2020年10月7日水曜日


外へ出れば、金木犀の甘い香りが空気にしみていて

すーんと遠い、澄んだ気持ちになる。

 

娘に「金木犀の香りがするね」と話しかける。

 

でも、この匂いがなんの匂いかなんて知らなくても

香りはきっともう、彼女に届いている。

 

そういう、そういう、積み重ねで

秋がくるとつーんと、いろんな記憶が煙のように、

見えるような見えないような、瞼の裏側に

浮かんできたりするんだろうって思う。

 

 

娘は、この頃ときどき「ははっ」と声を出して笑うようになった。

どことなくぎこちない「ははっ」がかわいらしくて

聞けると嬉しくなる。

 

 

 

首が座って、彼女自身が、自分で動けたり

興味を示したりできるようになってきたから

彼女の反応をみながら、次はこうしてみよう、ああしてみよう

という動きが出てきて

ここ数ヶ月の「これでいいのかな?」と不安でいっぱいだった時期が

終焉を迎えつつあるような。

 

そう、それから、ある時から

自分への問いかけを変えた。


「これでいいのかな?」と心に浮かぶ時、

いいか悪いかなんて、誰にもわからないし、外側に答えを探しても見つからない。

見つからないから、問いが浮かび続けて、心が彷徨っていく。


「これでいいのかな?」と思うということは、

何かが引っかかっているということ。だから問いの向きを自分に変えて

「なにを悪いと思ってる?」と尋ね始めた。

すると自分からは応えが出てくる。


「充分に一緒に遊べていないんじゃないかって、不安になる」

とか

「日中、ずっとふたりきりで、私が心細い」

とか。

 

 

そうすると、その「わたし」と、わたしは

話すことができるから

「これでいいのかな?」と無限に穴を掘るような感覚が抜けていった。

 

「充分に一緒に遊べていないんじゃないか」という「わたし」には

でも、今できる範囲の中で、充分に遊んでいるよね、と

声をかけることができたし

「日中ずっとふたりきりで心細い」という「わたし」のために

じゃあ、人がいるところになるべく娘と一緒に出かけようって

提案することもできた。


 

そうすると不思議なもので

近所の人の優しい言葉に触れたり

新しい遊び場所(児童館や、場所を開放してくれている保育園)」にも出会い始める。

 

 

いつでも、(じぶん)のところ、から。
 
なんだろうな、きっと。

 

 

 



 

 


2020年10月2日金曜日

十五夜だから

河原にススキをつみに行こうと

娘をベビーカーに乗せ、一緒に河原を目指す。

途中でハサミを忘れてきたことに気がついて、ただのお散歩に変更。

娘と一緒に鴨川に出るのは、送り火の時以来。昼間ははじめて。

 

産院へ検診で出かける時に、通っていた道

娘とたどる不思議。

 

河原に出たら、秋草がかろやかな風に揺れている。

よく晴れていて、遠くの山がよく見えた。

 

ベビーカーを押して歩くうちに娘が寝入ってしまって

木陰にあるベンチに腰掛けていると

散歩途中のおじいちゃんが

「かぁいらしいなぁ。風と陽を、よく浴びられていいですなぁ」

と声をかけてくれた。

 

ほんとうに。

眠る娘も、風と陽を、浴びている。

 

 

 

 

 

夜、娘が寝入ってから

買っておいた月見団子を、ベランダに出て

お月様をみながら夫と食べた。

 

もう3年、私たち、一緒にいるんだねぇ

 

という話をして

なんとも不思議な気持ちになる。一昨年くらいの気持ちだったから。

3年前の今頃、おでんやさんに行った頃かなぁ、とか。

 

月は明るく空を照らしていて

近くに赤い星が光ってる。

「火星だって」と、夫が言った。

 

 

 

話は飛ぶけれど

 

少し前に3人で、近くのお寺を散歩した時

ひとつの塔頭が、特別公開していたので入ってみた。

 

とても綺麗な建物で、枯山水も美しかった。

 

建物の中に茶室があって、

行ってみよう、と外廊下を進むと

茶室の入り口のつくばいに、秋の野花がばさっといけてあって

美しさにハッとなった。

 

