2023年2月27日月曜日


インフルエンザのあと、鼻風邪が続いていた娘

くん、と発熱して
また風邪をひいてしまう

保育園のお友達も、インフルエンザのあと
鼻水、咳の風邪から発熱と同じ道筋をたどっているとのこと

春に向けて、揺れながら
すこしずつ体調がととのっていくといいと
すこし眼差しを長くしてみる。


とはいえ、週末に予定していた
お正月帰れなかった夫の実家への帰省

もし体調が許すなら
なるべく先延ばしせずに帰りたい気持ちもあった。

無理をしないで
体調がととのうように、気をつけてみていく。





そして週末
娘は鼻水こそずっと出ていたけれど
もう充分元気になって
おうちでも走り回ってずっと遊んで 踊って 歌っていたから

大丈夫かな、と夫と話して

電車に乗って、夫のお母さんのもとへ。


娘はおばあちゃんに会うのは、まだ4、5回目だけど
会うなりおばあちゃんのもとに駆けていき
最初からなついていた。




おじいちゃんのお墓参りへ、みんなで行く。

娘は何もわからないまま、手をあわせる。

「じぃじ」の話をしていると
「じぃじ、どこにいるの?」と娘に聞かれて

少し考えてから「お空だよ」と言った。

「どうして?」

「赤ちゃんが産まれてくるでしょ。それでだんだん大きくなるでしょ。
それからお母さんやお父さんみたいに大人になって、おじいちゃんおばあちゃんになって、
充分に生きると、お空に行くんだ。
花は枯れるでしょ。木に葉っぱがいっぱいついていたのが、落ちたよね。
それと同じで、この体も、いつか動かなくなるんだ。そうすると心は空にいくの」

自分でも考えながら
言葉を探しながら
答えてみたけれど

本当は私も、わからないんだ。娘と同じように。
そうだと、感じるだけで。

「凧みたいに?」

娘にそう聞かれて

「そうだね。でも、凧は糸で繋がっているでしょう。糸はないの。
だからぐんぐん、空の遠くに飛んでいくんだよ」

「なんで?」

「糸があったら、地面にいる人が、トイレにいても、お風呂に入っていても、ずっと持っていないといけないよね。それは大変だから」

問いかけられるたび、自分でも考えながら
言葉にしていく。

娘に届いたかわからない。

届いたそれがあってるかもわからない。


でも「いないけど、いるんだよ」っていうことが
伝わったらいいって思った。


そして私は
どこへいく
という話をするときに同時に
「あなたはどこからきたの?」と心の中で娘に問いがむくのを感じていた。
(それは同時に私自身にもむくのだけれど)




何にせよ、娘はおばあちゃんちを充分に満喫した様子。

帰りの特急電車では
「おっぱいは電車では飲めない。おうちに帰ったらおっぱい飲もうね」
と言って、すぅっと寝入った。


そんな姿にも、すこしずつ彼女が
大きくなっているのを感じながら。



2月はほとんど、風邪で保育園はおやすみ。
自分も娘の風邪をもらいつつ、日々過ごしていたら
あっという間に月末に。

もうあさってが3月だなんて。

突然春に出てしまったような気持ち。


嬉しい、嬉しい。



2023年2月16日木曜日

娘は保育園で歯科検診を受けてきた。

歯医者さんがきていると言って
順番を待っている時からずっと大きなお口を開けていたという娘。

順番がまわってきた時も、大きいお口のままで
泣かずにすんだとのこと。

お迎えの時に先生が教えてくれて
「がんばったね」と話していたら

自分でも誇らしくなったのか

それから夜眠るまでの間に何度も
「歯医者さんがきたね」
「泣かなかったね」
と言っていた。

「どきどきした?」と聞くと「うん」と答えて。

小さな自信が、小さな胸に宿る瞬間が
星が光るように、尊い。


眠るとき
お布団に並んで入ると
「今日もすてきな1日だったね」と言って娘は笑った。

「そうだね、よかったね」


この頃は少しおしゃまになって
ちょっと生意気な言い回しなんかもする娘。

心が育っているんだな。


もうすぐ春。


2023年2月15日水曜日

 

