2024年5月3日金曜日

 

新緑の季節

娘が生まれた季節

この頃、夜明けに目が覚めることが多いから

ーそのまま起きて、お弁当を作って、でも娘が目覚めた時
横にいないと「寂しいよ、横にいてよ!」と泣き怒るから
お弁当を作り終えたらまたお布団に戻るー
 
娘が生まれたばかりの産院で過ごした時のことや
新生児の頃、朝も夜もなく起きていた時の空気が蘇ってくる

 

 

今に一生懸命で
ちょっと前のことも思い出せなくなるけど
 
こうやって、特別な時間のことは
新緑の空気に運ばれて、今年もまた触れられたと
じんわり嬉しくなる
 
 
 

娘は、地上で3年生きて、今度は4歳

ちいさくてやわらかい心で毎日を生きてる

 

幼稚園にはまだ慣れない

いろんなことをたくさん感じているんだろうな

 

 

「保育園に戻りたい」と話すから
帰り道に前を通って、外から呼びかけたら
先生たちが窓を開けてくれた
 
 
「戻りたい」「幼稚園行きたくない」と言っているのに
先生たちの顔を見ると、そんなこと一言も言わない娘を見て
思わず先生に
「ちょっと、ぎゅーっとしてあげてもらってもいいですか」とお願いして
 
保育園の中に上がらせてもらって
娘を抱きしめてあげてもらった
 
本当に溶けちゃうんじゃないかっていうくらい身を任せて
ぎゅっと先生にくっつく娘を見て
 
なんの疑いもなく
自分を喜んでくれてると
感じられる人がいることが
ありがたかった
 
 
 

娘が、幸せであってほしいから
なるべくはやく、幼稚園が楽しい場所になったらいいと思うけど
 
娘に何かを望む自分に

「かんぺきじゃなくていいんだよ」って

同時に声をかける

 

娘にとって、心地よい人間関係があるようにと望むけど
ひととうまく関われなくてもいい(自分だってそう。今も悩むことがある)
 
楽しい時間をなるべく多く過ごしてほしいけど
困ること、つらい時期があってもいい(誰もがそこを通過するように)
 
ゆっくり、ゆっくりでいい
 
ただ、どんな時も
どんな娘でも
自分はそばにいるよって
 
そういう心構えだけ、あったらいいのかもしれない
 
 

そして一緒にいるときは
安心して、なるべく楽しい時を
 

 

2024年4月22日月曜日



気づけば満開の桜の花も散って、新緑がやわらかく
目の中でちらちら光る。

 

娘は幼稚園生活が始まった。

娘にとっては環境の大変化で
私もまた、お迎え時間が変わったり
それから、毎日、娘のお弁当生活が始まるわけで
3月の終わり頃は不安でいっぱいだった。

 

でも、21時過ぎに娘と一緒に眠ったら
朝ははやく自然と目が覚めるし、
冬とは違って真っ暗な中起きるわけでもない。
台所に立っていたらお日様がどんどん高くなって、
部屋に光が入ってくるのが気持ちいい。

お弁当作りも、私は好きみたい。

あ、大丈夫かも。と思った。
 
私が娘のお弁当を作ると

夫が、みんなの朝ごはんの準備をしてくれて
家を出る前に洗濯機をまわして、洗濯物もほしてくれる。

そんな家事分担もあって、
新生活の歯車が、ゆっくり、でも、思っていたよりも順調に
まわりはじめてる。

 

 

娘はやっぱり頑張っているみたいで
週末、パジャマのまま何をするでもなくゴロゴロしていたりする。

今までになかった光景。

あ、今、チャージしているんだなと思って
私もそばで何もしないでのんびりする。


春はゆっくり

生きてるだけで、いい。



2024年3月31日日曜日

 

娘が卒園して

ようやく止まっていた原稿作業が進み始める

文字起こしなど、できることは淡々と進めてきたけれど
ぐっと内容に入ってまとめる、自分の感性を使うところがずっと止まっていた

そのくらいにエネルギーが動く分岐点だったと感じる


パートに行くとかシステムに乗っている部分は体を運べば動くけど
柔らかい流れを汲むみたいなところは
娘の卒入園に向けた流れが強くて、そことなかなか分離しにくいんだなと
あらためて感じる