 

看板もない、説明もない。

ずっとそこにあるけれど

気づかずに通り過ぎさられることもある。

ただ、あるだけ。

 

けれど、歩みすすめてつきあたり

その存在に気がついた時に

気づいたこちらの中で

音楽が鳴るような。

 

 



2020年9月18日金曜日

 

4月から娘の通う保育園を見つけるために

保育園見学を続けている。

今は3つ見たところ。

どこも同じ「保育園」という場所なのに、全く違う時間の流れる場所。

 

場所が違って、空間が違って、人が違えば、当たり前かもしれないけれど

本当に、全然違うから、驚く。

 

いろんな場所に触れながら

娘が、娘自身にあるものに、触れながら暮らしていける場所はどこだろう

と探している自分に気がつく。

 

彼女が彼女に備わったものを、すくすくと活かせる道を歩いていってほしいし

時間がかかってもよいから、自分自身が感じているものに充分に触れて
ひつようならば、ゆっくりとでも、それを表現できるひとになってほしい。

 

私が、彼女にそんなことを望み始めていることに気がつく。

 

保育園探しをしながら、見つけた私の中の望み。

それを自分に、照らし返してみよう。

どうしてそう感じるのか。私自身はどうあるか。

そして、娘がそうあれるように、自分にどんな関わりができるのか。

 

 

昨日の午後、急に寝返りができるようになった娘。

新しい扉が開いて興奮しているのか、夜の寝かしつけの時も、目がらんらんとしていた。

今朝起きてからも、なんだかいつもと違って

寝転がると寝返りをしようとして、一度抱っこしたらそのあとは、降ろそうとすると泣くのでずっと抱っこ。

大きな変化の中を、過ごしているのかな。

 

抱っこしながら、姿見の前へ行って

「かわいいこだーれだ」と娘に鏡を見せていたら

今まで娘は、鏡の中の私をいつも見ていたのに

今日は自分自身を見ていた。

 

そのことに気づいた瞬間、不意に

「わたしたち、別々の人間だね」という感覚が一気にやってきて

娘は娘の道を、もう歩いている、ということが、急にわかって

胸がきゅうっと切なくなった。

いろんなことが、急だよ。切ない。寂しい。娘の変化が、嬉しい。

全部がぐるぐると、結ばれて、一本のリボンになっているみたいだ。

 



2020年9月15日火曜日

 

空気が澄んで 音の響きが変わった

雲の形も変わって 秋があらわれてきた

 

 

 

体が油の回っていない機械みたいになってしまって

心にも余裕がなくなった

 

ひとりになりたいと思って、真夜中に外へ出たら

マンションのエントランスにお隣に住むフランス人の男性がいて

階段に座り、とてもリラックスした様子でスマートフォンで動画を見ていた。

 

思いがけない場面に出会って

「こんばんは」と挨拶を交わしあう。

「ちょっとコンビニへ」と咄嗟に言い訳のようなことを言うと

「雨に気をつけて」と声をかけてくれる。

 

雨あがりの夜だった。

 

交わした言葉が温度になって、自分をそっと繋ぎとめる。

灯台のひかりみたいに、形のない柔らかさで。

 

 

コンビニに行って帰ってくるくらいの時間、夜を歩いて戻ったら

エントランスにお隣さんはやっぱりいて

「おやすみなさい」と言い合って、家に戻った。

 

 

夫と話して、母に来てもらい、父も一緒にやって来て

娘を見てもらい、整骨院へ行って、みっちり体をととのえてもらう。

骨盤がグーンと歪んでいて、産後の体についても教えてもらった。

 

 

 

娘は、両親にかわいがられて、お宮参り以降の再会になった父にも

ずいぶんなついた。

 

ベビーカーを買って、それから抱っこ紐も変える。

毎日ちょっとずつ、ストレッチもしよう。

 

日に5分でも、ちゃんと自分をみるように。

 

 

ちょうど1年前くらいに妊娠がわかって

それからずいぶん、遠くまでやってきてしまった感じがする。

 

