2020年6月30日火曜日

強い雨の日。

窓を開けていると
家の中にまで雨が降り注ぎそうに
雨音が間近にせまる。

娘とベランダへ出て
「空から水が降ってくるでしょう。雨っていうんだよー」
と声をかける。

娘はきょとんとした顔で空を見てる。
雨粒までは目に映らないだろう。
でも音は聞こえてるはず。

娘の目を見ると、黒目に空が明るく映っている。


機嫌のいい朝の時間、
娘の顔に笑顔がよく浮かぶようになってきた。

吊り下げたモビールを手で触れるようにもなってきた。

昨日までの彼女にはなかったはずのことが
ふいに起こるので驚き、嬉しい。


さっき驚いたのは、
私の膝の上で寝入っていた娘が急に
「ひひひっ!」と声をあげたこと。笑い声のよう。
見ると顔も笑っている。

寝言で笑った。






私と彼女2人で日中過ごしていると
抱っことおっぱいの繰り返しで
時々ガラガラで遊んだり絵本を読んでみたりするけれど
集中していられる間のことだから、ほんのすこし。

大人の自分からすると
これでいいのかなぁ…と不安にもなる。

もっと、遊びを広げられるはずなのに
自分が広げられていないのではないかな、という風に。

それでも
今日ベランダで一緒に雨音を聞きながら(多分彼女にも聞こえている)
雨音だって、彼女にはきっと新鮮な音のはずだ、と思えた。
そういうひとつひとつに、一緒に触れていこう。
そして、「雨の音だよ」と伝えながら、一緒に新鮮に世界を見つけていけたら
それが充分に「遊び」なのかもしれない。




1、2週間前は
彼女は昼間、眠ることがなくなっていて
常に「おっぱい!」という風に口をパクパクさせて
おっぱいをあげないとギャン泣きしていた。

(例の「魔の3週目」という期間。
お腹のそとに出てきたことに、気がついて
彼女にとって、触れている世界がひとつ、広がった時期)

なので、私はずっとずっとずーっとおっぱいをあげていて
「一体これでいいのだろうか…」と思っていたけれど
ここ数日の間、ちょっとずつまた授乳の間隔があいてきた。

そして、大きな声で泣きもするけれど
昼寝もまた、少しずつするように。


「これでいいのだろうか」と、悩んでいる間に
彼女の成長が、私の悩みを追い越していってしまっているみたい。



それにしても
手探り、手探りの日々。


そしてきっと
手探りだけが、私たちの通れる道のようにも思える。




2020年6月27日土曜日



夫がおやすみの平日。

娘を見ているから、外へ出ておいでと言ってくれた。
ひとりでぽーん、とおもてへ出たら
百日紅のピンク色の花や、ノウゼンカズラがすっかり咲いていて
季節が移ろっていることを知る。

湿度が高くて、植物の色が濃く目に映る。
 
 
川を渡った先のパン屋を折り返し地点にして、散歩に出る。

道を歩きながら、奈緒ちゃんに電話して
声を聞いたら、ほっとして
ここ最近のことが、言葉になっていく。

何気ないことを
話して 聞いてもらって
また 聞かせてもらって
空気が、ぐるんと廻り始める。

 
話しながら、歩いた道は
産婦人科へいくために何度も歩いた道でもある。
産後歩くのは、初めての道。

鴨川の緑も深まっていた。
 
 
 
2週間健診があって、産院へ行った日
健診は思っていたよりもあっさりと終わった感覚があって

「産院は産むことのサポートの場で
育てていくことのサポートの場ではないんだ」

と、はっとした。

心細いし、何もわからないけど
とにかく、育てていくしかないんだ、と
地図もコンパスもなく、素手で荒野に出たことに気づく。
そんな気持ちにもなった。
 
 
 
それでも、毎日
新しいことに触れながら
少しずつ、寄るべなく揺れていた心が
自分の軸に立ち戻りつつある。


そして私がてんやわんやしている中でも
娘はこのひと月で、しっかりと、大きくなった。


 

ずっとおっぱいをあげていて
かるく途方に暮れる瞬間もあったけれど
「一体、いつまで…」と浮かぶ問いには
明確な答えがあることにも、気がついた。

「せいぜい、ここ1年ほどのこと。
それにもう5、6ヶ月後には離乳食が始まって、ミルクの量は、ぐっと減るはず」

そう気づいたことを夫に話すと
夫もちょうど、同じようなことを思っていた、と言った。
 
そんな話をしながら
「そうだよね。娘が、自分の足で生きられるようになるための、サポートをしているんだもんね。今ももう、そこ(娘が、自分自身で歩き始める瞬間)に向かっているんだよね」
と口にしたら
なぜか涙が出てきた。


