2020年11月11日水曜日

  

 

春から通う予定でいる娘の保育園の願書を提出した。

銀杏並木が黄色く明るくて

外の自転車を綺麗に並べ直していた先生に願書を渡すと

「銀杏も黄色くなって、こどもたちと見に出てきたりするんですよ」

と、先生が言った。

 

ひとつ、ひとつ。

 

 

数日前、夫との些細なやりとりがきっかけになって

悔しさが湧くほどカーンと怒りが出てきた。

夫と、そのことについてやりとりをしていると

「他にも我慢したりため込んでいることがあるんじゃないか。聞かせてね」と言われる。

でも、自分では我慢しているかんじも思い浮かばないでいた。

それでも、怒りをぶつけてしまったことや、自分から思いがけない怒りが出てきた衝撃が余韻になって、心がぼんやりしてしまう。

気力がごそっと抜けて、娘のことをまっすぐ見られなくなってしまう。

すると娘は、微妙な心許ない感じの笑みを浮かべて

ふだんは穏やかなのに、その日は珍しく泣いた。

 

 

なんだろう、この感覚は…。と思いながら

「今日何もしないで眠れば、多分治ると思う」と思い、

夕ご飯はスーパーのお弁当。

夫はオレンジジュースと鉄分の取れる飲み物を買って帰ってきてくれた。

 

 

娘を寝かしつけた後も、足場がごそっと抜けたような感覚があって

夜中、授乳の後に台所で牛乳を一杯飲んだ。

ぼんやりしたまま、本棚からウィリアム・サローヤンの「パパ・ユーアクレイジー」を取り出して読む。


久しぶりに読み返し、本の中の世界に安心し

新鮮な好きな空気が湧き立つのを感じた。

 

夫がトイレに起きてきて、また布団に戻っていったので

ついていって同じ布団に入り込む。

 

ぽつりぽつりと夫に話しを聞いてもらっていたら

自分でも気づいていなかった言葉が出てきた。

 

 

離乳食を始めよう、って思って調べると

離乳食の始め方が綺麗な写真付きで載った本があって

離乳食を作るために必要な道具が載っていて

インターネットで調べると、いろんなメーカーからたくさん出ていて

口コミを見ていいものを選ぼうとすると、いいと言う人もいれば、悪いと言う人もいて

どれがいいのか分からず決められない。

 

母乳以外の水分補給ができるように、とマグでの水分補給を始めよう、と考えると

マグのタイプもひとつだけではなくて、ストロータイプもあれば、

ストローの前に、というスパウト、というタイプがあり、

さらにスパウトとして使えるし、哺乳瓶の乳首につけかえられる、というタイプもあり

それもまた、ものすごくたくさんのメーカーから何種類も出ていて、

口コミを見るとやっぱりいいと言う人もいれば、悪いと言う人もいて、

こぼれる、とか、よく飲んだ、とか、いらない、とか

たくさん書いてあって、決められない。

 

どれにしたらいいんだろう、って、何日も何日も、調べてる。


「さっき久しぶりに小説を読んだら安心した。

あれはいい、あれはよくない、ってことが書いてないから」

 

そう言いながら、涙が出てきた。

 

「本当は、別に、なんでもいいんだと思う。自分が子どもの頃に、それがあったのかも分からないし。今日児童館でも、わたしあれを使ってて、あれを買いましたって話があって、そういうのが、もうしんどい」

 

でも、話しているうちに、軸に触れてくる。


「本当は、お母さんに離乳食どうしてた?って聞いたら、おじやばっかりだったなって言われて、それでいいんだって思う」

 

そうだ、それで、いいんだって思う。

 

 

なんだか、なんだか、なんだか


安心した。

 

「他にも不安に思ってることある?」

と夫に聞かれて、

ちょっとずつ言葉になる。


 

自分では頑張ってるつもりがどこにもないことが

小さく小さく重なっていたんだって思った。

 

ベビーカーのことも。


義姉が、腰が座ってから使える軽量のベビーカー(ベビーカーも、A型、B型、AB両用、とあって、腰が座る7ヶ月頃から使えるのがB型。その前から使えるのがA型。本当に、もう、ややこしい!)をくれる予定だからと