潮の流れにのって。でも、ポイントポイントで、ちゃんと意思を確認してきたから

大きな流れに流されながらも、軌道にのっていることもわかる。

 

どこへ向かっているのかはわからないけれど

ここ、は

いま 最善の ここ

 

 

夜中に飛び出す場面も含めて。

 

 

 

 


2020年8月31日月曜日

 

週末に

商店街に立つ八百屋さんで買ってきた野菜たちが美味しい。

ミニトマトは深いあまみ。

ピーマンはパリッとして肉厚でしっかりと苦い。

それで料理が楽しい。

 

 

夕方、眠たくなった娘のご機嫌具合や

そのあとのお風呂が控えているから

晩ごはんの時間は30分くらい、娘をあやしつつ

必要な時は夫と順番に抱っこしつつ

どこかそわそわとしながらすすんでいくけれど

 

それでも、晩ごはんの時間は毎日、嬉しく、楽しい。

 

午前中から、合間合間を見計って

ちょっとずつ下ごしらえしていくのも、楽しい。

 

午前中に簡単な副菜を作れたら作っておいたり

サラダの野菜を切って、ざるにあげて冷蔵庫の中で水切りしておく。
 
 
午後の合間にお味噌汁のお味噌をいれる手前までお鍋に作っておいて

メインの食材を切ったり、つけたり、下ごしらえしておく。
 
 
夫が帰ってくる30分前くらいに
娘が眠っていたり、ひとり遊びをしていたら
メインを作ってしまっておいて
 
もし、できなかったら、夫が帰ってきてからさっと作って食べる。
 
 
昨日、晩ごはんを食べながら夫に

「ごはんを食べられることって人間に生まれてよかったことベスト3に入ると思う」

と言ったら、夫も頷いてくれた。
 
 
こんなにたくさんのものを

いろんな工夫して

様々な場面で あるいは季節で

ひとりで または誰かと たのしめるって、すごい。

さらに、食器を選ぶ楽しみだとか、ごはんの周りにはいろんな喜びがある。

人間に生まれてきてよかった。

 

 

今夜は、鶏肉と、小松菜と、卵を甘辛く炒めたのがメインで

スライスした玉ねぎとサニーレタスとミニトマトをサラダにして

玉ねぎとじゃがいもと、おあげのお味噌汁。

それから、冷蔵庫にずっと眠っていた白滝を炒めたやつも、おかずにする。

 

 

娘をお布団の上で寝かしつけしていたら

夕立が激しく降った。

 

娘が眠った後でベランダに立つと、洗濯物が濡れているので

取り込んで、また洗濯機にかけている。

明日の午前中も雷雨の予報が出ているけれど

今からほしておけば、朝までには乾いているだろう。
 
 
 
暑すぎる夏だったけれど

洗濯物がからりとすぐに乾くところは、最高だった。

 

 

でももう、空が秋。

雲の広がり方も、光ののび方も。

影も薄く、長くなってきた。

 

秋になったら、

娘を連れて、ピクニックへ行こう。

 

京都御所とか、鴨川まで。

 

 

娘が産まれたばかりの時に

区の保健師さんがきてくれた時に

「遠くへ行きたいとか、思いませんか?」と聞かれた時

ずっと家の中にいて、「遠く」があるなんてことも、感じられなくなってるって思った。

 

それでも、その会話の前に保健師さんが

「涼しくなったら御所とか一緒に散歩したり…」と言った言葉が響いていて

「遠くとかは思わないけど、さっき、涼しくなったら御所を一緒に散歩って聞いて、御所行きたいと思いました」

と答えたのだった。

 

あの時は、近所のはずの御所も

私の地図から消えてしまっていたけれど

またあの緑がわさわさと、近づいてきてくれた。

 

涼しくなるし

娘も成長してきている。

 

 

夢みたい、って思っていたこと

暮らしの続きにまで、見えてきてる。

 

 


 

2020年8月30日日曜日

 

今朝は少し貧血気味で

立ちくらみがしたので娘と寝転がりながら遊ぶ。

そのうちに眠たくなった娘がなかなか眠れず、

おっぱいをあげながら寝かそうとするけれど

貧血気味の時は、おっぱいをあげるのも少ししんどい。

 