年末年始のコロナから
立春はインフルエンザと
どどどっときた、今年のはじまり。


娘の小さな体で風邪を受け止めるのは
本当に苦しそうで、うなされている娘を抱っこしながら朝も夜もなく過ぎた時間は
いつもよりとても長く感じられた。


それでも、だんだん回復して
表情に普段の兆しが見え始めた時は嬉しかった。

今週は元気に始まって、ほっとしている。



風邪をもらって、私も娘も一緒くたになってへろへろなとき
「もうじきによくなるからね」と娘に何度か声をかけた。

言葉にしながら、それは自分にも届いていて
あぁ、優しい言葉だなぁとすこし慰められた。

言葉が方向を指し示してくれた感じがして。


そしてそう、じきによくなった。


梅の香りがたちのぼって

木蓮の蕾があわあわとたちあがって



体も春に向かっていく



なんとなく、子育ての本を読みたいなと思って
前に本屋さんで見て手に取ったことがあった
「92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て」をネットで買って
読んでみた。

それは、こうしたらこうなるよ、という子育て法というよりは
92歳のおばあちゃん先生が、自分も子育てをして、保育園のこどもたちを
こんなふうに見てきましたよ
こんなふうに考えて、こう接してきましたよ
というお話がぽんぽんと書いてあって
おばあちゃん先生のお話を、隣で聞かせてもらったような感じがして
おもしろかった。


そして、おばあちゃんの目線で見たら
関わってきたこどもたちももう、立派なおじちゃんおばちゃんになっていて
おばあちゃん自身も、人生にいろんな節目が何度もあって

その長ーい眼差しを教えてもらうと、今の中に目一杯になっていた自分も
ちょっと力を抜いて、ほっとなるというか。



本はいいな。


一緒に注文した、根本きこさんの古い本も届いて
その中に逗子にあったカフェ、coyaの写真もあって
またほっとした。

好きだなぁと思った。今見ても。
今はなくなってしまったけれど
足を運べたことが、今でも嬉しい。





2023年2月1日水曜日

 


日陰の道で凍っていた雪も解けはじめた。


ここ一週間くらいは本当に、寒いというよりも
冷たい冷たい気温で「早く春にならないかなぁ」と何度も思った。


でもふとした瞬間に、空気がじわっと緩んでいるのを感じると
もう、むこうに、春は来てるんだとも思えて
何だかホッとする。そんな瞬間も少しずつ。



この間お風呂上がりにタオルで娘の体をふいていると
娘が「おかあちゃん、ちゅうしてあげる」と言って
私のほっぺにちゅっとしてきた。
どこでおぼえてきたのか。
ちゅっとするときに柔らかいほっぺもまるごとあたってくるから
かわいくて笑ってしまう。

