2022年8月18日木曜日

 

お盆は、夫の実家へ


朝、夫と娘と、義兄と甥っ子と姪っ子と一緒に
近くの海へ行った。

娘は初めて目前にする海。

寄せ返す白い波を見て「こわい」と言った。


海から見たら、わたしも娘も同じようだと思うけれど
彼女のちいさくてまっさらな体に、海はどんなに大きく迫ってきただろう。


浜辺で思い思いに好きな石を拾ったりもして。

午前のうちから日差しが強い。遮るもののない浜辺。



 

 

台所に、義母と義姉と立つ。

ふたりともさっぱりとしているから

それぞれのやることはそれぞれのまま
互いを見ながら、じゃあ自分はこれやるか、
という具合に回っていく動きが心地いい。


大人数で食べる焼きそばをフラインパンで2回に分けて作ったり
絶えず麦茶を煮出したり

たくさん湯がいたそうめんに氷をのせて冷蔵庫で冷やしておいたり

干し椎茸を戻して作る義母の自家製麺つゆ

 

娘は、甥っ子と姪っ子に刺激されてか
めずらしくご飯をたくさん食べた。

そして小学生のふたりに、まるで対等なつもりで
マイペースに関わっていくのが可笑しい。

時にはふたりの喧嘩に驚き、かたまったりもしつつ。




夜中に目が覚めて眠れなくなって、

ふと手元のスマホでGoogleマップを開き、
実家の近くに何かお店はあるかなと検索したら

素敵そうな雑貨屋さんが、500メートルほどの距離にあって

翌日、夫に言ってみたい、と話したら

夫が知らないうちにみんなに「なおみが行きたがってる」と話してくれていて
義姉が「今のうちに行っちゃいな」と声をかけてくれる。

近くだから歩いて行こうと思っていたら、義母が「暑いから」と
車で一緒に出かけてくれる。

 

短い滞在の中、みんなで過ごす時間に
自分の単独行動の希望にみんなが気兼ねなく「いいよ、いいよ」と言ってくれて

夫、娘、義母と4人でひょっと向かい
娘を夫と義母が見てくれて、さっとお店を自由に見せてもらって

ありがたかった。



その雑貨屋さんに並ぶものは、どれもちゃんと選ばれてそこにあって
暮らしの中に置かれたら、実用的で、かつ、目に入ると嬉しいもの、という感じで

本当によかった。

私は
ガラスのマドラーと、マッチ式のお香と、自分のお箸と絵葉書を3枚選んだ。

夫が、義姉にも同じお香をお土産に
義母が「ほしい」と言ったガラスのミルクピッチャーを義母へのプレゼントに。
 
 
何を見ても、嬉しくなるものが並ぶお店で
自分の暮らしに使いたいものを選んで買う。
帰ってから、それを使う日々を楽しみに。

なんだか久しぶりな気がした、うれしい感覚。



夫の家族(わたしの家族)と過ごすと

なんだかやさしくなる。

自分の中に、養分をたたえた水がちゃんと流れる感じがする。



そして、えっさほいさと帰ってきて
途中で買ったラザニアとパンでさっとお腹を満たして

また始まる日常。

淹れたばかりのアイスコーヒーを、ガラスのマドラーでかきまぜて。

娘は
「一生懸命やったんだから、〜しないで!」という言葉を覚えて
帰ってきた。






2022年8月5日金曜日


雨降りが続く8月のあたま

 

昨日、夕立が過ぎ去った後
少しの間を置いて、ジィーーーーー…と一匹の蝉が鳴き上げた。

その声を聞きながらふと

蝉にとって短いのか長いのかわからない1週間
わからないけれど、限りは見えていて

土から出てきて雨続きでもその運命を嘆く暇もない
晴れ間を見つけたその隙に鳴いて鳴き上げる 声が出るその間に

そんなことを思った。



洋服を作っている友人と、お菓子を作っている友人が声をかけてくれて
一緒に商品を作ることに。(私は紙もの担当)