抱っこしてないと泣いちゃう!と困りながらえんえん抱っこするのも
眠いよ〜…とうつらうつらしながらおっぱいをあげるのも

「いつまで〜!」と、途方に暮れるけど

けど、その時期は、実は決して長くはないのだった。
 
 
だからって、困るのも眠いのも、消えるわけではないけれど
必死に口をあけて乳首を咥えてくる娘に働いている、懸命な命が愛おしい。
 
泣いたら
「お母さんいるよ〜!」と言ってかけ寄って
抱っこできるのも
きっと本当に、ちょっとの間。
 

2020年6月24日水曜日

娘とふたりで日中すごしていると、
静かなのに色んな音が聞こえてくる。


扇風機の回る音、外からいろんな音、話し声とか、工事してるような音とか、
鳥の声とか、車の走り去る音。
カーテンが風でふくらむときに、畳をする音、とかも。

ふだんは耳からこぼれてるような音が聞こえてきて
空はぽかーんと広い。

たまに一緒にベランダに出ると、風が吹いてきたりするので
風が吹いてるね〜、と話しかけたり。

娘も風を感じてる。たぶん。顔をしかめたりするから。

赤ちゃんはまだ、聞こえることや見えるもの、
入ってくる情報をわけられない、と聞いて、
すこしだけ自分も、そのポケットに足を突っ込んでるような気分になる。

聞き落とされていたものが、また聞こえてくる。 


娘に合わせて
2、3時間おき(だったり1時間おきだったり…30分おきだったり…!)
の授乳のタイミングが、今の私のサイクルになっているので
日付の感覚や今まで過ごしていた時間の感覚がぬけていく。

授乳して、寝たなぁ、と思って
布団に置こうとしたら起きて、また抱っこ…のサイクルで
2時間くらいがあっという間に過ぎてて、時計を見たら不思議な気持ち。

早く寝てもらって、色々やらなきゃ!とか、
やりたい!と思ってる時ほど、
私の焦りがきっと呼吸や手足にも伝わって、
眠ってた娘がぱっちり起きたりするので、あきらめた。

自分の都合をあきらめたらなおのこと、
娘のポケットに近づいているような。


空はでかいし
わたしは小さいけど娘にとったら巨人で、
だから、小さいや大きいが外れていって、
乳房からお乳がでるようになり、
それを娘がごくごく飲んでいるのを見てると、
からだにこんな機能がついてたんですか!?と当たり前に驚き、
ガンダムに乗ってるアムロみたいな気持ちになる。
(体がガンダム。心がアムロ。自分の体を客観的に発見する不思議な感覚。) 


今もまだ少しそんなだけど、産後3週間くらいはわたしの頭はずっとぼんやりしていて
ものを考えることができなかった。

その間、ひたすら授乳をして
自分=おっぱいだった。



ぼーっとしてわけがわからないまま、
陣痛がきて産院へ行った朝から数週間が経っていて

見慣れないから
誰に似てるかな?と家族の面影を探していた娘の顔に
もう誰かの面影を見ようとすることはなくなって、

わたしは娘の顔を娘の顔として見るようになっている。




まだ、ただの反射だって習ってるけど
きゅうっと両方の口角があがって、笑ってるような顔を見たら
嬉しくなって涙が出た。



2020年6月22日月曜日


新生児には「魔の3週目」というのがあるらしい

その間、何をやっても泣いて、とにかく寝ない
という時期らしいのですが

我が家でも3週目になる頃はっきりとそれがやってきて
今までほとんどの時間眠っていた赤ちゃんがすっかり眠らなくなった。

(夜は眠ってくれる。ありがたい…!)

眠らないだけじゃなくて
起きている間は、抱っこしていないと泣いてしまう。

抱っこしていると「おっぱい!」と口をパクパクさせるので
常におっぱいを咥えている状態。

「母乳はいくらあげてもいい」
「泣いたらおっぱいあげたらいい」

という看護師さんや助産師さんの言葉を信じて
数時間ずっと、どちらかのおっぱいに赤ちゃんがくっついている状態なのだけれど

これで本当に大丈夫なのか、そしていつまでこの状態が続くのか
心配になって、たくさん検索をしたりした。
(その間ももちろん授乳している)

その検索の中で生後3週目に多くの赤ちゃんがこの状態になるらしく
この時期が「魔の3週目」と呼ばれていることもわかった。
 
 
人間は脳の進化を選んで、頭が大きくなる道に進んだ。
けれど、あんまり頭が大きくなってからだと
赤ちゃんが産道を通って生まれてこられないために
赤ちゃんは本来子宮の中で充分に育つのに必要な時間よりも
3ヶ月早く産まれてくるらしい。
 
 
だから、本来だったらまだ子宮の中にいられる時間を
外で過ごしているストレスや不安が、赤ちゃんにはあるのだという。
 
 
生後3週目になると赤ちゃんが
子宮の外に出てきてしまったことに気がついて
不安で泣くのだとか。


あとは、生後3週目に、赤ちゃんは「急成長期」という
知能がぐーんと育つ時期に入るため、その期間の間
どんどん感覚が変わっていく変化に驚いて、泣くのだという説もある。
 
 
とにかく、
赤ちゃんは大きな声で泣き
大慌てで、抱っこと授乳を繰り返している。
 

 
そんな状態でやってきて
母が帰り、週末休みだった夫も今日は出勤してしまった。
 
ドキドキしながら夫を見送り
赤ちゃんとふたりの時間を過ごす。
 
朝の連ドラを見ながら授乳し、夫を見送ったあと
抱っこしていると寝ついてきたので、布団におろす。
目を開けてしまったけれど機嫌が良かったので
「洗濯物をほしてくるからね。ほしたらすぐに戻ってくるよ」と言って
床におきっぱなしになっていた洗濯物をほす。
 
数日前だったら、布団の上で目が開いた瞬間に、ぎゃあっと泣いていた状況が
ちょっと変わっている。
 
洗濯物をほし終えると、泣き始めた声がしたので
すぐに戻ってあやしていると、きゅうっと顔をしかめてうんちをしたので
オムツを替える。
オムツを替えたら目がぱっちりしてきたので、抱っこ抱っこ。
すぅっと寝ついたので布団に戻そうとしたら今度は途中でぐずぐずっと泣いて
口をパクパクしたので、母乳が足りないのかもと思って
ミルクを少しあげた。