短いかもしれない期間、やっぱり必要だから、とメルカリで安く買えたA型ベビーカー。


綺麗に梱包されて届いて、ベビーカーだけじゃなくて、

クッションや、ブランケットをとめるクリップなんかも付いていた。



軽くて、娘も楽しそうに乗って、夫と「いい買い物ができたね」と嬉しく話していたのに

児童館やスーパーへ行くと

新しい、なんだかスタイリッシュなベビーカーを引いているお母さんたちがたくさんいて

生地がちょっと日焼けしている、娘を乗せているベビーカーを少し、恥ずかしく感じたり。



でも、でも、でも


全然そんなこと、感じる必要なかったんだって

夫に話しながら、無駄なものが、落ちていった。



自分たちの、ひつようにぶつかって

考えて、話して、決めて

他にもたくさん選択肢はあるように、そう思えるけれど

本当はたぶん、そうであって、そうじゃない。

自分たちの道の流れで、手のひらにやってきたものを手にとるだけ。


道の流れの上のこと、ひとつひとつ浴び、泣いたり笑ったり、様々に感じ

歩いてるだけ。



そういうこと。



揺れながら、揺れながら、

落ち着いてくる。

 

 

 

その翌日は、前の日に不安な気持ちにさせてしまったかもしれない娘と

たくさん、遊ぼう。と思ったら

「抱っこして」の両手を開くポーズを娘は繰り返し

そのたび抱っこしていたので、ほぼほぼ1日、抱っこしていた。

娘が夫に抱かれても、私に抱かれても、たくさんたくさん眠るまで

よく動いて笑っていたので、わたしもポカポカ、あたたかくなった。

2020年11月6日金曜日

 

予防接種の翌日、娘が熱を出した。

予防接種の副反応で発熱することはよくあることみたいで

前々回も38度の熱が出た。

 

昼は37度台の微熱だったのが

午後、お昼寝をしているときに頭に触れたら熱くて

熱を測ったら38度に。

まだ上がりそうな感じがあったのと、鼻水も出ているので病院へいこうと思う。

 

予防接種を受けた小児科は休診日で、

インターネットで調べて少し遠くの小児科に電話する。

18時から午後の診療があるけれど、

インフルエンザの予防接種の予約があり混み合うので

17時45分から50分にきてください、とおっしゃり

診療時間より少し早く開けて、診てくださった。

 

娘を抱っこ紐で抱えて、初めて抱っこ紐用のダウンケープをかける。

あったかいのかな?と自分も手を入れて確かめながら

タクシーの通る大通りまで、娘と歩く。

娘はいつもよりも大人しい。

暮れた空に、キン、と星が光って綺麗だった。
 
小児科の前まで連れて行ってくれたタクシーの運転手さんは

降りるときに「お大事に」と言ってくださる。

病院で先生に診てもらうと、安心する。

おおらかな声で「喉がちょっと赤いけど、胸も変な音しないし大丈夫」と言ってくれた。

解熱剤と、鼻水を止める薬を出してくれて

「しんどそうだったら飲ませてあげて」と。

お薬は、お守りのよう。

きっと予防接種の副反応の熱は明日には下がるだろうし

風邪をもらったかもしれない鼻水も、ちょっと様子を見ようと思うから

お薬は使わないでおこうと思うけれど、

本当にしんどそうなときにひとまずの手立てが手元にある。っていうこと

このままお家に帰って、娘と寄り添う私にとって

先生に診てもらったときのおおらかな明るい「大丈夫」を近くに置いておけるような

そんなお守りみたい。と思った。

 

帰り道のタクシーを拾う前、

目に入ったコンビニエンスストアに入り

自分の夕食にビタミン入りの飲料水とアメリカンドッグを買った。

アメリカンドッグはビニール袋に入れてもらって

家について娘におっぱいをあげながらアメリカンドッグを食べたら

カサカサ音のするビニール袋を娘が手にして、シャカシャカと握って遊んでいた。

 

娘がうとうとし始めたので、このまま寝かしつけようと思い

お布団に連れていく。

寝かしつけている間も片手に持ったビニール袋を時々握ってシャカシャカいわせるのが可愛かった。

 

寝かしつけたあと、しばらくしたらまた娘が起きたので

寝かしつけしていると夫が帰ってきた。

「よかったね、お父さんに会えたね」と娘に話しかける。

寝室を覗いてきた夫の顔を娘はじーっとしばらく見つめて、

それからニコォっと笑った。

夫が着替えに部屋を出ると、娘は夫のたてる物音のする方をじぃっと見つめて

着替えて再び顔を出してきた夫と目を合わせると、今度はすぐにニコニコと笑った。









お母さん生活、いろんなことがある。

生まれたばかりの人は、野に放たれた自由な命。

いろんなものに手を伸ばし、ペロペロと舐め、よだれをたらして喜んで

うんちもおしっこもたくさんして、ゴロンゴロンと体を動かす。

笑ったり泣いたり、毎日いそがしい。

 