すると夫が、鉄分の入ったドリンクを買いに行ってくれ

アイスクリームも一緒に買って帰ってきてくれた。

 

お昼に素麺を食べた後、

夫がコーヒーを淹れてくれる。

久しぶりのホットコーヒーと、バニラアイスクリームが美味しかった。

 

8月はずっとアイスコーヒーを飲んでいたから

気に入っている水色のマグカップにドリンクを淹れてもらったのも嬉しかった。

 

 

お笑い番組を見ながら、授乳していると娘が寝ついたので
お布団に娘をおろして、音楽会の絵の続きを描き始める。
 
水彩で色づけ。楽しい。

 

 

 

数日前に、友人たちに
「誰かのやりたいことの媒体を作るのが好き」と話したら
なんだかその前に話していた「自分のお店をやる」という言葉とずれてる感じがする、
と言われた。

自分の中ではしっくりきていると思っていたけれど
そう指摘されると、胸の中に空洞があらわれる。

あれれ、と思っていた時に


「なおみちゃん(小さなわたし)がやりたいことの媒体をなおみ(大人のわたし)が作る、っていうのは?」


と言われて

言われた瞬間に自分がぎゅーんと元気になった。

 

そして、小さなわたしが欲しがっているものは、

それはそれはたくさんあって、それを自分が作れると思うと

すごくすごく、わくわくしてきた。

 

 

水彩で絵を描いている時に、色が混じるのを見て

胸が踊るのは、そこととても、繋がっている。

 

 

この絵を描き終えたら

わたしの中の、小さな人のために
わたし、手を、目を、こころを

動かします。

2020年8月27日木曜日

  

あちこちに住む友人たちと

オンライン上で言葉を交わす。

それぞれの現在地の、輪郭が色濃く感じられて

それぞれに豊か。

わたしの日々もまた、誰のものでもなく

わたしの流れにある、わたしの日々。

 

自分では見えていなかったところを

私の言葉から、相手が見て言葉を返してくれるのもありがたい。

 

自分では何も思っていなかったところに光をあててもらった。

 

 

娘が産まれて3ヶ月を迎えた。

夫が仕事の帰りに、チーズケーキを買って帰ってきてくれる。

私はささやかな飾りを作って壁に貼った。

娘は何もわかっていないと思うけれど

「おめでとう」と声かけ、乾杯して晩ご飯を食べ

娘を寝かしつけてから、夫とふたりでチーズケーキを食べた。

 

3ヶ月の今日

娘は多分はじめて、笑みを浮かべるだけではなくて

声も出して笑った。

まだぎこちないような、ははは、という声。

思い返すと、なんだかお腹の奥がじーっとあたたまり、

あたたかさが胸にまで広がってくる。

ははは

ははは

何度も思い返してしまう声。



 

午前中は図書館へ行って、自分と娘の図書館の利用カードを作った。

いちばん近くの図書館は、1フロアでとても小さく

蔵書は少ないのかもしれないけれど、棚が見やすくていい図書館だと思った。

娘に絵本と、私も自分のために本を3冊借りた。

 

 

日々はどんどん、流れていく。

 

日に日に、すくすくと育っていく娘の姿が眩しい。


それと同時に、産まれたばかりの頃のヒヨコのような小ささは

もう通り過ぎた時間の中にあって

今、一滴一滴こぼれる雫のような

与えられた日々の中にいる、と気づく。

 

 


 



2020年8月23日日曜日

 


暑くなってから、スーパーで紙パックのアイスコーヒーを買って

それで毎朝コーヒー牛乳を飲んでいたけれど


ここ数日は、夫が夜にエスプレッソを作っておいてくれて

朝、そのエスプレッソを牛乳で割って

つめたいコーヒー牛乳を飲んでいる。

 

やっぱり、全然、違って

コーヒーの風味と苦味が牛乳の奥にちゃんと感じられて美味しい。

 

