2021年1月26日火曜日

娘が生まれて、明日で8ヶ月を迎える。

娘が寝ついてから夫が「この8ヶ月間、1日も欠かさず、よく頑張ったね」と言って

本当だなぁ、とお互いの肩をたたいて、労りあった。

 

娘はここ数日の間に、なんだか急成長した感じで

ずり這いも速くなり

立つことが楽しいみたいで、おもちゃにつかまりながら何度も立とうとする。

今は支えがないと立てないけれど、すぐに立ち始めそうな気もする。

 

今夜はお風呂上がりの着替えがすんだ後

私が先に寝室に入り、布団の上から娘に声をかけると

娘がずり這いで私のところにやってきた。

娘が伸ばした手に私も手を伸ばし、タッチをすると嬉しそうに笑い

またくるりと後ろをむいて、居間の方へ戻っていく。

 

こっちを目指してやってきて

そして触れて

触れたら笑って

また引き返していく

 

ということが突然目の前で成されて、なんだか言葉にならない思いが湧いてきた。

感動、というのか、なんていうんだろう 。

目の前がパッと開くような、雪解け水がわっと流れてくるような

新鮮な驚きのような、

でも、なんだろう。言葉が見つからない。

 

わからないけど、心を動かされた。

 


手足も気づけば伸びて、大きかったはずの服が小さくなっている。

 

少し前まで、ふやふやとした小さな生き物は

まだどこか、とても私と重なっている感じがあったけれど

今はとっても「他者」。

躍動する、ひとつの命。

 

 

目が合うだけで、娘は笑ってくれる。

なんだかとても、ありがたい気持ちになる。

 

 

誰に教えられてもいないのに

寝返りを覚えて、座ることができるようになって、今度はずり這いができて、

立とうと挑戦している。

命の健やかなこと。



 


2021年1月20日水曜日

 ここ数日、スピッツの同じ曲が頭の中をぐるぐる。

「あたたかい場所を探し泳いでた 最後の離島で

君を見つめていた 君を見つめていた」

あたたかい場所を探し泳いでたって

なんて美しい歌詞なんだろう〜とじんわりしながら口ずさんで

夫に「この曲なんて曲だっけ?」と聞くと

「夢じゃない」と返事があって、

このまま歌っていればサビで歌詞がくるんだった、って気づく。

(「夢じゃなーい」って、歌詞が出てくる)


それにしても、この曲全体の歌詞が、本当に美しくて

人肌みたいに、あったかい。






夢に巨木や実際には京都にない大きなお寺や
どでかいUFOが出てきた。なんとも派手な夢を見た今朝。

娘とバスに乗って恵文社へ。
午前中のバスの中は老婆ばかり。
老婆の時間は長くてゆっくり流れる。
その中に娘の小さくて速い鼓動。
これから生きる人と今まで長く生きてきた人が、同じバスに乗り合わせてる。

目の前に座っていた老婆ふたりが、橋を渡った時、遠くの山を指差して会話し始めた。
多分、知人ではなく偶然乗り合わせたふたりなのに、とても自然に会話を交わしている。

恵文社に入ると娘はとても静かになった。
お店の気配の中で。
でも次第に慣れてきたのか、眠たくなった娘は「あー」と大きな声。

恵文社は、いつ行っても3冊くらい欲しい本があって、楽しくこまる。

雪が降っていて、ゆきやこんこ、と歌って歩くと娘は私の顔を見た。

またバスに乗って家に帰る。

離乳食をあまり食べない娘にハイハインという赤ちゃん煎餅を手渡すと、
静かに口に入れて、もくもくと食べてる。
私も少しもらって齧ってみたら、粉ミルクの味に似ていた。

粉雪が降る中、もう一度外へ出て、
パン屋さんでパンを買い、八百屋さんで苺と南瓜と人参を買い、
スーパーで牛乳ときな粉を買った。

夕方、眠たそうな娘。
授乳すると授乳枕の上で寝ついた。
スースー、寝息。 

17時過ぎにそろそろ夕飯の支度、と思って私が体勢を変えると、娘も目を覚ました。
寝起きでぐずつく娘を抱っこして、床に下ろしてからしばらく一緒に遊ぶ。
すると、いつもより早く夫が帰ってきた。手に小さな花束。

