2020年5月7日木曜日
今日は健診へ。
産院まで歩いて出かける。
よく晴れていて、川まで出ると
茂った緑がバーっと目に入ってくる。
山も青々と勢いがあって、とても近く感じられる。
土手から細い路地に入り
のんびりと歩み進める。
道の向かいからやってくる人が2人並んで歩いていて、
すれ違う時にもそのまま前進してくるから
私が歩道から降りる。
時々あるこの場面で、
私は心の中でものすごく怒ってる。
今日も歩道から降りながら、イライラっとした。
自分だったら、1列になって
前からくる人も、自分たちも、歩道を降りずに歩けるようにする。
それを当たり前と思っているから
そうじゃない時に、自分で道を譲っておきながら
心が逆立ってる。
何度も同じシチュエーションがあり
そのたび怒りが湧くので
何なんだろう、と自分を見つめてみる。
結局わたしは、
自分を慮って欲しいのだ。
自分のことを考慮してほしい、と思ってる。
それって、あたりまえにある気持ちだなとも思う。
でも、考慮するかしないかは、他者の判断で
自分の裁量ではない。
こんな場面のたびに、イライラするのも嫌だなぁと思って
相手が譲ってくれるかどうかではなくて
自分自身に基準を戻せばいいのかな、と考える。
細い路地を通る。
自分は歩道を歩きたい。
前から人がきたら、その人とお互いすれ違えるようにして歩きたい。
2人がすれ違える道幅なのに、相手が並んで進んでくるままに、
自分が歩道を降りるのは嫌だ。
書きながら、自分の小ささを感じてちょっと笑えてくる。
でも、嫌なものは嫌。
2人で歩いてきている方のひとが
1列になって、お互いがすれ違えるようにして欲しい。
(本当に、書きながら、ちょっと可笑しくなってくる。
小学生の女の子が、ムキになっているようで。
でも、そう思っているんだ)
自分は道の真ん中を歩くわけではなく
ひとり分のスペースを歩き、
向かいからきた人たちも、ひとり分のスペースを進んでくれたらいいな。
今度、並んで歩く人たちと細い路地ですれ違う時には
自分は車道側ではなくて、壁側に寄って
そのまままっすぐ進んでみよう。
そしてそもそも
自分自身のくせで
自分がどうしたいかよりも先に、状況が入ってきて
自分自身は考慮せずに
他者に全面的に譲る、という選択肢をすぐさまとっていることが多い。
だから相手からしたら、自分たちが気づくよりも先に
道を譲られ
知らぬ間に、怒られている、ということが起こっているのでは。
そして書きながら気づいた。
自分を考慮していないのは、私自身ではありませんか。
なんと
私は私自身が自分を慮らないところを
他者に慮ってくれ、と求めているんだ。
あわわ。
アルケミストでいったら
私は、私の心の声に
もっと耳を傾ける必要があるようだ。
健診では採血と内診と
それから赤ちゃんが元気かどうか診る検査があった。
ここのところ、体調に変化があったり
今まで感じなかった痛みなどもあるので
もしやもう間もなく?と思っていたけれど
先生からはまだまだ産まれる兆候はない、とのことだった。
そして赤ちゃんが元気かどうかを診る
ノンストレステスト、という検査では
赤ちゃんが起きている必要があるものの、胎動がない。
「多分寝てます」と看護師さんに言うと
「あらー、起きて〜」と看護師さんがお腹をゆっさゆっさと揺すった。
揺すられても、まだ寝てる。
なかなか、マイペース。
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