あまりにも美味しくて感動していたら、

地元に住んでいた頃、

遊びに行くと、よくエスプレッソを淹れて

それでカフェオレを作って飲ませてくれた友人が

夢に出てきた。



夢の中だけれど、久しぶりに会えて

目が覚めてからも嬉しかった。

 


娘の授乳で睡眠が細切れなので、夢をよく見る。

 

この間は、夢の中で龍を見たのだけれど

それが本当に美しかったので、目が覚めてからも何度も思い返していた。

 

かと思えば、全然意識したことのない芸能人が親しげに登場したり

なんともどうでもいい夢も見ている。

 

 

少し前に(ここからは、夢ではなくて、目が覚めている時の話)
しばらく連絡をとっていなかった友だちから急に電話がかかってきたことがあった。

 

知人と友だちの間で私の話になって

それで、どうしているかなって、連絡をくれたらしい。

 

久しぶりにその友だちと話ができて、嬉しかった。

 

 

それをきっかけに、連絡を取らずにいた友人たちに

娘が生まれた報告も兼ねて、ちょっとずつメッセージを送り始めると

あたたかい返信が次々に届いて、読むたびに、相手の顔が近く思い浮かんできて

とても嬉しくなった。

 

 

ひとはそれぞれ小舟に乗っていて

 

同じ潮流に乗っている時もあれば

違う海に出ている時もあるから

 

親しく思っている人でも、便りなくいることもよくある。

 

それはそれぞれが、それぞれの人生を毎日生きているということ。

 

でも、だけど、

おーい、と呼び掛けた時に

おーい、と返事が聞こえたら、とたんに嬉しいし

 

ふいに


おーい、って、呼び掛けられたら

やっぱり、やっぱり、嬉しくなるんだ。

 


 

(声って、扉なんだな。)


 

 




 


 

 



2020年8月20日木曜日

 9月までに、と約束した

音楽会の宣伝用のイラストを、少しずつ描き進めている。

 

演奏する曲を聞いて浮かんだスケッチから

今回は何回か下絵を重ねて、絵のタッチを色々と試して

今、ようやく本番の絵に色つけをしているところ。

 

 

今朝は、娘が6時に起きたので

授乳を終えて寝ついた娘を布団に戻して

こつこつと色を塗り進める。

 

毎日、娘のぐにゃんぐにゃんの柔らかい体を触っているから

絵の中の線も柔らかくなるのが、おもしろい。

 

 

30分ほど描きすすめて 娘の声が聞こえたのでお布団に戻り

布団の上で娘とちょっと遊んでから起きて

今日も休みの夫と朝ごはんを食べた。

 

 

布団から体を起こす前に、昨日からグーンと伸びをして

深呼吸を何度か繰り返している。

 

それからヨガのこどものポーズをとって

背中と腰を伸ばしながら、ゆっくり呼吸をする。

その時に、

息を吸った時、お尻から腰、背中、腕、と

清流みたいな綺麗な空気がすーっと流れ渡るのをイメージして

吐いてそれがまた流れ出ていくのをイメージする。

 

そうすると自然と、祈りのような言葉が浮かんでくるから

心の中でそれを呟いてから

 

体を起こしている。

 

それだけで、昨日も今日も、朝のはじまりがととのっている感じがする。

 

朝が一番、体がキシキシで疲れていることが続いて

夫にあたってしまったので

自分でちょっとずつでも、自分のケアをしようと思った。

 

 

不動産探しは、静かに夫が続けていて

私も、自分がどんな風に暮らしたいと思っているのか

実際に家を見てまわって、なんだかわかってきた。

 

 

いろいろなものは縁だと思うから

あかない扉は押しても引いてもあかないし

行ける時には行けるもの。

 

丁寧に、心身をあるようにととのえていられれば

やってくるものが最善なんだと、そう感じられる。


焦って手足をかき回してしまう時は

「ない」ものを探している時。

空っぽに向かって、手足を泳がせている時。

 

 

「ある」ものにしか、触れられないから

いつでも、目の前のことから、なんだろうなと思う。

2020年8月19日水曜日

 夫がお休みの平日。

 