そのあとうとうとっとしたのでまた抱っこしてあやし
寝たかな、と思って布団に連れていくと、また起きてぐずぐずっとなったので抱っこ。

抱っこしていると口をパクパクし始めて、この時点で前のミルクからは1時間、
朝ドラの時間帯の母乳からは2時間が経っていたので
またしっかり母乳をあげた。
 
 
母乳をあげている間に、腕の中で寝ついたので

今度は
何度も寝ては起きてで、赤ちゃんもしんどいだろうな。
すやすやっと寝ついたこのままでいたいだろうと思って
腕の中で30分くらい、抱いていようと思った。
 
両手は赤ちゃんを抱いて、ソファに座っている。
 
テレビも消えていて、音楽もかかっていないので
自分の気を紛らわせるものはない。
 
「どれくらい時間が経ったかな?」と思って時計を見たら
3分しか経っていなかった。
 
 
 
 
今日はゴミの日で、
夫が出勤前に出してくれるゴミを
朝、自分で出しに行ったのは
外へ出たかったから。
 
少しの時間でも両手の開いた身軽な体で、外へ出て
空を見て、空気を吸いたかった。
 
 
それくらい、ずっと赤ちゃんを抱いていて
起きている間はほぼほぼ授乳していたここ数日間。
 


産院を退院するときにたくさんもらったサンプル品の中に
ミルクやベビークリームの中に、マウスウォッシュがあって
なぜ?と思っていたけど、今はわかる。
歯を磨く時間もないから。

朝、夫に話したら「そんなにか」と言ったけれど
そんなに、だ。
ちょっと泣かせておいてもいいか、と思えたら、パッと磨けるのかもしれないけど。


でも、でも
それでも


「泣かせないために」抱っこして
「泣かせないために」おっぱいをあげるばかりだった。

そう気がついた。

 
本質的に、彼女(赤ちゃん)のために時間をあてたことって
あったのかな
なかったんじゃないかな、と思った。
 
たったの3分で、時計をちらっと見てしまうような私だ。
 
 
 

それで気持ちをかえることにした。
 
彼女に、充分な時間をあてよう。
それは、彼女が、今、私のところにやってきているから。
やってきて、そしてとどまっているから。
 
 
お腹の上で彼女を両腕で抱いていると
だんだん彼女の体温で、私のお腹があったかくなってくる。

そうしてお腹の上で丸まっている彼女を見てると
「これは、子宮の中にいたときの格好だね」と思い
エコーで見た彼女の様子が思い浮かんできた。
 
胎盤に頬をつけて
手で顔が隠れて、エコーで見ると
いつも顔が見られなかった。

どんな顔をしてるのかな、とずっと思ってた。
 
 





 
 
10分ほどしたら
彼女が私の腕の中で、体をのばし始めたので
布団にうつした方がいいかも、と思ってゆっくり布団にうつすと
すうっと寝ついていった。
 
 


2020年6月20日土曜日


20日間手伝いに来てくれていた母が帰って行った。

母が帰ってしまったらどうなるだろう、と先週末は不安もあったけれど
「私がいる間に」と言ってくれて
母乳マッサージへいかせてもらえたり
美容院へも行って髪を切らせてもらえたり
そうしている間に気持ちも落ち着いてきた。

(美容院でシャンプーをしてもらいながら、私は赤ちゃんにどんな風に触れているだろう、とあらためて思ったりしながら)

母は、20日間の間に、孫をたくさん抱っこして
毎食の食事と毎日の洗濯をごっそりしてくれ
朝早く起きて、近くのお寺や鴨川沿いをたっぷり散歩した。
 
おとといだったかは
鴨川の亀石(川を渡れる飛び石)を見つけて
「テレビで見たやつだ!」と思い、渡ってみたらしい。

岸と岸を結ぶ飛び石は、結構な距離。
決して身軽ではない体で、石と石とを飛んでいく母。
途中で中洲でお酒を飲んでいた学生風の男の子2人に(夜通し飲んでいたのだろう)
「おばちゃん、大丈夫ですか?」と声をかけられたらしい。

「渡っちゃった!」と喜んで声を弾ませ、散歩から帰ってきた。
 
20日間を終えての母の帰り際、
寝つきそうだった赤ちゃんが目を覚まして泣いたので
玄関先まで一緒に見送って
「涙の別れだね」と言って母の顔を見たら
母もちょっと泣きそうだった。
「しっかりね」と言って、母は帰って行った。
 
 
夫が母をマンションの出口まで見送り、戻ってきた。
 
私と夫と赤ちゃん。
家族3人生活が始まる。
 
 
 
赤ちゃんはその後
ぐずついたり、ぎゃぁんと大きな声で泣いたりもしたけど
なんとかあやして
夫が作ってくれたお昼のパスタを、授乳しながら
「3人ともご飯だね」と言っていただく。


母がきている間は、私も「娘」だったから
母が帰って、ふっと「娘」のわたしが薄まって
 
わたしと、夫が
頼りなくても、なんでも
このかたちでしかいられないし

このかたちをした、母と父なんだ、

そこにやってきた赤ちゃん、

という感覚がやってきた。

それで夫に
「赤ちゃんに育つ力があるんだよね。どうしたらいいんだろう、って悩むけど
その育つ力に寄り添っていけばいいんだよね」
というようなことを言うと
夫は「多分そうだと思うよ」という風に、答えてくれた。(と、思う。記憶力が、ちょっと低下中)


