2021年2月11日木曜日






食器を自分で作りたいなと思っていたら
いつも通っている児童館で「親子の陶芸体験教室」が開催され
娘も見てもらいながら、陶芸ができる!という夢のような機会に恵まれた。


粘土もたっぷり用意されていて、お皿が2、3枚は作れそうだったけれど
後追いが始まった娘が、私がちょっと席を立った間に泣いてしまい
(娘は児童館の先生と遊んでいたから、すっかり作ることに夢中になっていた)
結局ぐずっている娘を抱っこしながら、
なんとかなんとか、シンプルな丸皿を1枚作った。

でも、作り終えると欲が出てきて、
余りの粘土でなんとか豆皿をもうひとつ。
 
出来上がりが本当に楽しみ。
 
丸皿は、娘のお皿にしようと思って、「K」と彼女の名前の頭文字を彫り入れた。
 
今までの人生で何度か陶芸体験をして失敗から学び出したことは
「余計なことはしない」

独創性を狙って変な装飾をしたり、特異な形にしたりすると
本当にただただ、使いにくいものが出来上がり、日常的に使えない。

(自分らしさ)とか(味わい)みたいなものは
多分、滲み出る物で、作り出そうとするものではないんだろう。
 
なのでただただ今回は、無心で丸い皿を作った。
 
 
 
作り終えたあと、
充実した気持ちがずーっと今、この夜まで広がっている。

何かを作るって、すごく楽しいな。
 
 


そして、ベビーマッサージや、陶芸教室や、おもちゃ講座とか
本当にいろんな企画を立ててくださる、児童館の方々へ感謝の気持ちが湧き上がる。
すごく、ありがたい。
 
 
4月から娘が通う保育園も決まった。
 
児童館の0歳児クラスも3月まで。
7月頃から通い始めた児童館。本当に助けられてる。



気にかけてくれる、家族や友人たち

それから、
スーパーですれ違ったおばちゃんとか
(かわいいね、大変ね、とか声かけてくれた)
ミスドの店員さんとか
(席までドーナツ運んでくれて、頼んでいないのに飲みやすいように飲み物にストローつけてくれた)
本当にいろんな人に 助けられてる。


助けられながら、ここまで運ばれていること
あらためて感じて
じんわり、身が、あたたかくなる。


2021年2月7日日曜日



今日は、朝
「ひとりになりたーい!」と思い、
夫に娘を見てもらい、ひとり喫茶店でモーニングをした。

喫茶店は娘を出産した産院の近所にあって、
思い立って、モーニングのあと産院まで自転車を漕いだ。

入院していた部屋の窓を見て、産院のベランダに乾されているタオルを眺めた。
それから、
「この8ヶ月頑張ったな〜」
「娘、小さかったな〜」
「大きくなったな〜」
とか思いながら、ゆっくり神社の森を抜けて、
パン屋さんでパンを買って、また家に帰った。

橋を渡って、久しぶりに川を見る。川を見るとホッとする。

娘はとってもかわいい。
でも当たり前だけど、言葉にするととても表面的で、
本当に彼女を前に感じていることは、何かあたたかなもので、
それの名前を、私は知らない。


そして、
彼女を見ながら「この子は誰?」って、ふとふと思ってる。


わからないまま、目の前でどんどこ大きくなって、
この頃はなんでも手に持って「いないいないばあ」をして笑っている、
ちいさなたくましい生きものよ。




最近は少し暖かくなってきて、夜がきらきらしてる。

春の予感が混じってくる夜は、
花の匂いがして、
空気の粒が光っているみたいで、
とてもきれいだな。


夕方、そんな空気を感じながら洗濯物を取り込んでいたら、
コロッケが食べたくなった。



揚げ物が食べたくなる、春の不思議。
昨年はお腹の中にいた人が、今年は出てきている不思議。
3人暮らしになった不思議。


自分は10トンくらい持てる人間だと思い込んでいたけれど、
娘が生まれて、本当に私が持てるのは、葉書1枚くらい。
自分のキャパの小ささを教わった。


でもそれは、新しい切符だった気もする。
「助けて」って言う。ということを、教わった。
それから、休むこと。


思えば、地球だって、明るくなったら、暗くなるようにめぐっていて
「休みやすい」ように、場はととのえられている。
とはいえこの頃、夜泣きが始まった娘は、
何度も夜起きるわけで、
ととのえられた場に従って、
ゆっくり休めるわけでもないけれど、