お腹から出てきたばかりの彼女が、地上での呼吸の仕方を覚えて

少しずつ視界を広げながら、どうやらここは、

すくなくとも自分たちのことをそれぞれ、オトーサン、オカーサンと呼ぶこの人らのいるところは安心だと

最近少し、感じ始めているみたい。

(でもオカーサンは、時々鼻に変なのを突っ込んでくることがあるから注意←鼻くそをとる綿棒とか、鼻水を吸う吸引器)


これから少しずつ、彼女が彼女自身であることに安心をおぼえ

世界を信頼して歩いて行けるように、見守り、一緒に生きることが

自分にやってきた縁。

時々、宇宙のどこかから、自分(オカーサンやってる私)を、眺めて見てる。

娘のおしりを拭くわたしと、足をぽんとあげてお尻を見せてくれる娘は

ひだまり。


時々、いらないことを考えてしまっているとき

ぴーんと視点を宇宙にあげると

あ、ひだまり。と思って

わたしは今、ここにいるんだな、って、そう思って

また自分の胸(ハート)に、戻ってくる。

 


2020年11月4日水曜日

 

夫の使うズボンハンガーを買いに

娘とすこし大きなスーパーへ向かう。

途中、公園の紅葉と木立の合間を流れる小川が綺麗なのを見て

立ち寄ることにした。

ベンチの横にベビーカーをつけて、娘をベビーカーからおろすと

彼女は思いがけないところへ辿りついて、驚き喜ぶような顔をした。

落ち葉を拾って、娘の手元や鼻先に運んでみたり

風がふいて葉っぱがさぁぁと擦れ合うのを聞いて

「綺麗な音だね」と声をかけてみたりした。


ちょろちょろと流れる小川のほとりに娘としゃがみ込むと

川面に葉っぱがぽとりと落ちた。そしてゆっくり流れていく。

それを娘も目でおって 私もただ見てた。

葉っぱは少しずつ、でも次から次へと流れていく。

水面がチラチラと揺れている。

風は何度も吹き渡った。

小川に落ちないように娘の体にしっかり腕をまわしながら

ただそれを見てた。

 

なんだかとても静かに、満ち足りた気持ちになった。

 

言葉や、時刻にきざまれない光景があること

彼女といると思い出す。

 

 


 

 


2020年11月1日日曜日

なんだか、突然ドアが開いたような1週間だった。


ドアが開いて、会いたかった人、懐かしい人に

今また新鮮な気持ちで、やっほーって言えた。そんな一週間。

 
 
コロナの流行もあり妊娠後期から市外に住む友人とは

まったく会っていなかった。

 

それが「冬の流行が始まる前に会いに行くわ」と

宝塚で暮らす友人が、ひょいっと会いに来てくれた月曜日。

 

地下鉄の改札で彼女の姿を見つけたとき、うわぁ!本物!と嬉しくなった。

姿勢がいい彼女のまっすぐな背中にぴしっとリュックを背負った姿。

赤毛のおかっぱに、いたずら少女のような目。

「かわいいね」って娘を抱っこしてくれた。

娘におっぱいあげたり、寝かしつけしたりもしつつ、

家で日が暮れるまでゆっくりふたりで話した。

みかんを一緒に食べながら「けっこう甘いね」「ね」という会話は

会っているからこそのこと。

何気ないのに、なんだか心に残った。

 


その翌日、大阪で働いていたお芋屋さんの社長に電話をして

春から京都のお店で働かせてほしい旨を伝えた。


ずっと考えて、夫ともたくさん話を重ねてきて、そうなった。

ひとまず相談してみよう、そう思って社長と話すと

すると、ただお店に立つだけじゃなくて、もう少し私が自由になる働き方の提案をくれて

働けることになった。

久しぶりに社長と話して、春からまた一緒に働けることになったら

ずっとそわそわしていた気持ちが落ち着いて、地に、ふんわりと足がついた。


 

そして木曜日には、埼玉から大切な友人が親子でやってきてくれて

はじめて京都で再会できた。

娘はにこにことみんなに順番に抱っこしてもらって、ずっとご機嫌だった。

私は友人の言葉を聞きながら、ぱーんと心が軽く明るくなった。

心の真ん中に、小さな火がゆらいでいるのを感じる。

そのあかりは、小さいけれどとても明るくて

漕ぎ出すボートの先を照らしてる。


 