授乳中、うとうとっとした赤ちゃん。
寝ついたかな、と思って
赤ちゃんを布団におろすと、少しすると起きて泣き始めたので
今度は腕の中でうとうとっとしたら、しばらくずっと
そのまま腕の中で寝かせておいた。

授乳のために開けたシャツのボタンは外れたままで
はだけたおっぱいとおっぱいの間に
赤ちゃんが頬をつけて、スースー寝ている。あつい。
赤ちゃんの体温。
 
人肌に触れて、眠っていたい時って、あるよね、あるある。
すぐに布団にうつして、悪かったね。
おっぱい飲んで、そのまま腕の中でとろんと、眠りたかったんだよね。

そんな風な思いが湧いてくる。



どうしたらいいんだろう?と正解を探すけれど
育児書に書かれた「0ヶ月」の欄は数ページ。
その数ページで毎日が、きっと埋まるはずないんだ。

適切な対応が必要な(どうしたらいい?に「こうしたらいい」がある)場合も
もちろんこれから多々あるだろう。

それももちろん大切で

と、同時に
0ヶ月の欄を数ページにするしかないくらい
起こっていくことは、その人、その人、その家、その家、なんだろう。


自分と、夫のところに
なんの因果かやってきて

私は私でしかいられず
夫は夫でしかないし

赤ちゃんも、その子としてきた。


自分たちのかたちで、なるべく楽しく
互いにご機嫌に
一緒にいる時間を、過ごしていこう。って

そういうことだ。


2020年6月19日金曜日



今までほとんどの時間、眠って過ごしていた赤ちゃんが
今週に入ってから急に眠らなくなった。

 
朝起きて、授乳のあとはうつらうつらしてまた眠っていたのに
パッチリと目が開いたまま。

そして抱いていないと泣いてしまう。

抱いていてもしばらくすると、ぐずぐずっと表情が崩れ

それなら、と思ってお布団に置くと

ぎゃーんと大きな声で泣く。

 

どこか痛いのかな!?なにか悪いところがあるのかな?と
いつの間にか必死な気持ちになっている。

 
母から
「抱いてるからちょっと休めば」
と言われても、自分がやらないと、という気持ちが働いて
ぐずついている赤ちゃんが気になって母に任せきれない気持ちになる。

 

母乳が出てないのかな、と不安になって焦り始め
夫が
「ゆっくりでいいじゃない」と声をかけてくれて頷くも
やっぱり心は焦って、合間があれば母乳が出る方法を検索してる。

 
自分がいっぱいいっぱいなのが見えた。


今週末には手伝いに来てくれている母も帰ってしまうので
母がいてくれるうちに、近所に子育ての相談先を作らないと、と思い
近くの母乳相談とマッサージをしてくれる助産院に予約の電話を入れた。



その日のうちに予約がとれ、電話をきると
「人を頼った」(ギブアップ、自分がなんとかしなくちゃという思いを手放した)ことで気が緩んだのか、電話をきった瞬間に涙がポロポロこぼれてきた。

 

母に、気が緩んで涙が出てくる。ちょっと泣いてくる。
と言って、赤ちゃんを任せ、別室にこもって、ちょっとの間泣いた。


陣痛がきて、産院へ行った朝から
ずーっと新しい波に乗っている。

涙が出て、ようやく少し、今の自分に触れられたような気がした。

 

 
母に赤ちゃんをお願いし、
ひとり外に出る。

木々の緑がきれい。いつも通りの近所の景色が新鮮に映る。

予約していた時間に助産院に着き、扉を開いて中に入ると
その空間に立っただけでまた涙がこみ上げてきた。

受け皿を見つけて、溢れてくるみたいに。

 

 

助産師さんは
話を聞いてくれながら
おっぱいにあったかいタオルをのせ、どんどんとお乳をほぐしていってくれる。


赤ちゃんの名前を、いい名前ね、と言ってくれたあと
赤ちゃんは今
お腹の中から出てきて、全部が初めて。なにもかもに驚いて泣くんよ、と話してくれる。


「おっぱいあげて、おむつもかえて、
暑くも寒くもなくて、熱もなくて泣いてたら「わからなくてごめん」でいいんよ」


抱っこしておっぱいあげてないと泣いてしまうから、
トイレも行けないと思った、と話したら

 
「ずっとお腹の中でお母さんといたのだから、
24時間どこへでも一緒に連れて行ったらいいんよ。
トイレの前に座布団敷いて、その上に赤ちゃん寝かせて、
扉開けてトイレしたらいいよ。
目はまだよく見えないけど、耳は聞こえているから、
トイレから声かけてあげたらいいよ」

 

そう聞いて、気が緩む。
寝る場所はお布団、としか頭になかった自分に気がつく。

 
もっともっと、柔軟でいいんだ。

 

 

小さな体にどんな風に触れていいかわからなくて
こわしてしまわないように、どこか緊張していたけれど

もっともっと
おおらかでいいんだ。




マッサージを終えたら
おっぱいはふわふわとして
こっていた肩も羽が生えたように、という比喩がぴったりくるほど軽くなっていた。

 

 

「すごく幸せだと感じたり、
すごく悲しくなったり、ホルモンの調子で、今はそういう時期。
頭も6割くらいで、いろいろ忘れたり、ぼーっとしたり。
そういうもんだと思ってね。予約の時間うっかり忘れても、また電話して」

