2025年6月17日火曜日

今月に入ってから洋服とバッグとサンダルを買った。



娘が生まれてから
毎シーズン、サイズアウトして
新しい服や靴が必要になる娘のために
買い物をすることに夢中で
自分の買い物はあまりしてこなかった。

 
洋服をゆっくり見られる時間がないというのもあったけど
自分がどんな服が好きだったかすっかり忘れてしまって
同時に、服を見て素敵!と心が動くこともなくなっていた。

 
それが、先月、埼玉に帰省した際に友人から言われた
「ママ友に1mmも寄せなくていい」という言葉が扉になって、
私はまた、”自分の好き”で、ものを選べるようになった気がする。


自由でいいんだ、と切り替わった。

そしたら、ものを選ぶ基準が「ときめき」に変わって
アンテナが動くようになったのだった。
 

2025年6月3日火曜日

 

大きな海 時間 島 船

水面

サンダル

貝殻


潮風を浴びて髪の毛がしっとりしている

海に浸かってお日様をたくさん浴びた娘は

午後の帰りの電車で ぐっすりと眠った


濡れた服と着替えた、大人用のTシャツは
娘が着るとワンピースのようになって

締め付けのないコットンの生地が

きっと眠るからだにやさしい



家に戻って朝起きて
窓の外に海がみえないのが すこしさびしいけど

ここもあの場所のつづきで

はなれているけど海と繋がっていると 今はわかる


娘は海と

年上のお姉ちゃんたちのやさしさのなかで自由でいられた



2025年5月23日金曜日

 

朝焼け

朝のひかり 雲


朝5時前に目が覚めて
シンクにすこし残していた洗い物をして
お米を炊いた

 

きのうは、だんごむしに夢中な娘に
「ベランダでお茶しよう」と声をかけて
家に入った

買ってきたパンを切ってお弁当箱につめると
娘が持ってきたギンガムチェックの布に包んだ

娘にはアイスココア
私にはアイスコーヒーを
それぞれカップと水筒に入れて

ぬいぐるみや人形も一緒にベランダに出る

レジャーシートを敷いて一緒にお茶をしていると

娘は太陽の方を見ながら「きれいだねー」と言った

「白、青、オレンジ」

と光線の光を観察して言う


私が自分の足先を見ながら

「爪切ろう。あと、お母さん爪に色塗りたいな。何色がいいかな」

と言うと、娘は

「青と紫とピンクなんてどう?素敵じゃない?」

と言う


「いろんな色を塗るのいいね」

と答えると

「青と紫もいいかもね」

と言った




この頃、胸に置いてあったこと

今日、1日を

今日自分ができることで楽しい1日にしよう

ということ


それは結構 こんなベランダピクニックのようなことで


娘と屋根を跳ねていくカラスを見て笑ったりして



できることで楽しい1日にする、と思うと
できることもしたいことも 結構出てくる



娘が色をこまかく見る姿が素敵だった



2025年4月21日月曜日

 

誕生日がきた
 
夫と美術館にモネを観に行った
 
久しぶりに美術館を訪れて 生で絵をみるってやっぱりいいなって思った
 
筆圧のあとや、筆運びが見られるのも面白いし

油絵の中には時間が入っていると思っていて

そこにその時その人の命があって景色や流れる世界があって

それを見られるんだなって あらためて感じた

 

モネが、世界に感動しているのが伝わってきて(多分、おそらく)
その衝動に突き動かされて描いているんじゃないかなと感じられて

ぐっときた

 

夫と花を買いにでかけて

小さなクジャク草みたいな白い花と
赤紫のスカビオサと、カンパネラを買って帰った

ベランダの鉢植え用の植物も選んで

夕方、鉢植えを入れ替えたら

気持ちが安らかになった

 

植物が風に揺れるのをみると

すーっと自分の奥もしずかになる


娘はハッピーバースデーを大きな声で歌ってくれて

面白い顔で私を笑わせようとしてくれて

嬉しかったな

 

