2020年11月25日水曜日

 

 

娘を寝かしつけていると、いつも知らぬ間に寝てしまっている。

今夜もそうだったみたいで、目が覚めたら0時近くだった。

夫は何度か起こしてくれたみたいで、台所にコーヒーがある。

私に淹れて残しておいてくれたのだ。

3回くらい起こして「コーヒーいる?」と聞いたら「うん」と私は返事をしていたらしい。

おぼえていないけれど。

 

「眠れなくなるよ」と夫に言われたけれど

「私は眠れるんだ」(寝つきがものすごくいい)と自信満々で返事して

牛乳とコーヒー、半々くらいにして飲んだ。美味しい。

 

そしてしっかり、眠れなくなってしまった。

 

布団の中で、考え事をしたり

している間に娘は2回起きて、授乳したり、とんとんしたり。

小さな手のひらがかわいい。

 

これは眠れない、としばらくして見切りをつけて、布団を出る。

音楽を流して、電気をつけた台所で、本を読み始める。

ツレヅレハナコさんの「食いしん坊な台所」

昨年、友達が京都にきた時に一緒に訪れた本屋さんで「面白かった」と

友達から聞いて買った本。何度か読み返してる。

ハナコさんのおおらかな愛が伝わってきて、あったかくなる本。

ナンプラー 好きなハナコさん。

ついこの間から夫がタイ料理を作り始めて、家にナンプラー の大瓶があるから

本の中のレシピ、今度作ってみよう。

 

高橋みどりさんの本や池田澄子さんの句集をパラパラ。

台所のオレンジの光。

真夜中だけどアイスクリームも食べた。

 

 

 

 

さっき布団の中で、ここのところうっすら感じていたことを

はっきり感じた。


今、夫の体調のために

(夫は私と違って眠っている時とても繊細で、小さな音でも起きてしまったり、眠りが浅いタイプ)数ヶ月前から別々に眠っているのだけれど

思いの外それがとてもさびしい、ということ。

  

夫の寝息を聞きながら眠ること

朝起きたらいちばんに姿が見えることで

私はとっても安心していたんだなぁということに気がついた。


 

明日の朝、夫に話してみよう。

週末は3人で眠りたいのだけど、どうだろう?って。

 

 


暮らしって、実験で本番だな。

 

 

そう、だけどさっき

「あぁ、夫と一緒に眠らなくなったことで、私はとても心細いんだなぁ」と気付いて

そのあとで

「わたしが、わたしのそばにいるよ」って

自分に話しかけたらほわって、寂しさがしゅーっと癒されて、かたくとじていたのが

やわらかく開いたことにも、気付いたよ。

 

 

そうだ、そう。


いつでもまずは、そう。

わたしが、わたしの、いちばんそばにいる。

 

 

こういうこと、

娘にもゆっくりゆっくり、伝えていきたい、とも思う。

おかーさんもおとーさんも、娘の味方。

そしてあなたのいちばんの味方は、あなた自身だよって。

 


アマゾンで、2021年の手帳を注文して、お布団に入る。


2020年11月20日金曜日



洗い物している横で

お茶をいれて、目玉焼きとウインナーを焼いて

自分の昼ごはんに。

ごはんの上に、目玉焼きとウインナーのせて、お醤油とゴマをかけて

遊んでいる娘の隣で、もぐもぐ食べた。美味しかった。


昼ごはん、ちょっと前まで

ラップして冷蔵庫に入れていたお米を

冷たいままそのまま食べていた。

今思えば、温めるくらいできた気もするけれど

それを省きたくなるくらい、キャパオーバーしていたのだと思う。

 

今は、何が変わったわけじゃないけれど

息を止めて、んっ!と踏ん張ろうとする自分に気付いたら

踏ん張るのをやめてみてる。

たったそれだけで余白ができて、目玉焼きを自分に焼けるようになった。


自分の容量は、自分が思っていたよりも

ずっとずーっとずっと、ちっちゃかった。


それを知れたことで、荷が軽くなるなんて、不思議。

 

 

お猪口サイズの容量を、どんぶりにすることを目指すんじゃなくて

お猪口のままで、すこしずつ

そして家族やまわりのひとたちとわかち合いながら

生きていく。

 

