2021年8月21日土曜日

 

さて、お盆の帰省はかなわなかった。

のだけれど

帰ろう、と決めたあと
感染のリスクのあるところを考えて、そのひとつひとつを
友人や家族の力を借りて解決していって
 
帰省したら会おう、と決めていた友人のひとりひとりに
「帰って、会うこと、迎え入れることに不安はないかな?」と気持ちを確認させてもらって
言葉をかえしてもらった、そのプロセスで
なんだか充分に、友人たちと再会できた嬉しさがあった。
 
その上で、アルバイトしている施設の同じフロアで感染された方がいらっしゃったので
今回は帰省を控えることになった。
 
今は、こういう時なんだと不思議とふに落ちた。

 

 

それでこのお盆は
娘と夫とたっぷりたっぷり時間を過ごすことになった。

 

たった1週間の間に、娘はどんどん成長していって
言葉が少しはっきりしてきたり、
こちらの話していることを理解していると感じられる場面がたくさんあった。
歩くのも大好きで、雨で遠出できなくても、家の前を歩くだけでご機嫌になり
ぐんぐんぐんぐん、足を踏み出して進む。

なんともエネルギッシュ。

 

 

私はずっと観たいなと思っていた彫刻の展示会へ行くこともできた。
夫も娘も一緒に来てくれて、みんなで初めての美術館。
すごく楽しかったな。
 
 

帰省の少し前に、
友人と話す機会があって

その時、相談したことが聞いてもらいながら解決していく中で
私の口から「南無阿弥陀仏」っていうお念仏が自然と出てくることがあった。
(亡くなった方に触れる出来事だったから)
友人も、時々手を合わせて唱えるといいんじゃない、
念仏を唱えると自然と深呼吸することになるよ、と教えてくれた。


それでふとしたときに
胸の前に手を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱えてきたのだけれど
そうすると不思議と胸がかるくあたたかくなる。
 
どんな意味なんだろう、と調べたら
帰依します、という意味とのこと。
 
ひかりのなかで手放す、という感じかな、と思える。



力を抜いて
自分のところを、ふんわりとととのえて
 

あとはおまかせ





 

2021年7月26日月曜日

 


ずっと埼玉に帰っていなかったけれど、

お盆に娘と帰省することにした。


帰る、と決めたらすっきりして、空気が動き始める。



2021年7月12日月曜日

 

アルバイトを終えて帰宅して

休みだった夫がカレーを温めてくれたので遅い昼ごはんを食べる。

少ししてから自転車を漕いで保育園へ娘を迎えにいく。

笑顔で出てきた彼女を自転車に乗せて一緒に帰宅。

 

少し遊んでおっぱいをあげて、晩ご飯を作って寝かしつけして

自分もシャワーを浴びて、洗濯物をベランダにほしていたら

どっと疲れがやってくる。

 

ふー、疲れた〜と思って、空を見ると、小さな星粒があちこちにチラチラしている。

 

このまま眠って休もうかとも思ったけれど

こんなに疲れるのは体力的なところもあるかもしれないけれど

自分のことをしていないからじゃないか、と思い立つ。

 

まずは、お菓子を食べながら少しネットサーフィン。

それから、絵具と色鉛筆を持ってきて

絵を描き始めたら楽しい。














思いつくままに絵筆を紙の上でふる。

どんどん自由になっていって、楽しい。

 

絵、描くの好きだ。

 

描いているとどんどん解けていく。

 

ずっとずっと、自分を自由にしてくれることが

こんなに近くにあって、幸せだなって思った。

2021年7月2日金曜日

 

雨がざっと降りそうな空
 

だけどまだもう少しもちそうな予感

予報では夕方まで曇りとなっていたので

おやすみの金曜日、たまっていた洗濯物をごそっと洗いにかける。

2回まわした洗濯機。

その中に、新しく買った自分用の麻のシャツがある。

それが乾いて、土曜か日曜には着られると思うと笑いがほっぺったにやってくる。

嬉しい。

麻の生成りのシャツで、薄いボタンがついていて、それが金色。

さりげなくて、かわいい。

 

 

洗濯物をごそっとほし終えて、食器も洗って、トイレ掃除して

床をほうきで掃いて、それからモップがけをした。

その全部、私が今日やりたいことで、今体を動かしてそれができたので

すっきりと気持ちがいい。

 

