2022年3月31日木曜日

 

今朝、目が覚めるとなんだか下半身に違和感をおぼえ

トイレへ行くと生理が始まっていた。


妊娠前、2019年の8月が多分最後だったから、

3年近くお休みだったのが再開された。久しぶりの感覚。


授乳回数が多いほど生理の再開が遅れると本で読んでいたけれど

きっとその通りで、娘が生まれてからも1年10ヶ月生理はこなかった。


偶然かもしれないけれど、先週末に実家から戻ってきて

ここ3日ほど、娘っこは少食ながらも今までにない積極性というか

楽しんでいる様子でごはんを口にし始めていて

自分でごはんを食べる力(食事を楽しむ気持ち)がついてきたのかなと

感じ始めているところだった。


この感じ、なんて言葉にできるかな…と思いを馳せていたら

乳離れ、とダイレクトな言葉が思いあたって

本当に、こうやって少しずつ、私と娘の間に距離が生まれ、空間が広がっていき

くっついていたものが離れていって

互いに自由に、手を振り合えるように

互いの姿が見えなくなっても、それぞれに生きていけるように

なっていくんだろうな。


私もまた同時に、この春は

今まで必死にただ目の前の小さな命につきっきりだったところから

自分自身の人生の道筋に、またひとりの足で戻ろうとしているような感覚もあって

(もちろん、夫との間に彼女がやってきて、彼らと共にある暮らしを行きながらではあるが

同時にそれぞれが、それぞれの軌道に乗っているという感覚も蘇ってきた)

このタイミングでの生理の再開が、とても自然な流れの上にあるように感じられた。


そして、振り返ってみると

余裕なく狭い道をダッシュしているようだった1年10ヶ月、

そこで生理が再開されていたら私は余計波立って、とても大変だったと思う。

からだは待っていてくれていたようにも思えて

このからだ、わたしのからだにめぐる流れに(ありがとう)と思った。



出産直後の悪露(胎盤が剥がれたあとの、子宮内の傷跡から流れる血や、組織の排出物)
が出る間使っていた生理用ナプキンの残りをトイレの戸棚に置いていたから

静かにそれをとって新しい下着につけて着替えた。



朝ごはんを食べ終えて

娘を保育園へ送っていく。


朝少し降った雨で路面は濡れていて

桜の花ばなもしっとりと色を深めていた。


保育園に着くと、いつもパンツ姿の先生が

綺麗なスカートを履いて正装していて

満3歳の子たちが、今日で最後の登園、お別れ会があることにまた実感が湧く。



時の流れよ

日々の重なりよ


ただ運ばれていくだけの

わたしたち小さな舟みたい


その瞬間瞬間に

いろんな光をみながら



2022年3月29日火曜日


娘と一緒に実家へ帰省

会いたかった友人たちと会って時間を過ごせて

娘も友人たちや祖父母と過ごして楽しそうで

(刺激も強くて、時々ぐずりもして)

母の春巻きを食べて

実家の近くの川へ行って 空と水面が呼応するのを見て

桜が開き始めたのも見届け

新幹線に乗って帰ってきた


真空状態みたいにペッタリになっていた心身に

ふわぁっといい空気を満たしてきた



夫は美味しいパンを買って、待っていてくれた




娘は今日から保育園だったけれど

鼻水が出ていたので念のためお休み


仕事へ行く夫を朝見送ってから

ふたりで公園へ行ったり、パン屋さんでパンを買ってきてお昼ご飯にしたり

昼寝をして、昼寝からさめたら自転車に乗ってスーパーへ出かけたり

気ままに過ごした


スーパーでは、娘に絵本を1冊(ずんずんばたばたおるすばん)。ボーダーのTシャツを1枚。

それから100円ショップへ行って、

娘のおもちゃを収納する透明タッパー(中身が見えて、娘が自分で開けられるもの、

お味噌を入れる用の円筒形のかわいいの)を2つ

最近、珈琲の焙煎を始めた夫が

「コーヒー豆をいれられるケースが欲しい」と言っていたので、

ガラスの保存容器を買った



さて、京都も桜がいよいよ咲き始めました



今日は信号がぱっぱと青になる、気持ちのよい日


娘っ子の鼻水もとまってきたから、明日は保育園に行けるだろう


夕方、夫が帰ってくると

娘は入り口まで迎えに行って

私が夕ごはんを作っている間、たくさん遊んでもらっていた


娘の夕ごはんは、ちょっと前にプレート皿に出したら

「わぁ!美味しそう!」と言ってたくさん食べてくれたから

プレート皿に色々盛って出す


「おとうちゃんに!」と言って、夫にスプーンを渡し

満足げに1口ずつ、ごはんを食べさせてもらっていた







2022年3月4日金曜日

 

神社の横を通り過ぎる時

道にまで梅の花の香りが渡ってきて

マスク越しなのに、そして自転車で走りすぎるほんのひとときの間に

わっと感じることができる

 

 

