ふっとラジオから漏れてきた音がよかった。
描いた絵を販売してみたいな、と思う。
陽子さんもいいのが描けたら送ってと言ってくれたから送りたいなと思いながら
自分でもインターネットのBASEとかを使って、販売してみようと思いついた。
どんな風に売ったらいいかな?と夫に相談してみると
額装して売るのがいいのでは、とのこと。
確かに、ポスターなどでないなら、額装してもう飾れる状態で販売するのが
私がお客さんだったら嬉しいし、スムーズな感じがした。
絵のことについて
いろんなことが浮かんでくるけれど
浮かんできたことが、すぐに進みそうにないとき
違う方法で簡略化して進めないか、と思う癖が自分にあり
その方法を手元で試してみると、やっぱりよくない。
思い浮かんでいるところに、ただ素直に動いていくのがよさそう。
手間を惜しまず。ただ淡々と手をすすめる。
この3月の初めまで、
かなりカツカツと自分にとって「違うこと」にエネルギーを注いできて
(とはいえ、それなりに意図を持ってやってきて、
その意図の始まりが自分にあることは分かってる)
今感じることは、本当に「違うことをしない」ということだ。
生きている時間は有限で
その中で、自分じゃないものに焦点を当てた分、自分の人生が本来の道筋からずれていく。
でも同時に、ものすごく集中的に「違うこと」にエネルギーを注いで分かったことは
エネルギーを注いだ分、注いだ先の景色が進むということ。
(だから私はどんどん「違う方」へ歩いて行って、結果的に夫に「そんなこと言う人だったっけ?」と言われるような発言をするところまで)
それは、本当にそうなんだな、と思って
「違うことをしないこと」そこに心を澄ませていたら
自ずと、命のもつはたらきがそのまま通る道を歩くことになるということに
自信がついた。
誰からどう見られても、そんなことは、本当にどうでもいいことなんだ。
絵を描いて、それを壁に貼ると
周りにまた色のイメージがやってきたから
それに従って、作業をしてみようと心に決める。
心にふっと湧いて出てくることに なるべく素直に体を動かすこと
暮らしも、この絵を描く感覚と近いかもしれない、と思い
保育園のお迎えまでの間
行きたい、と思っている絵本の専門書店を目指すことに。
「お迎えまで時間があまりないかもしれない」
「初めていく場所だし、迷ったりしたら思いがけず時間をとってお迎えに間に合わないかも」
いろんな考えが湧いてくるけど
調べたら1時間は滞在できる。
「1時間じゃ足りないかも。もっと余裕を持って行けるときにしたほうが」
と、また思い浮かぶ。
だけど心は行きたいと踊っているし、
1時間で足りなければまたゆっくり次の機会を作って行けばいい。
そして1時間あれば、充分にゆっくり見られるだろう。
そう思って、バスに乗って本屋さんを目指した。
よく晴れていてバスに乗っている間も景色が楽しい。
最寄りと思われるバス停でバスを降り、
地図を見ながらたどり着いた絵本ばかりの本屋さん。
とても素晴らしかった。
娘の顔を思い浮かべて、今の彼女に届きそうなものを探す。
それもたくさんあったし
私自身が惹かれるものもたくさんあった。
娘が生まれてから絵本を一緒に読むようになり
今まで知らなかった絵本の魅力に惹かれている。
もちろん、子どものころは夢中だったけれど
小説などが読めるようになってからは、絵本から離れていて
それがまた、ぐっと没入できるようになった。
本当に素晴らしい絵本がたくさんある。
生まれたてのむき出しの心身と一緒にこの世界に触れていくような。
この世界のよろこびを、一緒にうたってくれるような。
自分が惹かれた本は、今の娘にダイレクトに響かないかも…と思い
数冊、心にタイトルをメモしておいて
娘と一緒にたのしめそうな、自分も子どものころに何度も母に読んでもらった本
「ぼくはあるいた まっすぐ まっすぐ」
を買った。
いつか一緒に読みたいと思っていたから。
