今日は、朝
「ひとりになりたーい!」と思い、
夫に娘を見てもらい、ひとり喫茶店でモーニングをした。
喫茶店は娘を出産した産院の近所にあって、
思い立って、モーニングのあと産院まで自転車を漕いだ。
入院していた部屋の窓を見て、産院のベランダに乾されているタオルを眺めた。
それから、
「この8ヶ月頑張ったな〜」
「娘、小さかったな〜」
「大きくなったな〜」
とか思いながら、ゆっくり神社の森を抜けて、
パン屋さんでパンを買って、また家に帰った。
橋を渡って、久しぶりに川を見る。川を見るとホッとする。
娘はとってもかわいい。
橋を渡って、久しぶりに川を見る。川を見るとホッとする。
娘はとってもかわいい。
でも当たり前だけど、言葉にするととても表面的で、
本当に彼女を前に感じていることは、何かあたたかなもので、
それの名前を、私は知らない。
そして、
彼女を見ながら「この子は誰?」って、ふとふと思ってる。
わからないまま、目の前でどんどこ大きくなって、
この頃はなんでも手に持って「いないいないばあ」をして笑っている、
ちいさなたくましい生きものよ。
最近は少し暖かくなってきて、夜がきらきらしてる。
春の予感が混じってくる夜は、
花の匂いがして、
空気の粒が光っているみたいで、
とてもきれいだな。
夕方、そんな空気を感じながら洗濯物を取り込んでいたら、
コロッケが食べたくなった。
揚げ物が食べたくなる、春の不思議。
昨年はお腹の中にいた人が、今年は出てきている不思議。
3人暮らしになった不思議。
自分は10トンくらい持てる人間だと思い込んでいたけれど、
娘が生まれて、本当に私が持てるのは、葉書1枚くらい。
自分のキャパの小ささを教わった。
でもそれは、新しい切符だった気もする。
「助けて」って言う。ということを、教わった。
それから、休むこと。
思えば、地球だって、明るくなったら、暗くなるようにめぐっていて
「休みやすい」ように、場はととのえられている。
とはいえこの頃、夜泣きが始まった娘は、
何度も夜起きるわけで、
ととのえられた場に従って、
ゆっくり休めるわけでもないけれど、
1年前はずっと、真っ暗な中にいた彼女が、
ほんの数ヶ月で、
朝をおぼえて、風をおぼえて、
鳥が鳴いたら空を見上げるようになって、
彼女の世界に空が生まれたわけで。
とてもまとめきれない、そんな日々を滑走中です。
とてもまとめきれない、そんな日々を滑走中です。
体の一部が触れ合ってると安心するのか、
手を伸ばしてきて足を伸ばしてきて、
わたしの鼻やお腹に触れてまた眠るその人を見ると、
「よく出てきたね」と、やっぱり思う。
わたしはこの星に慣れたかもと思えるのに35年はかかったけど、
わたしはこの星に慣れたかもと思えるのに35年はかかったけど、
まだまだ未知を歩いてる。
かつての故郷(わたしのからだ…故郷というより、中継地点かもしれないけど)
かつての故郷(わたしのからだ…故郷というより、中継地点かもしれないけど)
に触れたくなるのは
彼女が母体からいよいよ離れて、
彼女が母体からいよいよ離れて、
ひとりで地上に着陸きめようとしてるからのようにも、思えて、
わたしよりよっぽど、果敢なたくましい人に思える。
またまた、まとまらない。徒然現在地。
またまた、まとまらない。徒然現在地。
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