1年前はずっと、真っ暗な中にいた彼女が、
ほんの数ヶ月で、
朝をおぼえて、風をおぼえて、
鳥が鳴いたら空を見上げるようになって、
彼女の世界に空が生まれたわけで。

とてもまとめきれない、そんな日々を滑走中です。



そして彼女の夜泣きにわたしは、ヒーッとなりつつ、
体の一部が触れ合ってると安心するのか、
手を伸ばしてきて足を伸ばしてきて、
わたしの鼻やお腹に触れてまた眠るその人を見ると、
「よく出てきたね」と、やっぱり思う。
 
わたしはこの星に慣れたかもと思えるのに35年はかかったけど、
まだまだ未知を歩いてる。
 
かつての故郷(わたしのからだ…故郷というより、中継地点かもしれないけど)
に触れたくなるのは
彼女が母体からいよいよ離れて、
ひとりで地上に着陸きめようとしてるからのようにも、思えて、
わたしよりよっぽど、果敢なたくましい人に思える。
 
またまた、まとまらない。徒然現在地。



2021年1月26日火曜日

娘が生まれて、明日で8ヶ月を迎える。

娘が寝ついてから夫が「この8ヶ月間、1日も欠かさず、よく頑張ったね」と言って

本当だなぁ、とお互いの肩をたたいて、労りあった。

 

娘はここ数日の間に、なんだか急成長した感じで

ずり這いも速くなり

立つことが楽しいみたいで、おもちゃにつかまりながら何度も立とうとする。

今は支えがないと立てないけれど、すぐに立ち始めそうな気もする。

 

今夜はお風呂上がりの着替えがすんだ後

私が先に寝室に入り、布団の上から娘に声をかけると

娘がずり這いで私のところにやってきた。

娘が伸ばした手に私も手を伸ばし、タッチをすると嬉しそうに笑い

またくるりと後ろをむいて、居間の方へ戻っていく。

 

こっちを目指してやってきて

そして触れて

触れたら笑って

また引き返していく

 

ということが突然目の前で成されて、なんだか言葉にならない思いが湧いてきた。

感動、というのか、なんていうんだろう 。

目の前がパッと開くような、雪解け水がわっと流れてくるような

新鮮な驚きのような、

でも、なんだろう。言葉が見つからない。

 

わからないけど、心を動かされた。

 


手足も気づけば伸びて、大きかったはずの服が小さくなっている。

 

少し前まで、ふやふやとした小さな生き物は

まだどこか、とても私と重なっている感じがあったけれど

今はとっても「他者」。

躍動する、ひとつの命。

 

 

目が合うだけで、娘は笑ってくれる。

なんだかとても、ありがたい気持ちになる。

 

 

誰に教えられてもいないのに

寝返りを覚えて、座ることができるようになって、今度はずり這いができて、

立とうと挑戦している。

命の健やかなこと。



 


2021年1月20日水曜日

 ここ数日、スピッツの同じ曲が頭の中をぐるぐる。

「あたたかい場所を探し泳いでた 最後の離島で

君を見つめていた 君を見つめていた」

あたたかい場所を探し泳いでたって

なんて美しい歌詞なんだろう〜とじんわりしながら口ずさんで

夫に「この曲なんて曲だっけ?」と聞くと

「夢じゃない」と返事があって、

このまま歌っていればサビで歌詞がくるんだった、って気づく。

(「夢じゃなーい」って、歌詞が出てくる)


それにしても、この曲全体の歌詞が、本当に美しくて

人肌みたいに、あったかい。






夢に巨木や実際には京都にない大きなお寺や
どでかいUFOが出てきた。なんとも派手な夢を見た今朝。

娘とバスに乗って恵文社へ。
午前中のバスの中は老婆ばかり。
老婆の時間は長くてゆっくり流れる。
その中に娘の小さくて速い鼓動。
これから生きる人と今まで長く生きてきた人が、同じバスに乗り合わせてる。

