夢というのは、本当に心のあらわれのようで
先日
参加している合唱グループの発表会のために会場へ向かうと
もう合唱が始まろうとしている、という夢を見た。
舞台袖からこっそりと舞台に出て
「入れて」と声をかけると
「自分の場所へ行って」と言われる。
けれど私は、自分がなんのパートなのかも
どこが自分の場所なのかもわからない。
歌が始まってしまったので、端っこにそのまま並ばせてもらって歌い始めるも
歌の歌詞もわからない。
そんな夢を見た。
自分の場所って、どこなんだろう。
でも
その夢を見て数日経ち、母に手伝ってもらって余裕が生まれてきた心で
今思うのは
夢の中の人はあたかも「わたしの場所」がある風に言って
そこへ行ってと言ったから
わたしは「わたしの場所」があるはずなのにわからない、と思い
わからない場所を、なんとか探さねば、と思い焦ったけれど
わからないものは、探すことができない。
わたしはそこで止まって
ただ「わからない」と言えば、きっとそれだけでよかったんだ、と思った。
先週末に夫と物件を見に行ってみて
「ここじゃない」ということが、わかった。
「ここじゃない」ということがわかった時に
夫とふたりで「ここ」と決めた今の家が、やっぱりとってもいい家だし
よくこんなにいい場所が見つかったなぁ、ということも、わかった。
今の家に出会う前も、
いろんな場所を見て歩いたんだった。
その時にも「ここじゃない」ということがいつも、わかった。
見つからないのは、見ている場所に、それがないから。
だから見えない時に、必死で目を凝らしても、仕方がない。
座っている椅子から立ち上がって、ふーっと背伸びでもして
息を深く吐いて、お茶でも飲むくらいしか
やることはない。
そのうちふっと、流れにあたったときに、ひゅ〜っと
運ばれていくんじゃないか。
今の家が見つかる前
私が大阪へ通いやすいように、ということで最初は家を探していた。
でも、大阪へも京都へも出やすい駅で降りて街を歩いても、
あんまりいい感じがやって来なくて
ある時、公園を散歩していた時にふっと、「緑の近くに住みたいな」と思い
それから、京都御所の近くはどうだろう、と思い
suumoの地図から検索できる機能を使って、今の家を見つけた。
近くの他の物件も、何件か見せてもらって
今の家は部屋は見られず、エントランスだけだったのに
夫も私も、なんだかいい、と思えて決まった。
そういう風にそうだ、やってくるんだ。
思考が正常化してきている。(涙)
さっき、娘と母とスーパーへ買い物へ行った帰り道
抱っこ紐で赤ちゃんをだいた女性とすれ違った。
母が
「あら、同じくらいの」と言ったので
その女性が
「何ヶ月ですか?」と聞いてくれて
「2ヶ月です」と答えると
「そしたら、ずいぶん大きい。6ヶ月です」と、自分のお子さんのことを教えてくれた。
それから
「頑張ってください」と言われて、また歩いていかれた。
「頑張ってください、と言われるってことは、これから楽になるのかな」
と母に言うと
「そうなんじゃない」と言われて
ちょっとほっとした。
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