2021年9月2日木曜日

9月


8月末から忙しく
それがバッと解けた9月1日。

午前中に祖母が亡くなったと連絡が入る。
103歳の大往生。祖母の声が耳に蘇る。笑うように話す声。
しゃっきりとした人だった。

夕方、娘を保育園にお迎えに行くと
玄関先に虫籠に入った鈴虫がいて、綺麗な鳴き声が響いている。
娘はニコニコ出てきて、靴下と靴をせっせと履いて、先生とさようならの挨拶する。
 
保育園を出て娘を自転車に乗せるときにも鈴虫の鳴き声は聞こえてきた。

不思議とツーっと心に線が引かれるような
切なさが静かに立ち上がる音色だと思った。

ふと切なくなる。

娘のサラサラと細く柔らかい髪の毛に、黄色くて軽いヘルメットを被せ
ペダルを踏み出す。


家に帰って、母とビデオ通話をした。

葬儀のことなどを兄弟で話し合って一通りの段取りを済ませてきた母は
ひと段落した不思議な安堵の中にいるようにも見えたし
まだどこか昂っても見えた。

数日前に母は祖母に会っていて
そこで「数日中に…」と聞いていたとのことだから、覚悟は少しできていたのだと思う。

「お母さんはどんな感じでいるの?」と聞くと
「施設を出るときに、職員さんが全員並んで見送ってくれたときに、ちょっと泣いたね」
と言った。

「ちょっと泣いたね」と言ったその時も
薄ら涙目に見えた。


「おばあちゃんらしい日に亡くなった。9月1日なんてわかりやすい」と母は言った。
「関東大震災の日」とも。

関東大震災を経験している祖母。
そこで父親を亡くしている祖母。

そこに「おばあちゃんらしい」と何か重ねて見ている母。


3月の柔らかい春の季節に生まれた祖母。
9月の、残暑の底にひゅんとつめたい空気を感じる日に、亡くなった祖母。


そういえば、昨日、夕方娘と保育園から出たときに
黄色い蝶々がひらっと飛んできて
「黄色い蝶は秋の蝶、白い蝶は春の蝶って教えてくれたの、おばあちゃんだな」って
思い出したっけ。


鱗雲
ひゅんと涼しい風
黄色い蝶
鈴虫の鳴き声

俳句が好きな祖母なら、歌にできそうなことがたくさん。


私は未熟で
17音に収められない。


「明るい句を詠みなさいよ」と

暗いところ、湿ったところを見がちだった20代の頃
祖母から言われた。

今、その言葉を前にすると「はい」って、まっすぐ言える。
力んだり、ひねたり、しないで。

(よかった)



娘と晩ご飯を食べ、お風呂に入ろうとしたら夫が仕事から帰宅。
お風呂上がりに保育園の鈴虫の話をしたら、夫は「最近よく聞こえるもんな」と言った。
私は「この頃聞いてない」って、園の先生に話したところだったから驚く。

そうだったんだ。




20時すぎ、もう眠るかと思った娘がハイになり21時過ぎまで遊んでから
くたっと眠った。

遊んでいる間、小さなウサギのぬいぐるみを
クッションのかげからひょこひょこ覗かせてみて、
娘に向けてトコトコ近づけ、ジャーンプ、と胸に飛び込ませるのをやったら
娘の目が輝いて、何度もやって、となって同じことを繰り返した。

魔法を見つけたみたいなドキドキワクワクした娘の目。
ウサギのぬいぐるみに、どんな景色を見たんだろう。


心だけを見ていると、深すぎて足場を見失うことがある。
考え事を延々してしまう時もそう。
解決に向かうわけでなく、同じ縁を何度もなぞり続けることがある。
そんな時、不思議と景色は止まったままだ。

外の世界に開いて、感じて、起こっていることに触れていると
世界と意識が交感され、運ばれていくものがあるのかもしれない。


俳句は、みたまま
あるものを詠む歌


内田樹さんが、あるままを並べていくことを、歌だって
祝福だって、ある本の中で語ってらしたことが重なってくる


句をたくさん詠んだ祖母は

心の窓を開いて
世界を見つめ、誉め続けていたのかもしれない。




庭で育てた山野草を
いつもそっと生けていた
たおやかな祖母の手を思う。











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