チューリップ、ラナンキュラス、スイートピー

早春の花たち。

昨日、疲れて不機嫌になってしまった私に、買ってきてくれたのかもしれないって思う。
昨日、花屋の前を通った時に、チューリップとラナンキュラスを見たところだった。

「街の空気を」と、夫は言った。嬉しかった。

夫は花束を持って電車に乗るのは、と思い、3駅分歩いて帰ってきたとのこと。


鶏とキャベツをにんにくと塩で味付けしてオリーブオイルで炒めたのと、
人参とミニトマトと水菜のサラダ(ポン酢とオリーブオイルと黒ごまでドレッシングを作ってかけた)、キムチをおかずにして、
小松菜とお揚げのお味噌汁と白ごはんが今晩のごはん。
娘には、お出汁で白米とキャベツとしらすを炊く。


3人で食べる。
娘はよそった3分の1くらい食べてくれた。
先に食べ終わった夫が娘を見てくれている間に、私もご飯を完食。
お米もおかわりした。おかずはどれも美味しかった。

夫がお風呂を掃除する前に、洗い物を半分済ませて、
その後さっとお風呂に入る。
私が上がった後、夫が娘をお風呂に入れてくれる。

夫がお風呂場で娘に話しかける声を聞きながら、洗い物の続き。
台所が綺麗になる。

お風呂上がりの娘を受けとって保湿と着替え。
途中で服に着替えた夫が代わってくれる。
私は布団の上に寝転んで、娘を待つ。
着替えた娘を夫が連れてきてくれて、
スリーパーを着せると、娘は自分から布団の上に寝転ぶ。

寝転んでもう眠るかと思いきや、娘は布団の上をゴロンゴロンと転がって、そのまま布団からおりて、また居間へ行こうとする。
ぐるぐると動きまわり、時々こちらを見て笑った。
「もう寝るよー」と声をかけながら、活気づいて動きまわる娘を夫と見つめる。
ここ数日で急にずいぶん、動けるようになった。




ただ動けるということが、とても楽しそう。
 
ぐずつき始めたので抱き上げ、布団に寝転ばせて、おっぱいをあげながら寝かしつける。


そのまま私も眠ってしまい、起きてしばらくすると
スタジオに練習に出かけていた夫が帰ってきた。


そうして今。


長かったような、1日。
過ぎれば今しかない。


この星にはいくつもの時間があり、それが重なり、それぞれに流れている。

もしかしたら大きな目で見ると、全て調和しているのかもしれないと思うけれど、
私自身、ひとつの時間を体験しているピースであり、全体は見えない。

バスに乗り合わせた時の、老婆に流れる時間と娘に流れ始めている時間と、
私の時間と、バスのエンジン音。運転手さんの視界。空、山に流れる時間。川の流れ。
鳥が飛ぶ。歩道を行く人。
すべてがそれぞれで
すべてが星のかけら。
たぶん、宇宙のまぼろし。






2021年1月17日日曜日








「すでに自分が、満たされていることを知っている」

 

 

ひとりの時間を、と夫が娘を見てくれている間
ポカンと受け取った時間。

何もしない時間が欲しくて、でも公園でボーッとするには寒いので
喫茶店にでも行こう、と思う。

今は個人のこだわりが詰まっているような、そんな場所よりも
なんでもないところへ行きたいな、と思う。

「窓が大きくて明るいところ」というイメージだけ来て
歩ける距離にある、「窓が大きくて明るい」喫茶店へ出かけた。

はじめて訪れた、老舗和菓子屋さんがやっている現代風のそのカフェは
お客さんは私だけ。

値段は立派だけど、コーヒーもおまんじゅうもそれほど美味しくなくて
でも窓だけは大きくて、明るくて、ビートルズが割と大きな音でずっとかかっていた。

そこで画用紙を開いて、最近の自分の1日の過ごし方と
これから娘が保育園へ行くまでの流れを書き出しながら
今、心に引っかかっていることなどを書き出していく。
書き出してみれば、その瞬間解決策が浮かぶことも多くて、なんだかホッとする。