娘もにこにこ笑ってくる。





2023年1月26日木曜日

10年に1度の大寒波がくる、と言われて
どんなだろう、と思って過ごしていると

娘を保育園へお迎えに行く時、すごく冷たい強風がぐるぐると巻き上げて
「これは、なかなかすごそう」と感じながらペダルを漕ぐ。

無事娘を連れて家に帰り、ふたりでのんびりと過ごす。
1時間もしない間にふと窓の外を見たら真っ白に雪が積もっていて驚いた。

あっという間に雪が降り、あっという間に積もっていた。


娘を呼んで一緒に窓から外を見て
「お散歩してみる?」と聞くと「うん」と頷く。

お風呂のお湯を沸かしておいて
うんと着込んで出発。

「雪や〜雪や〜」と娘はおそるおそる、でも楽しそう。
雪の感触がわかると、ぐんぐん足をすすめて、歩いていった。

雪が降った日の空気はひんやりとしみてきて
体の奥まで洗う感じがする。


日は落ちても、雪の白さであかるい。


小さな雪だるまを作って、家に入ると
雪に興奮してか、急に寒さに気づいたのか
えーーーーんと大きな声で泣き出した。

慌てて抱っこして、一緒にお風呂に入る。

お湯に浸かって少ししたら泣きやんで、ぽそっと「あったかい」って言った。



お風呂から上がったところに夫も帰ってきて
続けてお風呂に入った。

みんなポカポカになってから晩ごはん。


それから眠る前にまた、窓を開けて娘と外をのぞいてみると
「不思議だねぇ」って言っていた。

きっと本当に興奮していて、
お布団に入っても声が弾んでいて
それでも、雪の中歩いて疲れていたのか、すぐに眠った。




赤ちゃんの時にも、雪の中一緒に散歩したことがあったけど
きっと「雪」って初めてわかったのは
今回の雪だったと思う。


全身で浴びていて、おさえきれないくらいに
心が動いていて。

2023年1月23日月曜日


ふと外に出ると

梅の花がぱぁっと咲いていたりして
重たい雨の質感にも
あぁ、春がくるんだなぁって感じられる。



先日、夫がお休みの平日
娘は保育園で
夫婦2人でお昼ご飯を食べにおもてへ出た。

行こうと話していたカフェは定休日だとわかって
進路変更。

あそこの洋食屋さんへ行こうか、と名前が出るけど
ちょっと遠くて、向かいながら
「他に近場でないだろうか?」と検索したりしてみる。

でもなかなかピンとくるものはなくて

「こういう時って、今までの経験からいって、結局、最初に思いついたところなんだ。
いっぱい探してやっぱりこれだったねって。だからもう、あの洋食屋さんへ行こう」
と言って、はじめに思い浮かんだ洋食屋さんを目指す。

結局、すこし遠い、と思っていた洋食屋さんまで歩きながら
いろいろ話せてよかったし
洋食屋さんのその日のランチ、魚の白身フライはサクッ、ふわっで
とっても美味しかった。



そんな日。




この頃、娘はまたべったり期に入っていて
「おかあちゃん、こっちきて」「おかあちゃん、抱っこして」
「おかあちゃん」「おかあちゃん」


果たして私のおっぱいもいつまで出るのか。


私の体力的にもそろそろ断乳かと思うものの

「アイスよりもおっぱいが好き」と言われて、覚悟が決まらず。





そんな日々。



2023年1月17日火曜日

 


年明け はじめてのインタビューのお仕事で
電車に揺られる。


昨夜は緊張して、夜中に何度も目が覚めた。

遅刻しないように朝早く起きて、朝ごはんの善哉を温めながらも
緊張してしまう。


緊張のもとは
ちゃんとお話が聞けるかな、という不安で
やっぱりお話を聞かせていただく以上、しっかりしっかり
できる限りで聞きたい。という気持ち(欲なのかもしれない)が働くから。


でもいつも
自分の器に受け止められる以上のお話を相手の方がしてくださり
(それは一緒にお話を聞いてくれている友人や、先方の社長の存在と
お話をしてくださる方の器量によるもので)
録音機がそれを余すことなく録音してくれていて

私は後から、追いつこう追いつこうと必死に追いかけるようにして
何度も聞き返して、文字起こしをして
紙に起こした言葉の端々を何度もなぞって
やっとやっとやっと、やっと、そこにあるエッセンスのようなものに
触れさせていただけたら幸い。そこを目指そう、っていう感じだ。