この後は肉じゃが、もしできたらひじき も炊いて

それから絵やお手紙を書きたい。

花屋さんまで、お花を買いに行って、

ずっと空っぽになってるベランダのプランターに生けられたら最高。

さて、どうなるやら。

 

 

夫はずっとピアノが欲しいと言っていて、

この間電子ピアノを買った。

昨日の夜、残業を終えて帰ってきて晩ご飯を食べ終えた夫は

「ピアノ弾こう」と言って自分の部屋に。

ドアの向こうから鍵盤を叩く音だけ少し聞こえてくる。


私は夫が買ってきてくれたパピコを、1つだけにしてもう1つは明日と思ったのをやめにして

冷凍庫にしまったばかりの2つ目を続けて食べて

なんだかいい夜だった。

 

娘が泣いたので布団に戻る。

 

この頃、娘はぬいぐるみをぎゅっと抱いて、ぬいぐるみの体をぽんぽんと軽く叩く。

まるで寝かしつけをしているみたいに。

 

この間は、おっぱいをあげている時

娘が私の頭に手を伸ばして撫で撫で、なでてくれた。

「いいこいいこしてくれるの?」と聞いたらにやっと笑った。


 

3人がそれぞれ、ひとつの家の中で

一緒に、ばらばらに、ひとときを過ごしてる。

 


少し前に隣のお家に住んでいたカップルが引っ越していった。

ベランダで洗濯物をほしていると

いつも洩れ聞こえてきた外国語のラジオが聞こえてこない。

 

耳が探してしまうけれど、もう聞こえない。

 

3年弱、お隣さん。

娘を見ると必ず「かわいいね」と声をかけてくれた。

ふたりで楽しそうに自転車で出かけていく姿をよく見かけた。

お家でお仕事されていた彼。外に働きに行かれていた彼女。

マンションの廊下は電気がついて明るいのに

夕方を過ぎるとお隣の玄関の外灯がぽっと灯っていて

その光を見るたび、とてもあたたかい気持ちになった。

彼女の帰りを待つ、彼の優しい気持ちがそこにあるように感じられて。

 

もう会わないかもしれない。

多分、ほとんど、もう会わないだろう。

 

マンションのエントランスの端っこに今もひとつ、引越屋さんの段ボールが置かれていて

それが雨に濡れて、少しくたっとなっていた。

それもそのうち、引越屋さんが回収するんだと思う。

 

 


 



2021年6月29日火曜日



夜、目を覚ましたらカーテンの隙間から
月明かりが一本の線になって部屋に入り込んでいた。

布団の上に光のライン。
眠っている娘のお腹にも走る。

明るい月。

月がこんなに光るの、不思議だ。
太陽の光を反射してるって学んだけど、
「知識として知っていること」が「光るの不思議」な感覚を解消しない。
不思議だ。とても光っていて、空に浮かんでいるから。

足もとが星で、自分も星のかけらだって
平気で忘れていることを、思い出させてくれる、いちばん近くにある星。



2021年6月25日金曜日

 

絵を描いている時、

実際に見ている視野と別の透明な層に

色が見えていたり、線が見えていて、

それを追いかけるようにして絵筆を走らせる。

 

ひとと話していると浮かんでくるものもそう。

視界と別の層にイメージが浮かんでくることがある。

何か物を作るときはいつもそう。

 

この間ふと、いつでもここ(透明な層)に触れている時のような感覚で
生きてみたらどうだろう、と思った。

 

実際に暮らしていると起こっていることに結構な頻度で没入していて

それはそれだけど
時々そのまま視野がきゅうっと狭くなって頭がぐるぐる空焚きになっちゃうこともあって

その感じが自分にとっては心地わるい。

力みを抜いて、いい感じにいられる感覚ってどんなかな、と思ったときに

あの感じ(透明なところ)に普段から触れているのは

よい感じがする。

 

実験してみよう。

2021年6月19日土曜日

 

明日の朝は、近くの小さな公園まで
野花を摘みに行こう

 

昨夜眠る前、夫に背中を押してもらってストレッチをしたらよく眠れた
今日もストレッチしてから眠ろう

(息を吐いて力を抜きながら伸ばして、と言われた。初めは体がガチガチで、あちこちに力が入ったままなのがわかった。そしてそれが、緩んでいくのがわかって心地よかった)