 

 

実家から母が来ていてもうすぐ帰る話をしたら
お母さんいるうちにもう一度来たらいいと言われ、2日後にまた予約をとったあと、
助産師さんは優しくそう言って見送ってくれた。

 

 

家に帰ると母と赤ちゃんがいて
今までどこかおそるおそる触れていた赤ちゃんに
初めて親しい手で、触れられた気がする。

 

名前をくり返し、呼んでみる。
 
 
赤ちゃんがまた泣いてしまった時
不意に坂本九の「涙くんさよなら」が口から出てくる。
 
大きな声で歌っていると
母も一緒に歌い出して、赤ちゃんは泣きやんできょとんとした顔をしている。
 
この歌、覚えようと思って
膝の上に赤ちゃんを寝かせて
パソコンを開き、youtubeで「涙くんさよなら」を検索して流す。
 
 
 
赤ちゃんを抱きながら
子守唄でも、歌ってみようかなと思って歌ったときは
自分がとても嘘くさいというか、ぎこちなく感じたけれど

泣いちゃった、泣いちゃった、と思って
とっさに口から出てきた「涙くんさよなら」には嘘がなかった。



「こういうものかな」という形を
手掛かりに進もうとするけれど
 
もっともっと手探りに、自分のままで
わたしと赤ちゃんの関わりを
在り方を
作っていくだけなのかもしれない。



2020年6月14日日曜日



「21時半には起きて授乳をする」と話していたけれど
多分、鳴ったアラームを止めて眠っていた。

21時45分に夫が起こしてくれて
眠っている赤ちゃんを起こして(と言っても眠っていた)
20分ちょっと授乳する。

うつらうつらしていた赤ちゃんはそのまま寝ついていたので
起こさないように気をつけて、そっと布団に戻す。

喉が渇いていたので、トイレに行ってから、台所で水をコップ2杯飲んだ。
 
夫は起きていてパソコンを開きキーボードを叩いてる。
「何書いてるの?」と聞くと
「日記みたいなもの」と夫は言った。
覗き込もうとしたら見せてくれなかったけれど、
長いことキーボードを叩いている。


明日はプラスチックゴミの日なので、
ゴミ箱に収まらなくなってベランダに出していたゴミ袋を玄関に出しておこうと思って
ベランダに出る。

窓辺にかけた、ウィンドチャイムが
カーテンをめくるはずみでコロコロと綺麗な音を鳴らす。

ベランダに出たらすっかり夜で、雨上がりの風が涼しくて気持ちいい。

お産で入院してから、
ほとんど外へ出ていない生活で、今日も1日おもてへ出なかったから
広い夜の空気と、風の音か車の音か、外の音が気持ちよかった。

新鮮に生きてる夜。



昔、大島弓子がエッセイ漫画の中で
1日を25時間サイクルで回すことにしているということを書いていた。
するとだんだん、起床時間などがずれていって、
夜に起きる期間もあるって描いてあって面白かった。

私は今、3時間サイクルで生きてる。
授乳と授乳の間が、基本的には3時間(合間合間に、もっとすることもあるけれど)。

昼間でも、授乳のあと赤ちゃんが眠れば
自分も横になって休んだり

真夜中に起きて、授乳をして
次は明け方に起きて、また授乳をしたり。
 
今のところ、実家から手伝いに来てくれている母が家事をしてくれていて
夫も協力してくれているから
 
私は授乳ひとつに照準を合わせればよくて
赤ちゃんが寝ていれば朝でも昼でも横にならせてもらえる。

だから思っていたよりも、夜、授乳のたびに起きるのも今は辛くない。
(人の体はすごくて、妊娠後期から、夜に2、3度目が醒めるようになっていて
細切れ睡眠の日々を過ごしていたので、体も慣れていっていた)
 
3時間のサイクルで生きていると、
今日が何日かもだんだんわからなくなってくる。



夜、就寝時間に(今日も1日お疲れ様、明日は何をしよう)と1日を終えて
朝、起床時間に(今日も1日始まった)とスタートするリズムから外れてしまっている。



夜22時に授乳を終えたら、
次は1時、と3時間後の1時にアラームをかけて
赤ちゃんが寝ついていれば、自分もそこで眠り
起きていれば、あやしたりなんかして
1時に起きて授乳が終われば、そこから3時間後の朝方にまた起きることになる。
 
 
どんどん体がどうぶつらしくなっていて
ものを考えたり、思考を組み立てることが難しくなっている。
 

不思議だけど
でもきっとこうやって、どんどんからだになって
あたまをとめているから(あたまがとまっているから)
このリズムに乗れているような、そんな気がする。
 
 
出産前に、崖の上のポニョが観たくなって観た時

赤ちゃんが喉乾いてる、とポニョがお茶を赤ちゃんに差し出した時
赤ちゃんのお母さんがそのお茶を受け取ってごくごくっと飲むシーンがあった。

ポニョが「赤ちゃんの」と言うと
赤ちゃんはお茶が飲めなくて、でも私が飲めばお乳になって
赤ちゃんが飲めるの、と言うことを、そのお母さんが言う。

ポニョが赤ちゃんに向かって差し出したお茶を
「ありがとう」と言ってぐびぐびっと飲むお母さんの感覚が
(先にポニョに向かって「赤ちゃんはお茶を飲めないから、私がいただいてお乳にするね」とか説明しないで、ぐびぐびっといく感覚)今、ちょっと、わかる気がする。

