肌寒くなったと思ったら、今日は気温が高くなった。
それでも、空気は秋から夏へは戻らない。
芯の部分が、すん、と冷たい気がする。
娘は私の膝の上で朝寝を1時間ほどして
私の膝の上から布団にうつしてみて、目が覚めたら児童館へ行き
そのまま寝ついたら児童館はおやすみしよう、と思ってお布団へうつしたら
ぱちっと目を開けた。
児童館では、ベビーマッサージを教えてもらった。
ベビーマッサージの講師の方が
「自分の娘が赤ちゃんのときに、自己流で、歌いかけながら毎日マッサージをしていて
大きくなってからも、マッサージして、と娘から言ってくる日があった。
そうしてマッサージをしていると、今日な、学校でな、って、
つらいこととかをぽろっと話してくれたりする。
今はもう大学生で、きつい言葉を言ってきたりもするけれど
それでもなんでも話してくれる。
コミュニケーションの基礎に、マッサージも歌も、なっている気がする」
と、はじめに話してくれたとき、聞いていてなんだか涙が出そうになって
講師の方を見ると、彼女の目にも涙が滲んでいた。
きっと話しながら、彼女は
赤ちゃんの時の娘さんとの時間に触れて、
大きくなってきた娘さんがマッサージして、と言ってきた日に居て、
そうして今、向き合っている娘さんの姿を思い浮かべてる。
そこにある慈愛みたいなものが、涙になって
やってきてるんだろうって、そんな気がした。
先日、30歳になる友人と久しぶりに会った。
娘と3人でお茶をして、夕方までずいぶん長く、一緒に過ごした。
彼女は
「娘さんといるなおみさんを見て、なんだか大丈夫って思った。
子どもを産みたいし、結婚したいって思った」と言った。
そうして彼女は笑って、
「人間が育つところを見てみたいから」と言い足した。
その前に、彼女の友人の話で
彼女の友人が「人間がどうやって言語を獲得していくか知りたいから子どもを育てたい」
と話していた、ということを彼女から聞いていた。
それらを聞いて、私は
(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)
と、思った。
なんとなく
もしかしたら本気で、そう思っているのかもしれないし
言葉の背景を聞いていないから、それぞれの言葉のむこう側に触れてはいないけれど
でもなんとなく、自分を納得させる理由を、あとから持ち出しているように
そんな風に、感じられて。
というか、
自分を納得させる理由を求めていた
数年前の自分を、彼女らに重ねて、
(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)
と、思ったんだと思う。
自分ごとの理由を越えて
多分、命はやってくる。
だから「なんで欲しいか」に
こたえられなくても
それは、自然なんじゃないか。
今はそう思う。
理由がなければ、自分の望みを望みとして置けなかった過去の自分の心細い肩を
今の私が眼差す。
どうしてもそう思ってしまうこと
なんだか涙が出るくらい多分望んでいることも
理由がわからないから、そのたび濁すことも、してきた。
(素直に、従ったことも、もちろんある)
深呼吸。
マッサージをしたら、
娘の手足はポカポカになって
私もなんだか血が巡って、楽しくなった。
ベビーカーに娘を乗せて、家までの帰り道
「気持ちよかったね」って、娘に話しかける。
娘は眠たそうで、口の端をちょっとだけあげて笑った。