でも今日も、ふたりの方からそれぞれお話を伺って
1時間ずつなのに、人生がのっかっているから圧倒されてしまい

クールダウンできずにまた真夜中目が覚めてしまって今。


生きてるってすごい。単純だけど、深くそう思う。


そして、自分の人生がどう運ばれていくかって
自分自身でもわからないもので
だけど、その瞬間その瞬間にどんな在り方でいるかが
必ずその人を運んでいく

そこには意識できる部分と
無意識のものがあり

でもどちらもその瞬間の態度や在り方にはそれがきっと現れ出ていて

そこにその人がいる。


そんなふうに思える。








週末、夫の誕生日に
夫が注文したレコードプレイヤーが届いた。

ずっと欲しいと言って、ずいぶん探していたものが
家にやってきた。


私と娘が実家に帰省している間に

一新したいと話していたオーディオ棚も
夫が注文したものが届いて、残業続きの忙しい中、組み立てていた。

そこにレコードプレイヤーがはまる。




レコードをかけると
空気に働きかける臨場感があって面白い。

夢中になってしまいそう。



夫が調えたオーディオ棚を見ながら
この棚はこれから先もずっとあるんだろうなってなんとなく思う。

自分たちが年をとって
娘が大きくなる風景の中に。




インタビューを終えて帰り道
いつもより1時間遅く保育園へ向かった。

お友達も少なくなって
宵のとぷんとした静けさが保育園の玄関先にもわたってる。
娘は走ってきて私に抱きついて
笑顔の先生が追いかけて出てきてくれた。


小雨が降る中、自転車を漕いでふたりで家に帰って
タイマー予約して炊き上がっていた炊飯器のご飯の匂いに迎えられる。

雨も降っていたしスーパーに寄る気力はなかったものの
途中、ぱっと寄れるコンビニで買った牛乳と娘が手に取った納豆を
買い物袋から出して冷蔵庫に入れる。

冷蔵庫の中身を見て
鮭を焼き、玉ねぎと小松菜のお味噌汁を作って
今日お土産にもらってきたお豆腐を冷奴に。

夫が帰ってきて

納豆をかきまぜて
蕗味噌をちょっと小鉢にいれて
実家でお父さんが漬けた、生姜の赤紫蘇づけも小皿に盛る。

昨日作ってたニンジンラペもあった。



晩ごはん食べて

1日は終わっていく。


そしてお風呂に入って娘の寝かしつけと一緒に眠り
また、聞かせてもらったお話の厚みで
夜中目が覚めて眠れなくなっている今。




布団を出る前に
胸に感じていた色々の中に
(運ばれていく)っていうのがあった。


自分をどうこうしようとせず

流れとともに、この航海をいくだけ、というか。




(小さな波も大きな波も、同じ水)

数日前に友人が教えてくれた言葉も一緒に
思い浮かべながら。





2022年12月16日金曜日

 

昨日は、
「先生が夜テレビでドリフターズ見れるって言ってた」と娘が言って
調べると仲本工事さんの追悼番組で、ドリフが放映されるとのこと。

それに合わせてお風呂に入り
20時には娘とテレビの前でドリフを観た。

娘もニコニコ笑って
「かとちゃん出てきたねぇ」なんて言って嬉しそう。

まだ若い、志村けんちゃんも元気そうで
なんだかじんとする。

1時間くらい観て、帰ってきたお父さんにおうどんを温めて
おやすみを言ってから就寝。


朝起きてから、
「まだ寝てたい」なんて娘は言っていたけれど
今日着る服を選んで、もそもそと起きていった。

オレンジとベージュのボーダーのトレーナーに
白地に緑のチェックのズボンを選んだ娘っこ。

柄と柄の組み合わせも、小さい体で着るとなんだかかわいい。
Tシャツもボーダー、ズボンもボーダー、
全身ボーダーなんていうこともあったっけ。




娘のタンスの中や
自分の服の収納ケースを整理してから
服を取り出すのも、仕舞うのも楽になった。


服は重ねて収納すると、下の服が見えにくくなるから
立つように畳んで仕舞うと見つけやすいし、ぐしゃぐしゃにならない
というメソッドは、何度か試してきたけど自分には合わなかった。

服の柄がよく見えるように、平たく畳んで重ねた方が、
開いた時に楽しいし 仕舞うときも仕舞いやすいし
服を大事にできるみたいだ。




色んな やり方 ハウツーがあり
それは極めた誰かが教えてくれる洗練された方法だけど
「ぜったい」はないということ。


自分の呼吸の通るところ
自分の暮らしは自分の呼吸 自分の手もとの
動きやすい方に なっていくんだなって思う。

自分の 嬉しい や 心地よい、が道筋になる。

だから人の暮らしはきっと千差万別で、それが味わい深く
おもしろいところ。




2022年12月15日木曜日

 

