2020年12月20日日曜日

 

自分の作業をするとき

今まではリビングの食卓の上に画材を広げて作業していた。

それがだんだんと、食卓は、より家族の場所になって

娘を寝かしつけた後、照明を落としたリビングの食卓に座っても

「ものをつくるわたし」に触れられなくなってしまった。

(リビングのすぐ隣の和室に娘が眠っているのです)
 
 

自分だけのスペースが必要。と思い、小さな机を買った。

夫は、夫の部屋で作業をしていいよ、と言ってくれたけれど

夫の部屋は、やっぱり夫の空間なのだ。

買った机を、娘を寝かせた後もライトをつけていられる台所に置いた。

すると、小さいけれど私の場所ができて(今もその机に置いたパソコンを開いてる)

「ものをつくるわたし」が、やってきてくれる。


ものをつくるときには、何かに触ってる感じがする。

見えないけど、見てる。感触を確かめながら、現実に写していく。

 


 

 


2020年12月7日月曜日


夫とまた寝室が一緒になって、娘と3人で眠ることになってから
自分がとても、安心している。
 
夜、娘が眠る横で
寝入る前に夫と手を繋ぐ。
そうすると繋いでいる手がじんわりあったかくなる。
 
じわじわ〜とあたたかさを感じながら
前にヨガを習っていた時に、先生がガイドしてくれたり
産院のマタニティクラスで瞑想を教わった時にも、ガイドしてもらったようなこと
頭の先から、少しずつ、力をぬいていく。

「頭のてっぺんの、力を抜きます」
「おでこの力を抜きます」
「耳の付け根の力を抜きます」

・・・と上から順番に、自分で自分をガイドして
体に声をかけていくと本当に力が抜けていって
ふわ〜っと楽ちんになる。
 
 
安心すると
広い野っ原で自由になるから
自然な行いが、やさしくなる。
 
 
 
娘は従姉妹のお下がりをもらったハイチェア(高さを変えられる、こども用の椅子)に
先日初挑戦。
 
背もたれと体の隙間をクッションで埋めてあげると安定して
テーブルの上のおもちゃで遊ぶようになった。
 
なんというか…、たった6ヶ月で
こんなにしっかりするんだ、と、驚く。
 
どんどん、彼女の世界が開いていっているのを感じる。
 
 
 
この間、遊んでいる娘を見ながら
不思議な気持ちになった。
 
ぐんぐん大きくなって、これからもきっとこのまますくすくと大きくなっていくだろう。
 
その情報の全部が、今の彼女にもう備わっているんだなって感じられて。
 
 
種の中には大樹の記憶があるというか。
 
 
 
力が入りすぎている時、忘れてしまうけれど
子育てっていうけど
彼女自身が育っていっているわけで、
親の役割って、彼女の前にはなくて、後ろにあるのかもしれないって思う。
 
ついつい、何を与えられるだろうかと
前にまわりがちになるけれど
 
彼女の後ろから、彼女が今、何を見ているか
何に関心を寄せてどうあるのかを、よくよくみていることが
大切なのかも。必要は、彼女自身が知っている、というか。
 
そんなことを、この頃感じる。
 
 
 
先週、私の両親が娘に会いに一週間ほどきてくれていた。
毎朝ホテルからやってきて、ウキウキと我が家の玄関のドアを開ける父と母。
娘の名前を呼んで入ってきて、娘を見つけると嬉しそうに笑う。
 
その姿を見て、なんだかとっても、ありがたくて、癒された。
 
母は娘をたくさん抱っこして
父は娘とたくさん遊んでくれた。
 
娘も彼らの前でのびのび笑って(時々泣いて)過ごしていた。
 
 
ふと私の力も抜けて
「楽しもう」って、思った。
 
 
彼女といることを。
 
そして、「お腹減ったかな?」「眠いかな?」「今おっぱいってことは〜・・・」と
ぐるぐるアンテナの先に意識がいきがちなんだけど
 
感じることに、意識を置いてみようって思った。
 
今、彼女があたたかいこと
 
彼女がやわらかいこと

彼女が笑うと嬉しいこと
 
 
 

2020年11月25日水曜日

 

 