娘はたくさん汗をかくから、彼女の頭に鼻を近づけると
汗の匂いがする その匂いがなんだかいとおしい


水筒にハーブティのティーパックを入れてからお水を注いで持ち歩いてる

いい香りがいい気分を呼んでくれる

 

 

今日はハンバーグを作った

ウスターソースが切れてたから新玉ねぎをすり下ろして和風ソースにしたら美味しくできた

嬉しかった

ソースが余っているから、明日も何かにつかおう

 

 

 

 

 


 
 


2021年4月15日木曜日

娘を送り出してから部屋の片付けと

切らしていた砂糖を買い足して、晩のためのひじきの煮物を作った。

娘には煮物を細かく刻んで、マッシュポテトに混ぜ込もうと思いつき

じゃがいもも小鍋で炊いた。

 

私は少しずつ、寂しさがなだらいで

からだも動くようになってきた。

片付けをしたり、料理をしたり、そういうことで、

かわいていたところに水がわたってゆっくりふくらんでいく。


 

昨日の夜中、目が冴えて眠れなくなった時間

思い浮かんでくることをそのままぼんやりとなぞっていたときに

魔女の宅急便で、キキがほし草の中で眠るシーンが浮かんできた。

あぁ、気持ちよさそうだな、眠ってみたいなって、憧れたなぁと思いながら

まぶたの裏に浮かんできたシーンを眺める。

森の中で絵を描くウルスラの姿も浮かんできて

あぁ、私、ウルスラになりたかったなって、思いだす。

 

自分にとって大切なことを思いだせたような感じがした。

 


娘は保育園に慣れてき始めている。

 

今朝は、保育園の前につくと小さくひくひくと泣くような声を出し

中に入るとやっぱり少し泣いた。

でも、先生と一緒に保育園のお友達が2、3人とことこと玄関まで出てきてくれて

彼らの姿を見ると娘は泣きやんで、私が先生とお話ししている間、黙っていた。

先生に抱っこしてもらい、私が扉を出るときには泣いてしまう。

でも、それでも、始まれば楽しみ始めているみたい。

 

泣き顔を見ると少し胸がきゅんとするけれど

娘の感情はとても素直で

保育園が楽しい

ということと

お母さんと離れるのは嫌だ

という気持ちが、健全にそれぞれ立ち上がっているのだと感じる。

 

知恵がついてくると

お母さんと離れるときに湧いてくる(寂しい)を

でもこのあと、たくさん遊べるし、また迎えにくるだろう、と未来への推測で

しまうということができるようになる。

 

でも、今の娘をみていると、本当はそのときそのとき、その瞬間の感情を

未来の対価と引き換えにせずに、ひとつひとつ浴びていくことに

美しさや健やかさを感じる。

 

娘が教えてくれることは、本当にたくさんある。

 

 

授乳回数が多く、離乳食はほとんど進まなかった娘。

保育園に通い始めてから、少しずつ食べることに能動的になっているように感じる。

昨日は授乳の間隔が、はじめて8時間以上あいた。

お昼ご飯も、いろんなものを合わせて70グラムほど食べた、と連絡ノートにあった。

家に帰ってからおっぱいを飲んだけれど、夜ごはんも計ってみたら100グラムくらい食べた。


今までは30グラムくらいだったから、急にぐんと食べるようになった。

夜も眠ってから3時間おきに大体目覚めて授乳していたのに、

昨日は20時半頃眠った後、深夜2時までぐっすり眠っていた。

 

3時間起きに目覚めることが習慣になっている私だけが12時過ぎに目覚めて

そのあと2時にやってきた娘の授乳が終わるまで、眠れなかった。

 

眠れずに布団の中で色々、思い浮かんでくることをなぞっていた。


娘がパクパクとご飯を食べる姿を見て

「なかなかご飯、食べないなぁ」と悩んでいた過去の自分の焦点のずれが

明らかに浮かんでくる。

ご飯食べる必要がなかったんだ。

すぐにおっぱい飲めるし、あったかいのがすぐに出てくるし、飲んでいる間はお母さんとぴったりくっついてうとうとしながら飲めるし、こんないいものはない。

頭撫でてもらったり、ふかふかの毛布かけてもらって気持ちがいい。

かたい椅子座って、口に色々運ばれてくるの、意味わからない。嫌だなぁ。

(でも白米とお豆腐は本当に好きで、よく食べる。あれは美味しいんだろう)