目の前に座っていた老婆ふたりが、橋を渡った時、遠くの山を指差して会話し始めた。
多分、知人ではなく偶然乗り合わせたふたりなのに、とても自然に会話を交わしている。

恵文社に入ると娘はとても静かになった。
お店の気配の中で。
でも次第に慣れてきたのか、眠たくなった娘は「あー」と大きな声。

恵文社は、いつ行っても3冊くらい欲しい本があって、楽しくこまる。

雪が降っていて、ゆきやこんこ、と歌って歩くと娘は私の顔を見た。

またバスに乗って家に帰る。

離乳食をあまり食べない娘にハイハインという赤ちゃん煎餅を手渡すと、
静かに口に入れて、もくもくと食べてる。
私も少しもらって齧ってみたら、粉ミルクの味に似ていた。

粉雪が降る中、もう一度外へ出て、
パン屋さんでパンを買い、八百屋さんで苺と南瓜と人参を買い、
スーパーで牛乳ときな粉を買った。

夕方、眠たそうな娘。
授乳すると授乳枕の上で寝ついた。
スースー、寝息。 

17時過ぎにそろそろ夕飯の支度、と思って私が体勢を変えると、娘も目を覚ました。
寝起きでぐずつく娘を抱っこして、床に下ろしてからしばらく一緒に遊ぶ。
すると、いつもより早く夫が帰ってきた。手に小さな花束。

チューリップ、ラナンキュラス、スイートピー

早春の花たち。

昨日、疲れて不機嫌になってしまった私に、買ってきてくれたのかもしれないって思う。
昨日、花屋の前を通った時に、チューリップとラナンキュラスを見たところだった。

「街の空気を」と、夫は言った。嬉しかった。

夫は花束を持って電車に乗るのは、と思い、3駅分歩いて帰ってきたとのこと。


鶏とキャベツをにんにくと塩で味付けしてオリーブオイルで炒めたのと、
人参とミニトマトと水菜のサラダ(ポン酢とオリーブオイルと黒ごまでドレッシングを作ってかけた)、キムチをおかずにして、
小松菜とお揚げのお味噌汁と白ごはんが今晩のごはん。
娘には、お出汁で白米とキャベツとしらすを炊く。


3人で食べる。
娘はよそった3分の1くらい食べてくれた。
先に食べ終わった夫が娘を見てくれている間に、私もご飯を完食。
お米もおかわりした。おかずはどれも美味しかった。

夫がお風呂を掃除する前に、洗い物を半分済ませて、
その後さっとお風呂に入る。
私が上がった後、夫が娘をお風呂に入れてくれる。

夫がお風呂場で娘に話しかける声を聞きながら、洗い物の続き。
台所が綺麗になる。

お風呂上がりの娘を受けとって保湿と着替え。
途中で服に着替えた夫が代わってくれる。
私は布団の上に寝転んで、娘を待つ。
着替えた娘を夫が連れてきてくれて、
スリーパーを着せると、娘は自分から布団の上に寝転ぶ。

寝転んでもう眠るかと思いきや、娘は布団の上をゴロンゴロンと転がって、そのまま布団からおりて、また居間へ行こうとする。
ぐるぐると動きまわり、時々こちらを見て笑った。
「もう寝るよー」と声をかけながら、活気づいて動きまわる娘を夫と見つめる。
ここ数日で急にずいぶん、動けるようになった。




ただ動けるということが、とても楽しそう。
 
ぐずつき始めたので抱き上げ、布団に寝転ばせて、おっぱいをあげながら寝かしつける。


そのまま私も眠ってしまい、起きてしばらくすると
スタジオに練習に出かけていた夫が帰ってきた。


そうして今。


長かったような、1日。
過ぎれば今しかない。


この星にはいくつもの時間があり、それが重なり、それぞれに流れている。

もしかしたら大きな目で見ると、全て調和しているのかもしれないと思うけれど、
私自身、ひとつの時間を体験しているピースであり、全体は見えない。

バスに乗り合わせた時の、老婆に流れる時間と娘に流れ始めている時間と、
私の時間と、バスのエンジン音。運転手さんの視界。空、山に流れる時間。川の流れ。
鳥が飛ぶ。歩道を行く人。
すべてがそれぞれで
すべてが星のかけら。
たぶん、宇宙のまぼろし。






2021年1月17日日曜日








「すでに自分が、満たされていることを知っている」

 

 