娘を寝かしつけていると、いつも知らぬ間に寝てしまっている。

今夜もそうだったみたいで、目が覚めたら0時近くだった。

夫は何度か起こしてくれたみたいで、台所にコーヒーがある。

私に淹れて残しておいてくれたのだ。

3回くらい起こして「コーヒーいる?」と聞いたら「うん」と私は返事をしていたらしい。

おぼえていないけれど。

 

「眠れなくなるよ」と夫に言われたけれど

「私は眠れるんだ」(寝つきがものすごくいい)と自信満々で返事して

牛乳とコーヒー、半々くらいにして飲んだ。美味しい。

 

そしてしっかり、眠れなくなってしまった。

 

布団の中で、考え事をしたり

している間に娘は2回起きて、授乳したり、とんとんしたり。

小さな手のひらがかわいい。

 

これは眠れない、としばらくして見切りをつけて、布団を出る。

音楽を流して、電気をつけた台所で、本を読み始める。

ツレヅレハナコさんの「食いしん坊な台所」

昨年、友達が京都にきた時に一緒に訪れた本屋さんで「面白かった」と

友達から聞いて買った本。何度か読み返してる。

ハナコさんのおおらかな愛が伝わってきて、あったかくなる本。

ナンプラー 好きなハナコさん。

ついこの間から夫がタイ料理を作り始めて、家にナンプラー の大瓶があるから

本の中のレシピ、今度作ってみよう。

 

高橋みどりさんの本や池田澄子さんの句集をパラパラ。

台所のオレンジの光。

真夜中だけどアイスクリームも食べた。

 

 

 

 

さっき布団の中で、ここのところうっすら感じていたことを

はっきり感じた。


今、夫の体調のために

(夫は私と違って眠っている時とても繊細で、小さな音でも起きてしまったり、眠りが浅いタイプ)数ヶ月前から別々に眠っているのだけれど

思いの外それがとてもさびしい、ということ。

  

夫の寝息を聞きながら眠ること

朝起きたらいちばんに姿が見えることで

私はとっても安心していたんだなぁということに気がついた。


 

明日の朝、夫に話してみよう。

週末は3人で眠りたいのだけど、どうだろう?って。

 

 


暮らしって、実験で本番だな。

 

 

そう、だけどさっき

「あぁ、夫と一緒に眠らなくなったことで、私はとても心細いんだなぁ」と気付いて

そのあとで

「わたしが、わたしのそばにいるよ」って

自分に話しかけたらほわって、寂しさがしゅーっと癒されて、かたくとじていたのが

やわらかく開いたことにも、気付いたよ。

 

 

そうだ、そう。


いつでもまずは、そう。

わたしが、わたしの、いちばんそばにいる。

 

 

こういうこと、

娘にもゆっくりゆっくり、伝えていきたい、とも思う。

おかーさんもおとーさんも、娘の味方。

そしてあなたのいちばんの味方は、あなた自身だよって。

 


アマゾンで、2021年の手帳を注文して、お布団に入る。


2020年11月20日金曜日



洗い物している横で

お茶をいれて、目玉焼きとウインナーを焼いて

自分の昼ごはんに。

ごはんの上に、目玉焼きとウインナーのせて、お醤油とゴマをかけて

遊んでいる娘の隣で、もぐもぐ食べた。美味しかった。


昼ごはん、ちょっと前まで

ラップして冷蔵庫に入れていたお米を

冷たいままそのまま食べていた。

今思えば、温めるくらいできた気もするけれど

それを省きたくなるくらい、キャパオーバーしていたのだと思う。

 

今は、何が変わったわけじゃないけれど

息を止めて、んっ!と踏ん張ろうとする自分に気付いたら

踏ん張るのをやめてみてる。

たったそれだけで余白ができて、目玉焼きを自分に焼けるようになった。


自分の容量は、自分が思っていたよりも

ずっとずーっとずっと、ちっちゃかった。


それを知れたことで、荷が軽くなるなんて、不思議。

 

 

お猪口サイズの容量を、どんぶりにすることを目指すんじゃなくて

お猪口のままで、すこしずつ

そして家族やまわりのひとたちとわかち合いながら

生きていく。

 

 


 


