母が娘を見てくれている間に
お宮参りのお祝いをくれた叔母に、お礼のお手紙を書いてポストに投函した。
娘の写真を少しまとめてプリントアウトして
手紙の中に添える。
同じものをもう1枚プリントして、実家で待ってくれている父にも送った。
写真を選び直して(夫が写っているものを多めにして)夫の母にも送る。
ずっと、やりたかったことができて
ずっと、やりたかったことができて
ふっと両手があいて
視界があかるくなった。
あぁ、今のうちに、考えられることを考え、
夫と話し合いが必要なことを、話し合い
自分の気持ちにも、触れよう。と思う。
母に「1ヶ月に1度来てほしい〜」と泣き言をいうと
「2ヶ月にいっぺんは来られるかな」と言われ、
2ヶ月にいっぺんでもかなり助かる!と思い心がふわっと浮き立つ。
近所に子育ての相談ができたり、助けてくれる人がほしい
と思って、児童館や子育てサロンの情報を調べたり
ドキドキしながら足を運んだり…
でもそれも、自分にとってはすこしハードルが高いこと。
楽になるため、と思いながら
がんばることがひとつ増えていた。
冷静になってきた頭で、ふっと
わたしって、どんな人なんだろうか
ということを思う。
近所に、子育てしている友だちが欲しい、と思っていたけれど
友だちはやっぱり、自然にできるものではないか
(娘が、公園で遊んだり、外遊びができるようになって遊びたい、と児童館へ行くようになったら自然とそこで出会った人と、話したりするようになるのではないか)
(娘が、公園で遊んだり、外遊びができるようになって遊びたい、と児童館へ行くようになったら自然とそこで出会った人と、話したりするようになるのではないか)
と思ったり
娘の友だちは娘の友だちで
私の友だちは、私の友だちなのでは、ということを思ったり
別に子育てをしている人じゃなくても
私はただ近所に、自分の友だちがいれば、それでいいんじゃないかと思ったり。
きゅ〜っとなっていて、「それしかない!」となっていた視界が、
ふわ〜っと広がっていく。
自然に友だちができるまで、2ヶ月に1度母がきてくれるなら
なんとかなるんじゃないかしら。
それにそうこうしている間に、娘も1歳になってしまう。
それにそうこうしている間に、娘も1歳になってしまう。
引越しに関しても
「もうここでは暮らせない…!早く引っ越せる家を見つけねば!」と
きゅ〜っとなっていた「しかない」思考がふわ〜っと剥がれていく。
週末に、母が娘をみてくれている間に
夫とふたりで物件を見に。
夫とふたりで物件を見に。
しっくりくる物件に出会わず。
でもその代わりに
今住んでいる家をあらためて「よく見つけたなぁ、こんないい家」と思えたり。
きっとふっと、次が見つかる時に
見つかるだろう、と、思えたり。
今、
こんな風に
ここ2ヶ月、きゅうぅぅぅ〜っとなっていたものが
ふわわ〜っと、開いている時間。
ふわわ〜っと、開いている時間。
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