久しぶりに感受性のすっと先端で、言葉を探して、線を探して

探る中でふっと



あのとき、どうしてああしちゃったんだろう…

あのとき、あれでよかったのかな…


ということが私にはあって、そのことがふと心に浮かんでは
ついつい、そこにしばし居座ってしまうことがあるのだけれど

(居座ってしまうのは、何か間違えてしまったのでは、という不安から
もっと、選択するべきものがあったのではないか、という気持ちから)


「それがあっても、いいか」


という言葉がやってきた。


40年生きてるんだもん。


思い出すと今でも恥ずかしくなること
後悔していること 間違ってしまったかもしれないこと

膝小僧の擦り傷の痕みたいに

そんなことがいくつかある。そりゃ、あるさ。

そんな感覚が腑に落ちてきた。

 

 

そしてそこから出てきた言葉を、ふと書き記してラフを作る。





脱衣所の床が傷んでいるのが気になっていて
自分で簡単に貼れるリメイクシートを貼ろうと買っておいたのを

いつかいつかと先送りにしていたけれど
ふと気が向いてやり始めたら、貼りやすくてすぐに貼り終えられた。

お風呂に入る度になんとなく気になっていたことが気にならなくなってホッ。


ずっと段ボールが積まれるままになっていた、自分のスペースも少し整理する。


居心地良く感じるこのお家。どれくらいここに住むんだろう。

なんて未来に気を向けてみるけれど、まったく想像もつかない。





2022年8月3日水曜日


友人が頼んでくれたチラシの作成で
友人を介した先方から、直しが何度も返ってきて
なんとも晴れない気持ちになる。



直接のやり取りではないから、相手の顔も見えず
「申し訳ないけれど、ここの訂正お願いします」とか
そういう一言のやりとりがなく、赤字だけが返ってくるので
自分が作ったものに、ただただ、バツがついて返ってくる。
それが少し辛かった。

相手の顔が見えたり
今、どう感じているかという小さなひとことの大切さを知る。



コミュニケーション不足から、探り探りのデザインになってしまったけれど
本当は相手とのコミュニケーションの上で「自分がいい」と思うところに
100%かけていくことが大事だった。

心にとめよう。



そんなこともありながら

さっき洗濯機から洗い終わった洗濯物を取り出し、かごに重ねながらふと思う。

そんなことがありながらもやっぱり、

「わたしは、人とものを作ることが好きだな」ということ。

対話を重ねたり
小さな空気から相手の伝えたいことを感じとって。
 
何度も何度も思ってきたけれど
それは
「私自身の作品じゃない」って
「誰かのサポート的な生き方じゃなくて、自分を生きなくちゃ」って
繰り返し声をかけてもらって、私自身も、そうだ、そうだって思うところがあった。