自転車をスーパーの店先にとめて

子どものせがついてるカートに娘を座らせて、一緒に買い物をする


入り口に入ると娘が

「シュッシュする」と言ってアルコールスプレーを手にかけて欲しがり

鮮魚コーナーの前に行くと

「しらす」と彼女が言って、私がカゴの中にしらすのパックを入れるのを見届ける


 

買い物を終えて自転車に娘を座らせていると

娘は隣に自転車をとめているおばあさんに

「さよなら」と声をかけた


おばあさんは耳が遠いみたいで聞こえていない


娘はもう一度声をかけて

それから

「自転車みどりだね」って言った



おばあさんは気づかなかったから、私が

「そうだね、自転車みどりだね」ってこたえた



家に戻って駐輪場に自転車をとめて、娘を自転車からおろすときに
視界に空が入ってきて

「空が広いなぁ」と思わず私が呟くと


娘は「おつきさま」と言って

「おつきさま見えないなぁ」とこたえると

娘も空を見上げて「雲だけ」と言った


青空に白い雲が泳いでる


月は時間が早いのもあるかもだけれど

今日は新月で、そう、あっても見えないんだ、って

娘と歩きながら思った



2022年3月2日水曜日

 

少しずつ空気が緩んでる
雨が降るのも、寒さでキンと縮まった、空と土をほどくみたいにして。


毎晩、眠るとき
娘と同じ布団に入って、同じかけ布団をかけて眠る。


娘の小さな体はとても暖かくて

夜中、まだまだ3、4回おっぱいをあげるので起きるのは
疲れている時はしんどくて、泣きたくなったり、実際に泣いてしまう日もあったし
いまだにあるんだけど、

小さくて、でも大人よりも速い、寝息を聞いて
つん、と目を瞑った寝顔を「かわいいなぁ」「かわいいなぁ」とずっと眺めていられる。


アルバイト先を今月で辞めることになって

勤務時間外も連絡がきたり対応を求められることが本当に多く
それが当たり前になっていることが
自分で意識しているよりもずっとストレスになっていたみたいで
2月は本当に辛かった。

夜中に起きて涙が出たり、暮らしの中でも気付いたら泣いてたりして、
でもそういう自分が何か間違えているのかもと思ったりしてまた自分でややこしくして
解けないことが苦しかった。

でももうそれも辞めたら終わりだし、もうちょっとだけ、と思ってた昨日
休みだけど、ひとつだけ返信を返そう、と思って連絡をしたら
そこからまたすぐに折り返しの連絡が入ってきたときにもう無理と思って
「もうなんかほんとうに…」と思わず返信してしまって
(無理)と書きたかったけれどそれはできなかった。

そのあとスマホを置いて布団に入ったら涙と嗚咽がバーっと出て
心臓がドキドキドキドキしていた。
心臓がドキドキドキドキなるのを感じながら
同時に、休みの日に答える必要ないし、
やり取りする必要もないとハッキリ感じた。

去年の秋から「休みの日にやり取りすることはできないし、やり取りすることが辛い」と伝えていて、それは1月にも2月にも伝えて、
昨日、返信がきた人には数日前に「夜中に泣いたり、なんでもないときに涙が出る状況でまずい」と伝えていた。



自分もそうかもしれないけれど

人って「大丈夫じゃない」って伝えても

本当に相手が大丈夫じゃない状態を見るまでは

大丈夫じゃないって、認識できないのかもしれない、と感じた。


そして私自身も自分の中に「まだ大丈夫」ってゆるさがあって
自分自身への甘えや鈍感さがあって
自分を守らなかったんだろう。


体が強く教えてくれて、
昨日、乗ってしまっていた流れから思いがけず降りた。



それから布団の中で眠って
起きてからなんだか気になってSixTonesのYoutubeを見たら
めちゃめちゃ面白くてずっと観ていた。
くだらないゲームをして笑ってるのが、おかしくて、癒されてた。



はーあ。



布団の中で眠りながら、

いろんなわからないことがあるけれど
頭で先を見ようとしても、見えないから
今、浮かんでいるところをひとまず、ひとつずつ、行動してみよう


ひとつ行動をしたらまた景色が変わるから
そこで感じる空気を浴びて
また見えるものから始めたらいい

きっとずっとそうやって

見えなかった景色を
見ていくんだ

そんな考えが浮かんできた。

そしてそれはきっとそうだろう。


今できること、

ひとまず
絵を描く。

頼んでいただいている絵。

その絵を描いて、発送しよう。

それが今の私の目の前にあって、見えていること。

その絵を描いて送ったら、
そこにいる自分の視線にまた何か入ってきてるだろう。

何か感じていることがあるだろう。

それはそのときに。
見えなかったらまたそれはそれで、まぁ、のんびり。



そうそう、娘っこもこの頃
「のんびりする」って時々言う。

のんびりする、って言いながら、
私にぺたりとはりつくように、くっついて。

まったりまったり、とおじゃるまるのテーマソングまで歌ったりして。