昨日、今日と急につめたくつめたく、冷え込んだ。


朝ごはんを食べながら娘が
「今日はこっちから行かなあかんなぁ」と言う。

いつも通園路にしていた「こっち」の商店街の道。
車通りが多いこともあって、お寺周りの「あっち」の道から行った方が
車も少なく、木々や空気が綺麗だから、
ここしばらく「あっち」から保育園に向かっていた。

それが、木々が影になる「あっち」の道は寒いから
東側の「こっち」から行かなと言ってる。


こっちとあっちはどっちが寒くてどっちが暖かいのか
寒いから今日はどっちから行きたいのか

ぽつっと娘の口から出てきた言葉に
色々感じたり、考えてるんだなとハッとなる。



ゆで卵の殻を小さな指先で器用に剥いて、パクリと食べる。
黄身は苦手で今まで残していたけれど、今日はマヨネーズを少しかけて挑戦。
ごくりと飲み込めた。


パンにジャムを塗ったり

薄くスライスしたりんごをしゃりしゃり食べたり


いつもはご飯のあと「おっぱい!」と言っておっぱいタイムがあるけれど
今日は「ぎゅーして!」と言ってきて、ぎゅーっとするとそれで十分な様子だった。




自分で選んだ、猫の模様が入ったピンクのトレーナーと
「あったかいの履く」と黄色の少し厚手のズボンに着替え
お気に入りの青いジャンパーを着て、今日も保育園へ。


2022年12月12日月曜日

 

友人が制作している、ケーキ屋さんが毎月発行しているフリーペーパー。
その中で扱う、お店で働く人のインタビュー記事の仕事を依頼してもらった。


今まで担当していた方がしばらくライター業を休まれるとのことで
「やってみない?」と、私に連絡をくれたのだった。


人のお話を聞いて、文章にして伝えること

ずっとやりたかったことだったから、挑戦しようって思った。


遠方のケーキ屋さんまでは、片道2時間。

夫が丸一日娘を見てくれたから、朝から晩まで出かけて
お話を伺ってくることができた。


帰ってきてから、録音を聞き返して文字起こしして
文章にまとめる。

何をしていても、心はどこかずっと、聞かせていただいたお話をなぞり
その人の感じを、思い浮かべながら。

ゆっくり、ゆっくり。



はじめ、なるべく話してくれたインタビューの言葉をそのまま載せたいと思って
編集したら

「文字数が限られているから、相手の言葉をこんなにたくさんは残せない。その人の言いたいことを代筆するような気持ちで(大事なところをすくい、伝わる言葉に変えて)書いて」