でも、ひとりで生きているわけじゃない。

山や空から受け取って、溢れるものを描くことと
人の中から溢れるものに触れて、それを形にすること
 
何も違わないのではないか。


今までものを作ったときに喜びが湧き上がった瞬間にはいつも誰かがいる。

わたしが勢いで何かを作った時にも、
それを受け入れてくれる誰かがいた。

人との間に、ものを生むこと。

それが好き。
 


だから
あんまり考えないで、
ただ、エネルギーが湧くところを歩こうって思った。


この世の道理がよくわかっていそうだ、と思う人と会うと
その人の言うことを自分自身よりも信じてしまったいつかの私よ

ずっと自信がなかったから。


でもやっぱり
どうしたって

わたしを生きているのはわたしだけで

この目の前の濡れた洗濯物を、今日乾すのも、わたしなんだから。



2022年8月2日火曜日



夫の残業がはじまる月初。

娘とふたりでカレーを食べたり
おままごとをして遊んだりして夕べを過ごす。

もうすぐお父さん帰ってくるかな、という時間になって
お風呂の湯はりボタンを押してから
ふとふたりで表へ出てみる。

暗がりの向こうに、人影が見えて
「お父さんかな」と私が言うと
娘が大きな声で
「おとうちゃーん!」「おかえりなさーい!」と言って手を振った。

手を振り続けていたけれど、人影は途中の角で曲がってしまい
人違い。人影の人も、戸惑っていたかもしれない。

人気のなくなった暗い道をぽかんと見つめたまま
違ったね、と話していたら
見ていたのとは違う方向、商店街の向こうから夫が帰ってくるのが見えて
「あ!お父さんだ」と言うと
「おかえりなさーい!」と声を上げて娘が駆け寄っていった。

嬉しそうに家まで歩く道。
「こっちゃんの影はどれ?」と言って
街灯の灯りに浮かぶ自分の影を見つけて嬉しそうにして
自由な魂が跳ねている。
 
 
「お父ちゃんとお風呂入るぅ!」と言うので
家に着いて早々、湯がたまったお風呂にどさどさと3人で入る。
 
湯上がり、はだかんぼの娘を
クーラーの効いた居間まで抱っこしていく。
「こっちゃんが来たぞ〜」と言って居間に入ろうとすると
「こっちゃんじゃないよ!はだかんぼうだよ!」と言って
ぬいぐるみたちの間に「はだかんぼうだよ〜!」と言って転がっていった。
 
 
夫は職場のキッチンから鮎の塩焼きをもらって帰ってきて
アルミホイルに包まれた鮎をトースターで焼き直し
カレーを温めて、いつもより少し遅い晩御飯。
「鮎、いらない?」と3回くらい聞いてくれた。
美味しかったみたい。

「鮎って繊細な味」というようなことを言っていたっけ。
 
毎晩嫌がる歯磨きを頑張って終わらせてから
娘は就寝。
 
直前まで見ていた絵本を「持っていく」と言って布団まで連れていきながら。
 
 
 
バタバタと過ぎる日々
その中で娘はどんどん大きくなって
昨日の彼女はもういない
いつでも新しい女の子がいる
 
小さなあかるい、嵐のようなひとだ

賑やかな嵐だけれど、夜はよく眠る。

絵本を置いたふとんの上にごろんと横になったら
好きなようにおっぱいを飲んで(右、左、右、左、と。乳首を引っ張って自分の顔に寄せて)
大好きな猫のぬいぐるみを抱いて、すとんと寝付いた。

2022年7月27日水曜日

 

風邪をひいていた娘が、ようやくいつもの調子を取り戻し始め
保育園にも通えるようになった。
 
引っ越し前からいただいていたイラストも締め切り直前に
無事に先方に送ることができて、ほっとした。

 

シロップを作ろうと買っていた赤紫蘇は、娘の看病で手がまわらず
悪くしてしまった。

熟れすすんでいたプラムは、今日なんとかシロップに煮詰めることができた。

 

小さなホーローの鍋に、熟れすぎたプラムを3つとお砂糖を入れて煮詰める。

久しぶりに買った「暮しの手帖」の記事のひとつで
中野にあったカルマの名前を見たせいか

コトコト煮詰めている小さな鍋の中の赤いプラムと木べらと
実家みたいな、古いキッチンが記憶を呼んで

吉祥寺とか、国分寺とか、20代の時に友人を訪ねたり
一緒にご飯を食べに行った街の自由な感じがふわっと起こってくる。

私は最近、多分SNSを見すぎていて

SNSのために編集された(撮ろうとして撮ってる)ものを

見過ぎていて

「どうしようもなくそうなってしまう」ような

やさしさや、小さなものの重なりや、そのひとらしさみたいなものから

どんどん感覚が遠くなってしまっていたけれど

(たぶん、やはり、ひとのにおいがするものは、
小さなところに立ち上がるのかもしれない。
意識しきれない、そのひとのおこないの、
そのひとがみえていないところに)
 