2020年11月19日木曜日



新生児の頃から、よく動くなと思っていた娘。

 
訪問できてくれた保健師さんや
保育所で先生にも「よく動くね」と言われたから

これは彼女の今のところの個性なんだろうと感じ始めた。

 
高い高いみたいな体を動かす遊びをすると、目が凛と輝き、
笑った口からよだれが長ーく落ちてくる。

 

それなら晴れた日は
公園に遊びにいこう。

 
そう思って、今日も午前中は近所の公園にふたりで出かけた。

 

公園の木々はすっかり色づいて

地面は落ち葉が重なって絨毯になってる。

 

娘を桜の木の枝先に近づけると

赤くなった葉に手を伸ばして

小さな手のひらでぎゅっと葉っぱを握った。

 

笑っている。

 

風がふいてきて、目の前で葉っぱがちらちら揺れる。

 

笑って見てる。

楽しいね。

 

抱っこ紐にくるんと入れて

一緒にブランコに乗る。

「ゆらーゆらー」と声をかけながら。

 

日が当たって今日はあたたかい。

 

まだ自分ひとりでは立てないから、

支えながら落ち葉の重なったところに

足をおろしてみる。




カサカサ、音がする。

 

笑ってる。

楽しいかい。

 

風がまたふいて

落ち葉がさーっと

雪みたいにゆっくり舞い落ちてくる。

 

綺麗だねって声かける。

娘は落ち葉を見てただろうか。

それとも違うところ、見ていたかな。

 

 

日をたくさん浴びて

帰る前にまたブランコして




家についてから

解凍していたおかゆを温め直して

離乳食。

 

自分でスプーンを持とうとする。

 

昨日よりも

スプーンの上のお粥を上唇ですくうのが、上手になってる。

 

ちょっと飽きてきたかな、というところで残っていてもやめて

おっぱいをあげる。

 

食べきることは目的ではなくて

食べることに慣れるのと

食べるの楽しいって気持ちに触れるのが、たぶん大事だと思って。

 

 

授乳してるうちに眠って、

今、娘はわたしの膝の上で眠ってる。

 

 

むかしむかしのクウネルを数冊手元に持ってきてたので

パラパラ読み返した。

やっぱりいい。

 

小さなアパートで暮らし始めた女の人の記事と

長く住んだアパートを引っ越す前の大森ようこ(漢字が出てこない)さんを取材した記事。

 

 

カギカッコでかこわれた言葉は

本当にその人が、ぽっとこぼしたんだろうなってまま

写真にうつっちゃった、みたいな言葉で

(別に残る為にあるものではない。本当は、その場かぎりの、小さな言葉。息のあたたかさがかかったまま、そこにあるみたいな、言葉)




なんかいいな。




読んでて体と心が、やわらかくのびる。

 

 

雑誌を閉じたら

探していた爪切り挟みが目に入って

気になってた伸びた娘の足の爪をちょきちょき切る。




今日はいい天気であたたかくて

窓から光がよく入ってくる。

 

網戸から風もぬけて、薄いカーテンがちょっと揺れる。

 

爪を切りながら

宇宙から届いてる

太陽のひかりで

いま赤ちゃんのこのこの、爪を切ってる。

 

って

近くと遠くが

今に入り込んでくる。

 

あぁ、この感じが

とっても好きだなって思う。

 

 

とてもささやかなことが

遙かなめぐりのなかで叶ってる

 

ささやかなことが

遙かなめぐりにまで届いている

 

そう感じられる時。

 

 

 

夫は夏から勉強頑張ってのぞんだ試験をこの間終わらせて

昨夜は川原まで歌を歌いに出かけていた。

わたしがやり残した家事もやっていてくれた。

娘が起きたら起こすから、ひとりで別の部屋で眠っていいよ、と言ってくれた。
 
 
そう言ってもらえた時、前だったら夫も次の日仕事だし、悪いなと思って
「大丈夫」ってことわっていた。

でも「ありがとう」って、厚意を受けとらせてもらうことにしたら

なんだか心がまるい。

そして部屋の扉をしめてひとりになったら、すーんと自分が静かになった。
 
 

この間、洗濯物をほしている時にふと思った。

子育ては、生活だから、無理をするものじゃない、っていうこと。
 
「私がここは頑張っちゃおう!」って、小さなことほど、抱えがちになるけど
 
家族はチームだから、(一緒に動いているから)