お昼の素麺を食べ終えたあと

夫が「出かけておいで」と言ってくれたので

ちょうどお昼寝を始めた娘を夫に見てもらうことにして

自転車に乗って、名前のない喫茶店を目指した。

 

 

喫茶店へ入ると

「今日はおひとりで」と店主の方が声をかけてくださり

「羽をのばしておいでと言ってもらいました」と答える。

 

あんみつと、生葡萄ソーダを頼んで

持っていった本を取り出して読み始める。

 

ひとりで喫茶店は産後初めて。

ゆっくり読書できるのも嬉しい。

 

じわん、じわん、と内側から水が

溢れてくるようだった。

 

 

生葡萄ソーダを作ってもらう時に

葡萄をミキサーにかけた音がして、びくっと反応してしまう。

不意に思ったのは「起きちゃう!」で

自分の中に、眠った娘を起こさないように、というスイッチが

すっかりオンになっているんだな、と知る。

 


生葡萄ソーダは綺麗な淡いむらさきで

若い頃のユーミンがかかっていて

あんみつの黒蜜が美味しかった。

 



開いた本に、あかりとりから射し込んだ外の光が

線状にはしる。

 


ひとりの時に思ったことをちゃんと収めておこう、と思って

手帳をひらいて、少しメモもとったりもした。

 

 

 

この頃は、眠りが細切れだから、夢をよく見たり

眠っているのと起きているのとの間でふと、いろんなことが思い浮かんでくる。

 

今朝、ふと思ったのは

わたしは、何かと、何かの、あいだのことをやりたいんだなぁということ。

展示会のDMを作ったり
誰かのHPを作ったり、CDのジャケットを作ったり

誰かが心から作ったものを

誰かに渡す時に

それを運ぶ乗り物というか、箱というか、包装紙というか

そういうものをつくるのが好きなんだ、ということ。


だから、自分が作った香りに言葉をあてたいとは、思わなかったんだ。

 

今も、夏がはじまる前に頼んでくれた

音楽会の宣伝につかうイラストを描いている。

 

音楽会で弾く曲を教えてもらって

その曲を聴きながら浮かぶイメージを線や色に変えていく。

それは、自分が、自然とできることで

好きなこと。

 

 

そんな思いついたことを、メモしたり

友人の美容室に髪を切りに行った夢を見たことを、メモしたり、した。

 

 

お店を出る時、店主の方が

「また旦那さんと一緒にきてください」と声をかけてくださった。

 

夫へのお土産、クッキーを包んでもらって

自分の呼吸をとりもどして

家へ帰った。

 



 お盆の送り火

 

16日の夜、「五山送り火」をみに

娘のお風呂を少し遅らせてもらって、親子で鴨川の土手へ出ていき

「大」の字を見た。

 

 

暗くなった道を鴨川まで歩いていく。

夫に抱かれた娘は静かで

私は夜の空気が新鮮で、娘を産んでから、初めて夜道を歩いていることに気付いた。

 

夜はぬめりと明るい黒。

 

鴨川の土手を目指して歩いていると

後ろに足音が重なって行って

点火の時間を目指して、私たちと同じようにおもてへ出た人たちに触れる。

 

なんとなくそわそわと、浮き足立った明るい足音。

 

鴨川の土手にはもう人が集まっていて

今年は規模縮小のために、「大」の文字の、端っこだけ点々と灯されて

まるで星座のようになった「大文字」を眺めていた。

 

「初めての送り火だね」と娘に声をかける。

娘の目に遠くの山の、小さな光はうつっただろうか。

帰り道に夫が「手を合わせている人もいたね」と言った。

 

ついつい、花火のように「見えた見えた」とはしゃいでしまう五山送り火だけれど

そうだ、送り火なのだ。

 

思い込みかもしれないけれど、送り火の翌日から

空気の密度がすーっと軽くなる気が毎年する。

 

それで

精霊たちは、無事に空に戻れたのかな

と思う。

 

 

 



2020年8月16日日曜日

 

土をこねるように。

 

 

 

娘と暮らすには、夫と2人で暮らすために借りた

今の家では暮らしにくいかもしれない、と、家族で家探しを始めた。

 