 


 


2020年11月19日木曜日



新生児の頃から、よく動くなと思っていた娘。

 
訪問できてくれた保健師さんや
保育所で先生にも「よく動くね」と言われたから

これは彼女の今のところの個性なんだろうと感じ始めた。

 
高い高いみたいな体を動かす遊びをすると、目が凛と輝き、
笑った口からよだれが長ーく落ちてくる。

 

それなら晴れた日は
公園に遊びにいこう。

 
そう思って、今日も午前中は近所の公園にふたりで出かけた。

 

公園の木々はすっかり色づいて

地面は落ち葉が重なって絨毯になってる。

 

娘を桜の木の枝先に近づけると

赤くなった葉に手を伸ばして

小さな手のひらでぎゅっと葉っぱを握った。

 

笑っている。

 

風がふいてきて、目の前で葉っぱがちらちら揺れる。

 

笑って見てる。

楽しいね。

 

抱っこ紐にくるんと入れて

一緒にブランコに乗る。

「ゆらーゆらー」と声をかけながら。

 

日が当たって今日はあたたかい。

 

まだ自分ひとりでは立てないから、

支えながら落ち葉の重なったところに

足をおろしてみる。




カサカサ、音がする。

 

笑ってる。

楽しいかい。

 

風がまたふいて

落ち葉がさーっと

雪みたいにゆっくり舞い落ちてくる。

 

綺麗だねって声かける。

娘は落ち葉を見てただろうか。

それとも違うところ、見ていたかな。

 

 

日をたくさん浴びて

帰る前にまたブランコして




家についてから

解凍していたおかゆを温め直して

離乳食。

 

自分でスプーンを持とうとする。

 

昨日よりも

スプーンの上のお粥を上唇ですくうのが、上手になってる。

 

ちょっと飽きてきたかな、というところで残っていてもやめて

おっぱいをあげる。

 

食べきることは目的ではなくて

食べることに慣れるのと

食べるの楽しいって気持ちに触れるのが、たぶん大事だと思って。

 

 

授乳してるうちに眠って、

今、娘はわたしの膝の上で眠ってる。

 

 

むかしむかしのクウネルを数冊手元に持ってきてたので

パラパラ読み返した。

やっぱりいい。

 

小さなアパートで暮らし始めた女の人の記事と

長く住んだアパートを引っ越す前の大森ようこ(漢字が出てこない)さんを取材した記事。

 

 

カギカッコでかこわれた言葉は

本当にその人が、ぽっとこぼしたんだろうなってまま

写真にうつっちゃった、みたいな言葉で

(別に残る為にあるものではない。本当は、その場かぎりの、小さな言葉。息のあたたかさがかかったまま、そこにあるみたいな、言葉)




なんかいいな。




読んでて体と心が、やわらかくのびる。

 

 

雑誌を閉じたら

探していた爪切り挟みが目に入って

気になってた伸びた娘の足の爪をちょきちょき切る。




今日はいい天気であたたかくて

窓から光がよく入ってくる。

 

網戸から風もぬけて、薄いカーテンがちょっと揺れる。

 

爪を切りながら

宇宙から届いてる

太陽のひかりで

いま赤ちゃんのこのこの、爪を切ってる。

 

って

近くと遠くが

今に入り込んでくる。

 

あぁ、この感じが

とっても好きだなって思う。

 

 

とてもささやかなことが

遙かなめぐりのなかで叶ってる

 

ささやかなことが

遙かなめぐりにまで届いている

 

そう感じられる時。

 

 

 

夫は夏から勉強頑張ってのぞんだ試験をこの間終わらせて

昨夜は川原まで歌を歌いに出かけていた。

わたしがやり残した家事もやっていてくれた。

娘が起きたら起こすから、ひとりで別の部屋で眠っていいよ、と言ってくれた。
 
 
そう言ってもらえた時、前だったら夫も次の日仕事だし、悪いなと思って
「大丈夫」ってことわっていた。

でも「ありがとう」って、厚意を受けとらせてもらうことにしたら

なんだか心がまるい。

そして部屋の扉をしめてひとりになったら、すーんと自分が静かになった。
 
 