あぁ、そうじゃないよな

あぁ、そうだったな


そんな気持ちが起こる。


誰にもいわない

誰もみていない


それなのに立ち上がる、ちいさな


ちかしくなったときにだけ不意にあらわれる

おふとんのふかふか

好きであつめたお皿

ここで見つけた、とか
これが好きだって
誰かに聞いてほしい

でも、誰もいない

それでぽちぽちとメールを打ったり
手紙を書いたり

ノートに記したり

写真を撮ったり

紙をちょきちょき貼り貼りしてZINEなんて作ったりして

誰でもが受け取れるわけじゃないから

届いた時に奇跡が起こるような
 
 



プラムを煮詰めて、シロップができた。

近くのスーパーで炭酸水を買ってきて

ソーダ割りして飲んだ。

お休みだった夫も一緒に。

 

スプーンでコップの底をかきまぜながら。

 

 

大きな声で話すと、消えてしまうこと。

小さな声で話すとき、言葉の周りに浮かぶ気配のようなもののはなし。


そんなことを。





2022年7月14日木曜日

 

引越しが終わった。

まだまだ荷解きはあるけれど、
ひとまず居間の荷解きはほとんど終わって
台所にも立てるし食事もできるようになった。

 

賃貸の、古い一軒家なのだけれど

お風呂が大きかったり
台所もシンクがとても大きくて収納もたくさんあって
どんな人が最初に建てたんだろう…とつい思いを馳せてしまう。

台所に小窓があり、その縁にちょうど植物が置けたり
台所に立ちながら、子どもが遊んでいる姿を見ることができて
子どもからも私が見えたり。

暮らしのことが、すごくよく考えられて作られている感じがする。
 
昨日は、システムキッチンの前の床に
床下収納を見つけて、梅酒とか、梅干しとか
保存食を作る人だったんだろうか…と思ったり。

 

 

階段の壁についた小窓の縁に
引越し当日思い立って
小さなガラスコップに入れた花を飾ったとき


ふと気分がよくなって
自分が嬉しくなるのって
こういうところなんだって思った。
 
 
それは誰も知らないし
雑誌にも載ってないから

わたしが、おぼえていよう。

握りしめずに ふんわりと。

 

3階建ての家で、3階にあるベランダに立つと
山が見えて、月が見えた。
 
そのベランダの窓を網戸にして
寝室にした部屋で眠っていると
涼しい風が吹いてくる。

山から渡ってきてる、そういう感じがして
 
そうすると、風はどこで生まれるんだろう
と、瞼を閉じたところにふと思いが湧く。
 
そんな思いが懐かしくて
親しみ深くて
またこの感覚に出会えて嬉しかった。

空が広くて、山の息がここまで届いてくる。


娘は事前にちょっとずつ話していたことと
保育園の先生たちも「楽しみだね」と声をかけてくださったおかげで
比較的すぐに引越し先にも馴染んでいるように思える。

家の中にあるものは前の家から使っているものだし
使い込んでいるものが目に入れば自然と体も緩む気がする。


引越しのために、前の家で荷詰めをしている時
自分の荷物の少なさをあらためて感じた。

衣類や本もたびたび手放してコンパクトにしているから。

でも一方で、全巻揃ってる日焼けした漫画本とか、
古本屋でちびちび集めた好きな作家の小説とか(実家にあるものもある)
そういうものが、あってもいいな。。とふと思った。

必要なものだけ

今、心惹かれるものだけ

じゃなくて

目に入るだけでちょっと心がふわっとする、好きなものたちが
暮らしの中に、はみ出してていい。

そんなふうに思った。

 

新しく暮らし始めた家はきっと、自分の親世代が作った。
(私の実家とよく似てるところもある)
まだ景気がよかった頃に建てられた余裕のある感じというか
削ぎ落としていく方向とはまた違うものを感じる。

なにしろ、これでもかというくらい収納スペースがある。
そのおかげで多分、荷解きも楽だったし
(あたまを無にして、解いたものを入れていけば収まる)
それをスカスカで使っている気持ちよさもまた。


