間ははじめて。

 

産院へ検診で出かける時に、通っていた道

娘とたどる不思議。

 

河原に出たら、秋草がかろやかな風に揺れている。

よく晴れていて、遠くの山がよく見えた。

 

ベビーカーを押して歩くうちに娘が寝入ってしまって

木陰にあるベンチに腰掛けていると

散歩途中のおじいちゃんが

「かぁいらしいなぁ。風と陽を、よく浴びられていいですなぁ」

と声をかけてくれた。

 

ほんとうに。

眠る娘も、風と陽を、浴びている。

 

 

 

 

 

夜、娘が寝入ってから

買っておいた月見団子を、ベランダに出て

お月様をみながら夫と食べた。

 

もう3年、私たち、一緒にいるんだねぇ

 

という話をして

なんとも不思議な気持ちになる。一昨年くらいの気持ちだったから。

3年前の今頃、おでんやさんに行った頃かなぁ、とか。

 

月は明るく空を照らしていて

近くに赤い星が光ってる。

「火星だって」と、夫が言った。

 

 

 

話は飛ぶけれど

 

少し前に3人で、近くのお寺を散歩した時

ひとつの塔頭が、特別公開していたので入ってみた。

 

とても綺麗な建物で、枯山水も美しかった。

 

建物の中に茶室があって、

行ってみよう、と外廊下を進むと

茶室の入り口のつくばいに、秋の野花がばさっといけてあって

美しさにハッとなった。

 

 

看板もない、説明もない。

ずっとそこにあるけれど

気づかずに通り過ぎさられることもある。

ただ、あるだけ。

 

けれど、歩みすすめてつきあたり

その存在に気がついた時に

気づいたこちらの中で

音楽が鳴るような。