(そして家に帰ってから知ったけれど
この本の著者は、マーガレット・ワイズ・ブラウンさん。
この頃、大好きな作家さんだった。林明子さんの絵の印象が強くて知らなかった。
好きが繋がって、とても嬉しい。)
帰り道、バスにしようか電車にしようか考えながら歩いていると
川まで出て
時間もまだ余裕があるし、気候もいいから歩くことにする。
家から最寄りのバス停近くに自転車も停めてあるから、途中で拾えば
家に帰らずに保育園に直接お迎えもいける。
土手にはかわいらしい野花が咲いている。
しばらく歩いて、このまま土手を歩いていくか
土手から抜けて、公園を抜けていくか と浮かんできて
どうしたい?と問うと、公園を歩いていく、と感じたからそのようにする。
「効率の良いほう」とか「時間を短縮できるほう」じゃなくて
「自分が今、したいほう」と
何かを選ぶことが、とても久しぶりな感じがした。
1日1枚は絵を描こうと思い、昨日は小さな紙切れ(ネパールでつくられた手すきの紙)に
オイルパステルで色を重ねていく。
娘の描いた絵が本当に良くて、意図のなさが本当に美しい。
彼女のようには描けなくても、わたしもなるべく目が呼ぶ色と
手がのびるところを感じながら、そこに素直に色をおとしていく。
とても抽象的な色の重なりだけど「いいな」と思えて
小さい写真たてに入れて棚に置いておいたら
帰ってきた夫が気付いて「これいいね」と言ってくれて
お、と思った。
説明はできないけれど「いい」と思うところを
素直に触れていく
それを誰かも「いい」と感じるということは、ふっと勇気になる。
そしてそれが、一緒に暮らす夫だということがまた、嬉しい。
シルクスクリーンを自宅でできるキット、注文していたものが届いたので
今日はそれで注文をもらっていた巾着10枚分プリントしていく。
あっという間に刷れてしまった。
あまりにもすぐ刷れたので
絵を描いていた紙に試しに刷ってみたらそれも素敵だった。
ポスターも作れそう。
個人事業主の開業届を封筒に入れて、税務署へ送った。
絵やデザインのお仕事は今までもいただいて時々させてもらってきたけれど
届出を出すと、背筋が自然とのびる。
「日向の道を歩けば人生はきっと輝くよ」と、朝ドラで繰り返し伝えられる言葉。
昨日の夕方、娘が保育園から戻っておっぱいをあげたあと
「お父さんの会社の近くまでお出かけして、みんなで桜をみようか」と
娘に声をかけると、彼女の顔がパッと輝く。
少し厚手のズボンに履き替えて、一緒に電車に乗って
夫の勤務先の近くまで。
毎年、その近くに咲く桜の花のトンネルの下を歩くことが
恒例行事みたいになってきたから、満開の桜が散る前に今年も。
2年前は大きなお腹で歩いたし
1年前は、まだ歩き始める前だった娘を抱っこして歩いたっけ。
娘は外で待ち合わせした夫を見つけると笑顔で駆け寄っていく。
夕陽がさして、桜の花が浮き立つように咲き沸くのを眺めながら
3人で歩いた。
娘ははしゃいで坂道をひとりでのぼりおりしようとする。
足元が危ないのを、夫と私で両はしから手を伸ばして支えながら歩く。
暗くなる前に桜並木を離れ
平安神宮の近くのぱかーんと広い、蔦屋書店を目指す。
歩いているうちにだんだんと夕闇に包まれて
空を見上げて娘は何度も「月!」と言った。
蔦屋書店に併設されてスタバであったかいラテを買って
テラスでのんびり晩ご飯をかねたお茶をする。
こっそり持ち込んだドーナツもみんなで食べる。
人はあまりいなくて
広々とした夜の中に、街灯の明かりがやわらかくともり
時々、影になったひとが、歩きすぎていったり
自転車が流れ去っていったり。
まだいつも眠る時間よりはだいぶ早かったけれど
疲れたのか、夜の闇の効果か、娘が「眠たくなっちゃった!」とぐずり始めたので
持ってきた抱っこ紐をリュックから出して、
抱っこして帰る。
「眠っていいよ」と娘に声をかけたけれど