この間、洗濯物をほしている時にふと思った。

子育ては、生活だから、無理をするものじゃない、っていうこと。
 
「私がここは頑張っちゃおう!」って、小さなことほど、抱えがちになるけど
 
家族はチームだから、(一緒に動いているから)

負荷がかかっている時に、負荷をひとりで背負うのは、善策とはいえない。
 
そこが潰れてしまったら、結局補いあうことになるから。

それに、一緒に生きているのに、負荷のある部分をひらかないのって

うまく言葉にできないけれど、結局ひとりよがりのような。
 
だから、負荷があるなら、かかえるんじゃなくて、わかちあうこと、って、思った。
 
 
それから、自分が「頑張っちゃおう!」ってする時に

気付けるようになって

頑張るのをやめたり

「本当は今、何がしたい?」って、自分に聞いてみることにしたんだ。
 
 
たとえば、娘がひとり遊びをしているのを見て

「あ!今のうちに副菜作っちゃおう!」って思った瞬間、自分にぐっと力が入ったので

「本当は今何したい?」って心に聞いたら、「ゆっくりお茶飲みたい」って浮かんできたから、

副菜を作りながら、お湯を沸かして

作り終えたあと、娘抱っこしながら、ゆっくりお茶を飲んだ。
 
 

地面は、たいらなんだって

そうした時に、気づく。

自分で難しく、歩こうとしていたんだなって。

2020年11月11日水曜日

  

 

春から通う予定でいる娘の保育園の願書を提出した。

銀杏並木が黄色く明るくて

外の自転車を綺麗に並べ直していた先生に願書を渡すと

「銀杏も黄色くなって、こどもたちと見に出てきたりするんですよ」

と、先生が言った。

 

ひとつ、ひとつ。

 

 

数日前、夫との些細なやりとりがきっかけになって

悔しさが湧くほどカーンと怒りが出てきた。

夫と、そのことについてやりとりをしていると

「他にも我慢したりため込んでいることがあるんじゃないか。聞かせてね」と言われる。

でも、自分では我慢しているかんじも思い浮かばないでいた。

それでも、怒りをぶつけてしまったことや、自分から思いがけない怒りが出てきた衝撃が余韻になって、心がぼんやりしてしまう。

気力がごそっと抜けて、娘のことをまっすぐ見られなくなってしまう。

すると娘は、微妙な心許ない感じの笑みを浮かべて

ふだんは穏やかなのに、その日は珍しく泣いた。

 

 

なんだろう、この感覚は…。と思いながら

「今日何もしないで眠れば、多分治ると思う」と思い、

夕ご飯はスーパーのお弁当。

夫はオレンジジュースと鉄分の取れる飲み物を買って帰ってきてくれた。

 

 

娘を寝かしつけた後も、足場がごそっと抜けたような感覚があって

夜中、授乳の後に台所で牛乳を一杯飲んだ。

ぼんやりしたまま、本棚からウィリアム・サローヤンの「パパ・ユーアクレイジー」を取り出して読む。


久しぶりに読み返し、本の中の世界に安心し

新鮮な好きな空気が湧き立つのを感じた。

 

夫がトイレに起きてきて、また布団に戻っていったので

ついていって同じ布団に入り込む。

 

ぽつりぽつりと夫に話しを聞いてもらっていたら

自分でも気づいていなかった言葉が出てきた。

 

 

離乳食を始めよう、って思って調べると

離乳食の始め方が綺麗な写真付きで載った本があって

離乳食を作るために必要な道具が載っていて

インターネットで調べると、いろんなメーカーからたくさん出ていて

口コミを見ていいものを選ぼうとすると、いいと言う人もいれば、悪いと言う人もいて

どれがいいのか分からず決められない。

 

母乳以外の水分補給ができるように、とマグでの水分補給を始めよう、と考えると

マグのタイプもひとつだけではなくて、ストロータイプもあれば、

ストローの前に、というスパウト、というタイプがあり、

さらにスパウトとして使えるし、哺乳瓶の乳首につけかえられる、というタイプもあり

それもまた、ものすごくたくさんのメーカーから何種類も出ていて、

口コミを見るとやっぱりいいと言う人もいれば、悪いと言う人もいて、

こぼれる、とか、よく飲んだ、とか、いらない、とか

たくさん書いてあって、決められない。

 