ひとりの時間を、と夫が娘を見てくれている間
ポカンと受け取った時間。

何もしない時間が欲しくて、でも公園でボーッとするには寒いので
喫茶店にでも行こう、と思う。

今は個人のこだわりが詰まっているような、そんな場所よりも
なんでもないところへ行きたいな、と思う。

「窓が大きくて明るいところ」というイメージだけ来て
歩ける距離にある、「窓が大きくて明るい」喫茶店へ出かけた。

はじめて訪れた、老舗和菓子屋さんがやっている現代風のそのカフェは
お客さんは私だけ。

値段は立派だけど、コーヒーもおまんじゅうもそれほど美味しくなくて
でも窓だけは大きくて、明るくて、ビートルズが割と大きな音でずっとかかっていた。

そこで画用紙を開いて、最近の自分の1日の過ごし方と
これから娘が保育園へ行くまでの流れを書き出しながら
今、心に引っかかっていることなどを書き出していく。
書き出してみれば、その瞬間解決策が浮かぶことも多くて、なんだかホッとする。

現在地を確かめるような作業の中、
ジョンレノンのHappy Christmas(War is over)が流れた時、
ぱぁーっと空気が華やかに明るくなった。




私もうすでに幸せなんだ。



夫が年末に、新曲を作っていた。

「今まで歌にしてきた悲しみがなくなってしまって、曲ができるのか不安だった」というようなことを、夫は話していた。

悲しみがなくなった後にも

歌は生まれるんだって、夫の新世界への移行。

 



今、また、ひとりの時間をもらっていて

絵を描き始める前の、準備運動みたいに
「わたし」への呼水みたいに、本棚から雑誌を1冊手にとった。

昨年の暮らしの手帳
早春号。


丁寧な暮らしではなくても


が、コピーになっている号で、めちゃめちゃ好きな号。


「丁寧」までもがいつの間にか「カテゴリー」になってしまっていたのを

水溜りにはった氷をバリンと割るみたいにして

もぎ取ってきたような、そんな号なんだ。

 

(新曲ができた時、夫は「もぎ取ってきた」と言った)

 

私は思う。

もしかしたら、知らぬ間に、私は私の命を「何かいつも、どこか足りない」という思い込みの中に、預けてしまっていたんじゃないかってことを。

 

今、自分の手でそれを、取り返してこれる。

戸棚を開けて、ずっと置きっぱなしにしていたのを

いとも簡単に、もう一度手のなかに。


私の人生はすでに始まっていて

そして始まった時から、私は充足しているんだった。



2021年1月13日水曜日

やさしいうたをうたいたい

 

 

1月1日 家族で初詣へ出かけたあと

体調を崩して救急車に初めて乗った。

夫が抱っこ紐で娘を胸に抱いて、夫も娘も一緒に救急車。

初めてのこと(私もだ)に戸惑って泣く娘に、

夫も私も「大丈夫だよ」って繰り返し声をかけた。


大事には至らず、おさまらなかった頭痛に、

授乳中でも飲める痛み止めを処方してもらった。

救急の先生は若い青年(20代後半から30代前半に見えた)で

帰る前に「採決の数値に異常はなかったので、帰っていただいて大丈夫です」

と声をかけてくれた時に、本当にありがたい気持ちが湧いた。

本当に「大丈夫です」って伝えてくれてる、「大丈夫」だった気がして。

 

娘は夫をずっと抱っこしていてくれて

娘がぐずると廊下に出て、あやしてくれた。

お腹が空いて眠たいだろう娘に、

帰る前にカーテンに囲われた簡易ベッドの上でおっぱいをあげた。


娘も安心したかもしれないけれど

ごくごくおっぱい飲む娘の姿を見て、私がほっとした。

 

その日、お腹の中にあるものをぜーんぶ出して

翌日も夫が娘を見てくれて、1日よく眠ったら

雪あがりの日みたいに、からだの中がピカピカで気持ちのいい風がぬけていく。

 

大変な元旦だったけれど(私だけでなく、何より、夫と娘にとっても)

だけど

その日をきっかけに、

今はほとんど母乳で私を栄養源にしている娘が

これからご飯を食べて、地球のあらゆるところで、食べ物があれば

自由に生きていける、その出発になるんだ。と、離乳食を始める覚悟がついた。
(はじめてはいたけど、ボチボチ、ゆっくりで良いか〜と、かなりかなり、ゆっくりやってた)