負荷がかかっている時に、負荷をひとりで背負うのは、善策とはいえない。
 
そこが潰れてしまったら、結局補いあうことになるから。

それに、一緒に生きているのに、負荷のある部分をひらかないのって

うまく言葉にできないけれど、結局ひとりよがりのような。
 
だから、負荷があるなら、かかえるんじゃなくて、わかちあうこと、って、思った。
 
 
それから、自分が「頑張っちゃおう!」ってする時に

気付けるようになって

頑張るのをやめたり

「本当は今、何がしたい?」って、自分に聞いてみることにしたんだ。
 
 
たとえば、娘がひとり遊びをしているのを見て

「あ!今のうちに副菜作っちゃおう!」って思った瞬間、自分にぐっと力が入ったので

「本当は今何したい?」って心に聞いたら、「ゆっくりお茶飲みたい」って浮かんできたから、

副菜を作りながら、お湯を沸かして

作り終えたあと、娘抱っこしながら、ゆっくりお茶を飲んだ。
 
 

地面は、たいらなんだって

そうした時に、気づく。

自分で難しく、歩こうとしていたんだなって。

2020年11月11日水曜日

  

 

春から通う予定でいる娘の保育園の願書を提出した。

銀杏並木が黄色く明るくて

外の自転車を綺麗に並べ直していた先生に願書を渡すと

「銀杏も黄色くなって、こどもたちと見に出てきたりするんですよ」

と、先生が言った。

 

ひとつ、ひとつ。

 

 

数日前、夫との些細なやりとりがきっかけになって

悔しさが湧くほどカーンと怒りが出てきた。

夫と、そのことについてやりとりをしていると

「他にも我慢したりため込んでいることがあるんじゃないか。聞かせてね」と言われる。

でも、自分では我慢しているかんじも思い浮かばないでいた。

それでも、怒りをぶつけてしまったことや、自分から思いがけない怒りが出てきた衝撃が余韻になって、心がぼんやりしてしまう。

気力がごそっと抜けて、娘のことをまっすぐ見られなくなってしまう。

すると娘は、微妙な心許ない感じの笑みを浮かべて

ふだんは穏やかなのに、その日は珍しく泣いた。

 

 

なんだろう、この感覚は…。と思いながら

「今日何もしないで眠れば、多分治ると思う」と思い、

夕ご飯はスーパーのお弁当。

夫はオレンジジュースと鉄分の取れる飲み物を買って帰ってきてくれた。

 

 

娘を寝かしつけた後も、足場がごそっと抜けたような感覚があって

夜中、授乳の後に台所で牛乳を一杯飲んだ。

ぼんやりしたまま、本棚からウィリアム・サローヤンの「パパ・ユーアクレイジー」を取り出して読む。


久しぶりに読み返し、本の中の世界に安心し

新鮮な好きな空気が湧き立つのを感じた。

 

夫がトイレに起きてきて、また布団に戻っていったので

ついていって同じ布団に入り込む。

 

ぽつりぽつりと夫に話しを聞いてもらっていたら

自分でも気づいていなかった言葉が出てきた。

 

 

離乳食を始めよう、って思って調べると

離乳食の始め方が綺麗な写真付きで載った本があって

離乳食を作るために必要な道具が載っていて

インターネットで調べると、いろんなメーカーからたくさん出ていて

口コミを見ていいものを選ぼうとすると、いいと言う人もいれば、悪いと言う人もいて

どれがいいのか分からず決められない。

 

母乳以外の水分補給ができるように、とマグでの水分補給を始めよう、と考えると

マグのタイプもひとつだけではなくて、ストロータイプもあれば、

ストローの前に、というスパウト、というタイプがあり、

さらにスパウトとして使えるし、哺乳瓶の乳首につけかえられる、というタイプもあり

それもまた、ものすごくたくさんのメーカーから何種類も出ていて、

口コミを見るとやっぱりいいと言う人もいれば、悪いと言う人もいて、

こぼれる、とか、よく飲んだ、とか、いらない、とか

たくさん書いてあって、決められない。

 

どれにしたらいいんだろう、って、何日も何日も、調べてる。


「さっき久しぶりに小説を読んだら安心した。

あれはいい、あれはよくない、ってことが書いてないから」

 

