2021年9月16日木曜日

だいぶ涼しくなってきた。

真夜中3時過ぎに目が覚める。
娘を寝かしつけるときに一緒に眠るので、私は大体20時半にはいつも寝ついていて
それから、2、3時間おきに娘の授乳が今もあって何度か起きる。

さっき何度目かの授乳のタイミングで目が覚めてしまい
それで布団から体を起こした。

昨日の日中に買った、坂口恭平の本を読み(面白い)
それから、文章が書きたくなってパソコンを開いた。


小さな我が家はパソコンを叩く音が、ドアを閉めても
静かな夜にはちょっと響くので
夜空も綺麗だしベランダに出て今これを書いてる。

虫の声がする。

物干し竿に吊るしたサンキャッチャーが、
パソコン画面の明かりを含んでキラキラ光っている。

ほしも今日はたくさん出ている。
 
 
少し前に引っ越してしまった、隣に住んでいた夫婦の旦那さんが
夜によく外でスマホでサッカー中継を見たり、タバコを吸ったりしていたけれど
それもこんなふうに、眠っている奥さんを起こさないように、というのもあったのかなぁと
心に浮かび、なんとなく優しい気持ちになる。
素敵な夫婦だった。



地元の友人姉妹が、埼玉の美味しいパン屋さんcimaiさんのパンを
我が家に送ってくれて、それが届いたから、明日の朝はそのパンを食べるのが楽しみ。


今顔をあげたら、オリオン座(多分)が見えた。

星って久しぶりに見たけれど、またたくんだなぁ。





2021年9月13日月曜日

 

金曜日の夜明けに娘が熱を出した。

小児科で診療してもらい、咳止めと座薬をもらう。
夜になると咳が出てしんどそうだったので咳止めを飲ませたり
やっぱり熱が下がらず眠れないでいるので、座薬を入れたり。

できるだけ薬を飲まずに自然に…という思いもあるけれど
薬が効いて症状が治っているあいだに
ゆっくり寝ついて汗をかき、熱がひいていくのを見ると
薬の効果をありがたく思う。
 

 
いつも以上に娘とべったりとくっついて過ごした。
くっついていると安心するのだろうか。


台所で食事の支度をしているときに音楽が聴きたくなり
ふと、映画『かいじゅうたちのいるところ』のサウンドトラックを流す。

映画の中で
お母さんが仕事をしている机のしたに潜り込んだ主人公の男の子が
お母さんの顔を覗き込み、お母さんもまた、顔を見下ろして、
男の子の顔を見つめるシーンがある。

初めて観たとき、そのシーンでふっと涙が湧いてきたことを思い出す。
 
見上げるお母さんの顔や
なんでもなくただくっついている感触は今も私の中に残っていて
 
娘と過ごしている何気なく触れ合っているひとときが
彼女にも残っていくのかな、と、時々思う。

台所に立っているといつの間にか近くに娘が来ていて
足もとで何やら遊んでいる光景が日々。



熱は金曜の夜にはさがって
土日ゆっくり過ごしている間に、ちょっとずつ鼻水がとまり
咳き込むのも少なくなってきた。
ほっ。




そう、最近
台所に入ってきた娘が食器棚から小さなお椀やミルクピッチャーを取り出して
何やら遊ぶ姿を見て、
おままごと遊びが始まるかもと思い
小さなままごと キッチンを注文したのが日曜日の朝、届いた。

開封と同時に興味津々の様子で
すぐに遊び始めた娘。


遊ぶおもちゃも変わってきたな、と思いながら
0歳の間に使って、今はもう興味を示していないおもちゃを片付ける。




本当にあっという間に大きくなっていく。


よく握ってなめていたおもちゃは、手放し難くて
整理用の段ボールには入れられず
今はもう遊んでいないのに、現役のおもちゃを入れているおもちゃ箱に戻してしまった。




 
 

2021年9月6日月曜日

 


鈴虫の声。


すっかり過ごしやすくなってきた。

雨続きだったのが、週末お天気が回復してきて

日曜日起きたら、なんとも綺麗な秋晴れ。


静かな水面みたいな深みがある青空に薄い雲がぱっぱっと広がってる。

あー かるい



それで今日は川へ行こう、と思った。



外へ出て、もっと空をみたい、空気を感じたい、と思えて身軽。

まずは娘と一緒にパン屋さんへ朝食のパンを買いに行く。
いつものお店でコーヒー豆を買えず、初めて買ったお店のコーヒーは酸味が強くて苦手と思ったけれど
(酸味が苦手です、と話してオススメされたものだったけれど、やっぱり浅めで酸味があった。お店の好みというか、方向がそっちなのだと思われる)
でもそれも、牛乳を多めに入れたら美味しくなる。