不思議だけれど、それから自分の中でも何かが切り替わったよう。

今まで、娘を寝かしつけたあと

「自分のこと」をしようと思っても

その「わたし」が、とーってもとっても遠いところにいて

数時間経っても「わたし」はやってこなくて、ボーっとしたまま

結局眠っていた。

それが、「わたし」が私に、なった。



なんだかとっても、おもしろい。

2度目の出産をしたみたい。 


2020年12月29日火曜日

 

 

気がつけば年の暮れ。

「髪を切ってきたら」と夫が言って、娘を見ていてくれた。

それで土曜日、久しぶりに髪の毛を切りに出かけた。

髪を切ってもらっている間、ストーブのじんわりとした暖かさもあって眠たくなる。

「マスク、つけてた方がいいですか?」とはじめに聞いたら

美容師さんは「どちらでもいいです」と答えられた。

それで一度は「じゃあ」と外したけれど

「外してもいいですよ」とは言わないで「どちらでもいいです」なら

つけておいた方がいいのかな、と思って

「やっぱりつけますね」と言ってマスクをつけ直した。

初めてマスクをつけたまま、シャンプーしてもらい、髪を切ってもらった。

なんだか不思議な気分だ。ナウシカの世界みたい。

 

髪はずいぶん短くしてもらってすっきりと気持ちがいい。

新年を迎えるのに、すっきりできてよかった。

 

この頃は、娘が夜起きる回数が毎晩3、4回とまぁまぁ多くて

その度、私も起きるので、ものすごくたくさん夢を見る。

その夢がまぁまぁ面白くて、夢の中で現実生活のねじれが解けたり

そういうことだったのか、と府に落ちたりすることが続いている。

今はたまたま、何度も起きるから夢を覚えていてそう感じられているだけで

普段も夢はそういう役割をもっているものなのかもしれない。

(朝起きたら、すっかり忘れているだけで)

 

子育て雑誌やネットで調べると、娘の今の月齢だと

もう少し夜、長く眠る子もいるみたいだし

起きるたびに添い乳といって、娘の横に眠りながら授乳しているのだけれど

その添い乳もそろそろやめ時、的なことが書かれている。

 

やめた方がいいのかなぁと、ぼんやり考えて、調べたこともあったけれど

そしてもちろん、朝までたっぷり眠りたい気持ちはあるけれど

私は娘のリズムに合わせることにした。

そしておっぱいで娘が安心して眠れるなら、おっぱいをあげよう、と思った。

(好きな漫画家さんの子育て漫画では、2歳すぎてもおっぱいで寝かしつけしていたし)

一生続くわけじゃなく、きっとわずかな間のことなのだ。

 

夫と先日話したときに

夫が、娘が生まれてから「有限性」を感じるようになった、と言った。

それを聞いて、私もそう、と思う。

 

娘が二十歳の時に、私はいくつかな、と考えたりするようになったから。

そして、今、どんどんどんどん、彼女が成長して

目の前でどんどん、数ヶ月前、数週間前を「過去」にして

現在を更新し続けるから。

 

 

肩にサロンパスを貼る日々だけど

美しい時にいるなって、思う。


 



2020年12月20日日曜日

 

自分の作業をするとき

今まではリビングの食卓の上に画材を広げて作業していた。

それがだんだんと、食卓は、より家族の場所になって

娘を寝かしつけた後、照明を落としたリビングの食卓に座っても

「ものをつくるわたし」に触れられなくなってしまった。

(リビングのすぐ隣の和室に娘が眠っているのです)
 
 

自分だけのスペースが必要。と思い、小さな机を買った。

夫は、夫の部屋で作業をしていいよ、と言ってくれたけれど

夫の部屋は、やっぱり夫の空間なのだ。

買った机を、娘を寝かせた後もライトをつけていられる台所に置いた。

すると、小さいけれど私の場所ができて(今もその机に置いたパソコンを開いてる)

「ものをつくるわたし」が、やってきてくれる。


ものをつくるときには、何かに触ってる感じがする。

見えないけど、見てる。感触を確かめながら、現実に写していく。

 


 

 