そう言いながら、涙が出てきた。

 

「本当は、別に、なんでもいいんだと思う。自分が子どもの頃に、それがあったのかも分からないし。今日児童館でも、わたしあれを使ってて、あれを買いましたって話があって、そういうのが、もうしんどい」

 

でも、話しているうちに、軸に触れてくる。


「本当は、お母さんに離乳食どうしてた?って聞いたら、おじやばっかりだったなって言われて、それでいいんだって思う」

 

そうだ、それで、いいんだって思う。

 

 

なんだか、なんだか、なんだか


安心した。

 

「他にも不安に思ってることある?」

と夫に聞かれて、

ちょっとずつ言葉になる。


 

自分では頑張ってるつもりがどこにもないことが

小さく小さく重なっていたんだって思った。

 

ベビーカーのことも。


義姉が、腰が座ってから使える軽量のベビーカー(ベビーカーも、A型、B型、AB両用、とあって、腰が座る7ヶ月頃から使えるのがB型。その前から使えるのがA型。本当に、もう、ややこしい!)をくれる予定だからと

短いかもしれない期間、やっぱり必要だから、とメルカリで安く買えたA型ベビーカー。


綺麗に梱包されて届いて、ベビーカーだけじゃなくて、

クッションや、ブランケットをとめるクリップなんかも付いていた。



軽くて、娘も楽しそうに乗って、夫と「いい買い物ができたね」と嬉しく話していたのに

児童館やスーパーへ行くと

新しい、なんだかスタイリッシュなベビーカーを引いているお母さんたちがたくさんいて

生地がちょっと日焼けしている、娘を乗せているベビーカーを少し、恥ずかしく感じたり。



でも、でも、でも


全然そんなこと、感じる必要なかったんだって

夫に話しながら、無駄なものが、落ちていった。



自分たちの、ひつようにぶつかって

考えて、話して、決めて

他にもたくさん選択肢はあるように、そう思えるけれど

本当はたぶん、そうであって、そうじゃない。

自分たちの道の流れで、手のひらにやってきたものを手にとるだけ。


道の流れの上のこと、ひとつひとつ浴び、泣いたり笑ったり、様々に感じ

歩いてるだけ。



そういうこと。



揺れながら、揺れながら、

落ち着いてくる。

 

 

 

その翌日は、前の日に不安な気持ちにさせてしまったかもしれない娘と

たくさん、遊ぼう。と思ったら

「抱っこして」の両手を開くポーズを娘は繰り返し

そのたび抱っこしていたので、ほぼほぼ1日、抱っこしていた。

娘が夫に抱かれても、私に抱かれても、たくさんたくさん眠るまで

よく動いて笑っていたので、わたしもポカポカ、あたたかくなった。

2020年11月6日金曜日

 

予防接種の翌日、娘が熱を出した。

予防接種の副反応で発熱することはよくあることみたいで

前々回も38度の熱が出た。

 

昼は37度台の微熱だったのが

午後、お昼寝をしているときに頭に触れたら熱くて

熱を測ったら38度に。

まだ上がりそうな感じがあったのと、鼻水も出ているので病院へいこうと思う。

 

予防接種を受けた小児科は休診日で、

インターネットで調べて少し遠くの小児科に電話する。

18時から午後の診療があるけれど、

インフルエンザの予防接種の予約があり混み合うので

17時45分から50分にきてください、とおっしゃり

診療時間より少し早く開けて、診てくださった。

 

娘を抱っこ紐で抱えて、初めて抱っこ紐用のダウンケープをかける。

あったかいのかな?と自分も手を入れて確かめながら

タクシーの通る大通りまで、娘と歩く。

娘はいつもよりも大人しい。

暮れた空に、キン、と星が光って綺麗だった。
 
小児科の前まで連れて行ってくれたタクシーの運転手さんは

降りるときに「お大事に」と言ってくださる。

病院で先生に診てもらうと、安心する。

おおらかな声で「喉がちょっと赤いけど、胸も変な音しないし大丈夫」と言ってくれた。

解熱剤と、鼻水を止める薬を出してくれて

「しんどそうだったら飲ませてあげて」と。

お薬は、お守りのよう。

きっと予防接種の副反応の熱は明日には下がるだろうし

風邪をもらったかもしれない鼻水も、ちょっと様子を見ようと思うから

お薬は使わないでおこうと思うけれど、

本当にしんどそうなときにひとまずの手立てが手元にある。っていうこと

このままお家に帰って、娘と寄り添う私にとって

先生に診てもらったときのおおらかな明るい「大丈夫」を近くに置いておけるような

そんなお守りみたい。と思った。

 

