2023年6月28日水曜日

友人の展示会のお手伝いをしに三重へ行った週末を終え

明けて月曜日は広島から来てくれた友人と過ごした


4年ぶり、と聞いても実感が湧かない
もっと最近会ったような気がする人だ


韓国料理屋さんでお昼ご飯を食べながら
友人のこの頃の話を聞かせてもらって
私も近況を聞いてもらう

いつでも、旅の途中で

時々会っては、それぞれの旅報告をするような気分になる



会って話して

自分の暮らしの土が わくっと沸いて めぐって 動いた

そんな時間だった

そうして、この土を耕して日々暮らしていったら
また、そこで会えるだろうって思う




旅好きの友人に、伊江島のラム酒を飲んでもらいたかった

夕方、娘を一緒に保育園に迎えに行き、我が家に来てもらった

そこで、ラム酒と、梅シロップを合わせて炭酸水で割ったのを一緒に飲む

「さとうきびの香りがすごいね」と言って美味しいと飲んでくれて 嬉しかった






少し前、ダイエットをしようと思って
インスタグラムでダイエット情報を発信しているアカウントをたくさん見た私

みんな真摯に情報発信をしているけれど
違和感を感じる部分があって

それは、体が変わっていく面白さや自信が湧いた上で
自然なことなのだと思うけれど

ダイエットに成功したとなると、ボディラインがわかる服を着て
モデルさんのようなポーズで撮った写真を載せているところで

私自身の好みが違うというのが前提だと思うけれど
「そういう人だったの?」とどうしても感じてしまう

その中で、そうじゃない、という人もやっぱりいて

そういう人がやっぱり、好きだなと思う



ボディラインがわかる服、モデルさんのようなポーズ
全然、いいのだ

というか、いい、悪い、じゃない

でもなんだか、どうしても
「そうだったのかい?」「そういう服が好きだったのかい?」
と、思ってしまうんだった



そう思ってしまう私には

私の価値観があるということだ


それはただの違いで

私は私の方向を知っていたら、ただそれでいいということなんだけれど




旅慣れた友人はふわりと軽いロングスカートでやってきて
(動きやすいし、きっと移動中も楽ちんなんだろう)