とはいえ、現実的には保育園探しも始めないといけない今

引越しを同時進行するのは難しいかもしれない。

今住んでいる家で、3人で暮らしやすいように工夫して暮らすのがいいのかもしれない。

というところに、今は落ち着きそう・・・

 

それでも

実際に不動産屋さんへ行って物件を見させてもらったり、

ネットで見つけた良さそうな物件の、地図を調べて出かけてみて

外観を見たり、家の周りを歩いたり。

そんな時間を、引き続き過ごしている。

 

 

不動産屋さんに物件を見せてもらって

「ここじゃない」ということがわかると

今、住んでいる家も場所も、いい環境なんだということが

あらためてわかってきて

 

今の家を見つけた時、どんな感じだっただろうと思い返したり

これからどんな風に暮らしていきたいのか、考え始めたり。



土をこねるように

 

ぐるぐると歩きながら

 

「ここ」と思える場所を

 

さぐりだしているような気がする。

 

 

ぼんやり住んでみたいなと思っていた土地に、

実際足を運んでみると あまり光を感じなかったり。

 

 

考えてもみなかった場所を歩いた時に

なんだかいい感じがする、と思いが湧いたり。

 

 

もし今回、引っ越すことになっても

ならなくても

 

娘が生まれて、今、3人暮らしになって

これからのこと

夫と探しながら、話す時間は楽しい。

 

 

話しながら、

自分はどんな風に暮らしていきたいのかも

街を歩いた体感を通して、知っていく。



話す中でふと、

今、3人で暮らす家も

20年ほどで

またきっと、2人暮らしに戻るんだということに触れながら

 

一生暮らせる家は、まだ見つけられないかもしれないけれど


まずは3人で、楽しく

それから

安心して、暮らせる場所を

育めたらいいな


と思う。

2020年8月14日金曜日

昨日、娘の寝かしつけをしている時にふと

「自分の人生を修正できるなら」というアイデアが浮かんでくる。


今、会えている人とはどんな道筋でも会える、という都合のよい条件をつけて

寝ぼけながらふわふわと思いを漂わせる。

 

すぐに浮かんだのは、中学時代バスケ部だったけれど

美術部に入る。ということ。

 

母に「中学時代は体力をつけるために運動部に入ったほうがいい」と言われて

なんの疑問も持たず、運動は苦手だけれど、球技は比較的好きだったので

バスケ部に入った。

絵を描くのが好きなのだから、美術部に入ればよかった。

 

高校も、選び方がよく分からなくて、

学校見学へ行った時になんかいい感じがする、という理由で決めたけれど

(それはいちばんな理由になる気がするけれど)

自由な校風の高校に入学して、

高校に通いながら、本の装丁とか勉強できたらいいな。

 

大学は京都市内の大学に通う。

 


ここまで半分眠っている頭でふわふわと思い描きながら

「私、京都にくるんか(しかも随分と早く)」と、自分でハッとなった。


バスケ部に入って体力はついたと思うけれど

美術部に入って、放課後絵をかけたり、ヘンテコな先輩の圧を感じずに過ごせたら

そのほうが楽しそう。


そして、自分が娘に関わる時には

娘がどうしたいのかをまず聞くようにしよう、と思う。

子どもの頃は、ぽ〜っと生きていて、選び方を知らなかったから

「こうしたほうがいい」とポン、と言われたことを

その意図も知らないまま鵜呑みにするものだな、と思い返す。



大学は、自分の通った大学もとても楽しかったけど

京都の大学生を見ていると、河原で本を読んだり、お酒を飲んだり、楽しそう。

本屋も喫茶店もたくさんあって、自然も近く、いい場所だと思う。



自分は今、豊かな場所に暮らしているんだな、と感じる。



一方で、埼玉にいた頃に楽しかったのは

何もない市内に、一軒の喫茶店ができたことで

そこに人が集って、豊かな時間が流れ始めたこと。

 

文化が育っている土地のめぐみを受けて生きるのも楽しいし

野原に、自らがよいと感じるものを、小さく手作りして、生きるのも尊い。