それからそれから

土曜日、埼玉でお世話になったギャラリーの方からご連絡をいただいて
その方に私の連絡先を問い合わせている人がいるという。

ギャラリーの方とも久しぶりのやりとりが嬉しく

また、私の連絡先を問い合わせてくれていたのは

私が以前介助の仕事をさせていただいていた方を、

取材して番組を作られたというディレクターの方。

 

ディレクターの方との問い合わせのやりとりを通して、

介助させていただいていた方がご結婚され、ご出産されて

今お子さんを育てられていることを知り、嬉しくなった。


障害を持った体での妊娠、出産、それから子育てのこと

深く物を考えて、また、周りの人のことをよくよく考えている彼女のこと

ものすごくたくさん考えて、決断したんだって、想像がつく。

 

私の携帯電話に彼女の電話番号が残っていたので

思いきって彼女に電話すると、電話口の向こうに変わらない明るい声。

懐かしいけど、全然、ひさしぶりな気がしない。

彼女の笑顔が、とても近く思い出された。

 


 

そして

週の終わりの日曜日には

県をまたいで、夫の兄家族がみんなで会いにきてくれた。


娘にとっていとこになる、甥っ子と姪っ子。

5歳になる姪っ子が、娘のことを「抱っこしたい」って言って

細い腕で抱っこしてくれる。

「かわいい」って何度も言って、小さな手を、もっと小さな手に重ねていた。

 

 

なんだか、なんだか、すごい1週間。

 

空気が入れ替わった。

そんな感覚がある。


懐かしくって、新鮮。

 

きれいな空気をたっぷりふくんで

土がふかふかになったみたい。

2020年10月24日土曜日

 

夕方に出かけたスーパーで

ホッケのひらきが半額になっていたので買って帰る。

お肉を解凍してしまっているけど、最近お魚を食べていなかったから

ホッケも焼こう。

あと買ったのは、ヨーグルトと牛乳とお味噌と小松菜、お豆腐。

 

帰り道はもう暗い。

 


この頃、娘のお風呂を夫ひとりにお願いしていて

夫が娘をお風呂に入れてくれている間

ひとりで晩ご飯の食器を洗う時間が好き。

 

ゆっくりととのえられることにほっとして

束の間ひとりになれる時間が嬉しい。

 

お風呂場の前を通ったら夫が娘に話しかけてる声が聞こえてきて

なんだか胸があったかくなったり。

 

 

 

 


2020年10月21日水曜日

 

 

朝、夫が娘を見てくれている間

布団をかぶっておいおい泣く。

 

本当は、そのたび、自分の感覚に触れながら

自然体で子育てもできたらと思うのだけれど

どうしても、ぐっと自分に蓋をして、黙々と頑張りぬく、という場面が日々にはあって

かたくなってしまっているところが、あるなぁ…と思っていた。

 

娘が朝早く起きてから、一緒にしばらく遊んで

頭が少し痛かったので、眠っている夫を起こして娘を見てもらう。

ひとりで眠らせてもらっていたら、涙がやってきたので

「あぁ、よかった。涙がやってきた。かたまっていたところ、解けてきたぞ」

と思い、そのまま泣かせてもらう。

 

涙が出ると、陰っていたところに日があたるようにして、

ふっとかるくなる。

かたまって、感じられなくなっていた心が、またふわっと膨らむ。

 

涙になったのは、ぐっと蓋をして、黙々と頑張り抜いている間

蓋のしたで堪えてくれていた小さな私で

やっと私は、そのこに触れられたから

「頑張ってるね」「ごめんね 」と声かけた。

「頑張ってるね」と私から声をかけられたら、私はほっとして、緩み、安心した。


小さなこどもが、自分の中にもいる。

 


 

9月のはじめ頃から、整体に2度行ったけれど

またすぐに授乳の体勢で体が歪んでしまうので

整体に通い続けるよりも、こまめに自分でケアをして、

毎日少しずつ調整することの積み重ねがいちばんよいように思えて

夜眠る前に、巻き肩を直すストレッチと、足の指のストレッチを始めたら

肩の力がすとんと抜けて、よく眠れるようになった。


 

娘は4ヶ月半を過ぎて、よく笑うし、それから怒るようにもなった。

例えば、おっぱいを飲みながら娘がうつらうつらしているとき

私が夫と話していて、話声で眠れないと

娘はパッとおっぱいから口を離して、きっとこちらを睨んできたり

手でバンバンと私を叩いたりする。

 