すごく好きだった甘いものも、今はそんなに食べたくなくなってしまった。
お腹が空いて、食事の量は1、5倍くらいになっているし
水もごくごく飲む。

それは全部、おっぱいのために自然とそうなってしまった。
 
自分は今、水瓶のようです。

 
 

赤ちゃんは、ふくふくと太ってきて
たくましい二重あごになってきた。
 
 
今朝、眠っている赤ちゃんの顔をじっと見てたら
不意に赤ちゃんが笑った。
 
感情から笑うのではなくて、筋肉反射で笑う笑顔だけれど
それでもはじめてしっかり見た笑顔が、嬉しくて
喜びが溢れてくる。
 
それに、今まで口角は、にっと片方しか上がらなかったのに
両方の口角があがるようになってる。その感動もあった。
 
 
たった生まれて、半月ほどなのに
毎日あたらしいことがあって

体もぐんぐん重たくなってる。
 
 
 
寝て、起きて、泣いて、おっぱいを飲み、うんち、おしっこをして
また眠る
 
うごうごと動くちいさな体が
あたらしくって、たくましい。


2020年6月11日木曜日


梅雨入り

昨夜、強い雨がざぁっと降って
今日はお昼前からシトシトとした雨。長く降りそう。
雲が薄く空全体にはっている。
窓から見える木々の緑が、濡れて濃くなっている。

健診で産院に行ったのが緊張したのか
少しおっぱいの量が足りなかったのか
おとといの朝方以来、赤ちゃんはうんちをしていなくて
お腹もいっぱいで、オムツも替えた後にグズグズするのをみては
「お腹が痛いんじゃないか」とちょっとハラハラする。
 
今日、うんちが出たのをみてホッとする。
 

2日ぶりの赤ちゃんのうんちに「出た出た!」と喜ぶ。
私の日々はすっかり、そんな感じになっている。
 
 
昨日の夕方、銀行へ行く用事があって
母に赤ちゃんを見てもらい
ひとりで近くの銀行まで出かけた。

初夏の晴れた夕方。
いつも食パンを買うパン屋さんへ寄って、食パンを買った。
スーパーにも寄って、欲しかった日用品を買い足して、銀行へ行った。
帰りに、ジャムがなかったのを思い出し
もう一度パン屋さんへ寄って、ひとつだけ売っていた木苺のジャムの大瓶を買う。

街はいつも通り。
私はワンピースに、素足にサンダルという気軽さで
お腹もそうだ、すっかり軽い。
体重も健診ではかったら出産前の健診日から6キロ減っていた。
(赤ちゃんが、生まれた時、2.5キロくらい。
あと、羊水と、胎盤なんかが、出て行ったんだ)


帰り道、路地を通っていくと
3歳くらいの女の子と手を繋いで歩いている女性を見る。
(あそこまで育てたんだ…!)と思い、尊敬の眼差しで彼女を見てる自分に気づく。

するとすぐに
7、8歳くらいの男の子を後ろに乗せて自転車で走ってきたお母さんともすれ違い
ぐんぐんとペダルを漕ぐその女性が、ものすごく逞しく、かっこよく見えた。


 
赤ちゃんは、寝てる間にもくるくると表情を変えて
ずっと見ていられる。

「なんでこんなにかわいいのかよ…」と
そこしか知らない、大泉逸郎の「孫」のワンフレーズを呟いてみる。


おっぱいをあげたら、すぐに眠ったので
そのまま赤ちゃんを布団の上に移したら、
足をバタバタさせてミルクを吐き戻してしまった。

それで目が覚め、ぐずって、またおっぱいを飲みたがったので
今度はおっぱいをあげたあと、腕の中で眠ったら
そのまま頭の後ろにクッションを入れて少し頭を高くしたまま
しばらく抱いていた。

私は片耳にイヤフォンをつけて、スマホでyoutubeを見ながら。
 
夫もすぐ目の前でパソコンをいじっている。

ふと、すごく静かな、クリアな感覚になって
空から見ているような、俯瞰した視点で
腕の中に赤ちゃんが眠っていて、目の前に夫がいる居間の景色が見えた。
 
 
この頃の私は
「おっぱい」そして「おしっこ、うんち」の日々。
自分に必要なのは食事と睡眠で、思考はほとんど動かない。
目の前のことだけ。だから普段は遠くのことに、触れない。
 
でもだけど、どうだろう。

ただ静かな目で、不意に今いる景色を俯瞰からみることができたら
私はこの景色が、とても好きだ。



腕の中で抱いて
充分に時間が経ってからお布団に移したら
今度は静かに眠って、吐き戻しもしていない。


ちょっとずつ、工夫のしどころを見つけてる。

逞しく見えた
あのぐんぐんペダルを漕いでいた彼女も、
こんな景色の中を歩いて、歩いて、
あぁなったのかな。
 
 
 


2020年6月10日水曜日


おっぱいをあげ、ミルクをあげて、お風呂に入れていたら
あっという間に2週間を迎えた。

昨日は、2週間健診があって
はじめて赤ちゃんと産院へ外出。
緊張したけれど、母もついてきてくれたので助かった。

赤ちゃんの体重も増えていると聞いて安心し、
自分の体も順調に快復していると伝えてもらってほっとする。

診察してくれた院長先生の言葉に
あたたかみを感じる。

言葉自体は「問題ないでしょう」とか、
なんでもないことなのだけれど
口調がやわらかい。
 
そのやわらかさに、安心する。
自分のお産を見届けてもらえた、という信頼も生まれているのかもしれない。
 
 
赤ちゃんは外に出ている間、きゅうっっっとかたく目を閉じていた。
そして、家に戻ってきてから珍しくぐずって、初めて聞く大きな声で泣いたり
おっぱいを飲んでもすぐに欲しがったりした。