 

分けられたら便利だけれど

でも、文章を書くのは自分の軸に立ちながら、流れに乗るようなことだから

命に流れてる時間を分けるのはなかなか難しい

天気を浴びているようなもの

分けるというふうに考えずに

娘の変化の流れを 
自分の人生はしばらくの間、ダイレクトに受け続けるということを
受け入れて

環境をととのえていくのが自然なんだろうなと思った

 

 

桜が咲き始めて

娘は静かに、もう保育園に行かない、ということを感じているのが
表情からわかって
でも理解するほどにはまだ体験がなくて

小さな体に、浴びた3年の日々
 

お別れ会のダンスの合間に、みている私のところに
タッチしにきてくれた娘の
小さな手のひらと はにかんだ笑顔と

2024年3月22日金曜日

春分の日は、風が強くて
翌朝目が覚めたら、屋根の上に雪が積もっている

 

保育園へ行く前に自転車に積もっていた雪を
ちいさな雪玉にして娘に渡すと

どこに置いておこう、となって玄関先の花鉢の横に小さな手で置く


「あったかくなったら溶けちゃうかもしれないね」


と娘が言う

 

 

娘を後ろに乗せて

自転車を漕ぎ始めても 小さな霰のような粒がぽつぽつ

不思議な天気の日

 


鴨川沿いを自転車漕いで、アルバイトに向かうとき
 
中洲で濡れた枯れ草が倒れているのを見ると

その荒涼とした感じが実家近くの川の様子に似ていて

じわっと嬉しかった

 

アルバイト先には初めて会う、入ったばかりの女の子がいて

29歳と聞いているその子はハツラツとしてた

29歳の頃って何していたかなぁと思い返して

ずっと前みたいな気もするけど チラッチラと蘇る景色もあって

時間は距離だなって思う

星の光と同じ

29歳の自分と今の自分 距離があるけど 同時にいる

『麦ふみクーツェ』でクーツェが言っていたみたいに

(とおい ちかい は きょりのもんだい)
 


夕方 娘を保育園に迎えにいって

自転車での帰り道 電話が鳴って 自転車を停めて電話に出る

 

4月から、娘が幼稚園のあとに使う延長保育の手続きで

まだ降りてなかった認定があるから、問い合わせの電話をしていた

その折り返し


提出書類に書き漏れがあったとのことで、口頭で伝えて、無事に受領してもらえた

4月1日から利用できるとのこと

電話越し 担当の方の声が優しかった


 
娘のことで会う人は みんな私のことを「お母さん」って呼ぶ

小児科の先生や看護師さん

役所の子育て担当の職員さん

娘からの「お母さん」は水のようにもう体に入ってるけど

大人から「お母さん」と呼ばれるのには今もまだ少しびっくりする

 


家の近所のスーパーへ寄って

娘は大好きな警備員のおじちゃんと会えてハイタッチしてぎゅーっとしてもらってた

お刺身、牛乳、お豆腐、お水、苺、鶏肉、菜の花、茗荷、きゅうり、
チューブの生姜、チューブのにんにく、玉子、焼き芋

100円ショップで娘はヘアゴムとステッキ型のプラケースに入ったガム
私は石鹸ネット

買って帰って

晩ごはん

娘は塩むすび(何も入れず、海苔も巻かないのが好きらしい)ふたつ
コーンスープでお腹いっぱい

大人は豚汁と、お刺身と、漬物と、菜の花の胡麻和えとミニトマトとご飯

とろろをすろうと思ってたけど忘れてた




2024年2月5日月曜日

 

シンク下が散らかっていて、整理したいなと思っていた。

なんとなく、収納カゴを新たに買ってというのが違う感じがして
家にあるものを使ってみよう、と思う。
 
スーパーの回収ボックスに持っていこうと乾かして置いていた牛乳パックがあって
それを箱状に戻して、細々としたもの(テープ、紐、石鹸や歯ブラシなどのストック)を
分類して置く。