入居前に外観を見て気になっていた
エアコンホースのテープが傷んでいるのも、
入居当日エアコン設置に来てくれた電気屋さんに夫が頼んで直してもらって
 
玄関前に生えていた雑草も、100円ショップで買った釜で刈った。
釜で草を刈る時に、畑をしていたおばあちゃんやおじいちゃんのことが思い浮かんで
それもなんだか嬉しかった。


手を入れていくと、荒れている感じがちょっとずつ減って
ととのっていく。


前の家で荷造りをしている中で

いちばん大変だったのが台所だった。

器類をプチプチで包んで包んで包んで

しまいながらもまだご飯も食べるし飲み物も飲むし
使うものもあるから、使うことを考えたり 

冷蔵庫が切れたら、溶けてしまうもの、傷んでしまうものの処理を思ったり

それで、台所って生物なんだなって思った。
いきもの、というのか
なまもの、というのか

家の中の内臓のような場所

湿っていて、手を入れたらそのたび生きて
手をかけなくなればどどっと朽ちていく場所。


使った部屋を掃除しながら

こうやって自分の気配を瞬間瞬間消しながら

暮らしていくことについて思ったり
(ドン・ファンがそういうことを言っていたはず)
 

まとまらないまま。



まだ自分の荷物は段ボールの中。
ゆっくり解こうと思う。

2022年6月27日月曜日

 

お義母さんが今年もスイカを送ってくれて

娘と夫が一緒に箱を開けて

娘の前で、私がまるごとのスイカに包丁を入れて切り分けたら

めずらしく彼女が自分からスイカを口に運んで

気に入ったのかぱくぱくと食べた。


ひと口サイズのおにぎりと

スイカを朝食に出したら


「わぁ〜美味しそう!」と言って、手にとり頬張る。



(ご飯を食べない)ことで、ずっと悩んできたから

彼女が自分から手をのばして
嬉しそうに何かを食べてくれる姿を見ると静かに感動する。



ご飯を食べないのは、娘がおっぱいが大好きだからで

断乳すれば、ご飯を食べるようになるのか

でも、保育園ではしっかりご飯を食べているし、断乳が本当に必要なのか

そんなところをウロウロウロウロ。

(彼女がほしがる間は授乳を続けてみよう!)そんなふうに決意しても

実際にご飯に全く興味を示さず遊び始める姿を見ていると

何度でも揺らぐ。


そして揺らぎながら

10歳になってもおっぱいを飲んでいる人はいないし

少食の子はいても、全くご飯を食べない人には会ったことない

って少し先に思いを馳せると(そうだ、そうだ)って思う。

思うのに何度でも、ウロウロしてしまう。

そういうものなんだと思う。




来月引越しが決まって

昨日は家族で電気屋さんへ行き、この機会に新しくしようと洗濯機を注文してきた。

ひとり暮らしをしていた夫が使っていた洗濯機。

今の家に越してきてからも4年間、充分に働いてくれた。


そして、新しい家は駐輪スペースがほぼないから

自転車を小さくしよう、と

私が大阪で暮らしていた頃に買ったママチャリと引き換えに

先日自転車屋さんで折りたたみ自転車を買った。


九条のマンションの前に停めていた、緑色の自転車。

大阪の街も京都も、いっぱい走った。

自転車屋さんに引き取ってもらうときにはちょっと寂しかった。



そして新しいおうちは備え付けの靴箱があるから

今の家で使っている靴箱も

これからジモティーに出してみようとしている。

夫と一緒に暮らす前にIKEAで買った白い靴箱。

気に入っているから離れがたい。

捨ててしまうのはあんまりだから、誰かが使ってくれるならありがたい。



手放すもの

持っていくもの

新しく使い始めるもの



なんだってこの生きてるっていうのは

ずっと旅なんだな。







2022年6月23日木曜日

 