「眠たい、眠たい」と言いながらも起きていた娘の目が、夜の街を見てる。
春の夜は、明るくて
なんだかとても遠くまで泳げそうな感じがする。
そんな夜におもてへ出て遊べるなんて
もっと娘が大きくなってからかなと思っていたけれど
今一緒に、たぷんたぷんと穏やかに揺れる夜の中を
夫も私も娘も一緒になって歩ける。
案外、そう。やすやすと。
日曜日に、
娘と同じ保育園に通う男の子とそのご両親がうちに遊びにきてくれることになった
それをきっかけにして
そして今ちょうどそういう気分になったから
部屋をコツコツと掃除している
いらないものをまとめてゴミ袋に入れて
夫と私の本がいっしょくたになって、ただ大きさだけで分類されていた本棚の中を整理して
本屋さんの棚みたいに
「この本の隣には、この本」という具合にちゃんと響きを読んで組み合わせていって
夫の本と私の本がそれぞれの端から始まり、真ん中の
池田澄子さんの句集のところあたりで混ざるような流れで組んだ
もう自分にとって時間が止まっている本は抜いて
流れている本だけを置いていく
娘のおもちゃスペースも整理した
娘の絵本もたくさんある中から、もういいかな?というのや
あまりはまらなかったものは抜いて、棚も整理する
今ふと絨毯の上に座って
娘の遊ぶスペースに目を向ける
いつの間にか 絵本だらけ
おもちゃだらけ
そしてここで、絵本を読んだりおもちゃで遊んだり
歌ったり踊ったり
夢中を満喫している小さな人の気配を思い出して
ほわり 癒される
今朝、目が覚めるとなんだか下半身に違和感をおぼえ
トイレへ行くと生理が始まっていた。
妊娠前、2019年の8月が多分最後だったから、
3年近くお休みだったのが再開された。久しぶりの感覚。
授乳回数が多いほど生理の再開が遅れると本で読んでいたけれど
きっとその通りで、娘が生まれてからも1年10ヶ月生理はこなかった。
偶然かもしれないけれど、先週末に実家から戻ってきて
ここ3日ほど、娘っこは少食ながらも今までにない積極性というか
楽しんでいる様子でごはんを口にし始めていて
自分でごはんを食べる力(食事を楽しむ気持ち)がついてきたのかなと
感じ始めているところだった。
この感じ、なんて言葉にできるかな…と思いを馳せていたら
乳離れ、とダイレクトな言葉が思いあたって
本当に、こうやって少しずつ、私と娘の間に距離が生まれ、空間が広がっていき
くっついていたものが離れていって
互いに自由に、手を振り合えるように
互いの姿が見えなくなっても、それぞれに生きていけるように
なっていくんだろうな。
私もまた同時に、この春は
今まで必死にただ目の前の小さな命につきっきりだったところから
自分自身の人生の道筋に、またひとりの足で戻ろうとしているような感覚もあって
(もちろん、夫との間に彼女がやってきて、彼らと共にある暮らしを行きながらではあるが
同時にそれぞれが、それぞれの軌道に乗っているという感覚も蘇ってきた)
このタイミングでの生理の再開が、とても自然な流れの上にあるように感じられた。
そして、振り返ってみると
余裕なく狭い道をダッシュしているようだった1年10ヶ月、
そこで生理が再開されていたら私は余計波立って、とても大変だったと思う。
からだは待っていてくれていたようにも思えて
このからだ、わたしのからだにめぐる流れに(ありがとう)と思った。
出産直後の悪露(胎盤が剥がれたあとの、子宮内の傷跡から流れる血や、組織の排出物)
が出る間使っていた生理用ナプキンの残りをトイレの戸棚に置いていたから
静かにそれをとって新しい下着につけて着替えた。
朝ごはんを食べ終えて
娘を保育園へ送っていく。
朝少し降った雨で路面は濡れていて
桜の花ばなもしっとりと色を深めていた。
保育園に着くと、いつもパンツ姿の先生が
綺麗なスカートを履いて正装していて
満3歳の子たちが、今日で最後の登園、お別れ会があることにまた実感が湧く。
時の流れよ
日々の重なりよ
