2019年11月19日火曜日



とても古くて、どこか薄暗いアパートの一室に案内される夢を見た。
 

どうやら自分はそこで、ひと晩過ごすことになっているらしい。
部屋の中に家具は何もない。
日に焼けた畳の部屋。
窓があるけれど、カーテンがかかっている。
緑のグラデーション。
どこかサイケな模様で、昭和の時代からずっとかかっているんだろうな、
という感じがした。
 
カーテンを開けて、窓を開けてみると
隣のアパートの部屋の窓が、目の前にある。
洗濯物がほしてあり、男の人が住んでいる感じがする。
「こちらの窓は開けないようにしよう」と思い、
窓をしめて、カーテンもしめる。
 
もうひとつあった窓を開けると、その窓の先もやはり隣の一軒家の窓がすぐそこにある。
くもりガラスの向こうに、薄明かりが見えて、どことなくあたたかな家庭の気配があり
羨ましくなった。
 
ふと、このアパートから、自分の実家がとても近い
ということに気づく。
 
「なんだ、実家に帰って、ひと晩泊めてもらえばいいんだ」
そう思いついて、部屋を片付け始める。

思いついたと同時に、心の奥に光が灯ってる。

誰かが私のために置いてくれていた銀色のマットレスを畳んで、
アパートの押し入れにしまったところで目が覚めた。
 
 
 
それは最近の私の気持ちを、すっかりあらわしている夢だった。
 
 
関西の友人たちは、みんな大阪市内か兵庫に住んでいる。
京都市内から会いに行くには1時間かそれ以上かかる。
 
京都に引っ越してきてからも、大阪で働いていたから
私には京都市内で、気軽に会おう、と声をかけられる友人がいない。
 
出産したら、自分とこどもだけになってしまうのではないかと思うと
とても不安だった。
 
少し前から、「自転車に乗らない方がいい」と夫と自分の母親それぞれから言われ
自転車に乗るのをやめて、移動が徒歩、バス、電車になった。
 
自転車だったらすぐに行けたスーパーも、歩くと少し遠くて
どんどん自分の動きが、小さくなっていくのを感じていた。
 
それと同時に、私は実家のある埼玉に、とても帰りたくなっていた。
 
こんな夢も見た。
階段を登っていて、登っている階段から50cmほど離れたフロアに移りたいと思う。
簡単に飛び越えられそうなのに、私は飛び越えられないと思う。
自分ひとりなら飛び越えてる。
でもお腹にもうひとりいるから、何かあったら危ないから。
そう思って、立ち止まる夢。

・・
 
妊娠するまでは、もう関東に戻ることはないと思っていた。
けれど、ひとりで乗っていた体が、ふたり乗りになり、
体調もどんどんと変化して
体の中の潮流が変わって、自分自身の軌道が変わり始めている。
これから何が起こっていくのか、何を体験していくのか
ますますわからない。

 
私は、埼玉に帰りたい。
よく知っている川があって、山があって、公園があって
友人たちがいて、両親がいて、
親しんだ場所、親しい人たちの中で過ごして、
こどもも育てていきたい。
 
そんな気持ちが気づくと膨らんでいた。
 

同時に、その思いが湧くと
夫は京都で暮らしたいだろうな、
和歌山に住んでいる夫のお母さんは、関東に引っ越したら寂しいだろうな、と
思い浮かんできて、現実的ではないんだろうな、というところに
ひとり着地させていた。
 

それでも、帰りたい気持ちは日に日に募るので
夫に伝えよう、と思うものの、なんとなく伝えられずにいた。


アパートの夢を見た日、
夫からふと言われた言葉をきっかけに
自分の中の出産や育児への不安や、
ふたり乗りになって身動きが小さくなっていくことへの心細さが
噴出する出来事があった。
 
そのまま不安を言葉にすればいいのに、それができずにいると
怒りが湧いてきて、持っていたお皿を割りたい衝動が立ち上がる。
一方で冷静な目線が「お皿割ったらだめ(お皿かわいそう〜!)」と
自分を見ていて、でも怒りは抑えられなくて
お皿は避けてフライパンでシンクを3回くらい叩いた。
 