どれにしたらいいんだろう、って、何日も何日も、調べてる。


「さっき久しぶりに小説を読んだら安心した。

あれはいい、あれはよくない、ってことが書いてないから」

 

そう言いながら、涙が出てきた。

 

「本当は、別に、なんでもいいんだと思う。自分が子どもの頃に、それがあったのかも分からないし。今日児童館でも、わたしあれを使ってて、あれを買いましたって話があって、そういうのが、もうしんどい」

 

でも、話しているうちに、軸に触れてくる。


「本当は、お母さんに離乳食どうしてた?って聞いたら、おじやばっかりだったなって言われて、それでいいんだって思う」

 

そうだ、それで、いいんだって思う。

 

 

なんだか、なんだか、なんだか


安心した。

 

「他にも不安に思ってることある?」

と夫に聞かれて、

ちょっとずつ言葉になる。


 

自分では頑張ってるつもりがどこにもないことが

小さく小さく重なっていたんだって思った。

 

ベビーカーのことも。


義姉が、腰が座ってから使える軽量のベビーカー(ベビーカーも、A型、B型、AB両用、とあって、腰が座る7ヶ月頃から使えるのがB型。その前から使えるのがA型。本当に、もう、ややこしい!)をくれる予定だからと

短いかもしれない期間、やっぱり必要だから、とメルカリで安く買えたA型ベビーカー。


綺麗に梱包されて届いて、ベビーカーだけじゃなくて、

クッションや、ブランケットをとめるクリップなんかも付いていた。



軽くて、娘も楽しそうに乗って、夫と「いい買い物ができたね」と嬉しく話していたのに

児童館やスーパーへ行くと

新しい、なんだかスタイリッシュなベビーカーを引いているお母さんたちがたくさんいて

生地がちょっと日焼けしている、娘を乗せているベビーカーを少し、恥ずかしく感じたり。



でも、でも、でも


全然そんなこと、感じる必要なかったんだって

夫に話しながら、無駄なものが、落ちていった。



自分たちの、ひつようにぶつかって

考えて、話して、決めて

他にもたくさん選択肢はあるように、そう思えるけれど

本当はたぶん、そうであって、そうじゃない。

自分たちの道の流れで、手のひらにやってきたものを手にとるだけ。


道の流れの上のこと、ひとつひとつ浴び、泣いたり笑ったり、様々に感じ

歩いてるだけ。



そういうこと。



揺れながら、揺れながら、

落ち着いてくる。

 

 

 

その翌日は、前の日に不安な気持ちにさせてしまったかもしれない娘と

たくさん、遊ぼう。と思ったら

「抱っこして」の両手を開くポーズを娘は繰り返し

そのたび抱っこしていたので、ほぼほぼ1日、抱っこしていた。

娘が夫に抱かれても、私に抱かれても、たくさんたくさん眠るまで

よく動いて笑っていたので、わたしもポカポカ、あたたかくなった。

2020年11月6日金曜日

 

予防接種の翌日、娘が熱を出した。

予防接種の副反応で発熱することはよくあることみたいで

前々回も38度の熱が出た。

 

昼は37度台の微熱だったのが

午後、お昼寝をしているときに頭に触れたら熱くて

熱を測ったら38度に。

まだ上がりそうな感じがあったのと、鼻水も出ているので病院へいこうと思う。

 

予防接種を受けた小児科は休診日で、

インターネットで調べて少し遠くの小児科に電話する。

18時から午後の診療があるけれど、

インフルエンザの予防接種の予約があり混み合うので

17時45分から50分にきてください、とおっしゃり

診療時間より少し早く開けて、診てくださった。

 