ただ運ばれていくだけの
わたしたち小さな舟みたい
その瞬間瞬間に
いろんな光をみながら
娘と一緒に実家へ帰省
会いたかった友人たちと会って時間を過ごせて
娘も友人たちや祖父母と過ごして楽しそうで
(刺激も強くて、時々ぐずりもして)
母の春巻きを食べて
実家の近くの川へ行って 空と水面が呼応するのを見て
桜が開き始めたのも見届け
新幹線に乗って帰ってきた
真空状態みたいにペッタリになっていた心身に
ふわぁっといい空気を満たしてきた
夫は美味しいパンを買って、待っていてくれた
娘は今日から保育園だったけれど
鼻水が出ていたので念のためお休み
仕事へ行く夫を朝見送ってから
ふたりで公園へ行ったり、パン屋さんでパンを買ってきてお昼ご飯にしたり
昼寝をして、昼寝からさめたら自転車に乗ってスーパーへ出かけたり
気ままに過ごした
スーパーでは、娘に絵本を1冊(ずんずんばたばたおるすばん)。ボーダーのTシャツを1枚。
それから100円ショップへ行って、
娘のおもちゃを収納する透明タッパー(中身が見えて、娘が自分で開けられるもの、
お味噌を入れる用の円筒形のかわいいの)を2つ
最近、珈琲の焙煎を始めた夫が
「コーヒー豆をいれられるケースが欲しい」と言っていたので、
ガラスの保存容器を買った
さて、京都も桜がいよいよ咲き始めました
今日は信号がぱっぱと青になる、気持ちのよい日
娘っ子の鼻水もとまってきたから、明日は保育園に行けるだろう
夕方、夫が帰ってくると
娘は入り口まで迎えに行って
私が夕ごはんを作っている間、たくさん遊んでもらっていた
娘の夕ごはんは、ちょっと前にプレート皿に出したら
「わぁ!美味しそう!」と言ってたくさん食べてくれたから
プレート皿に色々盛って出す
「おとうちゃんに!」と言って、夫にスプーンを渡し
満足げに1口ずつ、ごはんを食べさせてもらっていた
神社の横を通り過ぎる時
道にまで梅の花の香りが渡ってきて
マスク越しなのに、そして自転車で走りすぎるほんのひとときの間に
わっと感じることができる
自転車をスーパーの店先にとめて
子どものせがついてるカートに娘を座らせて、一緒に買い物をする
入り口に入ると娘が
「シュッシュする」と言ってアルコールスプレーを手にかけて欲しがり
鮮魚コーナーの前に行くと
「しらす」と彼女が言って、私がカゴの中にしらすのパックを入れるのを見届ける
買い物を終えて自転車に娘を座らせていると
娘は隣に自転車をとめているおばあさんに
「さよなら」と声をかけた
おばあさんは耳が遠いみたいで聞こえていない
娘はもう一度声をかけて
それから
「自転車みどりだね」って言った
おばあさんは気づかなかったから、私が
「そうだね、自転車みどりだね」ってこたえた
家に戻って駐輪場に自転車をとめて、娘を自転車からおろすときに
視界に空が入ってきて
「空が広いなぁ」と思わず私が呟くと
娘は「おつきさま」と言って
「おつきさま見えないなぁ」とこたえると
娘も空を見上げて「雲だけ」と言った
青空に白い雲が泳いでる
月は時間が早いのもあるかもだけれど
今日は新月で、そう、あっても見えないんだ、って
娘と歩きながら思った
少しずつ空気が緩んでる
雨が降るのも、寒さでキンと縮まった、空と土をほどくみたいにして。
毎晩、眠るとき
娘と同じ布団に入って、同じかけ布団をかけて眠る。
娘の小さな体はとても暖かくて
夜中、まだまだ3、4回おっぱいをあげるので起きるのは
疲れている時はしんどくて、泣きたくなったり、実際に泣いてしまう日もあったし
いまだにあるんだけど、
小さくて、でも大人よりも速い、寝息を聞いて
つん、と目を瞑った寝顔を「かわいいなぁ」「かわいいなぁ」とずっと眺めていられる。
アルバイト先を今月で辞めることになって
勤務時間外も連絡がきたり対応を求められることが本当に多く
それが当たり前になっていることが
自分で意識しているよりもずっとストレスになっていたみたいで