娘の風邪を家族中がもらって

季節の変わり目にともなって、家族全員大浄化中というような半月ほどを過ごした。


娘も夫もまだ少し風邪が残っているけれど

だいぶ元気になってきてホッとしている。


私もくったり風邪の最中は、食欲がすっぽりなくなって

ベランダに出て陽にあたると少しだけ体が楽になる感じがあったりして

まったく植物のようだった。


シャワーを浴びるたびに少しずつ淀みが晴れて元気になる感じとか。


何も食べなくなっていた娘がアイスクリームをひと口食べてくれた時の喜びや安堵。


そしてまだ万全の体調ではないのに

以前から予定していた私の外出の予定に合わせて
朝から晩まで娘を見てくれた夫。

「こちらも楽しむから楽しんできてね」と送ってくれたラインのメッセージ。


ささやかに

でもなんだかダイナミックに

日々を通過中。



そして引越しも、気づけば間近に。


昨日、夫に頼まれたコーヒー豆の生豆を買いにコーヒー屋さんまで歩きながら
(引っ越すとますますそのお店は近所になる)

今の家で暮らし始めてから、いろんなことが変わった。

娘がやってきた。

夫はコーヒー豆を自分で焙煎するようになった。

そんなことをふっと思った。



変わらないように見えても

変わっているんだ。

気づかないながらに

変わってきたんだ。



生きていることは

進化すること、というと、気持ちがちょっと引っ張られるというか

苦しい感じになる。

生きていることは、変化すること

というのもなんか、何かを言い捨てている気がする。


ただ生きている それだけで 自ずと変化をともなっている


この表現がいちばんしっくりくるような。


変わろうとしなくてもいい

(変わりたい時は変わろうとしてもいいだろうが)

変わっていくから



風邪もひくし


また治るし



2022年5月30日月曜日

昨夜 娘と一緒に19時前に眠ると

さすがに早すぎたのか、夜のあいだ何度も目が覚めた。

夢もいくつか見た。
(この頃、夢の中で色々教えてもらっている感じがする。昨日の夢もそうだった)


目をつぶっているときに幾つかのことを考えていて

絵のことをお知らせするのにインスタグラム を開設しようかと思っていたけれど

なんとなく違和感があり、ブログを始めることにしました。

https://kusabuetokai.blogspot.com/

(さっき開設)


ゆっくりホームページも作れたらいいな。

それかブログのままの気楽な感じもいいかもしれない。



ブログって好きだな。





2022年5月29日日曜日

めずらしくお昼寝なく過ごしていた娘と
夕方散歩に出かけ

なんとなくすぐ眠りそうな気がしたから、
帰ってすぐにシャワーを浴びて
私の祖父母とビデオ通話しながら、おにぎりを食べさせると
電話を切ったあとすぐに眠りそうな気配。

一緒に寝室へいくとすぐに眠って
日曜日の夕方6時半。 まだ明るくて、穏やかな風でカーテンが膨らむ。

夫はライブハウスへ歌いに出かけた。

私も、もう眠ろうと思う。

今日は日中暑くて疲れたから。

穏やかな風 夏みたいな暑さ まだまだ明るい夜の入り口

ビールでもあけて、のんびりおしゃべりしながら長い夜を過ごすのもよさそう。

それでも今、自分は子どもと一緒に日中遊んで夕方には疲れていて
(娘は昼寝してないものの、私は昼寝をちょっと挟んだのにも関わらず)

子どもと同じように、短い1日。

くたっと遊び疲れて明るいうちに寝入るのもまた、この世の味わい。


彼女は2歳になりました。

手足がぐんと伸びた気がして

抱っこしてももう腕の中から彼女の体がはみ出してしまうようになった。

2022年5月23日月曜日

 