娘を抱っこ紐で抱えて、初めて抱っこ紐用のダウンケープをかける。

あったかいのかな?と自分も手を入れて確かめながら

タクシーの通る大通りまで、娘と歩く。

娘はいつもよりも大人しい。

暮れた空に、キン、と星が光って綺麗だった。
 
小児科の前まで連れて行ってくれたタクシーの運転手さんは

降りるときに「お大事に」と言ってくださる。

病院で先生に診てもらうと、安心する。

おおらかな声で「喉がちょっと赤いけど、胸も変な音しないし大丈夫」と言ってくれた。

解熱剤と、鼻水を止める薬を出してくれて

「しんどそうだったら飲ませてあげて」と。

お薬は、お守りのよう。

きっと予防接種の副反応の熱は明日には下がるだろうし

風邪をもらったかもしれない鼻水も、ちょっと様子を見ようと思うから

お薬は使わないでおこうと思うけれど、

本当にしんどそうなときにひとまずの手立てが手元にある。っていうこと

このままお家に帰って、娘と寄り添う私にとって

先生に診てもらったときのおおらかな明るい「大丈夫」を近くに置いておけるような

そんなお守りみたい。と思った。

 

帰り道のタクシーを拾う前、

目に入ったコンビニエンスストアに入り

自分の夕食にビタミン入りの飲料水とアメリカンドッグを買った。

アメリカンドッグはビニール袋に入れてもらって

家について娘におっぱいをあげながらアメリカンドッグを食べたら

カサカサ音のするビニール袋を娘が手にして、シャカシャカと握って遊んでいた。

 

娘がうとうとし始めたので、このまま寝かしつけようと思い

お布団に連れていく。

寝かしつけている間も片手に持ったビニール袋を時々握ってシャカシャカいわせるのが可愛かった。

 

寝かしつけたあと、しばらくしたらまた娘が起きたので

寝かしつけしていると夫が帰ってきた。

「よかったね、お父さんに会えたね」と娘に話しかける。

寝室を覗いてきた夫の顔を娘はじーっとしばらく見つめて、

それからニコォっと笑った。

夫が着替えに部屋を出ると、娘は夫のたてる物音のする方をじぃっと見つめて

着替えて再び顔を出してきた夫と目を合わせると、今度はすぐにニコニコと笑った。









お母さん生活、いろんなことがある。

生まれたばかりの人は、野に放たれた自由な命。

いろんなものに手を伸ばし、ペロペロと舐め、よだれをたらして喜んで

うんちもおしっこもたくさんして、ゴロンゴロンと体を動かす。

笑ったり泣いたり、毎日いそがしい。

 

お腹から出てきたばかりの彼女が、地上での呼吸の仕方を覚えて

少しずつ視界を広げながら、どうやらここは、

すくなくとも自分たちのことをそれぞれ、オトーサン、オカーサンと呼ぶこの人らのいるところは安心だと

最近少し、感じ始めているみたい。

(でもオカーサンは、時々鼻に変なのを突っ込んでくることがあるから注意←鼻くそをとる綿棒とか、鼻水を吸う吸引器)


これから少しずつ、彼女が彼女自身であることに安心をおぼえ

世界を信頼して歩いて行けるように、見守り、一緒に生きることが

自分にやってきた縁。

時々、宇宙のどこかから、自分(オカーサンやってる私)を、眺めて見てる。

娘のおしりを拭くわたしと、足をぽんとあげてお尻を見せてくれる娘は

ひだまり。


時々、いらないことを考えてしまっているとき

ぴーんと視点を宇宙にあげると

あ、ひだまり。と思って

わたしは今、ここにいるんだな、って、そう思って

また自分の胸(ハート)に、戻ってくる。

 


2020年11月4日水曜日

 

夫の使うズボンハンガーを買いに

娘とすこし大きなスーパーへ向かう。

途中、公園の紅葉と木立の合間を流れる小川が綺麗なのを見て

立ち寄ることにした。

ベンチの横にベビーカーをつけて、娘をベビーカーからおろすと

彼女は思いがけないところへ辿りついて、驚き喜ぶような顔をした。

落ち葉を拾って、娘の手元や鼻先に運んでみたり

風がふいて葉っぱがさぁぁと擦れ合うのを聞いて

「綺麗な音だね」と声をかけてみたりした。


ちょろちょろと流れる小川のほとりに娘としゃがみ込むと

川面に葉っぱがぽとりと落ちた。そしてゆっくり流れていく。

それを娘も目でおって 私もただ見てた。

葉っぱは少しずつ、でも次から次へと流れていく。

水面がチラチラと揺れている。

風は何度も吹き渡った。

小川に落ちないように娘の体にしっかり腕をまわしながら

ただそれを見てた。

 