アイスカフェオレと買ってきたおいしいパンの朝ごはん。


それからパッと身支度をして、家族で自転車に乗り、川へ。








2021年9月2日木曜日

9月


8月末から忙しく
それがバッと解けた9月1日。

午前中に祖母が亡くなったと連絡が入る。
103歳の大往生。祖母の声が耳に蘇る。笑うように話す声。
しゃっきりとした人だった。

夕方、娘を保育園にお迎えに行くと
玄関先に虫籠に入った鈴虫がいて、綺麗な鳴き声が響いている。
娘はニコニコ出てきて、靴下と靴をせっせと履いて、先生とさようならの挨拶する。
 
保育園を出て娘を自転車に乗せるときにも鈴虫の鳴き声は聞こえてきた。

不思議とツーっと心に線が引かれるような
切なさが静かに立ち上がる音色だと思った。

ふと切なくなる。

娘のサラサラと細く柔らかい髪の毛に、黄色くて軽いヘルメットを被せ
ペダルを踏み出す。


家に帰って、母とビデオ通話をした。

葬儀のことなどを兄弟で話し合って一通りの段取りを済ませてきた母は
ひと段落した不思議な安堵の中にいるようにも見えたし
まだどこか昂っても見えた。

数日前に母は祖母に会っていて
そこで「数日中に…」と聞いていたとのことだから、覚悟は少しできていたのだと思う。

「お母さんはどんな感じでいるの?」と聞くと
「施設を出るときに、職員さんが全員並んで見送ってくれたときに、ちょっと泣いたね」
と言った。

「ちょっと泣いたね」と言ったその時も
薄ら涙目に見えた。


「おばあちゃんらしい日に亡くなった。9月1日なんてわかりやすい」と母は言った。
「関東大震災の日」とも。

関東大震災を経験している祖母。
そこで父親を亡くしている祖母。

そこに「おばあちゃんらしい」と何か重ねて見ている母。


3月の柔らかい春の季節に生まれた祖母。
9月の、残暑の底にひゅんとつめたい空気を感じる日に、亡くなった祖母。


そういえば、昨日、夕方娘と保育園から出たときに
黄色い蝶々がひらっと飛んできて
「黄色い蝶は秋の蝶、白い蝶は春の蝶って教えてくれたの、おばあちゃんだな」って
思い出したっけ。


鱗雲
ひゅんと涼しい風
黄色い蝶
鈴虫の鳴き声

俳句が好きな祖母なら、歌にできそうなことがたくさん。


私は未熟で
17音に収められない。


「明るい句を詠みなさいよ」と

暗いところ、湿ったところを見がちだった20代の頃
祖母から言われた。

今、その言葉を前にすると「はい」って、まっすぐ言える。
力んだり、ひねたり、しないで。

(よかった)



娘と晩ご飯を食べ、お風呂に入ろうとしたら夫が仕事から帰宅。
お風呂上がりに保育園の鈴虫の話をしたら、夫は「最近よく聞こえるもんな」と言った。
私は「この頃聞いてない」って、園の先生に話したところだったから驚く。

そうだったんだ。




20時すぎ、もう眠るかと思った娘がハイになり21時過ぎまで遊んでから
くたっと眠った。

遊んでいる間、小さなウサギのぬいぐるみを
クッションのかげからひょこひょこ覗かせてみて、
娘に向けてトコトコ近づけ、ジャーンプ、と胸に飛び込ませるのをやったら
娘の目が輝いて、何度もやって、となって同じことを繰り返した。

魔法を見つけたみたいなドキドキワクワクした娘の目。
ウサギのぬいぐるみに、どんな景色を見たんだろう。


心だけを見ていると、深すぎて足場を見失うことがある。
考え事を延々してしまう時もそう。
解決に向かうわけでなく、同じ縁を何度もなぞり続けることがある。
そんな時、不思議と景色は止まったままだ。

外の世界に開いて、感じて、起こっていることに触れていると
世界と意識が交感され、運ばれていくものがあるのかもしれない。


俳句は、みたまま
あるものを詠む歌


内田樹さんが、あるままを並べていくことを、歌だって
祝福だって、ある本の中で語ってらしたことが重なってくる


句をたくさん詠んだ祖母は

心の窓を開いて
世界を見つめ、誉め続けていたのかもしれない。




庭で育てた山野草を
いつもそっと生けていた
たおやかな祖母の手を思う。