7月の更新を前に新しい物件を見つけるのは難しいかもと思っていた矢先、

今の家から歩いて15分ほどの場所に、夫が一軒家の賃貸物件を見つけた。

まだ入居中で内見はできないとのことだったけれど、何度か通って外観を見たり

近所を歩いて回ってみて、よさそうだったので

先週の半ばに仮申し込みをした。


今住んでいる方たちが引っ越されたあと、1度内見して

問題がなければそのまま契約することに。

順調にいけば7月の初旬には引っ越しができそう。



娘も今通っている保育園に継続して通える距離だし

近所もなんとなく気楽な空気があって

周りが駐車場で隣接している家も隣1軒だけなので楽器も弾けそう。


二世帯住居を想定してる建物なのか


3階建てで、2階に居間があり

1階に水回りと和室が1部屋あるので

友人や親が遊びにきてくれたら泊まりやすいかもと考えると

楽しい感じがふわっとやってくる。



その家が見つかる前… というか娘を出産してからずっと

夫と物件を探していて内見にも何度か行った。

いいな、と思える家には出会えなくて

「これはいいかも」と思えた物件は(それはきっと、他の人にとってもやっぱりいい物件で)

すぐに他の人が契約して候補から消えてしまうということも2度あった。


今回の物件も、とてもいい物件だけれど

現在入居中ということがあって、間に合った気がする。

(不動産屋さんが「今お住まいの方が退去し次第内見されたいという方が2組います」と言っていた。本当かわからないけれど、本当でもおかしくないなと思う)


