2020年5月26日火曜日
午後から雨が降り始める。
モビールを作る気力も出ず、ぼんやりと過ごす。
夫はギターを弾き始めた。
畳の部屋で眠っていると
夫が晩ご飯の支度を始める音が聞こえてくる。
ハンバーグを作りたいからパン粉買いに行こうかな
と言いにきたので
食パンを使えばいいよ、と話したらそうしたみたいだった。
そわそわしたり、ぼーっとしたりを行ったり来たりしているので
自分をととのえようと思って久しぶりに瞑想をする。
畳の上に寝転んで、イヤフォンをつけて
パソコンに入っている誘導瞑想の音声を流す。
声にしたがって、呼吸に意識を向けていると
胸とみぞ落ちの間に、小さな木片みたいな、かたいものを感じる。
なんとなくそれが
自分が陣痛がくるのを拒んでいる、小さなかたまりのように感じられた。
「ちょっと待って」と、置いている小さなブロック。
あるなぁ、と思いながら、ただ眺めてみる。
覚悟もできてないし
まだもうちょっと待って、という感覚。
その木片のようなものを眺めていると
不意に「役割をいただいた」という言葉が思い浮かんできて
それからいくつかのイメージが浮かんできた。
お腹にいる人が出てきたら
私はその人の全部を受けとめていくことになり、生活の全部が変わるような
そんなイメージを持っていたけれど
私は私なんだ、という感覚がやってきた。
そして、お腹にいる人は、お腹にいる人で
その人が成長して、自分自身で歩いていけるようになるまで
必要ならばお世話をして、一緒に生活していく。
そんな役割をいただいたんだ。
と、スーッと腑に落ちた。
なんだ、そうか。
腑に落ちたら
木片は消えていた。
瞑想を終えてから、私も起き上がり
夫がハンバーグを作っている横で洗い物をしていたら
お腹がどんどん張ってきて、腰から下がずーんと重たくなる。
しばらくしたらまた同じ状態になったので
陣痛かもしれない、と思う。
ハンバーグを食べている間にも同じようにお腹が張ったり
腰回りが重たくなったり、その波がゆったりと、繰り返しやってきているので
これは来るかもしれない、と夫と話す。
とはいえまだまだ、感覚も広いので
食後、ライブハウスが配信しているラジオを最後まで聞いて
お風呂にゆっくり浸かり、入院用の荷物をもう一度確認した。
夫に緊張する?と聞かれたけれど
不思議なことにとても落ち着いている。
はやくこないかな、とも
まだもうすこし待って、とも思わなくなってる。
来るなら来い、という感じの気合もない。
ただ起こるままに、という心境。
お腹の人が出てきたら
私は変わるだろう。夫も変わるかもしれない。
でも、私は私。夫も夫だ。
それぞれが父と母から産まれながらも
自分自身のスペースを生きてきたように。
お腹からやってくる人も、その人その道をいく人。
それぞれの道を歩きながら
出会っていくことに変わりはない。
だから
変わるけど
変わらない。
私たちそれぞれの、宇宙を生きてる。生きていく。
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