雨が降ってきたけれど
娘と話すときにはしゃがんで目線を合わせてくれて

ロングスカートの裾が濡れていたけれど
全然気にする素振りがなかった

足首にきっと濡れた裾を感じていただろうに何も言わないで

家に上がったときに着替えを出したら
「タイパンツ楽だ〜」とすっと受けとってくれて

帰りにまだ乾いていないスカートを
「ホテルで干しといたら乾くから」とまた履いて
娘のお風呂の時間がくる前に、さっと帰っていく
 
 
時間の話をして

人生の話をして

ラジオの話をして

Youtubeの話をして

「自分のままでいいんだった」「足りないことが豊かさなんだった」って
言って笑う彼女が

やっぱり久しぶりに会っても好きだった




2023年6月19日月曜日

6月7日に、仕込んだ梅シロップ

氷砂糖はゆっくり溶け続けていて
梅も、少しずつ水分が抜けてしわしわに


今朝、瓶を見ると
シロップがほんのりピンクがかっている

夕焼けの空みたいに、澄んだサーモンピンク

本当に綺麗で、じっと見てしまう



瓶に梅と氷砂糖を重ね入れた後は

すべて時間の仕業


この澄んだピンクは

時間の業なんだ



ちょうど仕込んで2週間くらいからが飲み頃とのことで
解禁日は21日 夏至の日だ


シロップだから
娘も一緒に3人で飲めるだろうか



手の触れられない、はたらき について思う



何年前だったか
アロマ教室の体験レッスンでアロマスプレーを作りに行った時

先生の言った言葉が好きだった



どんな言い回しだったか忘れてしまったけれど
言った言葉の内容は

植物が働きかけてくれるから、というもので

香りの効用、効能について
自分の手を離した言い方をされていたこと


すごく、その感覚が好きだし
信頼できる と思ったこと、覚えてる


今 書きながら思い出した

香水を作るというワークショップへ行った時にも

香りは、物質の世界を越えているから
過去世や未来世、時も越えて繋がる、ということを話されていて

あぁ、すごい、その感覚が好きだ
しっくりくる

そう思ったんだった





梅シロップの
澄んだピンクも

その感覚と

とっても近いところにあると思える


はからいを越えたものの中にいつも胸を打たれる

そして 日々のいろんなことも実は
自分の手の届くところ 手を動かしながら
はからいを越えたものと、共同で動いているんだろう


季節だったり

時間だったりは わかりやすい それで







宇宙と一緒に、はたらきたいな




おとといだったか
夜眠る前に娘が、わたしに
「生まれてくれて ありがとう」
と言ってくれた

それはとても 不思議な言葉だった

不思議な未来からの祝福なんだった


その前夜にたしか私も娘に
「こっちゃん、おとうさんとおかあさんのところに来てくれてありがとうね」
と言っていて、その言葉を思い出してくれて
かけてくれた言葉なのかもしれないけれど


娘からの「生まれてくれて ありがとう」という
私の命への祝福の中には、娘の命への祝福も含まれていて

その入れ子のような輪のなかで 小さくじーんとした
ふたり タオルケットにくるまりながら



2023年6月13日火曜日

ベランダに置いた、プランターのミニトマトが
小さな実をつけた。

黄色い花弁が落ちたところに、BB弾みたいな小さな緑色のまるいのがポツッ。

嬉しくて、かわいくて、何度もベランダに出て
眺めてしまった。

今はそれが少しずつ増えて、膨らんできているところ。

毎朝起きて、居間に行くと
居間の窓を開けてベランダに出る。

そこでミニトマトの様子を見るのが、毎日の楽しみに。


今朝は窓を開けて外に出ると
夏の朝の匂いがした。


娘も「こっちゃんも見る」というから
抱っこしてベランダに出て、一緒にミニトマトを眺める。


それからパンを解凍してトースターに入れて
お湯を沸かしてコーヒーの準備をして
娘にはゆで卵とおにぎり

朝が始まる。





2023年6月7日水曜日

週末から月曜と、娘が久しぶりに発熱してつきっきりだったので
(でも、日曜日の午前中はまるまる夫が看ていてくれた)
火曜日の昨日、娘を保育園へ送り出した後は ほぉっと力が抜けて
ちょっと今日はのんびりしようと、ぼーっとしていた


友人からの電話
距離を越えて ぽんぽん いろんな話をする


ちょうど、数日前に友人と前に書いたショートショートを
読み返していて

「なんだか本当に素敵だ」と

時を超えて今の自分に滲みていて


昨日話したことも あそこに書いたことと

ふっと通じている気がする。と思った。




いちばん近くのスーパーで

「6月6日は梅まつり!」とうたっていたので

午後になって、えいや、と出かける。

いつもの野菜コーナーに どどんと並べられた和歌山からきた梅たち。

3キロ買って帰って

2キロは梅干しに(今年はジップロックで漬けてみよう)する予定。

1キロはシロップにしようと思って
昨日のうちに、氷砂糖と一緒に瓶に詰めた。


氷砂糖と梅の重なりが綺麗で
見ていたらふっと、心がまるくなる。


梅干し用の梅を

手をつけるまで、ひとまずと思って

階段に置いたら

通るたびに やわらかく あまい 梅の香り



神様が、「ちょっと遊んでおいでよ」と

この世界をくれていたとして (この世界を生きる命をくれていたとして)

遊ぶこと
喜ぶこと を どこに見つけるか


なんとなく そんなことを思う


おひさま 土 水 それから人の手を介して

梅の実が渡ってきて

うちの階段で、香ってる6月の今日