怒りが出ていくと、家を出ていきたい、と湧くけれど
冷静な目線が「今、家出てもどこもいくところないし、家を出たところで夫へのあてつけにしか見えない。あてつけたいわけじゃない。この湧き上がってどうしようもないものをどこかで発散させたいだけ」と見ていて
進路はお風呂場になった。
 
お風呂場に入ると涙がこみ上げてきて
声を出してえんえん泣いた。
やっと泣けた、とも思った。
 
 
 
しばらくすると、夫がお風呂場を覗きにきて
「ごめんね」と言った。
 
私は夫の言葉をきっかけにして、自分の中にあった不安が飛び出ただけだから
謝らなくていいよ、と思う。
 
それでも涙が止まらずに、やっと夫に話したいと思っていたことを
言葉にして伝えた。
 
体がどんどん変わっていくこと
体調が毎日変わること
友人もいない土地で出産する不安
自転車にも乗らなくなって、動きがとっても小さくなったこと
夫が帰ってくるまで家にひとりでいるときの気持ち
埼玉に帰りたいと思っていること
 
胸の中にあったことが全部、言葉になって
それを聞いてもらった。
 

夫は「気づかなくてごめんね」と言ってくれた。 
気づくはずはない。
私が言わなかった。
 
夫にも思いがあると思い、聞いてみると
夫なりの、不安な気持ちを話してくれた。
 
 
何も解決していないけれど
わかちあっただけで、雲が晴れたような
そんな感覚があった。
 
 
落ち着いてから、
喫茶店にケーキを食べに出かけて
それから紅葉を見ながら御所を散歩した。
 
歩きながら、朝見たアパートの夢の話をすると
それを聞いて夫は
「俺もいるよ」と言った。
 
じわっと胸の奥があたたかくなった。
 
 
「不安になったり、今までできたことができなくなる不自由さもあるけど
不安も不自由さも含めて、やっぱり贈り物だと思う。
お腹の中にもうひとりやってこなければ、知らなかったこと
感じなかったことを、もう感じてる。
人生の流れが変わり始めてる。
ハプニングだし、贈り物だと思う。」
 
白い砂利道をザクザクと歩きながら
そんな言葉が、自然に出てきた。
 
本当にそう感じていた。
 
 


ゆっくり家族が始まってる。
 
 

 


2019年11月11日月曜日

封筒は白くて切手は虹色


土曜日
午前中に産院へ

毎朝、胃がムカムカとする気持ち悪さで目覚めていたのが
ここ数日おさまっていて
そろそろつわりがおさまる頃とも聞くけれど
今まであったことが不意になくなると不安にもなる
 
産院でエコーを見せてもらった時に
心音を聞かせてもらい、
小さな手足ができているのを見てほっとする

「これが手、これが足」とおじいちゃん先生が教えてくれた赤ちゃんの姿を見て
思わず「かわいい」と言葉がこぼれた
 
エコー写真には表情もうつらず
粘土玉がふたつくっついているような姿なのに
「かわいい」と思わず湧き上がってくる不思議
 
まなざしが重なっただけ、うけとる姿がかわってくる
 
「次は4週間後。不安だったら2週間後でもいいですよ」
と先生は笑顔で言った。


生まれてくることは
嬉しいこと
 

妊娠してから接した
様々な人からいただく反応を経て
感じる
 
 
生まれてくることは
喜ばれていること

 



 
 