ごめん、ごめん、と謝りながら

感情があらわれて、それを表現できることが新鮮で

心の中で拍手してしまう。



泣き終えてすっきりしたあと

夫が朝ごはんを作ってくれた。


コーヒーを

休みの日とか、ちょっと特別なときに使う

ウェッジウッドのカップアンドソーサーに入れて出してくれた。

 

 

天気がいいので、おむすびをむすんで

ウィンナーと卵焼き焼いて

3人で京都御所へ。

 

御所の中の公園へいくと、子どもたちがたくさん遊んでいて、

木漏れ日がきらきらとして、娘の顔が輝いていた。

 

抱っこ紐で娘をだいて、一緒にブランコに乗ると

わーと口を開けて喜ぶ。


生まれて、はじめての秋。

 

ぐんぐん成長していく娘は、きっと忘れてしまう秋の日。

 

わたしにはきらきらと残って

娘を寝かしつけたあと、夜になった今も

まだ日差しが、近くにあるみたい。

 


 

 

 


 


2020年10月12日月曜日

 

肌寒くなったと思ったら、今日は気温が高くなった。

それでも、空気は秋から夏へは戻らない。

芯の部分が、すん、と冷たい気がする。

 

 

娘は私の膝の上で朝寝を1時間ほどして

私の膝の上から布団にうつしてみて、目が覚めたら児童館へ行き

そのまま寝ついたら児童館はおやすみしよう、と思ってお布団へうつしたら

ぱちっと目を開けた。

 

児童館では、ベビーマッサージを教えてもらった。

 

ベビーマッサージの講師の方が

「自分の娘が赤ちゃんのときに、自己流で、歌いかけながら毎日マッサージをしていて

大きくなってからも、マッサージして、と娘から言ってくる日があった。

そうしてマッサージをしていると、今日な、学校でな、って、

つらいこととかをぽろっと話してくれたりする。

今はもう大学生で、きつい言葉を言ってきたりもするけれど

それでもなんでも話してくれる。

コミュニケーションの基礎に、マッサージも歌も、なっている気がする」

と、はじめに話してくれたとき、聞いていてなんだか涙が出そうになって

講師の方を見ると、彼女の目にも涙が滲んでいた。

 

きっと話しながら、彼女は

赤ちゃんの時の娘さんとの時間に触れて、

大きくなってきた娘さんがマッサージして、と言ってきた日に居て、

そうして今、向き合っている娘さんの姿を思い浮かべてる。

 

そこにある慈愛みたいなものが、涙になって

やってきてるんだろうって、そんな気がした。

 

 

 

先日、30歳になる友人と久しぶりに会った。

娘と3人でお茶をして、夕方までずいぶん長く、一緒に過ごした。

 

彼女は

「娘さんといるなおみさんを見て、なんだか大丈夫って思った。

子どもを産みたいし、結婚したいって思った」と言った。

そうして彼女は笑って、

「人間が育つところを見てみたいから」と言い足した。


その前に、彼女の友人の話で

彼女の友人が「人間がどうやって言語を獲得していくか知りたいから子どもを育てたい」

と話していた、ということを彼女から聞いていた。

 

それらを聞いて、私は

(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)

と、思った。

 

なんとなく


もしかしたら本気で、そう思っているのかもしれないし

言葉の背景を聞いていないから、それぞれの言葉のむこう側に触れてはいないけれど

でもなんとなく、自分を納得させる理由を、あとから持ち出しているように

そんな風に、感じられて。

 

というか、

自分を納得させる理由を求めていた

数年前の自分を、彼女らに重ねて、

(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)

と、思ったんだと思う。


自分ごとの理由を越えて

多分、命はやってくる。

 

だから「なんで欲しいか」に

こたえられなくても

それは、自然なんじゃないか。


今はそう思う。

 

 

理由がなければ、自分の望みを望みとして置けなかった過去の自分の心細い肩を

今の私が眼差す。


どうしてもそう思ってしまうこと

なんだか涙が出るくらい多分望んでいることも

理由がわからないから、そのたび濁すことも、してきた。

(素直に、従ったことも、もちろんある)



深呼吸。







マッサージをしたら、

娘の手足はポカポカになって

私もなんだか血が巡って、楽しくなった。

 

 

ベビーカーに娘を乗せて、家までの帰り道


「気持ちよかったね」って、娘に話しかける。


娘は眠たそうで、口の端をちょっとだけあげて笑った。

 

 

 


2020年10月9日金曜日

 