何度も友だちが「そんなものだよ」って教えてくれたのに

それでも、日中ひとりで初めての子育てをしていると(自分が何か必要なことをしていないから食べないんじゃないか)と何度も思ってしまって(書いてるだけで胸が苦しくなる!)
あーあ、本当に、過去に戻れるなら隣に座って「ぜーんぜん、大丈夫だよ!」って言いたい!


たくましいぞ、あなたが思っているよりも、よっぽどよっぽど、よっぽど、赤ちゃんは。

ほら!目の前の赤ちゃんを見てごらん!って。


そして、寝ぼけながらごくごくおっぱいを飲む娘のほわほわする柔らかい髪の毛に触れながら

娘がめっちゃ食べる子で、保育園に預けるまでの間

がっつりご飯を作ることになっていたとしたら、私、多分、もたなかった〜!

おっぱい飲んでくれたから、一緒にここまで来られたんだなぁ…と思った。


ご飯と茹で野菜をちょこちょこ10口くらい、食べるくらいで

すぐ「おっぱい〜」ってなってくれて、

いつも膝の上でおっぱいをあげていたらそのまま2時間くらい眠ってくれた娘。


お布団にうつすと起きてしまうから、

膝にのせたまま、絵を描いたり、スマホを見たり、本を読んだりしてきた日々。

ちょっと今日は寝不足で疲れてるし、もう本当に無理かも。と思う日ほど

不思議と長く眠ってくれたこともたくさんあった。

 

(食べる力、あったんだねぇ)と、娘のまぁるい頭を撫でながら思い

それから(ありがとよ)って、思った。


赤ちゃんて不思議だ。

全部わかっているみたいに、過ぎてみれば

過ぎてきた時が、充分だったことがわかる。


わたしはなんだかんだと娘に、先導してもらってきたような気すらする。


膝の上でころころ寝転がって

猫みたいにおっぱい飲んでくれるのは、いつまでのことだろう。


まだまだ彼女の人生これから。長い長い旅のはじまり、と思うのに

ここまでの時間の濃さときたら。 


 




2021年4月12日月曜日

 


4月から、毎朝30分

今までより早起きをしている。

朝していた洗濯物は、夜するようになった。

夫が朝のうちにお米をといでタイマーセットしておいてくれたり

少しずつの工夫が積み重なっている。

 

 

保育園に娘を送り出す時、まだまだ大きな声で泣いてしまうので

胸がきゅっと苦しくなる。

小さな体で一生懸命、頑張ってると思う。

どうか、彼女なりのペースで、でもなるべくスムーズに

先生たちやお友だちのいる環境に慣れ、保育園での時間が

彼女にとって楽しいものになりますように。

 

わたしは、少しずつ気持ちが安定してきて

ひとりの感覚も取り戻しつつある。

 

朝起きて、顔を洗うお風呂場にアロマオイルを垂らしたり

そういう、ほんの少しの

でも今までなかなかできなかったことに

体が動くようになり始めている。

 

今朝、髪の毛にオイルをつける時

いつもグシャグシャパッパ、とつけてるのだけれど(もとの性格もあると思う)
「他人に触るように、してみよう」と思い変わって

丁寧にふんわりと揉み込んでみた。

 

 

知らないうちに、私は自分のことをたくさん縛り上げていた。

たとえば、誰かに憧れる時。

児童館で一緒になるお母さんで、おおらかではつらつとしていて

自分のお子さんとも他の子とも、のびのび遊んで見えるお母さんがいた。

そのお母さんを「いいな」と思った瞬間

心のかげで「私はそうじゃない」って、自分を縛ってる。

ここ数日で、それが見えるようになってきた。


だからふと湧いた気持ちの影で、自分が自分を傷つけているのを見つけて

イメージの中でそれをまず止める。

それからそのまんま、こどもにするみたいにただハグする。

 

安冨歩さんが

「他人を殴ってはいけないように、自分を殴ってもいけない」というようなこと

お話しされてた。

それはきっと本当。


知らない間に、わたしは「私」には鈍感だった。

 