なんだかとても静かに、満ち足りた気持ちになった。

 

言葉や、時刻にきざまれない光景があること

彼女といると思い出す。

 

 


 

 


2020年11月1日日曜日

なんだか、突然ドアが開いたような1週間だった。


ドアが開いて、会いたかった人、懐かしい人に

今また新鮮な気持ちで、やっほーって言えた。そんな一週間。

 
 
コロナの流行もあり妊娠後期から市外に住む友人とは

まったく会っていなかった。

 

それが「冬の流行が始まる前に会いに行くわ」と

宝塚で暮らす友人が、ひょいっと会いに来てくれた月曜日。

 

地下鉄の改札で彼女の姿を見つけたとき、うわぁ!本物!と嬉しくなった。

姿勢がいい彼女のまっすぐな背中にぴしっとリュックを背負った姿。

赤毛のおかっぱに、いたずら少女のような目。

「かわいいね」って娘を抱っこしてくれた。

娘におっぱいあげたり、寝かしつけしたりもしつつ、

家で日が暮れるまでゆっくりふたりで話した。

みかんを一緒に食べながら「けっこう甘いね」「ね」という会話は

会っているからこそのこと。

何気ないのに、なんだか心に残った。

 


その翌日、大阪で働いていたお芋屋さんの社長に電話をして

春から京都のお店で働かせてほしい旨を伝えた。


ずっと考えて、夫ともたくさん話を重ねてきて、そうなった。

ひとまず相談してみよう、そう思って社長と話すと

すると、ただお店に立つだけじゃなくて、もう少し私が自由になる働き方の提案をくれて

働けることになった。

久しぶりに社長と話して、春からまた一緒に働けることになったら

ずっとそわそわしていた気持ちが落ち着いて、地に、ふんわりと足がついた。


 

そして木曜日には、埼玉から大切な友人が親子でやってきてくれて

はじめて京都で再会できた。

娘はにこにことみんなに順番に抱っこしてもらって、ずっとご機嫌だった。

私は友人の言葉を聞きながら、ぱーんと心が軽く明るくなった。

心の真ん中に、小さな火がゆらいでいるのを感じる。

そのあかりは、小さいけれどとても明るくて

漕ぎ出すボートの先を照らしてる。


 

それからそれから

土曜日、埼玉でお世話になったギャラリーの方からご連絡をいただいて
その方に私の連絡先を問い合わせている人がいるという。

ギャラリーの方とも久しぶりのやりとりが嬉しく

また、私の連絡先を問い合わせてくれていたのは

私が以前介助の仕事をさせていただいていた方を、

取材して番組を作られたというディレクターの方。

 

ディレクターの方との問い合わせのやりとりを通して、

介助させていただいていた方がご結婚され、ご出産されて

今お子さんを育てられていることを知り、嬉しくなった。


障害を持った体での妊娠、出産、それから子育てのこと

深く物を考えて、また、周りの人のことをよくよく考えている彼女のこと

ものすごくたくさん考えて、決断したんだって、想像がつく。

 

私の携帯電話に彼女の電話番号が残っていたので

思いきって彼女に電話すると、電話口の向こうに変わらない明るい声。

懐かしいけど、全然、ひさしぶりな気がしない。

彼女の笑顔が、とても近く思い出された。

 


 

そして

週の終わりの日曜日には

県をまたいで、夫の兄家族がみんなで会いにきてくれた。


娘にとっていとこになる、甥っ子と姪っ子。

5歳になる姪っ子が、娘のことを「抱っこしたい」って言って

細い腕で抱っこしてくれる。

「かわいい」って何度も言って、小さな手を、もっと小さな手に重ねていた。

 

 

なんだか、なんだか、すごい1週間。

 

空気が入れ替わった。

そんな感覚がある。


懐かしくって、新鮮。

 

きれいな空気をたっぷりふくんで

土がふかふかになったみたい。