2022年4月26日火曜日

 

開業届を出したものの、すぐに絵の仕事があるわけでもなく

心が揺らぎそうになるけれど

今できることをひとつひとつしてみよう、と思う。


仕事をしているということで

子どもも保育園に預かってもらえているから。


それで、ふと思いついてラインスタンプを作ってみた。

作りながら、「よく使うもの…」「人が好んでくれそうなもの…」と意識が走り出して

描いていると、途端に体が重たくなってきてどどっと疲れてくる。


疲れてくる時は、何かがずれている、と思っていったん離れ

「もういいかな(やめようかな)」と思ったりもして

またふと空気がふくらんで来た時に、ふっと「よく使う」とか関係なく

「今自分がほしいもの」と心を寄せていくと、すっすと絵が出てくる。


そのまま、その場所にとどまって、作業していく。




アルバイトを辞めて、開業届を出してから

娘を保育園に送って帰ってきた後、洗濯物をほして朝食の食器を洗うことができ

それから、何か絵のことをしよう、と思って絵を描いたり

作業の合間に、今まで「手紙を書きたい」と思ったまま書けないでいた

友人への手紙を書いて送ったりして

晩ご飯の下ごしらえもしながら、また絵を描いて…と作業をしている。


とても自分が戻ってきた感触があって

保育園の先生とも、送り迎えのひとときに会話を交わすときもリラックスして話せていて

(今までは、何か話さなきゃ、とか、何を聞こう、とか上手くこらえられたかな、とか
とっても頭が働いていて、たえず、自分をチェックしている感じがあった)

娘との帰り道にも自分がゆるんでいるから

彼女が寄り道したくなった時にも待っていられたり、一緒に付き合うことができて

とてもよい感触の中にいる。


きりきりとした感じが遠くなっているから

娘や夫とも、ふっとゆるんだまま関われる。


この感じって、私にとってとてもよいし

家族にとっても、よい流れがある感じがする。


でも例えば、会社で働いていて、送り迎えの間ギリギリまで仕事をしていたら

やっぱり余裕はなくてきりきりするだろう。

かといって、周りに一緒に子育てができる人がいなくて、ひともうすぐ子どもを見ていても

やっぱり大変な感じがする。


自分のペースで、自分の好きなことを仕事として働けて

合間に家事もでき

子どもは、子どもにとってお友だちや信頼できる大人の先生たちと関わる場で充分に遊べて

夫が帰ってきたら、美味しいご飯を出せて

みんなで食べて、子どもにも夫にも(自分にも)笑っていられるって


すごくいい感じな気がするのだが


みんなこれくらいのゆるやかさが、「基本」になったらいいなって思う。

がんばってぎちぎちにして保つ暮らしが「基本」ではなくて。。


とこうやって私が書くのは

「頑張って働いているから」「保育園に預けることができる」

という意識があるからで…。



でも、なんかそのベースは違うのかも。


少なくとも私の中で、変遷させていける可能性がある。


そんな風に思い、今、日々のひとつひとつを

素直なところに

運んでいっている。


2022年4月25日月曜日

 

この頃、

こどもがロバート・バーローという人たちのYoutubeチャンネルを好んで観ていて

私も一緒に観ている。

ロバート・バーローの影響か、オノマトペでおしゃべりしたり

不思議な調子で歌ったり、表現がのびのびしているのが面白い。


ロバート・バーローの舞台装置は

影だったり、ライトだったり、手で持つお面だったり

とてもアナログなのだけれど

立ち現れるゆらぎのある景色に魅了される。


それはなぜかなと考えていたら

この頃、とても好きな絵本作家

マーガレット・ブラウンへ抱いている感触と重なった。


マーガレット・ブラウンの絵本は詩的な言葉が並べられ

この世界の美しさや奥ゆかしさ、不思議さ、空間のひろやかさに触れる感触があるのだけれど

決して空想の言葉は並べていなくて(私が読んだものは)

ただ、あるものを並べていく。

電話 だったり スリッパ だったり 暖炉の火 だったり

そうして触れられるすぐ身近にあるものの存在を立ち上げていった先に

この世界が美しく、不思議であるということが同時に伝わってくる。


この世界が不思議で美しいことを

こどもたちに分かち合ってくれているようなその在り方と眼差しが

本当に素晴らしいと感じている。


ロバート・バーローも同じ。

彼らの手を動かすことで出来上がる

今この場所での光や影の重なりは

この世界のおかしさを、教えてくれる。


この命が、有限のきらめきの中にあり

その制限(ある条件)の中に立ちあらわれていることそのことが奇跡で

有限であるのに、次の瞬間にはなく、この一瞬に全てがあらわれているということで

同時に無限であるという

なんだかやさしい、あたたかい。




どうして、積み木をただ並べてそのかたちに

胸うたれるのか


世界中のすべてが、それがそこにあることを今可能にさせていて

またそれが、またそのかたちをいつまでも保つわけではないこと



うやうやとわからなさのまま


同時に深くわかっていること



2022年4月19日火曜日

 