このあいだ娘がふと

「ずっとお母さんと一緒にいる。お母さんが死んでも、ずっとそばにいるよ」

と言って

なんだかそれが心に残った

 

ともだちから「あと7年で50歳」とメールがきて

さぁどう生きようかってなんとなしに思う

 

 

ことばをのこしたいなって
今 すごく奥の方が 言ってくる


むすめが昨日から「魔法使いになれなかった女の子の話」というアニメを見始めて

それが面白くて、一緒になってみてる



 

 


2025年3月5日水曜日

すごくささやかなことだけど、
トイレの隅っこに置いてた、娘のおむつを捨てていた蓋つきバケツを
このあいだ捨てた。


もう必要なかったのだけど、けっこうしっかりしたものだったし
置いていて邪魔になることもなかったから
長居させてしまっていた。

 

しばらく前から、再利用は考えてないし
処分だよな。とトイレに入るたびふわりと思って
思っては忘れてしまっていた。

この間、プラごみの日に「よし」と思って
さよならした。

 

 

 

娘のものは、手放すタイミングがなんとなく曖昧になりがちかもしれない。

成長って、境界線を越えるようには訪れない。


ゆっくりゆっくり、行きつ戻りつしながら

気づくとその時期を過ぎている。


そんな感じで、

オムツが外れたのも、もうずっと前だけど

でも、今日からもうパンツ一択です。とはっきりくっきり
オムツと訣別したわけではなくて

娘からの「今日はパンツがいい」「今日はオムツ」を行き来し
トイレで用をたせるようになったあとも
わざわざ「オムツでする」とオムツに履き替えて致すなどして

そうしている間に気づけばすっかり履かなくなっていた。

いつからからって、もう思い出せない。


まだいるのかな?もういいのかな?
と揺れながら 気づかない間に移行していく。




2025年2月12日水曜日

 

年末から、立春。
ここまでなんだかわたわたと、忙しく走ってきた。
 
手元でノートや手帳を開いて
何かを書き留めたり、今と、すこし先のことを整理したり
そんな時間をもってやっと、今ここに座れた気がする。

数日前、夏から受けていた文章講座が終了した。

東日本大震災後、東北へ赴き
地域の情報誌を編集したり、
さまざまな人のインタビュー記事を書いてきた女性が、先生だった。


彼女の生き方や、考えにすごく共鳴を感じたし
彼女が、提出した文章に入れてくれる朱入れ(赤ペン先生)は
書かなかった部分、書けなかった部分、書きたかった部分まで
見てくれているのがわかり、
文章を見てくれているというより
”わたし自身”の深いところを見てくれていると感じて
こんなふうでありたいと思った。


どうして、書くのか

何を書きたいのか

彼女との出会いを通して、また深く教わったし
自分の奥にあった”書くこと”を通じての、願いや喜びと出会えた。


本当に、巡り合わせに感謝。



春も間近に見つつ(蝋梅がもう咲いてる)
寒波がやってきて雪が積もったりしているこの頃。


夫は15年着たパタゴニアのダウンから
新しいダウンコートに。
(これも、パタゴニア。
15年着た方も直してもらいながらまだ着られるのだからやっぱりしっかりした作り)

私は、キュレルの保湿バームを塗り始めたら
眉間の皺が消え始めた。


生きてる。日々、日々。

2024年11月5日火曜日

週末は友人が声をかけてくれて

奈良県まで市民向けワークショップのアシスタントへ出かけた。

友人がファシリテートするワークショップでは
集まったひとりひとりが自分の声で自分の思いを話す。

その声を聞ける時、自分に喜びや充足感が湧くのを毎回感じる。

 

「なおみちゃんならできると思って」と友人が言ってくれたことば。
確かに、自分の興味だったり
今まで学んできた、「はなしを聞く」という経験が重なる場だった。
 

こんなふうに、学んできたことが
他者の中で活かされる。他者の必要に、こたえられる。
ということが実感され、じんわりと嬉しい。


ひとりよがりな道ではなかった。

 

 