現在地を確かめるような作業の中、
ジョンレノンのHappy Christmas(War is over)が流れた時、
ぱぁーっと空気が華やかに明るくなった。




私もうすでに幸せなんだ。



夫が年末に、新曲を作っていた。

「今まで歌にしてきた悲しみがなくなってしまって、曲ができるのか不安だった」というようなことを、夫は話していた。

悲しみがなくなった後にも

歌は生まれるんだって、夫の新世界への移行。

 



今、また、ひとりの時間をもらっていて

絵を描き始める前の、準備運動みたいに
「わたし」への呼水みたいに、本棚から雑誌を1冊手にとった。

昨年の暮らしの手帳
早春号。


丁寧な暮らしではなくても


が、コピーになっている号で、めちゃめちゃ好きな号。


「丁寧」までもがいつの間にか「カテゴリー」になってしまっていたのを

水溜りにはった氷をバリンと割るみたいにして

もぎ取ってきたような、そんな号なんだ。

 

(新曲ができた時、夫は「もぎ取ってきた」と言った)

 

私は思う。

もしかしたら、知らぬ間に、私は私の命を「何かいつも、どこか足りない」という思い込みの中に、預けてしまっていたんじゃないかってことを。

 

今、自分の手でそれを、取り返してこれる。

戸棚を開けて、ずっと置きっぱなしにしていたのを

いとも簡単に、もう一度手のなかに。


私の人生はすでに始まっていて

そして始まった時から、私は充足しているんだった。



2021年1月13日水曜日

やさしいうたをうたいたい

 

 

1月1日 家族で初詣へ出かけたあと

体調を崩して救急車に初めて乗った。

夫が抱っこ紐で娘を胸に抱いて、夫も娘も一緒に救急車。

初めてのこと(私もだ)に戸惑って泣く娘に、

夫も私も「大丈夫だよ」って繰り返し声をかけた。


大事には至らず、おさまらなかった頭痛に、

授乳中でも飲める痛み止めを処方してもらった。

救急の先生は若い青年(20代後半から30代前半に見えた)で

帰る前に「採決の数値に異常はなかったので、帰っていただいて大丈夫です」

と声をかけてくれた時に、本当にありがたい気持ちが湧いた。

本当に「大丈夫です」って伝えてくれてる、「大丈夫」だった気がして。

 

娘は夫をずっと抱っこしていてくれて

娘がぐずると廊下に出て、あやしてくれた。

お腹が空いて眠たいだろう娘に、

帰る前にカーテンに囲われた簡易ベッドの上でおっぱいをあげた。


娘も安心したかもしれないけれど

ごくごくおっぱい飲む娘の姿を見て、私がほっとした。

 

その日、お腹の中にあるものをぜーんぶ出して

翌日も夫が娘を見てくれて、1日よく眠ったら

雪あがりの日みたいに、からだの中がピカピカで気持ちのいい風がぬけていく。

 

大変な元旦だったけれど(私だけでなく、何より、夫と娘にとっても)

だけど

その日をきっかけに、

今はほとんど母乳で私を栄養源にしている娘が

これからご飯を食べて、地球のあらゆるところで、食べ物があれば

自由に生きていける、その出発になるんだ。と、離乳食を始める覚悟がついた。
(はじめてはいたけど、ボチボチ、ゆっくりで良いか〜と、かなりかなり、ゆっくりやってた)


不思議だけれど、それから自分の中でも何かが切り替わったよう。

今まで、娘を寝かしつけたあと

「自分のこと」をしようと思っても

その「わたし」が、とーってもとっても遠いところにいて

数時間経っても「わたし」はやってこなくて、ボーっとしたまま

結局眠っていた。

それが、「わたし」が私に、なった。



なんだかとっても、おもしろい。

2度目の出産をしたみたい。