気圧や寒暖差の影響で不意に頭痛がやってきた先週末

体もむくんでいて、ぺたんと眠っている時に

ふいに「ダンデライオン」「たんぽぽ」と言葉なのか、イメージなのか、形になるようなならないような感覚が

ふとやってきて

あ、たんぽぽ…と思い、たんぽぽのフラワーエッセンスがあるか調べてみた。

(あった!)

でも、その日のうちに手に入らなさそうだなぁ…すぐ必要な感じがする…

あ、たんぽぽ茶

と思いあたり、ずれてる感覚もなかったから、たんぽぽ茶を買ってきて飲み始めた。

利尿作用があるみたいで、

むくみも解けて楽になり、

翌日も朝にたっぷり作って、1日ちょっとずつ飲んで過ごした。


内側からの声

からだからのメッセージ


って

ふわっと

砂絵のように

顔をあげた瞬間に目に入った雲のように

やわらかく

やってくる



むかし

いろんなことを感じられる友人と過ごしていた時に

「今、天使がきているよ」と言ってくれて

心の中で「ありがとう」とつぶやいたら

友人が「今、ありがとうって、言った?」と言って

「うん。なんで?」と聞いたら

「光が…」と彼女が言ったことがある。


その時のこと、ふっと思いだす。


ふと感じたことは それが一瞬のやわらかい風のようで

次の瞬間には見えなかったとしても

確かに 瞬間 触れたことで


見えたことで



心にあるものは

外にうつらないように思えても

うつり 伝わる


そんなようなことを また思う。




2022年4月18日月曜日

 














誕生日の前から絵を描いてて

描いている間、誕生日ケーキのろうそくの火とか

まるでこれから生まれてくるひと目線の言葉とかが浮かんできて

誕生日近くなると生まれる前の記憶が蘇ってくるのかなぁと不思議な気持ちになる。


いい絵が描けたなぁと思う。


人から見るとどうなんだろう?とか気にし始めると途端に心がしおれていく。

風通しの良さは大事と思うけれど

自分が好きかどうかってところに立っていよう。


誕生日がやってきて

40歳って不思議な感覚だ。

今までの人生が1回終わって

新シリーズ、という感覚がする。


今、蟻を部屋に見つけて、ベランダから逃した。

娘と公園で遊んでいる間に、リュックに忍び込んでいたのかな。


お誕生日のお祝いの言葉やプレゼントを受け取って

感謝が溢れてきて

もちきれないから、祈りにかえて

祈っていた。


私の命を通して、

大切な人、大好きなひとたちに

また恵みをかえせるように

そのような祈りを。


祈りながら同時に

あまたのひかりを受けながら。


シャンティ

シャンティ

シャンティ


ずっと前に、あいぽんが教えてくれたマントラ



インナーピース


内なる平和は祈りの体現

祈りは同時に感謝


感謝に溢れるほど

ピースピースピース

祈ること






2022年4月16日土曜日

2022年4月14日木曜日

 

描いた絵を販売してみたいな、と思う。

陽子さんもいいのが描けたら送ってと言ってくれたから送りたいなと思いながら

自分でもインターネットのBASEとかを使って、販売してみようと思いついた。


どんな風に売ったらいいかな?と夫に相談してみると

額装して売るのがいいのでは、とのこと。


確かに、ポスターなどでないなら、額装してもう飾れる状態で販売するのが

私がお客さんだったら嬉しいし、スムーズな感じがした。


絵のことについて

いろんなことが浮かんでくるけれど

浮かんできたことが、すぐに進みそうにないとき

違う方法で簡略化して進めないか、と思う癖が自分にあり

その方法を手元で試してみると、やっぱりよくない。


思い浮かんでいるところに、ただ素直に動いていくのがよさそう。

手間を惜しまず。ただ淡々と手をすすめる。




この3月の初めまで、

かなりカツカツと自分にとって「違うこと」にエネルギーを注いできて
(とはいえ、それなりに意図を持ってやってきて、
その意図の始まりが自分にあることは分かってる)