2月は本当に辛かった。
夜中に起きて涙が出たり、暮らしの中でも気付いたら泣いてたりして、
でもそういう自分が何か間違えているのかもと思ったりしてまた自分でややこしくして
解けないことが苦しかった。
でももうそれも辞めたら終わりだし、もうちょっとだけ、と思ってた昨日
休みだけど、ひとつだけ返信を返そう、と思って連絡をしたら
そこからまたすぐに折り返しの連絡が入ってきたときにもう無理と思って
「もうなんかほんとうに…」と思わず返信してしまって
(無理)と書きたかったけれどそれはできなかった。
そのあとスマホを置いて布団に入ったら涙と嗚咽がバーっと出て
心臓がドキドキドキドキしていた。
心臓がドキドキドキドキなるのを感じながら
同時に、休みの日に答える必要ないし、
やり取りする必要もないとハッキリ感じた。
去年の秋から「休みの日にやり取りすることはできないし、やり取りすることが辛い」と伝えていて、それは1月にも2月にも伝えて、
昨日、返信がきた人には数日前に「夜中に泣いたり、なんでもないときに涙が出る状況でまずい」と伝えていた。
自分もそうかもしれないけれど
人って「大丈夫じゃない」って伝えても
本当に相手が大丈夫じゃない状態を見るまでは
大丈夫じゃないって、認識できないのかもしれない、と感じた。
そして私自身も自分の中に「まだ大丈夫」ってゆるさがあって
自分自身への甘えや鈍感さがあって
自分を守らなかったんだろう。
体が強く教えてくれて、
昨日、乗ってしまっていた流れから思いがけず降りた。
それから布団の中で眠って
起きてからなんだか気になってSixTonesのYoutubeを見たら
めちゃめちゃ面白くてずっと観ていた。
くだらないゲームをして笑ってるのが、おかしくて、癒されてた。
はーあ。
布団の中で眠りながら、
いろんなわからないことがあるけれど
頭で先を見ようとしても、見えないから
今、浮かんでいるところをひとまず、ひとつずつ、行動してみよう
ひとつ行動をしたらまた景色が変わるから
そこで感じる空気を浴びて
また見えるものから始めたらいい
きっとずっとそうやって
見えなかった景色を
見ていくんだ
そんな考えが浮かんできた。
そしてそれはきっとそうだろう。
今できること、
ひとまず
絵を描く。
頼んでいただいている絵。
その絵を描いて、発送しよう。
それが今の私の目の前にあって、見えていること。
その絵を描いて送ったら、
そこにいる自分の視線にまた何か入ってきてるだろう。
何か感じていることがあるだろう。
それはそのときに。
見えなかったらまたそれはそれで、まぁ、のんびり。
そうそう、娘っこもこの頃
「のんびりする」って時々言う。
のんびりする、って言いながら、
私にぺたりとはりつくように、くっついて。
まったりまったり、とおじゃるまるのテーマソングまで歌ったりして。
年末年始
夫の実家、私の実家と続けて帰って過ごした。
妊娠中にコロナが流行って、出産2ヶ月前に帰省したのを最後にずっと帰っていなかった。
産後初めて、娘を連れてそれぞれの実家へ。
家族や友人と過ごす時間が本当に温かくて
心から安心していられて
あぁ、この2年、本当に頑張ったし、ずっと心細く寂しかったなと振り返った。
(もちろん、娘がわたしと夫の間にやってきてくれたことは本当にありがたくて
同時にこの2年は知らなかったよろこびを、たくさんもたらしてくれた)
夫も一生懸命で、私も一生懸命で
自分がつぶれてしまったら、このちいさなひとを、どうしよう
と、いつも肩に力が入っていて。
実家での時間は、そんな自分を包んでもらっているような安心があり
(もう、こんなに、頑張らなくていいな)
と思った。
こんな安心の中で、笑って過ごしたいし
娘にも、安心して笑っている人たちの中で育ってほしいと思った。
そして実家から戻ってきて、夫と折りに触れて
これからどうしていきたいか、話してる。