すこしずつ、気がついたら

手をとめて、撫でてあげよう。



娘が生まれてきたときの気持ち、思いだす。

生まれてきたときに小さな体で最高潮頑張ってきたのだから

この世は美しく、楽しいものであるように。


余生のように。


2021年4月9日金曜日

娘が保育園へ。

慣らし保育は、娘の慣れる期間という面の反対で

私の慣らしでもあるな、と感じる日々。


こんなに、ひとりの時間があるなんて。

2021年4月1日木曜日

4月1日

朝、6時10分ころ起きたら娘も起きたので

布団にくるまりながら授乳する。

そのまま娘が眠るかと思ったら起き出したので、6時半になって家族みんなで起きる。

今日から娘は保育園。

9日まで慣らし保育で少しずつ登園時間が長くなっていく。

今日は午前中の2時間半。

 

3月に入ってから、

今までずっと娘の変化に必死に追いつくように走ってきたのが

前方からも(環境の変化)という変化が迫ってくるように感じられて

わたし自身の心がとっても不安定になっていた。

 

あたまでは

「娘が保育園へいくことは必要なこと」

「とにかく活発で好奇心旺盛な彼女にとって、私とふたりで過ごすよりもたくさんのお友達とたくさんの先生と思い切り遊べる時間の方がきっと豊かになっていくだろう」

「わたし自身にとっても、きっと心身に余裕が生まれて暮らしやすくなると思う」

と、4月からの環境変化に対して、良い面を挙げられるのだけれど

寂しさや戸惑いや、

変化に必死で対応してきてまた変化が待ってるというプレッシャーに

どうしても飲み込まれてしまっていた。

 


もうダメだーとなっていた3月後半、

夫が「水族館へ行こう」と行ってくれて

家族3人で水族館へ行って楽しい時間を過ごしたり

昼間の喫茶店でおこなわれた夫のライブを娘と一緒に観に行ったりして

楽しい時間を過ごせたことと

そして埼玉から両親が遊びに来てくれて娘も笑顔のひとときを送って

なんとか波を乗り越えるように過ごしてきた。

 

両親が帰って、夫も仕事だった昨日、3月最後の日は

寂しさと戸惑いで体がいたいくらいになってしまった。


娘の手前、どーんと安定していたかったけれど、心がちぎれそう。

 

買い物へ行きがてら、娘を抱っこしながら散歩して

その道すがら、娘に話しかけてみる。


「明日から、保育園へいくよ。

保育園には優しい先生とお友達がたくさんいて、きっと楽しく過ごせると思うよ。

お母さんは、これからも家族3人で楽しく暮らしていくために、お仕事へ出かけるんだ。

何があっても、お父さんもお母さんも、娘っこをいつでも見守っているからね。

お母さんも正直戸惑っているし、寂しいんだ。でもひとまずやってみよう。

もしダメだったらまたその時考えよう」

 

そう話しかけながら、


そうだ、ひとまずやってみよう。

 

きっと楽しくなると思うけれど、本当にそうかはわからない。

不確かな場所に何も知らない娘を置いてくるのだから、不安になるし

戸惑うのも当たり前だ。

行ってみればわかる。行ってみてダメならやめたらいいし

とりあえずやってみたらいいんだ。

 

そう思えるようになった。

 

午後になって、娘の通う保育園の先生から

連絡用のラインに写真とメッセージが届いた。

 

「明日、もし良ければ奥の部屋でお写真が取れるようにしていますので、お時間があれば上がってください」

というメッセージと

「おめでとう」という文字と

紙で切り貼りした動物や太陽の飾りが賑やかに貼られた壁の写真。

そして

「娘さんのマークはいちごです」と

娘の荷物をいれる棚に、

娘の名前といちごのフェルトでできたマスコットが貼られている写真も添えてくれた。

 

そのメッセージと写真を開いて

嬉しさで胸がいっぱいになって涙が出てきた。

それと同時に、とってもほっとした。


(娘を待っていてくれてる)

そう思えた。

 


同じメッセージを受け取った夫から

「居場所を用意してくれてる、と感じるとホッとするね」とラインがきて

うんうん、とうなずく。

 