気がつけば

友人がくれる謝礼や、毎月のインタビュー記事の報酬が
安定して入ってくるようになって
そのことにも助けられている。

夫は「服を買ったら?」とか「自分が買うから、見に行こう」と
何度も言ってくれたけれど
 
(そして実際に、誕生日やクリスマスにプレゼントもしてもらった)

なかなか甘えられず

それに、自分が着たい服も、産後はずっとわからなくなっていて

服を買うということがほとんどなくなっていた。


それでも、昨年の冬に
冬素材のパンツが履きたいなぁと思ったことが残っていて
(昨年の冬は、生地はしっかりしてるけどちょっとシャリ感のあるパンツと
ジーンズをずっと履いていた)

ついこの間、コーディロイのパンツと
ツイードのパンツを、自分のお財布から買えた、ということが
ほっと自分を暖めている。

ニットベストも買った。


服を選ぶとき
これはインタビューの時にも着ていけるか
ワークショップの時に着ていけるか
というのも
判断の基準に出てきていて
 
私はそれも、嬉しいのかもしれない。

自分が好きな仕事をしていて、その仕事に合う服を着ている、ということが。
 
この嬉しい感じって
初めて、介助の仕事をしたときの状態と似ていると思って
それに気づいた。

介助の仕事をしていた時は

たくさん歩くし、動くから
動きやすいパンツ。
たくさん歩けるニューバランスのスニーカー。
両手があくリュック。
カジュアルでも、職場や冠婚葬祭の場に行くこともあるから黒を選んでおく。

そういう必要に応じながら、自分が好きなものを選んだ服装をしていることが
自分をすごく安心させてくれた。



面白いな。



娘は、寒いからと週末はじめて着せた
虹色のボーダーニットをすごく気に入っていた。

彼女が好きなものをまっすぐに喜ぶ姿がかわいい。

迷いなく好きに手が伸びる姿が眩しい。


2024年10月23日水曜日

時々

この言葉、何度も聞くな
あの人もこの間そう話していたっけ

というように

同じようなことを違う人の口から何度も聞いたり
テレビやラジオで、同じような話題が出ていたり

あぁ、今、これが自分に届いているメッセージなのかな
と感じる体験がある。

 

 

この頃やってきたのは

「間違えはあっていい」ということ。

ひとは間違える、ひとは失敗する

それが許されない世界より

許される世界がいい という話。


娘と一緒に、サブスク動画で

ちびまる子ちゃんの第一話を観た。

私が小学生の頃だから30年以上前の映像。

 

きっと手描きで着色されたアニメーションは

空のグラデーションが綺麗で

夕焼けの晩ごはん前の、つん、とくる空気が

そこにあった。


そしてまるちゃんは、全然完璧じゃなくて
ずるいことを考えたり、怠けたりして
そして優しい。

自分はおじいちゃんを騙してお小遣いをもらおうと画策するのに

同級生の前で正義感が飛び出すこともある。

 

なんだかほっとした。

 

自分ひとりで完璧じゃなくていい。

ひとと生きているのだから。

矛盾する感覚が同居していてもいい。

感覚はそれくらい繊細で広い。


ずるさや間違えがあってもいい

その奥にはめくってめくれば 人はきっとやさしいしかないし。

2024年5月15日水曜日

 

母の日にもらった花束をほどいて
家の中のあちこちに、小さくいけて飾る

毎朝目に入るたび 小さく胸がほどける

 



昨晩はなんだかふっと疲れがきて
親子丼を作ろうと思っていたけれど、唐揚げに変更
ひたすら揚げるだけならできる、そう思って

お味噌汁はレトルトで、トマトときゅうりが野菜室にあるから
切って添えて、と夫に伝える


娘は夕方に食べたおむすびでお腹がいっぱい
私も唐揚げをひとつつまんで、それで充分だった


夫はトマトを切って唐揚げと一緒に食べていた
 朝起きたら、洗い物もしてくれていた
 
 
毎日

できることもあるし
できないこともある
 
波によって変わるし

元気な時は元気に過ごせばいいし

休みたい時は休む方向で

 