あ、何も無駄が出ていない。という不思議な満足感があった。
 
 
それが楽しくて、
牛乳パックで他にも何か作りたくなり(何しろ、1日1本牛乳パックが空く)

娘に「指輪のおもちゃを入れる宝箱を作ってあげる」と言って
小箱を作っていると
娘もやりたがって、一緒にテープを貼ったり
綺麗な紙を重ねたりして、かわいい箱ができた。

それから、手帳のちょうど日付のところで開けるような
クリップ式の栞を作ってみたり。

作ったそれに、雑誌の中から森の綺麗な写真を貼って
「美しい光」という記事の中の言葉を切り取って貼って
 

こんなことが好きだなぁと思う。


必要なところに
必要な分だけ
小さく手を動かすこと。




 




2024年1月29日月曜日

 

夏みかん(食べてみたら、八朔だったのかなと思った)は
無事に氷砂糖と一緒に仕込んで、昨日味見したら素直な味で美味しかった。


娘のオムツは、籠に収納した日から1、2枚くらいしか減っていない。
(失敗してしまったタイミングで、乾いているパンツがなく
ごめん!ちょっとの間これ履いてて!という感じで履かせた。
でもその時も、ほんのり嫌だなって思ってる感じが伝わってきたから
本当にこのまま卒業なのかもしれない。)

 
夜は、布パンツで眠っていて
ここのところは毎晩おねしょをしていました。

体が慣れるまでのことかな、と思っていて
娘にもそう話してきた。

だから大丈夫だよ、って。

「布パンツだから、眠る前には、出ないなって思ってもお手洗いに行かないとだよ」
と声をかけると
「いかない。出ないもん」
と言う。

でも、これも、一度失敗して自分でわかるということが大切なんだろうと思って
トイレに行かずに眠るという経験もした。(その晩はもちろん、おねしょ)

失敗して、ちょっとずつ、
ここ3日は無事に朝まで。

本人も嬉しそう。

 

 

娘が布パンツで眠りたい、と言った時から
シーツは防水シーツに変えていて

それでも掛け布団まで濡れてしまった時もあったから
防水加工のされたおねしょズボンというのも買って履いてもらっている。
(ズボンは、夏は暑そうだから
体が布パンツに慣れてきて、羽毛布団じゃなくなる頃まで)

便利なものに助けられながら。

 


昨日、1歳半になる姪っ子の動画が送られてきて
その頃の娘はどんなだったかなと、写真フォルダを遡って
動画を見てみた。

幼くて、かわいくて、こんなだったっけ。

そうしてスクロールしているうちに
ちょうど1年前の娘の動画も出てきて

動画に映り込んだテレビの映像はミッフィー。

ミッフィー、大好きだったな。
毎日観ていたな。

今、夢中なのはパウパトロール。

それから、ここのところはパンダコパンダ。

ミッフィー観たい、のリクエストはそういえばとんとない。

 

 



 

 



2024年1月23日火曜日

 

お正月に実家からもらってきた夏みかん(「多分、夏みかん」とのこと)

今年はいろんな果実でシロップやお酒を作ってみたいなと思っていて
よし、これで。と意気込んでいるものの、なかなか手をつけられずにいる。

今日、重たい腰をあげられたら。

 

 

昨日は久しぶりに、西宮の友人の美容室まで髪を切りに行った。

 

友人が

「母性は、困っている人に手を差し伸べる力と書いてある本があって、それが腑に落ちて」

と髪を切りながら話してくれて

あぁ、それはなんとなく、わかる感じがすると思いながら聞いていた。

「だから性差関係なく、男にも母性はあるんだって読んで」

 




トイレの棚に娘の紙オムツを置いていて
それを、籠に収納したいな…と少し前から思っていた。

西宮で阪急電車を降りるときに

岡本の駅まですぐだ、と気づき

美容室の帰りに岡本に寄った。

岡本駅で降りるのはもう、6年ぶりくらい。

大阪に引っ越したばかりの時、
宝塚に住む友人が連れて行ってくれた雑貨屋さんがあって

インドや東南アジアの食器類や、籠などの日用品を
すごく手頃な値段で販売している。

訪ねてみたら、変わらない店内で

6年前と同じ店員さんが、同じようにカウンターに立っていた。


籠を手に取り、欲しいなと思っていた家族お揃いの平皿と
ホーローのお椀など、こまごまと包んでもらった。

 