今感じることは、本当に「違うことをしない」ということだ。


生きている時間は有限で

その中で、自分じゃないものに焦点を当てた分、自分の人生が本来の道筋からずれていく。

でも同時に、ものすごく集中的に「違うこと」にエネルギーを注いで分かったことは

エネルギーを注いだ分、注いだ先の景色が進むということ。

(だから私はどんどん「違う方」へ歩いて行って、結果的に夫に「そんなこと言う人だったっけ?」と言われるような発言をするところまで)

それは、本当にそうなんだな、と思って

「違うことをしないこと」そこに心を澄ませていたら

自ずと、命のもつはたらきがそのまま通る道を歩くことになるということに

自信がついた。



誰からどう見られても、そんなことは、本当にどうでもいいことなんだ。




2022年4月9日土曜日

 

絵を描いて、それを壁に貼ると

周りにまた色のイメージがやってきたから

それに従って、作業をしてみようと心に決める。


心にふっと湧いて出てくることに なるべく素直に体を動かすこと

暮らしも、この絵を描く感覚と近いかもしれない、と思い


保育園のお迎えまでの間

行きたい、と思っている絵本の専門書店を目指すことに。


「お迎えまで時間があまりないかもしれない」

「初めていく場所だし、迷ったりしたら思いがけず時間をとってお迎えに間に合わないかも」


いろんな考えが湧いてくるけど
調べたら1時間は滞在できる。


「1時間じゃ足りないかも。もっと余裕を持って行けるときにしたほうが」


と、また思い浮かぶ。


だけど心は行きたいと踊っているし、

1時間で足りなければまたゆっくり次の機会を作って行けばいい。

そして1時間あれば、充分にゆっくり見られるだろう。

そう思って、バスに乗って本屋さんを目指した。



よく晴れていてバスに乗っている間も景色が楽しい。



最寄りと思われるバス停でバスを降り、

地図を見ながらたどり着いた絵本ばかりの本屋さん。

とても素晴らしかった。


娘の顔を思い浮かべて、今の彼女に届きそうなものを探す。

それもたくさんあったし

私自身が惹かれるものもたくさんあった。


娘が生まれてから絵本を一緒に読むようになり

今まで知らなかった絵本の魅力に惹かれている。


もちろん、子どものころは夢中だったけれど

小説などが読めるようになってからは、絵本から離れていて

それがまた、ぐっと没入できるようになった。



本当に素晴らしい絵本がたくさんある。


生まれたてのむき出しの心身と一緒にこの世界に触れていくような。



この世界のよろこびを、一緒にうたってくれるような。



自分が惹かれた本は、今の娘にダイレクトに響かないかも…と思い

数冊、心にタイトルをメモしておいて

娘と一緒にたのしめそうな、自分も子どものころに何度も母に読んでもらった本

「ぼくはあるいた まっすぐ まっすぐ」

を買った。


いつか一緒に読みたいと思っていたから。


(そして家に帰ってから知ったけれど

 この本の著者は、マーガレット・ワイズ・ブラウンさん。

 この頃、大好きな作家さんだった。林明子さんの絵の印象が強くて知らなかった。

 好きが繋がって、とても嬉しい。)


帰り道、バスにしようか電車にしようか考えながら歩いていると

川まで出て

時間もまだ余裕があるし、気候もいいから歩くことにする。

家から最寄りのバス停近くに自転車も停めてあるから、途中で拾えば

家に帰らずに保育園に直接お迎えもいける。


土手にはかわいらしい野花が咲いている。


しばらく歩いて、このまま土手を歩いていくか

土手から抜けて、公園を抜けていくか と浮かんできて


どうしたい?と問うと、公園を歩いていく、と感じたからそのようにする。


「効率の良いほう」とか「時間を短縮できるほう」じゃなくて

「自分が今、したいほう」と

何かを選ぶことが、とても久しぶりな感じがした。











2022年4月8日金曜日

 