2020年12月7日月曜日


夫とまた寝室が一緒になって、娘と3人で眠ることになってから
自分がとても、安心している。
 
夜、娘が眠る横で
寝入る前に夫と手を繋ぐ。
そうすると繋いでいる手がじんわりあったかくなる。
 
じわじわ〜とあたたかさを感じながら
前にヨガを習っていた時に、先生がガイドしてくれたり
産院のマタニティクラスで瞑想を教わった時にも、ガイドしてもらったようなこと
頭の先から、少しずつ、力をぬいていく。

「頭のてっぺんの、力を抜きます」
「おでこの力を抜きます」
「耳の付け根の力を抜きます」

・・・と上から順番に、自分で自分をガイドして
体に声をかけていくと本当に力が抜けていって
ふわ〜っと楽ちんになる。
 
 
安心すると
広い野っ原で自由になるから
自然な行いが、やさしくなる。
 
 
 
娘は従姉妹のお下がりをもらったハイチェア(高さを変えられる、こども用の椅子)に
先日初挑戦。
 
背もたれと体の隙間をクッションで埋めてあげると安定して
テーブルの上のおもちゃで遊ぶようになった。
 
なんというか…、たった6ヶ月で
こんなにしっかりするんだ、と、驚く。
 
どんどん、彼女の世界が開いていっているのを感じる。
 
 
 
この間、遊んでいる娘を見ながら
不思議な気持ちになった。
 
ぐんぐん大きくなって、これからもきっとこのまますくすくと大きくなっていくだろう。
 
その情報の全部が、今の彼女にもう備わっているんだなって感じられて。
 
 
種の中には大樹の記憶があるというか。
 
 
 
力が入りすぎている時、忘れてしまうけれど
子育てっていうけど
彼女自身が育っていっているわけで、
親の役割って、彼女の前にはなくて、後ろにあるのかもしれないって思う。
 
ついつい、何を与えられるだろうかと
前にまわりがちになるけれど
 
彼女の後ろから、彼女が今、何を見ているか
何に関心を寄せてどうあるのかを、よくよくみていることが
大切なのかも。必要は、彼女自身が知っている、というか。
 
そんなことを、この頃感じる。
 
 
 
先週、私の両親が娘に会いに一週間ほどきてくれていた。
毎朝ホテルからやってきて、ウキウキと我が家の玄関のドアを開ける父と母。
娘の名前を呼んで入ってきて、娘を見つけると嬉しそうに笑う。
 
その姿を見て、なんだかとっても、ありがたくて、癒された。
 
母は娘をたくさん抱っこして
父は娘とたくさん遊んでくれた。
 
娘も彼らの前でのびのび笑って(時々泣いて)過ごしていた。
 
 
ふと私の力も抜けて
「楽しもう」って、思った。
 
 
彼女といることを。
 
そして、「お腹減ったかな?」「眠いかな?」「今おっぱいってことは〜・・・」と
ぐるぐるアンテナの先に意識がいきがちなんだけど
 
感じることに、意識を置いてみようって思った。
 
今、彼女があたたかいこと
 
彼女がやわらかいこと

彼女が笑うと嬉しいこと
 
 
 

2020年11月25日水曜日

 

 

娘を寝かしつけていると、いつも知らぬ間に寝てしまっている。

今夜もそうだったみたいで、目が覚めたら0時近くだった。

夫は何度か起こしてくれたみたいで、台所にコーヒーがある。

私に淹れて残しておいてくれたのだ。

3回くらい起こして「コーヒーいる?」と聞いたら「うん」と私は返事をしていたらしい。

おぼえていないけれど。

 

「眠れなくなるよ」と夫に言われたけれど

「私は眠れるんだ」(寝つきがものすごくいい)と自信満々で返事して

牛乳とコーヒー、半々くらいにして飲んだ。美味しい。

 

そしてしっかり、眠れなくなってしまった。

 

布団の中で、考え事をしたり

している間に娘は2回起きて、授乳したり、とんとんしたり。

小さな手のひらがかわいい。

 

これは眠れない、としばらくして見切りをつけて、布団を出る。

音楽を流して、電気をつけた台所で、本を読み始める。

ツレヅレハナコさんの「食いしん坊な台所」

昨年、友達が京都にきた時に一緒に訪れた本屋さんで「面白かった」と

友達から聞いて買った本。何度か読み返してる。

ハナコさんのおおらかな愛が伝わってきて、あったかくなる本。

ナンプラー 好きなハナコさん。

ついこの間から夫がタイ料理を作り始めて、家にナンプラー の大瓶があるから

本の中のレシピ、今度作ってみよう。

 