家に戻って、オムツを籠につめ
あぁ、これでトイレがかわいくなった、とドアを開けるたび嬉しい。

 

ところが、夜眠る時はいつも履いていたオムツも

「布パンで寝る」と言い始めたことからすっかり減らなくなっていて

なんだか、次にオムツを買い足すのはいつだろう。

それかもう、買い足すことはないのだろうか。

だとしたら

日が暮れてから明日の牛乳を買いに薬局に行った時一緒に買ったオムツが

最後に買ったオムツということになるのかな。

 

本人は「まだ履く」と言ってもいるから、どうなるんだろう。

 

 

美容室で友人と話している時

「女性は長い歴史の中で虐げられてきたし、歴史とかを残してきたのも男性だから

残っている書物とかもほとんど男性が書いたものしかないんだって」

と、友人は言って

 

でも聞きながら

確かに、社会的な立場っていうことはもちろんあると思うけれど

女性(と大きくいうけれど)の向き合っているものって、
日々変わって日々消えていくものだから

残らなかったっていうことも、あるかもなとふと思った。

 

あれが、オムツを最後に買った日、とか。

ささやかで 泡のようで。


(でも、歌や詩や、小説の中には、女性は何か残してきたんじゃないか。今までも)
 

今日、夏みかんシロップ、仕込むぞ。仕込むぞ。

 


2023年12月16日土曜日

パートを始めた食堂がある、大学の近くは

空気が軽くて
全国あちこちから来た人々が
自分の関心のある学びを深めにやってくる
 
好奇心が気ままに行き交う空気の中
 
ここは息がしやすいと思った
 
 
晴れていれば
自転車で川沿いを走って大学へ向かう
 
食堂で働いている間は
とにかく目の前のことだけ
 
それでも
大体同じ顔ぶれがやってくるから
この人はお味噌汁とSライスとか
少しずつわかってきて
 
あ、今日もいたねって
顔を見たらちょっと嬉しくなったりする
 
名前も知らないけど

どこから来たのかも知らないけど
 
でもこんなことで嬉しくなるんだな

色にならないくらいの
うっすら淡いよろこびが
 
日々にふわっとかかる
 

 

2023年12月6日水曜日

楽しい方へ

  

楽しい方へ



朝、娘を起こすとき
なかなかお布団から身を起こさない

寒くなったこの時期、布団に包まれていたいその気持ちがわかるから

なるべく痛みなく、だんだんと起きられるといいなと思う


一緒に布団に一度入ってゆっくり起こしたり

好きな音楽をかけてみたり

毛布に包んだまま居間まで抱っこしていったり

 

この間は「ホットケーキにチョコレート入れてみようか」と提案すると
「うん!」と言って、ぱっと起きた

 

 

朝起きて、お布団を出た先にいっこ 楽しみがあるといい

そんなことを この頃思う

(お布団の中がだいぶ魅力的なので)

 

 

夫が仕事が忙しくてしんどい時というのは
大抵、私にも負荷がかかってしんどくなる時期で

お互いに、むむむとなることもあるのだけれど

夫が先日ふと「マッサージして」と頼んでくれたから

さすっているうちに、夫の体が頑張っていることもわかるし

緩んでいくこともわかるし

これはいいなぁと思った

 

言葉のコミュニケーションだと

「疲れた」って相手の言葉を、受け取るのがしんどいことが私にもあるし

受け取る余裕がないから、つい相手に対して硬くなってしまうこともある

 

でもそれが、心からそうありたい状態かというと

そんなことはない


できたら自分もゆるんでいたいし

相手にも心地よく幸せでいてほしい

 

娘と一緒に私が眠った後

夫が帰ってくることが続く日々

 