退院初日の晩と同じような様子。

ずっと家の中で過ごしてきたのに、急な変化。
よく頑張ったね、と思って、おっぱいをあげる。

わたし自身もへとへと。
初めての外出で緊張したし、くたっと疲れた。


夜になってもぐずぐずっと泣く赤ちゃんに、おっぱいをあげる。
たくさんあげているのでおっぱいも痛い。
いて〜っと思いながら
ちょっと荒んだ気持ちでうとうとしていたら
夫が足をさすってきてくれて、じんとした。 





小さく見えることが、大きなことで

それだけで、かわきそうになっていた気持ちが
また素直になる。
 
 

 

 

2020年6月9日火曜日



赤ちゃんのいる日々

 
 
 

さっき授乳を終えて、寝ついている赤ちゃんを布団の上に戻し
肌掛けをかけた。

窓の外が白んで、
カラスや他の鳥(ぎぃぃ、とか、チリチリ、とか)の鳴き声が聞こえてくる。
網戸から入ってくる空気が涼しい。

夜中に授乳する暮らしが始まった。
人の体はとてもよくできていて
妊娠後期から2、3時間おきに目が覚めてしまう睡眠サイクルになっていたので
2、3時間おきに授乳で目が覚めるのも、今のところ大丈夫で
自然と目が覚めるし体が動く。
 
 
赤ちゃんに肌掛けをかけたあと、私もまた眠ろうと思って横になったけど
赤ちゃんが「んん…」と言ったので、なんだ、と思って起きる。
起きて見たものの、赤ちゃんはそのままスヤスヤ眠っていて
その様子をじっと見てたら、なんとなく今のことを書き留めたくなって
布団から出てきてパソコンを開いた。



夜のうちからゆっくり始まった陣痛。
間隔をあけて、
1分ほど、きゅうっと腰回りが締め付けられるような痛みがきた。
痛みと痛みの間隔が10分前後になると、横になっているのが辛くなってきて
(体を起こしている方が楽だった)
壁にもたれながら眠っていた朝の4時頃。

朝の5時頃、起きてきてくれた夫と朝ごはんを食べて
6時まで待って産院に電話をかけると
まだ声に余裕があるし、大丈夫そうだから8時過ぎにきてください
と言われる。急なことがあればいつでもきて、とも。

8時にタクシーを呼んで、産院へ向かう。
夫は感染症対策から分娩室に入ってからの立会い以外、産院へは入れないので
産院の玄関先で夫と別れる。
お産が進んだらまた呼ぶことに。
 
入院の荷物を持って産院へ入ると、助産師さんが迎えてくれた。

陣痛室(子宮口が充分に開くまでいる部屋)に入ると
赤ちゃんの心音と子宮収縮を確かめる装置とがお腹にベルトで巻かれる。
産院に着いてから陣痛の間隔がまた開いてきたので
陣痛を促進させるバルーンを子宮に入れることに。

助産師さんから、ここから子宮口が開いてバルーンが抜けるのが
昼過ぎくらいかな、でも先生がすぐ抜けるって言ってたからどうかな、と言われる。
助産師さんは、朝出迎えてくれた人と変わって
ちゃきちゃきした若いお姉ちゃん、という感じの人に変わっていた。
 
陣痛室に戻ると次第に陣痛の間隔が短くなってきて
お腹を下した時のような痛みがやってくる。
横になっているとやっぱりしんどくて、ベッドの上に膝立ちになって腰をさすった。
痛みがきたら、息を吐くと習ったから、はーっ、はーっ、と長く息を吐きながら。
 
ふと窓からの景色が視界に入った。
青空。
 
早朝は曇っていたのが、晴れている。
 
夫と、初夏の気持ちのいい空気を名前に入れたいね
こんないい季節に生まれてくるんだね、と
天気のいい日に散歩しながらよく話していたので

この季節のいい気候の日に、やってこられる。と思う。
 
 
11時頃、股から急に生ぬるいお湯がふわぁぁぁと出てくる。
破水なのかおしっこなのかわからなくてナースコールを押す。
やってきてくれた看護師さんが、破水やね、と教えてくれて
「お手伝いしていいですか?自分で履く?」と聞かれた時
もう無理はしないで、してもらえることはしてもらおうと思い
看護師さんにお願いして下着を変えてもらった。

それから間もなく分娩室に入ることになり、夫に連絡するように言われる。
夫に電話をかけると出ないので、メッセージを入れようと思うも
その時は陣痛がかなり痛くなってきていて余裕がなく
入れたメッセージは
「破水して、子宮口もあいて」
「きてー、」
「(夫の名前)」

11時17分に送ってる。

それからすぐに夫から折り返し電話があって、
分娩室に移るので産院に来てくれるように伝えた。

分娩室に入ってからはあっという間で
助産師さんと看護師さんにリードしてもらって息を吐いているうちに
「赤ちゃん見えてきたよ」と言われる。

「うんちがしたい…」と言うと
「それが赤ちゃんだよ!」と言われ

鏡を見せてもらうと赤ちゃんの頭が見えた。

陣痛の痛みがきた時に
助産師さんから
「目を開けて、私の方に向かって、まっすぐ息を吐いて!」と言われ
ふーーーーっと長く息を吐くと
鏡の中で、出口がちょっと開き、赤ちゃんの頭がぐんと進んでくるのが見えた。

