明けて月曜日は広島から来てくれた友人と過ごした
4年ぶり、と聞いても実感が湧かない
もっと最近会ったような気がする人だ
韓国料理屋さんでお昼ご飯を食べながら
友人のこの頃の話を聞かせてもらって
私も近況を聞いてもらう
いつでも、旅の途中で
時々会っては、それぞれの旅報告をするような気分になる
会って話して
自分の暮らしの土が わくっと沸いて めぐって 動いた
そんな時間だった
そうして、この土を耕して日々暮らしていったら
また、そこで会えるだろうって思う
旅好きの友人に、伊江島のラム酒を飲んでもらいたかった
夕方、娘を一緒に保育園に迎えに行き、我が家に来てもらった
そこで、ラム酒と、梅シロップを合わせて炭酸水で割ったのを一緒に飲む
「さとうきびの香りがすごいね」と言って美味しいと飲んでくれて 嬉しかった
少し前、ダイエットをしようと思って
インスタグラムでダイエット情報を発信しているアカウントをたくさん見た私
インスタグラムでダイエット情報を発信しているアカウントをたくさん見た私
みんな真摯に情報発信をしているけれど
違和感を感じる部分があって
それは、体が変わっていく面白さや自信が湧いた上で
自然なことなのだと思うけれど
ダイエットに成功したとなると、ボディラインがわかる服を着て
モデルさんのようなポーズで撮った写真を載せているところで
モデルさんのようなポーズで撮った写真を載せているところで
私自身の好みが違うというのが前提だと思うけれど
「そういう人だったの?」とどうしても感じてしまう
「そういう人だったの?」とどうしても感じてしまう
その中で、そうじゃない、という人もやっぱりいて
そういう人がやっぱり、好きだなと思う
ボディラインがわかる服、モデルさんのようなポーズ
全然、いいのだ
というか、いい、悪い、じゃない
でもなんだか、どうしても
「そうだったのかい?」「そういう服が好きだったのかい?」
と、思ってしまうんだった
そう思ってしまう私には
私の価値観があるということだ
それはただの違いで
私は私の方向を知っていたら、ただそれでいいということなんだけれど
旅慣れた友人はふわりと軽いロングスカートでやってきて
(動きやすいし、きっと移動中も楽ちんなんだろう)
(動きやすいし、きっと移動中も楽ちんなんだろう)
雨が降ってきたけれど
娘と話すときにはしゃがんで目線を合わせてくれて
ロングスカートの裾が濡れていたけれど
全然気にする素振りがなかった
足首にきっと濡れた裾を感じていただろうに何も言わないで
家に上がったときに着替えを出したら
「タイパンツ楽だ〜」とすっと受けとってくれて
帰りにまだ乾いていないスカートを
帰りにまだ乾いていないスカートを
「ホテルで干しといたら乾くから」とまた履いて
娘のお風呂の時間がくる前に、さっと帰っていく
時間の話をして
人生の話をして
ラジオの話をして
Youtubeの話をして
「自分のままでいいんだった」「足りないことが豊かさなんだった」って
言って笑う彼女が
やっぱり久しぶりに会っても好きだった