高橋みどりさんの本や池田澄子さんの句集をパラパラ。

台所のオレンジの光。

真夜中だけどアイスクリームも食べた。

 

 

 

 

さっき布団の中で、ここのところうっすら感じていたことを

はっきり感じた。


今、夫の体調のために

(夫は私と違って眠っている時とても繊細で、小さな音でも起きてしまったり、眠りが浅いタイプ)数ヶ月前から別々に眠っているのだけれど

思いの外それがとてもさびしい、ということ。

  

夫の寝息を聞きながら眠ること

朝起きたらいちばんに姿が見えることで

私はとっても安心していたんだなぁということに気がついた。


 

明日の朝、夫に話してみよう。

週末は3人で眠りたいのだけど、どうだろう?って。

 

 


暮らしって、実験で本番だな。

 

 

そう、だけどさっき

「あぁ、夫と一緒に眠らなくなったことで、私はとても心細いんだなぁ」と気付いて

そのあとで

「わたしが、わたしのそばにいるよ」って

自分に話しかけたらほわって、寂しさがしゅーっと癒されて、かたくとじていたのが

やわらかく開いたことにも、気付いたよ。

 

 

そうだ、そう。


いつでもまずは、そう。

わたしが、わたしの、いちばんそばにいる。

 

 

こういうこと、

娘にもゆっくりゆっくり、伝えていきたい、とも思う。

おかーさんもおとーさんも、娘の味方。

そしてあなたのいちばんの味方は、あなた自身だよって。

 


アマゾンで、2021年の手帳を注文して、お布団に入る。


2020年11月20日金曜日



洗い物している横で

お茶をいれて、目玉焼きとウインナーを焼いて

自分の昼ごはんに。

ごはんの上に、目玉焼きとウインナーのせて、お醤油とゴマをかけて

遊んでいる娘の隣で、もぐもぐ食べた。美味しかった。


昼ごはん、ちょっと前まで

ラップして冷蔵庫に入れていたお米を

冷たいままそのまま食べていた。

今思えば、温めるくらいできた気もするけれど

それを省きたくなるくらい、キャパオーバーしていたのだと思う。

 

今は、何が変わったわけじゃないけれど

息を止めて、んっ!と踏ん張ろうとする自分に気付いたら

踏ん張るのをやめてみてる。

たったそれだけで余白ができて、目玉焼きを自分に焼けるようになった。


自分の容量は、自分が思っていたよりも

ずっとずーっとずっと、ちっちゃかった。


それを知れたことで、荷が軽くなるなんて、不思議。

 

 

お猪口サイズの容量を、どんぶりにすることを目指すんじゃなくて

お猪口のままで、すこしずつ

そして家族やまわりのひとたちとわかち合いながら

生きていく。

 

 


 


2020年11月19日木曜日



新生児の頃から、よく動くなと思っていた娘。

 
訪問できてくれた保健師さんや
保育所で先生にも「よく動くね」と言われたから

これは彼女の今のところの個性なんだろうと感じ始めた。

 
高い高いみたいな体を動かす遊びをすると、目が凛と輝き、
笑った口からよだれが長ーく落ちてくる。

 

それなら晴れた日は
公園に遊びにいこう。

 
そう思って、今日も午前中は近所の公園にふたりで出かけた。

 

公園の木々はすっかり色づいて

地面は落ち葉が重なって絨毯になってる。

 

娘を桜の木の枝先に近づけると

赤くなった葉に手を伸ばして

小さな手のひらでぎゅっと葉っぱを握った。

 

笑っている。

 

風がふいてきて、目の前で葉っぱがちらちら揺れる。

 

笑って見てる。

楽しいね。

 

抱っこ紐にくるんと入れて

一緒にブランコに乗る。

「ゆらーゆらー」と声をかけながら。

 

日が当たって今日はあたたかい。

 

まだ自分ひとりでは立てないから、

支えながら落ち葉の重なったところに

足をおろしてみる。




カサカサ、音がする。

 

笑ってる。

楽しいかい。

 

