2020年3月30日月曜日

大阪に住む友人が、京都で予定があるとのことで
久しぶりに会ってお茶をした。

会うたびに雰囲気がやわらかくなる友人を見て
会わなかった時間にすすんだ変化を感じる。
 
呼吸の話や、子育ての話を聞かせてもらったり
妊娠中の変化の話を聞いてもらいながら
のんびりとお茶をする。

大阪にもあったd and department
大阪のdは、建物の老朽化で数年前に閉店してしまったけれど
営業時は当時住んでいた場所から自転車で行ける距離にあって
時々その友人や当時一緒に働いていた仲間と出かけては
ソファに座ってたくさんおしゃべりをした。

朝になって友人から「今日の体調や気分で行きたいところがあれば予定変更でも」
と連絡をもらい、京都にあるd and departmentへ行きたいとふと思いつき
そこで待ち合わせさせてもらった。

真宗のお寺の敷地内にあるd。
窓からまだつぼみの枝垂れ桜と雨が降るのが見える。
大阪のdと同じで、注文したものをテーブルに運んでくれたあとは
ぽーんと放っておいてくれる。

なので、気兼ねなく
のんびりとあちこち話の進むままに、話すことができた。

 
友人が最近探求を深めているという呼吸や身体、哲学の話が
自分にとっては妊娠の体験と重なって聞こえてきて面白く感じた。



子どもの頃、
発生した記憶がないのに世界が始まっている(自分がいる)ことや
時間が流れているということ
自分の目の前にいない人にもその人の時間が流れているらしいということ
世界が継続して続くこと(いきなり違う場所にいる、とかそんなことが起こらない)
いろんな不思議があって、その謎は今も解けずに続いているけれど
 
生まれるということは
自分を包んでいたものから出るということ
そして自分を包んでいたもの(母体)すら、包んでいる世界にあらわれ生きるということ

皮がめくれるような
ひっくり返るような

そうして何もないところから宿り、
誰に教わったわけでもないプロセスを経てからだを作り出し
暗闇から生まれ出た世界には
今まで自分を包んでいた生き物が他者として存在し
そのほかにも無数の生き物が生き

空があり、地上があり、空からは雨も降る。
花も咲く。

友人の語る哲学と妊娠や出産を重ね合わせると
あらためて、今いる世界の果てしなさと
起こる現象の美しさが鮮やかになる。
 
 
そしてあらためて、感じる。

出てきたこの世界はすでに美しいということと
 
生まれ出るプロセスがもうすごいことで
誕生した後の世界は、風呂上がりのようなもの(のはず)ということ。
 
 
余計なこと
余分なことに気づくこと。
気づくことでそれが外れること。
 

 
すでにあるものに気づいていくということ。
 


0 件のコメント:

コメントを投稿