私が少し夫よりも早く起きて

部屋を明るくして、暖めておくこともはじめてみた。

(そして私はまた布団に戻る)


それは、朝、布団から出た先に、楽しみがあるといい

(明るいものがあるといい)

という発見とも繋がってる。


そして娘と夫の機嫌がよかったら

自分も心地よいのだ


家族ってぐるり、繋がっているなって思う



それでも、余裕がないときは

この間いい方法(?)をみつけた

「余裕がなくて 優しくなれない」

というAIのハピネスを 家族の前で手をふりながら歌う


今の自分の状態を深刻と離れて、知ってもらえる。 

そして歌詞が進むうちに

なんか、歌詞が自分に返ってきて、そうだなって思う。


でこぼこ あ いたたって日もある

でもそれもいい

あ 今日はなんか みんな機嫌よかったな

自分も笑って過ごしてたなって日もある

くるりと巡って





 





 

 


2023年11月24日金曜日

机を整理して、パソコンを置いて
目の前の窓 レースのカーテン越しに山の稜線が見える
 
いろんな場所からやってきた
ちいさな 馬の置物 鳥の置物が窓の縁
 
ふと思いついて
先日友人が庭の柿をくれたときの
綺麗な枝1本、捨てるのに惜しくて置いていたものに
麻紐をつけて吊るした

そのうちここに、また何かを吊そう
 
部屋にかけることになった枝を眺めながら

あぁ、こういうことがしたかったなって思った
 
 
 
拾ってきた枝で ささやかなものを作ったり
 
飾ったり 置いてみたり
 
 
 

仕事をしていたら
したから娘が何度も「おかーさん」と呼んでいて

夫の「お母さん、お仕事してるんだから上あがっちゃだめだよ」
の声が聞こえて
 
目処をつけて下の階におりて
 
それからみんなで自転車に乗って

すこしはやい 晩ごはんを食べに出かける
 
 


 

2023年11月23日木曜日

 

文章の仕事で思うところあり
言葉がうまく出てこなくなった

というか、書く流れが止まってしまった(止めてしまった)
 
同時に締め切りは近づいてきて焦ったり
 
”思うところ”を、誰かにふと打ち明けることもできず
自分の中で抱えて時々落ち込んだり
思いを馳せていると「ごめんなさい」とつい口からこぼれたり

それで多分、季節の変化も相まって
久しぶりに暗いところに触れていた

 

夫が2日半家をあける用事があり
風邪の娘とふたり。

自分も風邪をもらって

なんだか一生懸命だった。

 


週が明けて

仕事で兵庫へ。
友人に会って、近頃感じていた仕事の悩みをほろっと口に出せたら
聞いてもらえたことで少し楽になって、それもありながら
前に進もう、と、開きっぱなしだった扉がひとつ閉まった感じがした。


でも、ここのところ多分
だいぶ力んで過ごしていたことと
ちょうど排卵日近辺のホルモンバランスの波を受けて
ずんと心身重たい感じは続いていて

「調子が悪いんだ」と夫に話す。

 

次の休みには、娘を自分が見るから、好きなことしな

 

と夫から言ってもらって

仕事に充てることに。

 

ここ最近ずっとリビングで仕事をしていたけれど
荷物を積みっぱなしになっていた
自分の仕事机の上を整理したら

空気が動き始めた。

 

ここに座ると

いろんな置物や

自分の好きな本やら何やらが目に入って

なんか、「大丈夫」っていう気持ちになる。

 

友人にフラワーエッセンスを頼んだら

調合ボトルも送ってくれた。

リーディングの内容を見ていたら

ここのところの自分がそこに書かれていて

なんだか沁みた。

 


 


2023年11月14日火曜日

問いを立てる

 

娘の進路選びが、難航。

 

少しも考えていなかったけれど

昨年あたりから、いろんな幼稚園の園庭開放へ行ったり

電話ひとつで見学させてもらえるのだから

動きやすい時に、見に行けばよかったんだ。

今になってそう思う。


これは学び。

すっかり忘れる気もするけど
 
娘が中学生あたりになったら
 
いろんな高校、見ておいでって(高校進学希望しないかもだけれど)

見るとよくわかるよって、伝えたい。

 

 

色々見学をして


いいところ
気になるところ

並べてみて
 
ひとつ、いいなと思った近所の保育園に希望を出すことに。
 
でも、保育園は募集人数が少ないから、落ちる可能性も。

 

そうなった時には?
 