風がまたふいて

落ち葉がさーっと

雪みたいにゆっくり舞い落ちてくる。

 

綺麗だねって声かける。

娘は落ち葉を見てただろうか。

それとも違うところ、見ていたかな。

 

 

日をたくさん浴びて

帰る前にまたブランコして




家についてから

解凍していたおかゆを温め直して

離乳食。

 

自分でスプーンを持とうとする。

 

昨日よりも

スプーンの上のお粥を上唇ですくうのが、上手になってる。

 

ちょっと飽きてきたかな、というところで残っていてもやめて

おっぱいをあげる。

 

食べきることは目的ではなくて

食べることに慣れるのと

食べるの楽しいって気持ちに触れるのが、たぶん大事だと思って。

 

 

授乳してるうちに眠って、

今、娘はわたしの膝の上で眠ってる。

 

 

むかしむかしのクウネルを数冊手元に持ってきてたので

パラパラ読み返した。

やっぱりいい。

 

小さなアパートで暮らし始めた女の人の記事と

長く住んだアパートを引っ越す前の大森ようこ(漢字が出てこない)さんを取材した記事。

 

 

カギカッコでかこわれた言葉は

本当にその人が、ぽっとこぼしたんだろうなってまま

写真にうつっちゃった、みたいな言葉で

(別に残る為にあるものではない。本当は、その場かぎりの、小さな言葉。息のあたたかさがかかったまま、そこにあるみたいな、言葉)




なんかいいな。




読んでて体と心が、やわらかくのびる。

 

 

雑誌を閉じたら

探していた爪切り挟みが目に入って

気になってた伸びた娘の足の爪をちょきちょき切る。




今日はいい天気であたたかくて

窓から光がよく入ってくる。

 

網戸から風もぬけて、薄いカーテンがちょっと揺れる。

 

爪を切りながら

宇宙から届いてる

太陽のひかりで

いま赤ちゃんのこのこの、爪を切ってる。

 

って

近くと遠くが

今に入り込んでくる。

 

あぁ、この感じが

とっても好きだなって思う。

 

 

とてもささやかなことが

遙かなめぐりのなかで叶ってる

 

ささやかなことが

遙かなめぐりにまで届いている

 

そう感じられる時。

 

 

 

夫は夏から勉強頑張ってのぞんだ試験をこの間終わらせて

昨夜は川原まで歌を歌いに出かけていた。

わたしがやり残した家事もやっていてくれた。

娘が起きたら起こすから、ひとりで別の部屋で眠っていいよ、と言ってくれた。
 
 
そう言ってもらえた時、前だったら夫も次の日仕事だし、悪いなと思って
「大丈夫」ってことわっていた。

でも「ありがとう」って、厚意を受けとらせてもらうことにしたら

なんだか心がまるい。

そして部屋の扉をしめてひとりになったら、すーんと自分が静かになった。
 
 

この間、洗濯物をほしている時にふと思った。

子育ては、生活だから、無理をするものじゃない、っていうこと。
 
「私がここは頑張っちゃおう!」って、小さなことほど、抱えがちになるけど
 
家族はチームだから、(一緒に動いているから)

負荷がかかっている時に、負荷をひとりで背負うのは、善策とはいえない。
 
そこが潰れてしまったら、結局補いあうことになるから。

それに、一緒に生きているのに、負荷のある部分をひらかないのって

うまく言葉にできないけれど、結局ひとりよがりのような。
 
だから、負荷があるなら、かかえるんじゃなくて、わかちあうこと、って、思った。
 
 
それから、自分が「頑張っちゃおう!」ってする時に

気付けるようになって

頑張るのをやめたり

「本当は今、何がしたい?」って、自分に聞いてみることにしたんだ。
 
 
たとえば、娘がひとり遊びをしているのを見て

「あ!今のうちに副菜作っちゃおう!」って思った瞬間、自分にぐっと力が入ったので

「本当は今何したい?」って心に聞いたら、「ゆっくりお茶飲みたい」って浮かんできたから、

副菜を作りながら、お湯を沸かして

作り終えたあと、娘抱っこしながら、ゆっくりお茶を飲んだ。
 
 

地面は、たいらなんだって

そうした時に、気づく。

自分で難しく、歩こうとしていたんだなって。