と言われ

話を聞きながら感じとった私の言葉も、多く綴ることになり

インタビュー記事ってどうやって書くんだろう?と
昔のクウネルを取り出してきて、なるほど、なるほど。と読み込んだ。



聞かせていただいたお話は、相手の中にある。
それは、相手の目線をなぞること。
相手の体験をたどること。

同時に私の目は、外側にあるから
その人がいる景色がどう(私に)見えたかって、
話しているその人を、どう感じるかって
外からもその人を描くというか

その人がいる、空間を描くこと。

それができることなんだなって、感じた。





無事、おひとりめのお話を文章にして、先方に送る事ができた。


今度は、同じ日にお話を聞かせていただいた、もうひとりの方の記事に取り掛かる。




相手の中と

自分の中と





昨日の夜中


娘の寝言に私が登場した。


なんて言っていたか思い出せないけど、

「お母ちゃん、〜して」という感じで

夢の中の私に話しかけていた。

本当の私、というか、私自身は今、眠っている娘の横で
起きて娘を見ていて

眠っている娘は、夢の中で娘の中の私と会っている。


なんだかきゅんと切なくなった。

彼女の夢に、登場させてもらえてる、やわらかい甘さと一緒に。


彼女の中に(わたし)がいて

それは私じゃないけど、多分(わたし)で。


娘の中に、彼女がひとりでも(わたし)が描けることが嬉しい気持ちと

それは私なのかな?私ってどこにいるんだろう。
人が出会うってなに?本当に出会うことってあるのかな

という不思議な気持ち。

悲観的な感じではなく

多層に存在するあり方の不思議に触れるような
そういうきゅんと切なく、少し目線が遠くなる感覚に
夜中、なった。



2022年12月8日木曜日



昨日の朝のこと

いつものように娘を自転車に乗せて
一緒に保育園へ向かっていると

娘が
「こっちゃん、お空を飛んでたことあるんだ」
と言った

「そうなの?どうやって飛んでたの?」
と聞くと

「羽根があったの。お母ちゃんが手をふってたから降りてきたの」
と言った。


胸にじーんと響いてきて、涙が出そうになった。

「手をふってたから降りてきたんだ。降りてきてくれてありがとう」
と言うと、
娘は「うん!」とこたえてくれた。


嬉しかった。







ずっとコートを探していて

娘が生まれてから、
「抱っこしやすくて汚れても大丈夫なもの」と思い
かなりカジュアルな冬物のアウターを着ていたけれど

ふっとショート丈のダッフルコートを見つけて
着てみたらすごくしっくりきたので購入した。

着てみて「あ、これだよ」と思った。


そうか、そうだ。

(自分が何を好きだったか思い出せない)と思ってた
産後の私、というか、つい先週くらいまでの、わたし。


大丈夫だよ。
大丈夫。

って、言いたくなった。



2022年12月6日火曜日

 

夏に引っ越してからずっと解いていない自分の荷物の段ボール
作業机にしようと買って箱の中に入ったままだった折り畳みテーブル





先週末、娘から胃腸炎がうつって
私も夫も体調を崩してしまった。

でも、何も食べずに過ごして
それから少しずつお粥なんて食べて過ごしていたら
これも年末のデトックスだったのかもしれないとも思えて
回復すると体も軽い。



週明け、体調が戻り
娘を保育園に送って家に戻り、

ふと気がつくと
自分の荷物を段ボールから出し、段ボールを潰して
それから押入れの中のいらないものをゴミ袋にまとめて
折り畳みテーブルを開いて設置…。

押入れの中も整理して
衣類スペースと画材等のスペースをきっちり分けて
ぐんぐんぐんぐん、手を動かす。


やろうと思い立ったというよりは
気づいたら体が動いているという感じでどんどん整理していった。


昨日は途中で終わって
今日も娘を保育園に送ったあと取り掛かった。



今までリビングの食卓で作業していたから
リビングの上に私のパソコンやノートが積まれていたものも
開いた自分のテーブルの上に移動する。



整理をしながら

あれ、これ、ここにあったんだ、となくなったものを発見したり

ずっと捨てられなかったものを、もう手放してもいいか、と自然と思えたりもした。


自分の作業机ができて
その周りに、自分の棚を置いたりしていたら

(誰かと同じ場所)じゃなくて(私がつかう場所)が生まれた。

そこは、実家の自分の部屋の空気と
(今は、もう荷物置き場のようになっているから、私が暮らしていた頃の)
同じような空間で、はっとなる。

ひとり暮らしをしていた時の、自分の部屋ともちょっと似てる。


私はこういう人だったかも、というか。
自分の中の澄んだところが、あらわれてきてくれたような。



夫とふたりで暮らし始めた時

IKEAで家具を揃えたりしてスタートしたからか
「部屋がすごくおしゃれで、でも、おしゃれじゃない俺はどこにいっちゃったんだろうって思う」と言ったのが、すごく残っていて