いいところ

気になるところ

と並べてみたら どこも一長一短で
わからなくなるのだけれど

ふと

「娘が幸せに過ごせるのは?」と
思うと

視点がくるっと、変わるのを感じた。
 
これも発見。

いいところ、わるいところ、ってみてる時は
向こう側(幼稚園側)をみてる。

それは箱の形をよくよく確かめるような行為で

どこにでも、いいところも、わるいところも、ある。

でも居心地と考えると、また違う。
 
ぼこぼこしてるけど、なかなかいいぞってこともある。
 
 
おもしろい。

問いの立て方で こたえが変わることもあるんだ。



きゅうにぐんっと寒くなって
昨日は保育園のお迎えへ行く時に
ダッフルコートを出して羽織っていった

 

厚いウールも 軽く暖かく感じる季節

 

食卓の下のフローリングに
去年敷いていたカーペットを 昨夜探し出して

今 娘を保育園へ送り出してきたあと
せっせと床に敷いた

目に入るだけであったかい

 

あたたかいが うれしい

 

 

食堂のアルバイトは

4時間みっちり体を動かす

学生や職員さんにどんどんご飯を出して

昼の営業が終わったら、厨房の床やシンク全部
泡だらけにして洗う


日々はすこし、忙しくなったけれど

シンプルで健やかな仕事は気持ちがいい

 

 

数年前、突然、宿泊研修の時の
大人数の食事を作る役割が自分にふってかかったことがある


料理が得意で、今までその役を担っていた女の子が
突然辞めることになって

すごく大変だったけれど

たくさん食材を買い込んで、どしどしご飯を作ることは楽しかった

 

「ご飯作るの好き」って言った時に

「うそだろ」って言われたことがあって

 

わたしの好きは、好きじゃないのかな

と それからずっと 好きが保留になっていた

 

 

たしかに

丁寧な味わいとか

絶妙な味を重ねて奥深いものを作る とか

そんなことは苦手 というか

そこまでの情熱も好奇心もない


でも 野菜をさくさく切ったり

炒めて じんわり汗をかくのを見て

あぁ いま

美味しくなってる って 心がしっとりしたり


それは わたしの「好き」だ

 

 


焼き芋屋さんのカフェで働いているときは

食器を洗う作業が好きだった

 

ごうごうオーブンが炊かれて
油の入った大鍋でフライが揚げられる中

水場にいると落ち着いた

 

食堂のアルバイト、と浮かんだ時

自分のささやかな「好き」と

水場が落ち着く という感覚が頼りになった

 



・・・


この頃 過去のアルバイトのいろんな風景が浮かぶ

 

映画館でアルバイトをしていたときの

フィルムチェックのための夜中の試写会


アルバイトを終えてから 映画を観て 帰ったこと

 

 

電気屋さんでアルバイトをしていたときは

お茶を淹れる機械のタンクに、ゴーっと水を注ぐ作業が好きだった
(それをする時なぜか毎回、汲んできた水を桶に注ぐアフリカの女の子の映像が浮かんだ)

 

コンビニでアルバイトをしているときも

夏限定のフラペチーノみたいなのを作る機械を
洗浄する作業が好きだった

 

・・

 

アルバイト先で身につくいろんなことは

「ここでは役に立つけど、ここを出たら使わないこと」

ばかりに思えて

いつも自分が遠回りをしているような そんな感覚がどこかにあった

 

そういう面も確かにあったのかもしれない

 

 

でも今


今は、「何かのための今」じゃないとも思う

 

体験すること


見ること


感じること


その景色の中の美しさは 後から不意に訪れる

手紙みたいに

そしてほんのり漂ってた「好きだな」って感覚は

時間が経っても ほんのりしたまま よいもののようになって

こっちを見てる



・・・