即入居できる物件じゃなかったから

引越しまで時間の猶予があることも助かった。


そして夫と不動産屋さんへ行き、その場で仮申し込みをした日の夕方

娘の保育園で感染症にかかられた方が出たとのことで翌日から休園に。

もし朝から休園となっていたら、多分不動産屋さんへ行く日もずれて

他の人に決まってしまっていたかもしれない。


流れがあるように感じられて

縁があったんだな、とふと思う。




仮申し込みをしたその日

夫が「次の家には長く住むかも」ということを口にした時

私はどうしようもなく苦しくなった。

それは、娘を妊娠してから知人のいない土地で暮らす中で感じてきた

孤独がぎゅっと固まった「自分の地元に戻りたい」という気持ちが溢れてきたからで

この気持ちがやってくる時は、自分でもどうしようもない。


そして、今すぐ地元に戻り暮らせるわけではないという現実を前に葛藤が起こるのだけれど


ふっと

この苦しみがどうにも激しすぎると思い

深呼吸を繰り返して、ただただ自分の気持ちを感じていると


本当に自分の命の流れに沿った願いは、透明で軽く

自分自身も周囲も元気にするものだと思いあたる。


私は「地元に戻って暮らしたい」という自分の気持ちがとても強いから

これは「自分の本当の願いだ」と思ってより握りしめていたけれど

この思いを持っていると、自分も苦しく落ち込むし、夫のことも悲しませている。


これは、願いというより、執着なのかもしれない。とふと思った時


すごく好きになっても、実らない恋もあるよな…と、思う。


「思い通りになる」「思い描いたことは叶う」と

いう話もあるけれど

「命にとって自然な願いは叶う」

「命の流れの外にあることは、どんなに力を尽くしても叶わない」

というのが、本当だと私は思う。



そうすると

「あきらめよう」という言葉がやってきて

重たい苦しさがふっと抜けた。



そして、強い強い「帰りたい」という思いが生まれた背景には

初めての妊娠・出産・育児と 知人のいない環境 感染症の流行

と、それはやっぱり、とっても大変な面もあって

そこで感じてきた寂しさというものを、今から、わたし自身が心を向け

わたしがわたしをケアしていく必要があると感じたのと


叶わないことに、自分自身を引っ張り、苦しい場所で過ごすのではなく

今、わたしが「今の私をうれしく」しよう、そんな風に思えてきた。

そして、そこが充分に満ちたら、同時に、物理的に近くても遠くても、

思いを寄せてくれる家族や友人たち、本当にたくさんあたってしまった夫へも

心を向けたい。自分のはたらきを、あてたい。



そう、そして、よくよく見ていくと

知人のいない環境下とはいえ、

感染症の流行のために夫は娘が生まれた当初は月の半分くらいが休日になり、

ふたりで力を合わせて育児ができたこと


観光地の多いはずの土地で観光客がいなかったために

しずかに暮らしを送れたこと


娘が入れた保育園が本当にいい先生に恵まれ、娘にもお友達ができ

彼女らしくのびのび育っていると感じられること


たくさんの恩恵を受けていることも確か。


今ここにいながら

寂しかった自分自身にやさしく声かけをし、寄り添っていきたいし

同時に、恵みを受け取っていることにも目を向け、あらためて感謝していきたい。


そんな心持ちになっている。


いろいろなことが

また新しく通り始めた、そんな最近。






2022年5月17日火曜日

 

娘の誕生日が近づいてきている


彼女が生まれた季節の匂いや気温が今ここにやってきて
夜中、目を覚ますと(まだ、夜のあいだに3、4回授乳している)

新生児の彼女が家にやってきて
夫と私の間に眠っている気配や

夜中に起きて、台所で静かにミルクを作っていた時のこと
ミルクの匂いを思い出す


本当にあっという間に大きくなっていって

少し前のことも、思い出せないくらいだから

(とにかく、おしゃべりでよく歌っている彼女。喋れなかった時のこと、もう思い出せない)


季節の匂いで、記憶が蘇ってきて
本当にちいさくて、ただ息をして眠って、ミルクを飲んでまた眠っていた
「この世のものじゃないみたい」だった、あの時のことを
ふと思い出して、また少しだけ再会できることが嬉しい。




あの時、何をするにも初めてで
おそるおそるで、毎回勇気を出してた(初めて一緒に外へ出るのも、予防接種の予約をとるのも、何から何まで、よし!と飛び込むみたいにしてた)自分


本当に、がんばったね。



小さかった彼女は今、冗談言って笑ったり
すくすくのびのびと、育っているよ。


彼女が生まれた時から
キッチンでたてた物音で、簡単に彼女が目を覚ましてしまう
そんな今の家での暮らしを難しく感じていて

それでも、同じ建物で暮らす人たちに恵まれて
そしてこの部屋の明るさや、やさしさに守られて
(やさしい部屋だと感じる)

今のいままでやってこられた。


それでもこの初夏の更新前に
やっぱりもう少し広い家へ、引っ越せたらいいな




娘を寝かしつけてから
夜な夜な夫と、どんな暮らしがしたいか、どんな家がいいか
おしゃべりしている。

とりとめなく。



娘が生まれてからは本当に必死で

寝かしつけた後は爆睡であったし

ふたりでとりとめなくおしゃべりなんて、してなかったなぁという思いと

こんな時間が嬉しいなぁということと。



そう、だってわたしたちは出会ってまだ5年(経ってない?)だ


必死で梶とってふたりできたから
ずいぶんそんなふうにしていたようだけれど

合流してまだ日も浅いといえば、浅い。


一緒に歩いていくのに

まだまだ、たくさん、おしゃべりしながら

どんな道を行こうか、話す時間も必要だって


また変化を前にして、この頃のこと。


2022年5月1日日曜日

  

まだ若い葉っぱのやわらかい緑が気持ちいい

久しぶりの強い雨をぬけて、よい天気だった今日

家族で自転車に乗って、下鴨神社まで。

緑と、小川の澄んだ流れに洗われる。

お茶屋さんでおやつを食べた時、娘はお餅を手に持ってパクリと食べた。


前に来たときは、まだまだほとんど何も食べない時期で

最中の皮をちょっと食べてくれた(それでも食べた!と感じた)くらいだったから

一緒におやつが食べられるようになったんだと、感慨深かったし、嬉しかった。


娘はお茶屋さんを出るときニコニコと何度も「おいしかった!」と言って

他のお客さんが笑ってくれた。