本当に、息に乗って、やってくるんだ!とわかって

ふーーーーーーーっ
ふーーーーーーーっ

と、息を吐ききる。

陣痛の合間、ほんのわずかな時間は、痛みがぴたりとなくなるので
「今、休むよー!深く息吸って赤ちゃんに酸素送ってあげてー」と言われ
深呼吸をする。
「赤ちゃんの心音聞いてね」と言われ
聞こえてくる心音に意識を向けると
息を深く吸い込むと同時に、赤ちゃんの心音が強くなった。
 
「旦那さん着いたって」「先生が入ったら、旦那さんにも入ってもらおう」
と助産師さんと看護師さんが話してる声が聞こえてくる。
 
気づいたらいつも診察してくれていた院長先生が来て
引き続きいきむ中で、痛くて声が出た時に
院長先生がお腹に手を置いて「力を入れるのはここだけ」と言った。

お腹に置かれた手の感触がたよりになって
そこに意識を持って、また長く長く、息を吐く。

夫が入ってきたのと同時くらいに、取り上げられた赤ちゃんの姿が見えた。

12時15分

白くて、濡れてて、でも赤くて、はだかんぼうの赤ちゃんの体。

助産師さんが赤ちゃんの口の中から
赤ちゃんが飲み込んでいた羊水を出してくれている間
夫が横に来てくれて顔が見えた。いつもの夫の顔だ。
手を伸ばしたら手を握ってきてくれて、すごく安心した。

お股のところで、院長先生が、胎盤を取り出している。

(いろんなことが同時にどんどん起こっている)

助産師さんが、胸の上に赤ちゃんを乗せてくれた。

重たい。でも軽い。小さい。でも、手足に長い指が揃っていて、2、3ミリほどの爪が生えてる。

「よくきたね、がんばったね」
と声をかけて、体に触れた。
 
院長先生はもくもくとお股の裂けた部分を縫合していて
(裂けた痛みは感じなかった)
看護師さんに声かけられるままに、赤ちゃんと夫と、家族3人で
初めて写真を撮ってもらう。

 
 
感染対策で、最小限の時間の立会いということで
夫はすぐに分娩室から出るように促され
赤ちゃんも預かってもらい
私は骨盤ベルトをぐるぐるっと巻かれて、横になった体勢のまま
入院室のベッドに運ばれ「2時間はこのままで」と伝えられた。

横になりながら
数時間の間の出来事がぱーっと巡ってきて
無事に生まれてきたんだ…と実感がやってきた。

何にともなく、というか
何から何にも、感謝が湧いてくる。
 
自分の力でできたことは何もなかった。


本当に、赤ちゃんの力と
ナビゲートしてくれた助産師さんと看護師さん、先生がいてくれて
産まれたところに、夫が寄り添ってくれた。
 
ありがたい、ありがたい。
 
 
 
入院生活中は、面会もなかったので
産院のスタッフの方々と、他の産婦さんたち、赤ちゃんたちと
わたしと赤ちゃんの、しずかなしずかな時間になった。

他の産婦さんたち、といっても個室だから
ほとんど関わることもなく。
退院最終日に、小さな食事会があって、その時に集ってお話ができたけれど。
 
 
すこしずつ赤ちゃんと同室の時間が増えていき、
まだあまり出ないおっぱいを繰り返しあげ、
ゆっくり赤ちゃんとの距離が近づいていった。

はじめは、「誰に似てるだろう」と
まだ見慣れない赤ちゃんの顔の中に、家族の面影を探そうとした。
それが、次第に、赤ちゃん自身の顔を「この子の顔」と見つめるようになった。


片手で彼女を抱っこできるくらい、お互いに慣れてきた頃退院になって
夫と、実家から手伝いにきてくれた母のいる家に
赤ちゃんと戻った。

戻ったその日は、赤ちゃんも緊張したのか
飲んでも吐き戻してもおっぱいを欲しがり
どうしたらいいのかわからなくて一瞬途方に暮れかけたけれど
 
翌日からはなんとなく、赤ちゃんも慣れてきた様子。
 
夫と私が眠る間に
赤ちゃんが眠るようになった。
 
 
もっともっと、自分は戸惑うかと思っていたけど
3人で川の字で寝るのが
まったく違和感なく、すんなりきている。

(でもそうか、ずっと、3人で寝ていたんだ。お腹の中か外かというだけで)


赤ちゃんを見るとかわいい。

でもかわいいから、抱いているわけじゃない。
 
なんともいえない。

自分が産んだから、と思って、抱いているわけでもない。
 
なんともいえない。
 
やってきた。今いる。それだけ、というか
それが、充分。
 
 
夫に思い浮かんできた名前を
生まれて7日目に、つけさせてもらった。
 
繰り返し、名前を呼んでみる。
 
 
合わなかった目が、いつからか合うようになって
黒目を見つめていたら
赤ちゃん側から送られてきた何かを、受けとった感覚が不意にやってきて
胸がじんとなった。
 
 
 

ようこそ、ようこそ。

ここは、楽しいところ。
美しいところだよ。

そう伝えていきたいし

果敢に産まれてきた彼女から、
私もまた、教わるような気がしている。