 
検診を終えて
近くの神社の森を散歩して、
それからバスに乗り、本屋に寄って帰宅する

 
本屋で棚を見ていると
不意にうしろから、左腕にするりと手がからまってきた
 
本屋に寄ると伝えていたので、もしかして夫かと思い振り向くと
そこにいたのは小さな男の子だった
 
私の左腕に、そっと小さな腕をからませている
 
「おかあさんと間違えちゃった?」とたずねると

男の子は私からするりと離れ
「おかあさんどこだろ〜」と言いながら絵本の棚の方に
ひょろひょろと歩いて行ってしまった
 
 
そっと伸びてきた腕の感触が
左腕にふんわりとのこる
 

自分のおかあさんと信じきってる男の子の
なんとも自然に寄り添う感触を浴びて
姿は見えないおかあさんが
彼に日々注いでいるものまで 感じとれてしまうような
不思議な感覚

本来、私に注がれるはずもないものを
不意に浴び
とても不思議
そしてあたたかい 




間違えて届けられた手紙をあけてしまって
返事の書きようもないのに
手紙の言葉に照らされてしまったような
 
そんな気分
 
 
 

 

2019年11月7日木曜日

加湿器からもくもくとあがる白い水蒸気を見ながら

 
 
 
9月に妊娠がわかってから、ひと月半くらいが経った。

本当にいるのかな?と不思議な気持ちを抱きつつも
産院でエコーを見せていただいたり
トクトクトク…と鳴る心音を聞かせていただいたり

今まで食べられたものが食べられなくなり
妙におにぎりばかりが食べたくなる(それも、焼きたらこの入った)というような
からだの変化を経ながら

どうやら、この「からだ」というボートに
もうひとり、乗り込んだらしい
ということの実感が、日に日に深まっている。

 
 
 
ずっとずっと
「わたしのからだ」と思い
むしろ「からだ」を「わたし」と思い、生きてきたけれど
もうひとつの存在が発生したことで
今まで「わたし」と思い込んでいた「からだ」は
「わたし」ではなく、「わたし」を乗せてくれているボート、舟だったのだ、
そんな風に感じられるようになった。


わたしの意図を離れ、
ボートはもうひとりの乗客のために
着々とめぐり始めている。

わたしはまるで知らない、そのひとつひとつの道筋を
ボートは知っている。

そのことに触れると、不思議と涙がこみ上げる。

いのちが
生き めぐる その仕組み 営みは
からだが知っていて
「わたし」とは離れたところで
発動し、めぐっている。
 
 
生命の営みは
意図を越え
世界に帰因している。


生きているということは
世界に迎え入れられているということ。




つい数日前
実家の母から電話があり
終末ケアを受けている祖母に、黄疸ができていた
と連絡が入る。

「先生が、年は越さないと思いますと話していたけれど、そうなるかもしれない」
と伝えられた。
 
夏前から病院に入り
ほとんどベッドの上で、眠って過ごしている祖母。
ゆっくりゆっくり、命の灯火が、小さくなっていっているのを感じる。

夏にお見舞いに行った時
ベッドで眠っている祖母は、とても澄んでいた。
手に触れると、いつもの祖母の、ぷよぷよと水っぽくて柔らかい手。
左手の薬指に、金色の結婚指輪。
 
祖母のことを思い浮かべると
自分が3歳頃のことから、つい最近のことまで
祖母といた時間の記憶が蘇るけれど
どの時間にも一貫して、同じ感覚が流れている。

じわぁっとした
あたたかいものに触れられている。
そんな感覚。


祖父と祖母に
ストーブの上でおもちを焼いてもらって
おしょうゆをつけて兄弟で食べたり

そんなささやかなことばかりが積み重なっている。


生まれてくるひと、
きみがどんな道をいくのか
わたしにはわからないけれど

ささやかなことばかりが 毎日 あって

わたしは37年生きてみて思うけれど

幼稚園から帰ってきて、玄関上がって台所へ行く時の床のつめたさとか
台所の入り口の球のれんのじゃらじゃらとした感じとか

そんなことが
どうしてか不思議と
いとおしさと一緒に
おなかの奥に今も流れていて

じんわりとじんわりと
そこから現在が、照らされ続けている


そんな風に思えて
ならないんだ

つづきとはじまりとおわりとつづきとはじまり


新しい場所で
言葉を紡ぎたくなりました。
 

今日からはじめます。