と言っても、なかなかゆっくり話せる時間もないのだけれど
(夜は寝かしつけと同時に寝落ちしてしまう)
それでも、時間を見つけて、話せるようになった。
「どうしていきたい」が、見えるようにもなってきたんだと思う。
そんな中で、自然といろんなことが起こり
アルバイトはひとまず3月まで。
(辞めると切り出すタイミングが、向こうからやってきた)
そのあとは、他の仕事もするかもしれないけれど
私は、自分で仕事を始めることにした。
それは、「自分のやりたいことをやる!」みたいな気持ちではなくて
これからどんな風に生きていきたいか
夫がいて、娘が育っていく中で
どんな環境だったら自分も機嫌よく安心していて
家族で楽しくいられるだろうか、
人のあたたかさに触れながら暮らしていけるだろうか、
ということを想像したときにやってきた、今までとは違う場所から生まれてきた新芽。
すーっといろんなことが起きてきて
わたしは、余分な力が、どんどん抜けてきている気がする。
そしてこの週末は、みんなで近くのホテルに泊まる予定でいたけれど
娘の通う保育園で、感染症にかかってしまった子がいて急遽延期。
私も夫も仕事を休み、娘はPCR検査を受けて結果を待っている。
今までこんな身近になかったから
「本当に流行ってるんかな〜」とふと思うくらいだったけれど…。
でも、かかってしまった子も今は体調が快復しているみたいだし
私たち家族も元気。
そして、私は自分がかかること、家族がかかること、身近な人が感染することを
ずっと避けて、どこかいつも緊張しながら暮らしてきたし
身近なところで感染が起こったら
少なからず差別心が生まれてしまうのでは、という不安もあった。
(感染した人をこわがったり、責めてしまったり)
でも保育園から連絡をもらってから自分にやってきたのは
かかってしまった子の回復を祈る気持ちだったり
ご家族はお子さんへの心配に加えて周りに申し訳なくなる思いがあるだろうな…と思い
そんな風に思う必要は全然ないな、という思いだったり
みんながこの2年気をつけてきたことをあらためて実感する気持ち
(だからこそ身近に起こらなかった)
こんな大変な環境で、保育園の先生方が毎日気を配り、感染に気をつけながら
それでも子どもたちには負担がいくのを極力さけ、日々が楽しいものであるようにと
ご尽力くださっていたことにあらためて気づいて、感謝する気持ちだった。
みんなが、意識的に、無意識に
お互いを守りあってきたんだ。真面目に、マスクして。手を洗い。集まりを避け。
自分たちが何を避けているのか、その本質も、わからないままに。
感染症の実態はそれでも今の私にはわからないし
情報もたくさんあり、意見もたくさんあり
研究者の意見から、お医者さんの意見から、陰謀論と言われるものから、
どれが本当か分からなくて
政府の対応もベストには思えないけれど、ベストが何か私には分からず、
でも絶対に背景にものすごく頑張っている人たちがずっといて、
そんな状況で
もしかして私がずっと怖かったのは
いざ感染が近くなったときに、自分が他者や自分を攻撃したりするのでは
という、自分の感じたくないものに触れることだったのかもしれない、とも思えた。
それが実際には起こらなくて、私は気が抜けた。
むしろ、周りの人たちへの敬意だったり、感謝がやってきたのだった。
なんとなく、新しいフィールドに今、立っている気がする。
かかるか、かからないかとか
あれか、これか
みたいなところと、全く違うところ。
ここに地面があったんだ、というような気持ち。
目の前の新大陸
うやうやと ゆっくり たしかめながら 足を運んでみる。
これは誰かが与えてくれた「正解」ではなくて
わたしの前に今やってきて
わたしが今、感じて触れているもの。
クリスマスイブ
平日だから、娘は保育園で
夫は仕事、私もアルバイトがあった。
アルバイト先はデパ地下の和菓子コーナーの中の焼き芋屋だから
