埼玉から母がきてくれた。
本当は、娘を連れて帰ってきたら、と夫が提案してくれて
わたしも、自分にはその時間が必要だと思って実家に連絡すると
今の状況で娘の長距離移動はあぶない、ということで
母がやってきてくれることに。
娘はよく笑うようになり、
意思を伝えるのも上手になって、ひとり遊びも始まった。
一緒にそとへ出かけられるようにもなったし
ほとんどの時間、ご機嫌に過ごしている。
ものすごく困ってる、ということもないと思っていたけれど
私はいつの間にか、いっぱいいっぱいになっていた。
自分のやりたいこと、は
お祝いのお返しを買う、お礼のお手紙を書く、
いただいた娘の服を片付ける、洗濯物をたたんでしまう、洗い物を片付ける…
ということがまず目の前にある「やりたいこと」で、
私自身のやりたいこと、はずーっとずっと、その向こうにあって、
なかなか触れない。
何が「やりたい」のかも、正直思い浮かばなくなった。
そして目の前にある「やりたいこと」も延々とできない。
家の中に「途中」が溢れていて
「今は仕方ない」「こういうものだ」と思おうとする私もいるけれど
「目に付くもの全部が中途半端で、ずっとそのままになっていて本当に泣きたい」
という私が、ついに出てきた。
一方で、娘に対してはどんどん、かわいい…という気持ちが溢れるようになってくる。
でもそれもまた、日中、誰とも分かち合えない。
大変だ、とか
悲しい、だとか
そういうことばかりじゃなくて
なんてかわいいんだ!と溢れる気持ちでも
心はいっぱいになる。
道を歩いていて、すれ違ったおばさんが
娘を見て「かわいいね」と言ってくれた時
私は体からプシュ〜っと空気が抜けたような気がして、すごく楽になった。
「かわいい」という思いを
一緒に持ってもらった感じがして。
もう、こんな風になっていたから
結構きわまってきていたのかもしれない。
母がきてくれて
娘をかわいがってくれて、娘がおしゃべりするのを喜んでくれて
一生懸命遊んでくれるのを見ていると
体が楽なのもあるけれど、心がすごく落ち着く。
日中、娘の様子を見ているのも
欲求のひとつひとつにこたえるのも
時にこたえられないのも
全部、自分ひとりなことは、ちょっとつらい。
鴨川で授乳をした時に、ふっと抜けたのは
景色が私も娘も包んでくれた感じがしたから。
今日は母が娘を抱いてくれて
日中、自分が眠りたいタイミングで、眠ることができた。
それだけで、ちょっと
遠ざかっていた自分が、少し近づいてきてくれた感じがする。
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