人と暮らし始めたら

自分の匂いって消えちゃうのかなっていうか

そうじゃないと思うけれど

なんて言ったらいいのか、うまく言葉を見つけられないけれど。


どっちがいいとかでもない気がして、


ただ、


そうだよね、

そうだ。


どこにいるんだろう、って思って。

どこかにいっちゃうのかな、って問い続けていた感じがあって。




娘が産まれたあとは

彼女のものと私のものが、同じスペースにまとまることがすごく多くて

でも今回、きちんと分けたら

(私が持ってる、私の押入れに入れた「娘の思い出BOX」もあって、
それは私がとっておきたいからとっている、私のスペースにあるもので
そういうものも、ある。それは、私と彼女の出会いだなぁって思う。

それに、ここ2年半は、ぎゅうっと、どっちがどっち、とかじゃなくて
違うところも、くっついているところも、くっついていたいところもあって
ぐるぐるになって、過ごしてた時間なんだから、そういうもんだったんだって
なんかそんなふうにも思える)


なんだか、みんなとの暮らしの中にある、わたしの場所ができて

あったかくて、しん、とひんやりもしていて、明るい気持ち。





本棚の中に、自分の本だけ。

テーブルの上に、自分の使うもの、自分の好きなものだけ。



でもすぐそこに

というか後ろを向いたら、娘の服が詰まった小さなタンスがあって

みんなの服をほしてるベランダがあって。




2022年11月21日月曜日

 

毎日飲みはじめた漢方

ご飯を作り終えるとつい
「さぁ、温かいうちに早く食べよう!」と気持ちが動いて飲み忘れてしまうから
夫に「薬飲んだ?」とよく聞かれるように。

食前のはずが
食後に飲んだりしながらも
静かに効いている感じがして
気がつくと、気持ちが安定していて
(地面がちゃんとできて、地面より下に沈むことが、なくなった感じがする)
からだも、動く。

朝起きた時の気持ちが、ほんのり明るい。



ふつうに体が動いて
気持ちが安定しているっていうことが
元気があるっていうことなんだな、と感じる。


よかった。


冷えとりの靴下も、夫が「買おう!」と言ってくれて
久しぶりにごそっと買い足した。


届くのが楽しみだな。



裏地が絹で表地がコットン、という
1枚で2枚履いてることになるという簡略版のソックスは最近でも履いていたけど、
本当に冷えとりをしていた時は、4枚とか5枚履きをしていたから
(とても薄い絹や綿の靴下を重ねて履く。ふんわりあったまって本当に気持ちいい)
同じようにするのは久しぶり。

思い出すと、気持ちがいいから毎日履いていたなぁ
という感覚が蘇ってくる。


そして、こうやって気が向くということは
私が(やりたい)と思うからで、それが今の自分に合ってるから
なんだろう、と思う。

漢方も、靴下も。


たぶん、養生の方法は無数にあって
それはそのときそのとき。
そして、その人。その人、なんだとも感じる。





日曜日

娘とふたりで電車に乗って動物園へ出かけた。

なぜか鳥類が好きな娘。
フラミンゴの前で、ずいぶん長いことフラミンゴを見ていた。

寒いのか、群れでかたまって顔も隠し
じっと動かないフラミンゴたちに向かって


「おーい、フラミンゴくん、こっちゃんここにいるよ!」

「おーい、フラミンゴくん、なにしているのー?」

「おーい、フラミンゴくん、きれいだねぇ」

と話しかけ続ける。



そろそろ帰らないと、お昼寝の時間に差し掛かるぞ、と思い
「もうそろそろいこう」と声をかけると
「まだみる!」と言う。

かたまるフラミンゴを
またじーっと見て、もう一度声をかけて
「まだみる!」の返事に、またもう少しまた、じーっと見る。



どんなふうに、見えているのかな。



帰り道は、もう多分、娘は眠たくなって
なぜか道に座り込み、靴を脱いで靴下を脱ぎ始めたり
抱き上げても、また道に座り込んだり。

娘をスリングで抱えて、動物園から駅までえっほえっほと歩き
電車に乗って帰る。


大きい体。重たくなった。

それでも、抱っこできることが嬉しい。