玄関のコスモスが咲いた
ピンクかなと想像していたら思いがけず白で
涼やかに揺れている
見るたびにうれしい
娘がひょいっと乳ばなれ
本当におっぱい大好きな子だったから
(今も大好きで、触ったり、話しかけたりしている)
おっぱいのやめどきに関しては1歳前からたくさん調べて
たくさん考えてきた
自分の気持ちとして、できるだけ自然にという思いと
ごはんへの関心の薄さや
私自身の体力との折り合いなど
ちょっとした困難とぶつかるたびに、迷ってきた
確信を持って「飲みたいだけあげよう」なんて思ったことはなくて
できるだけそうしたい、という方向の中で
迷いながら歩いてきた
でもある時から、迷いながらでいいんだ、と思うようにもなった
確信が持てる時には、確信が持てる材料が、
自分や、ふたりの間に
見えたとき
その片鱗が見えないのに、無理やり答えを作る必要はない
そういう学びがあった気がする
このまま進んでみよう、と思う時があったり
やっぱりそろそろ、と迷う時があったり
自分自身も
娘自身も
毎日変わっていくのだから
そのたび感じることも変わった
きっとそれでよかった、というか、そういうことなのだった
3歳のお誕生日にやめる、と娘自身が言い始めて
でも実際にはまだ準備がととのっていなくて
お昼寝前に我慢している彼女を抱いている時
「おっぱいという関わりがわたしたちになくなったら」という感覚がふと明るさとともに
一瞬だけやってきた
それで、「その時は、じきに、もうあるのだ。そして、そうなって、もう、大丈夫なんだ」
と信じることができた
そうして、4ヶ月が経って
おっぱいの量もだいぶ少なくなってきて
娘に「こっち空っぽ」とすぐに言われるようにもなり
もうそろそろかな、と思っていた時に
娘のおっぱいへの執着がとっても強くなった
それは、彼女なりに「おわり」を感じた寂しさからだったのかもしれないけれど
なんとなく、あんまりこの時期が長引くのはよくない、心地悪さがあり
ある朝ふと、生姜汁をちくびに塗ってみようと思い立ち
「それが良いか悪いか」と考えるよりも
浮かんだことを実践するだけ、と感じていたから
思い立ったまま行動してみた
すると娘は匂いを嗅いで
「くさい」と言ってたくさん泣いて、泣いて、泣いたあと
自分で気分を変えようとし始めた
好きなアニメを見よう、と言って
外へでかけよう、と言って。
充分に、時期が来ていたんだね、と感じた
自然に離れたら、卒乳
意図を持って、おっぱいを辞めたら、断乳
なんて言葉の違いもあり
「断乳よりは卒乳がいいな〜」なんて思っていたけれど
生姜汁を塗ったことは、意図的なことであって
でも、充分に時期が来ていたとも思い
ことばはつよいけど
何にしても、おっぱい離れ、というか
昔からいう乳離れ、というか
はなれ、って言葉が、やさしくて自然じゃないかと思った
後日談としては
やっぱりおっぱいが大好きで、触りたい娘は
匂いを嗅いで「匂いが戻った」と言い
こっそり口をあててたりする
でももう、おっぱいがなくても眠れることがわかったし
おっぱいがなくなったら
彼女の髪を撫でたり、体をさすったり
双方向のスキンシップが増えたように感じていて
(前は私が受け身だった感覚)
それは、次の自分たちの段階に、入った感覚があるから
またこっそり生姜汁を塗って
時々
「くさ!」
「あ、時々そういう匂いになるようになったんだね〜」
というやりとりをしてる。
「寂しいな」と時々いう彼女の言葉も
ひとつひとつ、受けとめ歩きたい
さびしさのむこうは ひろびろして あかるい
ぐるりとめぐったら
また どうせ いっしょくたなのだから
あるこう あるこう
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