ここ数年のうちに起こった出来事で

私がいないと思って言われた陰口を聞いてしまったことや

真っ直ぐに「あなたのためにこういう場を開くよ」と言われた日

違う場で開かれた飲み会で「あんなこと言っちゃった」って笑いながら

話されていたと聞いたこと

そういう様々が、日々の暮らしの中でふと思い浮かんできては

何度も思い返してしまうということがあった。

 

ぺったりと薄く張り付いているようで、何度でも思い返してしまうその景色を

やっぱりまた、見つめてしまっていたとき

ふと

「どうしてこればっかり、見てしまうんだろう。チャンネルを変えよう」

って、思った。

 

自分の今までの体験の中には

いろんな経験があって、嬉しかったことや、喜ばしいことも、すごくたくさん、ある。

 

でも何度も、苦い景色が浮かんでくるのは

(そこにまだ解けていないメッセージがあるから)とか、そういうことでもなく

ただ単に、チャンネルの設定のような気がしたのだ。


…むしろ

(何度も浮かんでくるのは、そこにまだ解けていないメッセージがあるに違いない)

と思い込んだり
(なんであんなことが起こったんだろう)と、

自分の人生についた傷のようなものを、もうなかったことのように消し去りたいと思っている、ある種貪欲な私が、そのチャンネルを好んで見続けてさえいるような。


それで、意識の上でだけれど

チャンネルを変えることにした。

 

そうしたら、その日の晩、夢に懐かしい友人が出てきてくれて

その友人と、話すことができた。

 

起こったことは起こったまま。

間違えも正しさもない。


もしもリモコンを自分が持っているのなら

映っている番組に文句を言い続けるよりも

テレビを消すか、チャンネルを変えるか、すればいいだけ。

 

 

 

 


2020年10月7日水曜日


外へ出れば、金木犀の甘い香りが空気にしみていて

すーんと遠い、澄んだ気持ちになる。

 

娘に「金木犀の香りがするね」と話しかける。

 

でも、この匂いがなんの匂いかなんて知らなくても

香りはきっともう、彼女に届いている。

 

そういう、そういう、積み重ねで

秋がくるとつーんと、いろんな記憶が煙のように、

見えるような見えないような、瞼の裏側に

浮かんできたりするんだろうって思う。

 

 

娘は、この頃ときどき「ははっ」と声を出して笑うようになった。

どことなくぎこちない「ははっ」がかわいらしくて

聞けると嬉しくなる。

 

 

 

首が座って、彼女自身が、自分で動けたり

興味を示したりできるようになってきたから

彼女の反応をみながら、次はこうしてみよう、ああしてみよう

という動きが出てきて

ここ数ヶ月の「これでいいのかな?」と不安でいっぱいだった時期が

終焉を迎えつつあるような。

 

そう、それから、ある時から

自分への問いかけを変えた。


「これでいいのかな?」と心に浮かぶ時、

いいか悪いかなんて、誰にもわからないし、外側に答えを探しても見つからない。

見つからないから、問いが浮かび続けて、心が彷徨っていく。


「これでいいのかな?」と思うということは、

何かが引っかかっているということ。だから問いの向きを自分に変えて

「なにを悪いと思ってる?」と尋ね始めた。

すると自分からは応えが出てくる。


「充分に一緒に遊べていないんじゃないかって、不安になる」

とか

「日中、ずっとふたりきりで、私が心細い」

とか。

 

 

そうすると、その「わたし」と、わたしは

話すことができるから

「これでいいのかな?」と無限に穴を掘るような感覚が抜けていった。

 

「充分に一緒に遊べていないんじゃないか」という「わたし」には

でも、今できる範囲の中で、充分に遊んでいるよね、と

声をかけることができたし

「日中ずっとふたりきりで心細い」という「わたし」のために

じゃあ、人がいるところになるべく娘と一緒に出かけようって

提案することもできた。


 

そうすると不思議なもので

近所の人の優しい言葉に触れたり

新しい遊び場所(児童館や、場所を開放してくれている保育園)」にも出会い始める。

 

 

いつでも、(じぶん)のところ、から。
 
なんだろうな、きっと。

 

 

 



 

 


2020年10月2日金曜日

十五夜だから

河原にススキをつみに行こうと

娘をベビーカーに乗せ、一緒に河原を目指す。

途中でハサミを忘れてきたことに気がついて、ただのお散歩に変更。

娘と一緒に鴨川に出るのは、送り火の時以来。昼間ははじめて。

 

産院へ検診で出かける時に、通っていた道

娘とたどる不思議。

 

河原に出たら、秋草がかろやかな風に揺れている。

よく晴れていて、遠くの山がよく見えた。

 