ケーキ屋さんの賑わいを横目に見る感じで時間が過ぎていった。
とはいえ年末でもあるから、
年始の挨拶用だったり、帰省の際のお土産を探している人たちもいて
発送の受注を受けたりとなんだかんだとそこそこ忙しい。
忙しい合間に、お芋が美味しく焼けるとそこで心が癒される。
男子高校生が3人やってきて
ひとり1本ずつ小さめのお芋を選んで買っていったのがとても可愛らしかった。
3人で分けられるように1本おまけをつけた。
ここのところは人が足りなかったから残業をして、
保育園のお迎えぎりぎりに帰っていたけれど
それだと昼ごはんも食べていないし、ひと息つく時間がどこにもなくて
休みがないことの積み重ねで耐えていたものは
プラスでちょっとの負担がかかってきたときに、どしゃ〜っと爆発する。
無敵じゃないし、体力も無限じゃないから、こういうことはもうやめだ。
(なんで最近イライラしていたか今わかった)
今日は15時きっかりに上がってきた。気分がいい。
帰りの地下鉄ではばななの短編集を読みすすめて。
電車を降りて、自転車を拾い、家まで帰る途中、スーパーに寄って
クリスマスプレゼントを包むための包装紙やリボンを買う。
家に帰ると玄関先に注文していたものたちが届いていた。
娘の絵本と新しいシーツ。
娘は保育園にサンタクロースが来てくれたみたいで
迎えにいったら「サンタさん、外にいっちゃったね」(みんなにプレゼントをくれて帰っていった)
と繰り返し言っていた。
クリスマスパーティーは明日する予定だけれど
なんとなくクリスマスっぽいこと、と思い
冷蔵庫にあったカブでポタージュスープを作り、ハンバーグも作って晩ご飯。
娘がスープをこぼしながらもぐびぐび飲んでくれて嬉しかった。
夫もスープもハンバーグも美味しいと言って食べてくれた。
お風呂に入って寝かしつけをしたらそのまま眠ってしまって
夜中に起きて、いそいそと娘のクリスマスプレゼントを包む。
夫にも秘密で用意していたものを包み、
自分に何もないのは寂しいな、と思い、何かないかなと探して
注文して届いたけれどまだ封を開けていなかったアロマオイルを包み
3つ枕元におく。
乾いていた洗濯物をごっそりとたたんで片付けて、今日が終わる。
まだ眠るのはもったいないから
お菓子を食べながらお茶を飲んで、これを書いてる。
サンタさんは空を飛んでいるかな。
吉本ばななさんの新作が出ていると知って
アルバイトが終わったあと、本屋さんに駆け込む
(アルバイト先は繁忙期だから少し残業して、
娘の保育園のお迎えが迫っていたから本当に駆け込んだ)
駅の構内にある本屋さんへいくと見当たらなくて
店員さんに声をかけたら検索してくれた
「ここにはない」と言われて「取り寄せたら明後日」と言ってくれたけれど
また走って、少し離れたところにある別の本屋さんへ行くと
新刊の棚に2冊残っていて、1冊手にとってレジへ向かった。
それは一般的なハードカバーの本とちょっと形が違ってて(真四角に近い感じ)
ばななさんが今まで出した本の、パトリス・ジュリアンさんとの往復書簡本
「News from Paradise」をパ〜っと思い出した。
あの本、好きだったなぁ。ばななさんがお子さんを出産されたばかりの頃の。
あの本を読んでいた時の空気感まで、今身近に迫ってくる。
レジで接客してくれた店員さんは
「形が少し特殊なんで、カバーを折り直しますね。少しお待ちくださいね」
と言って、本に合わせて書店の紙カバーを降り直してくれて
「パッと折り直したから、もし気になったらまたおうちで丁寧に折ってみてください」
と言って渡してくれた。
本を抱いて改札を抜けて、やってきていた地下鉄に駆け込んで
席に座って早速本を開く。
短編集。
家の最寄駅に着くまでの間に
はじめの1話を読み終えた。
なんてことのない話のようなのに
ふわぁ ふわぁ と よきものが入ってきて
読み終えたあと、じんわりとして、涙が出てきた。