1日1枚は絵を描こうと思い、昨日は小さな紙切れ(ネパールでつくられた手すきの紙)に

オイルパステルで色を重ねていく。


娘の描いた絵が本当に良くて、意図のなさが本当に美しい。

彼女のようには描けなくても、わたしもなるべく目が呼ぶ色と

手がのびるところを感じながら、そこに素直に色をおとしていく。


とても抽象的な色の重なりだけど「いいな」と思えて

小さい写真たてに入れて棚に置いておいたら


帰ってきた夫が気付いて「これいいね」と言ってくれて

お、と思った。


説明はできないけれど「いい」と思うところを

素直に触れていく

それを誰かも「いい」と感じるということは、ふっと勇気になる。


そしてそれが、一緒に暮らす夫だということがまた、嬉しい。



シルクスクリーンを自宅でできるキット、注文していたものが届いたので

今日はそれで注文をもらっていた巾着10枚分プリントしていく。

あっという間に刷れてしまった。


あまりにもすぐ刷れたので

絵を描いていた紙に試しに刷ってみたらそれも素敵だった。


ポスターも作れそう。



2022年4月7日木曜日

 

個人事業主の開業届を封筒に入れて、税務署へ送った。

絵やデザインのお仕事は今までもいただいて時々させてもらってきたけれど

届出を出すと、背筋が自然とのびる。

「日向の道を歩けば人生はきっと輝くよ」と、朝ドラで繰り返し伝えられる言葉。


昨日の夕方、娘が保育園から戻っておっぱいをあげたあと

「お父さんの会社の近くまでお出かけして、みんなで桜をみようか」と

娘に声をかけると、彼女の顔がパッと輝く。

少し厚手のズボンに履き替えて、一緒に電車に乗って

夫の勤務先の近くまで。

毎年、その近くに咲く桜の花のトンネルの下を歩くことが

恒例行事みたいになってきたから、満開の桜が散る前に今年も。


2年前は大きなお腹で歩いたし

1年前は、まだ歩き始める前だった娘を抱っこして歩いたっけ。


娘は外で待ち合わせした夫を見つけると笑顔で駆け寄っていく。


夕陽がさして、桜の花が浮き立つように咲き沸くのを眺めながら

3人で歩いた。


娘ははしゃいで坂道をひとりでのぼりおりしようとする。

足元が危ないのを、夫と私で両はしから手を伸ばして支えながら歩く。



暗くなる前に桜並木を離れ

平安神宮の近くのぱかーんと広い、蔦屋書店を目指す。


歩いているうちにだんだんと夕闇に包まれて

空を見上げて娘は何度も「月!」と言った。


蔦屋書店に併設されてスタバであったかいラテを買って

テラスでのんびり晩ご飯をかねたお茶をする。

こっそり持ち込んだドーナツもみんなで食べる。


人はあまりいなくて

広々とした夜の中に、街灯の明かりがやわらかくともり

時々、影になったひとが、歩きすぎていったり

自転車が流れ去っていったり。


まだいつも眠る時間よりはだいぶ早かったけれど

疲れたのか、夜の闇の効果か、娘が「眠たくなっちゃった!」とぐずり始めたので

持ってきた抱っこ紐をリュックから出して、

抱っこして帰る。


「眠っていいよ」と娘に声をかけたけれど

「眠たい、眠たい」と言いながらも起きていた娘の目が、夜の街を見てる。



春の夜は、明るくて

なんだかとても遠くまで泳げそうな感じがする。


そんな夜におもてへ出て遊べるなんて

もっと娘が大きくなってからかなと思っていたけれど

今一緒に、たぷんたぷんと穏やかに揺れる夜の中を

夫も私も娘も一緒になって歩ける。


案外、そう。やすやすと。



2022年4月1日金曜日

 

日曜日に、
娘と同じ保育園に通う男の子とそのご両親がうちに遊びにきてくれることになった


それをきっかけにして

そして今ちょうどそういう気分になったから

部屋をコツコツと掃除している




いらないものをまとめてゴミ袋に入れて

夫と私の本がいっしょくたになって、ただ大きさだけで分類されていた本棚の中を整理して

本屋さんの棚みたいに

「この本の隣には、この本」という具合にちゃんと響きを読んで組み合わせていって

夫の本と私の本がそれぞれの端から始まり、真ん中の

池田澄子さんの句集のところあたりで混ざるような流れで組んだ



もう自分にとって時間が止まっている本は抜いて

流れている本だけを置いていく


娘のおもちゃスペースも整理した


娘の絵本もたくさんある中から、もういいかな?というのや

あまりはまらなかったものは抜いて、棚も整理する


今ふと絨毯の上に座って

娘の遊ぶスペースに目を向ける












いつの間にか 絵本だらけ

おもちゃだらけ


そしてここで、絵本を読んだりおもちゃで遊んだり

歌ったり踊ったり

夢中を満喫している小さな人の気配を思い出して


ほわり 癒される