ベビーカーを押して歩くうちに娘が寝入ってしまって

木陰にあるベンチに腰掛けていると

散歩途中のおじいちゃんが

「かぁいらしいなぁ。風と陽を、よく浴びられていいですなぁ」

と声をかけてくれた。

 

ほんとうに。

眠る娘も、風と陽を、浴びている。

 

 

 

 

 

夜、娘が寝入ってから

買っておいた月見団子を、ベランダに出て

お月様をみながら夫と食べた。

 

もう3年、私たち、一緒にいるんだねぇ

 

という話をして

なんとも不思議な気持ちになる。一昨年くらいの気持ちだったから。

3年前の今頃、おでんやさんに行った頃かなぁ、とか。

 

月は明るく空を照らしていて

近くに赤い星が光ってる。

「火星だって」と、夫が言った。

 

 

 

話は飛ぶけれど

 

少し前に3人で、近くのお寺を散歩した時

ひとつの塔頭が、特別公開していたので入ってみた。

 

とても綺麗な建物で、枯山水も美しかった。

 

建物の中に茶室があって、

行ってみよう、と外廊下を進むと

茶室の入り口のつくばいに、秋の野花がばさっといけてあって

美しさにハッとなった。

 

 

看板もない、説明もない。

ずっとそこにあるけれど

気づかずに通り過ぎさられることもある。

ただ、あるだけ。

 

けれど、歩みすすめてつきあたり

その存在に気がついた時に

気づいたこちらの中で

音楽が鳴るような。

 

 



2020年9月18日金曜日

 

4月から娘の通う保育園を見つけるために

保育園見学を続けている。

今は3つ見たところ。

どこも同じ「保育園」という場所なのに、全く違う時間の流れる場所。

 

場所が違って、空間が違って、人が違えば、当たり前かもしれないけれど

本当に、全然違うから、驚く。

 

いろんな場所に触れながら

娘が、娘自身にあるものに、触れながら暮らしていける場所はどこだろう

と探している自分に気がつく。

 

彼女が彼女に備わったものを、すくすくと活かせる道を歩いていってほしいし

時間がかかってもよいから、自分自身が感じているものに充分に触れて
ひつようならば、ゆっくりとでも、それを表現できるひとになってほしい。

 

私が、彼女にそんなことを望み始めていることに気がつく。

 

保育園探しをしながら、見つけた私の中の望み。

それを自分に、照らし返してみよう。

どうしてそう感じるのか。私自身はどうあるか。

そして、娘がそうあれるように、自分にどんな関わりができるのか。

 

 

昨日の午後、急に寝返りができるようになった娘。

新しい扉が開いて興奮しているのか、夜の寝かしつけの時も、目がらんらんとしていた。

今朝起きてからも、なんだかいつもと違って

寝転がると寝返りをしようとして、一度抱っこしたらそのあとは、降ろそうとすると泣くのでずっと抱っこ。

大きな変化の中を、過ごしているのかな。

 

抱っこしながら、姿見の前へ行って

「かわいいこだーれだ」と娘に鏡を見せていたら

今まで娘は、鏡の中の私をいつも見ていたのに

今日は自分自身を見ていた。

 

そのことに気づいた瞬間、不意に

「わたしたち、別々の人間だね」という感覚が一気にやってきて

娘は娘の道を、もう歩いている、ということが、急にわかって

胸がきゅうっと切なくなった。

いろんなことが、急だよ。切ない。寂しい。娘の変化が、嬉しい。

全部がぐるぐると、結ばれて、一本のリボンになっているみたいだ。

 



2020年9月15日火曜日

 

空気が澄んで 音の響きが変わった

雲の形も変わって 秋があらわれてきた

 

 

 

体が油の回っていない機械みたいになってしまって

心にも余裕がなくなった

 

ひとりになりたいと思って、真夜中に外へ出たら

マンションのエントランスにお隣に住むフランス人の男性がいて

階段に座り、とてもリラックスした様子でスマートフォンで動画を見ていた。

 

思いがけない場面に出会って

「こんばんは」と挨拶を交わしあう。

「ちょっとコンビニへ」と咄嗟に言い訳のようなことを言うと

「雨に気をつけて」と声をかけてくれる。

 

雨あがりの夜だった。

 

交わした言葉が温度になって、自分をそっと繋ぎとめる。

灯台のひかりみたいに、形のない柔らかさで。

 

 

コンビニに行って帰ってくるくらいの時間、夜を歩いて戻ったら

エントランスにお隣さんはやっぱりいて

「おやすみなさい」と言い合って、家に戻った。

 