同じじゃなくていい

その時その時で

 

今晩のおかずには
まだ昨晩の大量の唐揚げが残ってる
 

 


2024年5月3日金曜日

 

新緑の季節

娘が生まれた季節

この頃、夜明けに目が覚めることが多いから

ーそのまま起きて、お弁当を作って、でも娘が目覚めた時
横にいないと「寂しいよ、横にいてよ!」と泣き怒るから
お弁当を作り終えたらまたお布団に戻るー
 
娘が生まれたばかりの産院で過ごした時のことや
新生児の頃、朝も夜もなく起きていた時の空気が蘇ってくる

 

 

今に一生懸命で
ちょっと前のことも思い出せなくなるけど
 
こうやって、特別な時間のことは
新緑の空気に運ばれて、今年もまた触れられたと
じんわり嬉しくなる
 
 
 

娘は、地上で3年生きて、今度は4歳

ちいさくてやわらかい心で毎日を生きてる

 

幼稚園にはまだ慣れない

いろんなことをたくさん感じているんだろうな

 

 

「保育園に戻りたい」と話すから
帰り道に前を通って、外から呼びかけたら
先生たちが窓を開けてくれた
 
 
「戻りたい」「幼稚園行きたくない」と言っているのに
先生たちの顔を見ると、そんなこと一言も言わない娘を見て
思わず先生に
「ちょっと、ぎゅーっとしてあげてもらってもいいですか」とお願いして
 
保育園の中に上がらせてもらって
娘を抱きしめてあげてもらった
 
本当に溶けちゃうんじゃないかっていうくらい身を任せて
ぎゅっと先生にくっつく娘を見て
 
なんの疑いもなく
自分を喜んでくれてると
感じられる人がいることが
ありがたかった
 
 
 

娘が、幸せであってほしいから
なるべくはやく、幼稚園が楽しい場所になったらいいと思うけど
 
娘に何かを望む自分に

「かんぺきじゃなくていいんだよ」って

同時に声をかける

 

娘にとって、心地よい人間関係があるようにと望むけど
ひととうまく関われなくてもいい(自分だってそう。今も悩むことがある)
 
楽しい時間をなるべく多く過ごしてほしいけど
困ること、つらい時期があってもいい(誰もがそこを通過するように)
 
ゆっくり、ゆっくりでいい
 
ただ、どんな時も
どんな娘でも
自分はそばにいるよって
 
そういう心構えだけ、あったらいいのかもしれない
 
 

そして一緒にいるときは
安心して、なるべく楽しい時を
 

 

2024年4月22日月曜日



気づけば満開の桜の花も散って、新緑がやわらかく
目の中でちらちら光る。

 

娘は幼稚園生活が始まった。

娘にとっては環境の大変化で
私もまた、お迎え時間が変わったり
それから、毎日、娘のお弁当生活が始まるわけで
3月の終わり頃は不安でいっぱいだった。

 

でも、21時過ぎに娘と一緒に眠ったら
朝ははやく自然と目が覚めるし、
冬とは違って真っ暗な中起きるわけでもない。
台所に立っていたらお日様がどんどん高くなって、
部屋に光が入ってくるのが気持ちいい。

お弁当作りも、私は好きみたい。

あ、大丈夫かも。と思った。
 
私が娘のお弁当を作ると

夫が、みんなの朝ごはんの準備をしてくれて
家を出る前に洗濯機をまわして、洗濯物もほしてくれる。

そんな家事分担もあって、
新生活の歯車が、ゆっくり、でも、思っていたよりも順調に
まわりはじめてる。

 

 

娘はやっぱり頑張っているみたいで
週末、パジャマのまま何をするでもなくゴロゴロしていたりする。

今までになかった光景。

あ、今、チャージしているんだなと思って
私もそばで何もしないでのんびりする。


春はゆっくり

生きてるだけで、いい。



2024年3月31日日曜日

 

