友人が頼んでくれたチラシの作成で
友人を介した先方から、直しが何度も返ってきて
なんとも晴れない気持ちになる。
友人を介した先方から、直しが何度も返ってきて
なんとも晴れない気持ちになる。
直接のやり取りではないから、相手の顔も見えず
「申し訳ないけれど、ここの訂正お願いします」とか
そういう一言のやりとりがなく、赤字だけが返ってくるので
そういう一言のやりとりがなく、赤字だけが返ってくるので
自分が作ったものに、ただただ、バツがついて返ってくる。
それが少し辛かった。
相手の顔が見えたり
今、どう感じているかという小さなひとことの大切さを知る。
相手の顔が見えたり
今、どう感じているかという小さなひとことの大切さを知る。
コミュニケーション不足から、探り探りのデザインになってしまったけれど
本当は相手とのコミュニケーションの上で「自分がいい」と思うところに
100%かけていくことが大事だった。
100%かけていくことが大事だった。
心にとめよう。
そんなこともありながら
さっき洗濯機から洗い終わった洗濯物を取り出し、かごに重ねながらふと思う。
そんなことがありながらもやっぱり、
そんなことがありながらもやっぱり、
「わたしは、人とものを作ることが好きだな」ということ。
対話を重ねたり
小さな空気から相手の伝えたいことを感じとって。
何度も何度も思ってきたけれど
それは
「私自身の作品じゃない」って
「誰かのサポート的な生き方じゃなくて、自分を生きなくちゃ」って
繰り返し声をかけてもらって、私自身も、そうだ、そうだって思うところがあった。
でも、ひとりで生きているわけじゃない。
山や空から受け取って、溢れるものを描くことと
人の中から溢れるものに触れて、それを形にすること
何も違わないのではないか。
今までものを作ったときに喜びが湧き上がった瞬間にはいつも誰かがいる。
わたしが勢いで何かを作った時にも、
それを受け入れてくれる誰かがいた。
それを受け入れてくれる誰かがいた。
人との間に、ものを生むこと。
それが好き。
だから
あんまり考えないで、
ただ、エネルギーが湧くところを歩こうって思った。
ただ、エネルギーが湧くところを歩こうって思った。
この世の道理がよくわかっていそうだ、と思う人と会うと
その人の言うことを自分自身よりも信じてしまったいつかの私よ
ずっと自信がなかったから。
でもやっぱり
どうしたって
わたしを生きているのはわたしだけで
この目の前の濡れた洗濯物を、今日乾すのも、わたしなんだから。
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