今朝、目が覚めるとなんだか下半身に違和感をおぼえ
トイレへ行くと生理が始まっていた。
妊娠前、2019年の8月が多分最後だったから、
3年近くお休みだったのが再開された。久しぶりの感覚。
授乳回数が多いほど生理の再開が遅れると本で読んでいたけれど
きっとその通りで、娘が生まれてからも1年10ヶ月生理はこなかった。
偶然かもしれないけれど、先週末に実家から戻ってきて
ここ3日ほど、娘っこは少食ながらも今までにない積極性というか
楽しんでいる様子でごはんを口にし始めていて
自分でごはんを食べる力(食事を楽しむ気持ち)がついてきたのかなと
感じ始めているところだった。
この感じ、なんて言葉にできるかな…と思いを馳せていたら
乳離れ、とダイレクトな言葉が思いあたって
本当に、こうやって少しずつ、私と娘の間に距離が生まれ、空間が広がっていき
くっついていたものが離れていって
互いに自由に、手を振り合えるように
互いの姿が見えなくなっても、それぞれに生きていけるように
なっていくんだろうな。
私もまた同時に、この春は
今まで必死にただ目の前の小さな命につきっきりだったところから
自分自身の人生の道筋に、またひとりの足で戻ろうとしているような感覚もあって
(もちろん、夫との間に彼女がやってきて、彼らと共にある暮らしを行きながらではあるが
同時にそれぞれが、それぞれの軌道に乗っているという感覚も蘇ってきた)
このタイミングでの生理の再開が、とても自然な流れの上にあるように感じられた。
そして、振り返ってみると
余裕なく狭い道をダッシュしているようだった1年10ヶ月、
そこで生理が再開されていたら私は余計波立って、とても大変だったと思う。
からだは待っていてくれていたようにも思えて
このからだ、わたしのからだにめぐる流れに(ありがとう)と思った。
出産直後の悪露(胎盤が剥がれたあとの、子宮内の傷跡から流れる血や、組織の排出物)
が出る間使っていた生理用ナプキンの残りをトイレの戸棚に置いていたから
静かにそれをとって新しい下着につけて着替えた。
朝ごはんを食べ終えて
娘を保育園へ送っていく。
朝少し降った雨で路面は濡れていて
桜の花ばなもしっとりと色を深めていた。
保育園に着くと、いつもパンツ姿の先生が
綺麗なスカートを履いて正装していて
満3歳の子たちが、今日で最後の登園、お別れ会があることにまた実感が湧く。
時の流れよ
日々の重なりよ
ただ運ばれていくだけの
わたしたち小さな舟みたい
その瞬間瞬間に
いろんな光をみながら