娘をぎゅうっと抱っこして、夫と3人、ずーっと走っているみたいだったけれど

私が手をはなしても

娘自身を受け入れてくれる場所が

ひとつ生まれたっていうことなんだって、ホッとしたし

あぁ、すごいことだって思った。

 


とはいえ、今朝起きてからは緊張でお腹が痛くて痛くて

多分、私の空気を察してか娘もぐずっていた。

 

8時過ぎ

夫も一緒に家を出て

練習したての電動自転車のかごに娘を乗せる。

私はお昼寝布団を入れた袋を背中に背負い、娘の着替えやオムツの入った袋を下げて

大荷物で自転車を漕ぐ。


ぐずっていた娘も、自転車を漕ぎ始めると嬉しそう。

自転車の娘が乗っているかごのフチに、娘が小さな左手をかけていたから

私も左手を伸ばして、娘の手の上に重ねた。

ふやふやとやわらかい手。

途中で手を離したら、娘が手をひらひらとさせたので

また手を伸ばしてそっと重ねた。

 

通り道沿いのお寺の桜が綺麗で

「みぎに見えますのは〜、ほらほら、桜がきれいだね」って話しかける。

ヘルメットをかぶった娘の後ろ姿にむけて。

 

よく晴れて、桜は綺麗。朝の冷たい空気。明るい日。

 

娘の通う小規模保育園の前につくと、通園する他の親子と一緒になって

一緒に玄関にあがらせてもらうと

園長先生が出てきて出迎えてくれた。

0歳から3歳までのこどもたちが10人ほど一緒に生活している、

普通のおうちのような小さな園。

入園式のような特別なことはなくて、今日のいつも通っているみんなにとっては

「普段と同じ1日」

娘を連れていくと、もうこどもたちの賑やかな声が部屋の中を跳ねていて

その声を聞いたら、心がふっと軽くなった。

娘も「ここどこだ」という顔をしつつも、なんとなくナチュラルな様子。

先生に促されて、荷物を棚につめて

奥のお部屋の、飾りの前で写真を数枚とってもらって

「じゃあ、またあとで」という感じでバタバタと別れてきた。


娘は何もわからないまま、園長先生に抱っこされていた。

他の子の通園と重なった小さな玄関でバタバタとバイバイしてきた。


娘のおりたからっぽのかご

自転車を漕いで家に戻ってきた。

 

なんだかまだ、ポーッとしたまま、夫に報告し

さっきスマホで撮ってもらった写真を送って

この文章を書き始めた。

 

書いている途中に、「あ、洗濯があった」と思い出して

洗濯機を今まわしている。


わたししかいない部屋に入ってくる光はやわらかくて

こんなに静かだったっけ、という感じがする。

洗濯機のまわる音、こんなに大きかったっけ。

 

 

 

ゆっくり、ゆっくり、慣れていこう。

身を投じるようにして

今はもう、新しい空気の中。

 



2021年3月27日土曜日

少し前に保育園へ、春からの説明を受けに

それから娘の面談へ出かけた。


その時

「4月1日は8時半に娘を送りに来て、11時半に迎えに来てください」

と言われて、3時間も!わたし、ひとりになるんだ!と

ハッとした。

娘が生まれてから、本当にぴたりと一緒にいて

3時間離れたことはまだないかもしれない。

振り返ってみたら、お腹にいた時から考えて1年と8ヶ月。

 

今、ベランダで夜風をあびながら、これを書いていて

ふと、燕が巣立つ光景が浮かんできた。

 

起きている間は、ずっとずっと動いている活発な娘。

保育園へ行き始めたら、きっと思いきり毎日遊んでくるだろう。


昨日の昨日まで、今まで娘の変化に追いつくようにずっとずっと走ってきたのが

急に目の前からも(環境)という変化が迫ってくる感じがして

本当に気持ちがきつかった。

 

でももしかしたら、川の流れが海へ出るように

景色は開いていくのかもしれない。

 

今までより深く関わる人が増えるということも、とてもあたたかな光。

 

春からの景色が

燕の雛の巣立ちと重なるなら

娘は空を知ることになる。

 

 

私はどうだろう。

 

いつも肌のどこかが触れていた娘と少し離れて

ひとりの体の動かし方を思い出した時

わたしは何を感じるんだろう。