2020年12月29日火曜日

 

 

気がつけば年の暮れ。

「髪を切ってきたら」と夫が言って、娘を見ていてくれた。

それで土曜日、久しぶりに髪の毛を切りに出かけた。

髪を切ってもらっている間、ストーブのじんわりとした暖かさもあって眠たくなる。

「マスク、つけてた方がいいですか?」とはじめに聞いたら

美容師さんは「どちらでもいいです」と答えられた。

それで一度は「じゃあ」と外したけれど

「外してもいいですよ」とは言わないで「どちらでもいいです」なら

つけておいた方がいいのかな、と思って

「やっぱりつけますね」と言ってマスクをつけ直した。

初めてマスクをつけたまま、シャンプーしてもらい、髪を切ってもらった。

なんだか不思議な気分だ。ナウシカの世界みたい。

 

髪はずいぶん短くしてもらってすっきりと気持ちがいい。

新年を迎えるのに、すっきりできてよかった。

 

この頃は、娘が夜起きる回数が毎晩3、4回とまぁまぁ多くて

その度、私も起きるので、ものすごくたくさん夢を見る。

その夢がまぁまぁ面白くて、夢の中で現実生活のねじれが解けたり

そういうことだったのか、と府に落ちたりすることが続いている。

今はたまたま、何度も起きるから夢を覚えていてそう感じられているだけで

普段も夢はそういう役割をもっているものなのかもしれない。

(朝起きたら、すっかり忘れているだけで)

 

子育て雑誌やネットで調べると、娘の今の月齢だと

もう少し夜、長く眠る子もいるみたいだし

起きるたびに添い乳といって、娘の横に眠りながら授乳しているのだけれど

その添い乳もそろそろやめ時、的なことが書かれている。

 

やめた方がいいのかなぁと、ぼんやり考えて、調べたこともあったけれど

そしてもちろん、朝までたっぷり眠りたい気持ちはあるけれど

私は娘のリズムに合わせることにした。

そしておっぱいで娘が安心して眠れるなら、おっぱいをあげよう、と思った。

(好きな漫画家さんの子育て漫画では、2歳すぎてもおっぱいで寝かしつけしていたし)

一生続くわけじゃなく、きっとわずかな間のことなのだ。

 

夫と先日話したときに

夫が、娘が生まれてから「有限性」を感じるようになった、と言った。

それを聞いて、私もそう、と思う。

 

娘が二十歳の時に、私はいくつかな、と考えたりするようになったから。

そして、今、どんどんどんどん、彼女が成長して

目の前でどんどん、数ヶ月前、数週間前を「過去」にして

現在を更新し続けるから。

 

 

肩にサロンパスを貼る日々だけど

美しい時にいるなって、思う。


 



2020年12月20日日曜日

 

自分の作業をするとき

今まではリビングの食卓の上に画材を広げて作業していた。

それがだんだんと、食卓は、より家族の場所になって

娘を寝かしつけた後、照明を落としたリビングの食卓に座っても

「ものをつくるわたし」に触れられなくなってしまった。

(リビングのすぐ隣の和室に娘が眠っているのです)
 
 

自分だけのスペースが必要。と思い、小さな机を買った。

夫は、夫の部屋で作業をしていいよ、と言ってくれたけれど

夫の部屋は、やっぱり夫の空間なのだ。

買った机を、娘を寝かせた後もライトをつけていられる台所に置いた。

すると、小さいけれど私の場所ができて(今もその机に置いたパソコンを開いてる)

「ものをつくるわたし」が、やってきてくれる。


ものをつくるときには、何かに触ってる感じがする。

見えないけど、見てる。感触を確かめながら、現実に写していく。

 


 

 


2020年12月7日月曜日


夫とまた寝室が一緒になって、娘と3人で眠ることになってから
自分がとても、安心している。
 
夜、娘が眠る横で
寝入る前に夫と手を繋ぐ。
そうすると繋いでいる手がじんわりあったかくなる。
 
じわじわ〜とあたたかさを感じながら
前にヨガを習っていた時に、先生がガイドしてくれたり
産院のマタニティクラスで瞑想を教わった時にも、ガイドしてもらったようなこと
頭の先から、少しずつ、力をぬいていく。

「頭のてっぺんの、力を抜きます」
「おでこの力を抜きます」
「耳の付け根の力を抜きます」

・・・と上から順番に、自分で自分をガイドして
体に声をかけていくと本当に力が抜けていって
ふわ〜っと楽ちんになる。
 
 
安心すると
広い野っ原で自由になるから
自然な行いが、やさしくなる。
 
 
 
娘は従姉妹のお下がりをもらったハイチェア(高さを変えられる、こども用の椅子)に
先日初挑戦。
 
背もたれと体の隙間をクッションで埋めてあげると安定して
テーブルの上のおもちゃで遊ぶようになった。
 
なんというか…、たった6ヶ月で
こんなにしっかりするんだ、と、驚く。
 
どんどん、彼女の世界が開いていっているのを感じる。
 
 
 
この間、遊んでいる娘を見ながら
不思議な気持ちになった。
 
ぐんぐん大きくなって、これからもきっとこのまますくすくと大きくなっていくだろう。
 
その情報の全部が、今の彼女にもう備わっているんだなって感じられて。
 
 
種の中には大樹の記憶があるというか。
 
 
 
力が入りすぎている時、忘れてしまうけれど
子育てっていうけど
彼女自身が育っていっているわけで、
親の役割って、彼女の前にはなくて、後ろにあるのかもしれないって思う。
 
ついつい、何を与えられるだろうかと
前にまわりがちになるけれど
 
彼女の後ろから、彼女が今、何を見ているか
何に関心を寄せてどうあるのかを、よくよくみていることが
大切なのかも。必要は、彼女自身が知っている、というか。
 
そんなことを、この頃感じる。
 
 
 
先週、私の両親が娘に会いに一週間ほどきてくれていた。
毎朝ホテルからやってきて、ウキウキと我が家の玄関のドアを開ける父と母。
娘の名前を呼んで入ってきて、娘を見つけると嬉しそうに笑う。
 
その姿を見て、なんだかとっても、ありがたくて、癒された。
 
母は娘をたくさん抱っこして
父は娘とたくさん遊んでくれた。
 
娘も彼らの前でのびのび笑って(時々泣いて)過ごしていた。
 
 
ふと私の力も抜けて
「楽しもう」って、思った。
 
 
彼女といることを。
 
そして、「お腹減ったかな?」「眠いかな?」「今おっぱいってことは〜・・・」と
ぐるぐるアンテナの先に意識がいきがちなんだけど
 
感じることに、意識を置いてみようって思った。
 
今、彼女があたたかいこと
 
彼女がやわらかいこと

彼女が笑うと嬉しいこと