娘が卒園して

ようやく止まっていた原稿作業が進み始める

文字起こしなど、できることは淡々と進めてきたけれど
ぐっと内容に入ってまとめる、自分の感性を使うところがずっと止まっていた

そのくらいにエネルギーが動く分岐点だったと感じる


パートに行くとかシステムに乗っている部分は体を運べば動くけど
柔らかい流れを汲むみたいなところは
娘の卒入園に向けた流れが強くて、そことなかなか分離しにくいんだなと
あらためて感じる

 

分けられたら便利だけれど

でも、文章を書くのは自分の軸に立ちながら、流れに乗るようなことだから

命に流れてる時間を分けるのはなかなか難しい

天気を浴びているようなもの

分けるというふうに考えずに

娘の変化の流れを 
自分の人生はしばらくの間、ダイレクトに受け続けるということを
受け入れて

環境をととのえていくのが自然なんだろうなと思った

 

 

桜が咲き始めて

娘は静かに、もう保育園に行かない、ということを感じているのが
表情からわかって
でも理解するほどにはまだ体験がなくて

小さな体に、浴びた3年の日々
 

お別れ会のダンスの合間に、みている私のところに
タッチしにきてくれた娘の
小さな手のひらと はにかんだ笑顔と

2024年3月22日金曜日

春分の日は、風が強くて
翌朝目が覚めたら、屋根の上に雪が積もっている

 

保育園へ行く前に自転車に積もっていた雪を
ちいさな雪玉にして娘に渡すと

どこに置いておこう、となって玄関先の花鉢の横に小さな手で置く


「あったかくなったら溶けちゃうかもしれないね」


と娘が言う

 

 

娘を後ろに乗せて

自転車を漕ぎ始めても 小さな霰のような粒がぽつぽつ

不思議な天気の日

 


鴨川沿いを自転車漕いで、アルバイトに向かうとき
 
中洲で濡れた枯れ草が倒れているのを見ると

その荒涼とした感じが実家近くの川の様子に似ていて

じわっと嬉しかった

 

アルバイト先には初めて会う、入ったばかりの女の子がいて

29歳と聞いているその子はハツラツとしてた

29歳の頃って何していたかなぁと思い返して

ずっと前みたいな気もするけど チラッチラと蘇る景色もあって

時間は距離だなって思う

星の光と同じ

29歳の自分と今の自分 距離があるけど 同時にいる

『麦ふみクーツェ』でクーツェが言っていたみたいに

(とおい ちかい は きょりのもんだい)
 


夕方 娘を保育園に迎えにいって

自転車での帰り道 電話が鳴って 自転車を停めて電話に出る

 

4月から、娘が幼稚園のあとに使う延長保育の手続きで

まだ降りてなかった認定があるから、問い合わせの電話をしていた

その折り返し


提出書類に書き漏れがあったとのことで、口頭で伝えて、無事に受領してもらえた

4月1日から利用できるとのこと

電話越し 担当の方の声が優しかった


 
娘のことで会う人は みんな私のことを「お母さん」って呼ぶ

小児科の先生や看護師さん

役所の子育て担当の職員さん

娘からの「お母さん」は水のようにもう体に入ってるけど

大人から「お母さん」と呼ばれるのには今もまだ少しびっくりする

 


家の近所のスーパーへ寄って

娘は大好きな警備員のおじちゃんと会えてハイタッチしてぎゅーっとしてもらってた

お刺身、牛乳、お豆腐、お水、苺、鶏肉、菜の花、茗荷、きゅうり、
チューブの生姜、チューブのにんにく、玉子、焼き芋

100円ショップで娘はヘアゴムとステッキ型のプラケースに入ったガム
私は石鹸ネット

買って帰って

晩ごはん

娘は塩むすび(何も入れず、海苔も巻かないのが好きらしい)ふたつ
コーンスープでお腹いっぱい

大人は豚汁と、お刺身と、漬物と、菜の花の胡麻和えとミニトマトとご飯

とろろをすろうと思ってたけど忘れてた