 

夫と話して、母に来てもらい、父も一緒にやって来て

娘を見てもらい、整骨院へ行って、みっちり体をととのえてもらう。

骨盤がグーンと歪んでいて、産後の体についても教えてもらった。

 

 

 

娘は、両親にかわいがられて、お宮参り以降の再会になった父にも

ずいぶんなついた。

 

ベビーカーを買って、それから抱っこ紐も変える。

毎日ちょっとずつ、ストレッチもしよう。

 

日に5分でも、ちゃんと自分をみるように。

 

 

ちょうど1年前くらいに妊娠がわかって

それからずいぶん、遠くまでやってきてしまった感じがする。

 

潮の流れにのって。でも、ポイントポイントで、ちゃんと意思を確認してきたから

大きな流れに流されながらも、軌道にのっていることもわかる。

 

どこへ向かっているのかはわからないけれど

ここ、は

いま 最善の ここ

 

 

夜中に飛び出す場面も含めて。

 

 

 

 


2020年8月31日月曜日

 

週末に

商店街に立つ八百屋さんで買ってきた野菜たちが美味しい。

ミニトマトは深いあまみ。

ピーマンはパリッとして肉厚でしっかりと苦い。

それで料理が楽しい。

 

 

夕方、眠たくなった娘のご機嫌具合や

そのあとのお風呂が控えているから

晩ごはんの時間は30分くらい、娘をあやしつつ

必要な時は夫と順番に抱っこしつつ

どこかそわそわとしながらすすんでいくけれど

 

それでも、晩ごはんの時間は毎日、嬉しく、楽しい。

 

午前中から、合間合間を見計って

ちょっとずつ下ごしらえしていくのも、楽しい。

 

午前中に簡単な副菜を作れたら作っておいたり

サラダの野菜を切って、ざるにあげて冷蔵庫の中で水切りしておく。
 
 
午後の合間にお味噌汁のお味噌をいれる手前までお鍋に作っておいて

メインの食材を切ったり、つけたり、下ごしらえしておく。
 
 
夫が帰ってくる30分前くらいに
娘が眠っていたり、ひとり遊びをしていたら
メインを作ってしまっておいて
 
もし、できなかったら、夫が帰ってきてからさっと作って食べる。
 
 
昨日、晩ごはんを食べながら夫に

「ごはんを食べられることって人間に生まれてよかったことベスト3に入ると思う」

と言ったら、夫も頷いてくれた。
 
 
こんなにたくさんのものを

いろんな工夫して

様々な場面で あるいは季節で

ひとりで または誰かと たのしめるって、すごい。

さらに、食器を選ぶ楽しみだとか、ごはんの周りにはいろんな喜びがある。

人間に生まれてきてよかった。

 

 

今夜は、鶏肉と、小松菜と、卵を甘辛く炒めたのがメインで

スライスした玉ねぎとサニーレタスとミニトマトをサラダにして

玉ねぎとじゃがいもと、おあげのお味噌汁。

それから、冷蔵庫にずっと眠っていた白滝を炒めたやつも、おかずにする。

 

 

娘をお布団の上で寝かしつけしていたら

夕立が激しく降った。

 

娘が眠った後でベランダに立つと、洗濯物が濡れているので

取り込んで、また洗濯機にかけている。

明日の午前中も雷雨の予報が出ているけれど

今からほしておけば、朝までには乾いているだろう。
 
 
 
暑すぎる夏だったけれど

洗濯物がからりとすぐに乾くところは、最高だった。

 

 

でももう、空が秋。

雲の広がり方も、光ののび方も。

影も薄く、長くなってきた。

 

秋になったら、

娘を連れて、ピクニックへ行こう。

 

京都御所とか、鴨川まで。

 

 

娘が産まれたばかりの時に

区の保健師さんがきてくれた時に

「遠くへ行きたいとか、思いませんか?」と聞かれた時

ずっと家の中にいて、「遠く」があるなんてことも、感じられなくなってるって思った。

 

それでも、その会話の前に保健師さんが

「涼しくなったら御所とか一緒に散歩したり…」と言った言葉が響いていて

「遠くとかは思わないけど、さっき、涼しくなったら御所を一緒に散歩って聞いて、御所行きたいと思いました」

と答えたのだった。

 

あの時は、近所のはずの御所も

私の地図から消えてしまっていたけれど

またあの緑がわさわさと、近づいてきてくれた。

 

涼しくなるし

娘も成長してきている。

 

 

夢みたい、って思っていたこと

暮らしの続きにまで、見えてきてる。