帰り道のタクシーを拾う前、

目に入ったコンビニエンスストアに入り

自分の夕食にビタミン入りの飲料水とアメリカンドッグを買った。

アメリカンドッグはビニール袋に入れてもらって

家について娘におっぱいをあげながらアメリカンドッグを食べたら

カサカサ音のするビニール袋を娘が手にして、シャカシャカと握って遊んでいた。

 

娘がうとうとし始めたので、このまま寝かしつけようと思い

お布団に連れていく。

寝かしつけている間も片手に持ったビニール袋を時々握ってシャカシャカいわせるのが可愛かった。

 

寝かしつけたあと、しばらくしたらまた娘が起きたので

寝かしつけしていると夫が帰ってきた。

「よかったね、お父さんに会えたね」と娘に話しかける。

寝室を覗いてきた夫の顔を娘はじーっとしばらく見つめて、

それからニコォっと笑った。

夫が着替えに部屋を出ると、娘は夫のたてる物音のする方をじぃっと見つめて

着替えて再び顔を出してきた夫と目を合わせると、今度はすぐにニコニコと笑った。









お母さん生活、いろんなことがある。

生まれたばかりの人は、野に放たれた自由な命。

いろんなものに手を伸ばし、ペロペロと舐め、よだれをたらして喜んで

うんちもおしっこもたくさんして、ゴロンゴロンと体を動かす。

笑ったり泣いたり、毎日いそがしい。

 

お腹から出てきたばかりの彼女が、地上での呼吸の仕方を覚えて

少しずつ視界を広げながら、どうやらここは、

すくなくとも自分たちのことをそれぞれ、オトーサン、オカーサンと呼ぶこの人らのいるところは安心だと

最近少し、感じ始めているみたい。

(でもオカーサンは、時々鼻に変なのを突っ込んでくることがあるから注意←鼻くそをとる綿棒とか、鼻水を吸う吸引器)


これから少しずつ、彼女が彼女自身であることに安心をおぼえ

世界を信頼して歩いて行けるように、見守り、一緒に生きることが

自分にやってきた縁。

時々、宇宙のどこかから、自分(オカーサンやってる私)を、眺めて見てる。

娘のおしりを拭くわたしと、足をぽんとあげてお尻を見せてくれる娘は

ひだまり。


時々、いらないことを考えてしまっているとき

ぴーんと視点を宇宙にあげると

あ、ひだまり。と思って

わたしは今、ここにいるんだな、って、そう思って

また自分の胸(ハート)に、戻ってくる。

 


2020年11月4日水曜日

 

夫の使うズボンハンガーを買いに

娘とすこし大きなスーパーへ向かう。

途中、公園の紅葉と木立の合間を流れる小川が綺麗なのを見て

立ち寄ることにした。

ベンチの横にベビーカーをつけて、娘をベビーカーからおろすと

彼女は思いがけないところへ辿りついて、驚き喜ぶような顔をした。

落ち葉を拾って、娘の手元や鼻先に運んでみたり

風がふいて葉っぱがさぁぁと擦れ合うのを聞いて

「綺麗な音だね」と声をかけてみたりした。


ちょろちょろと流れる小川のほとりに娘としゃがみ込むと

川面に葉っぱがぽとりと落ちた。そしてゆっくり流れていく。

それを娘も目でおって 私もただ見てた。

葉っぱは少しずつ、でも次から次へと流れていく。

水面がチラチラと揺れている。

風は何度も吹き渡った。

小川に落ちないように娘の体にしっかり腕をまわしながら

ただそれを見てた。

 

なんだかとても静かに、満ち足りた気持ちになった。

 

言葉や、時刻にきざまれない光景があること

彼女といると思い出す。

 

 


 

 


2020年11月1日日曜日

なんだか、突然ドアが開いたような1週間だった。


ドアが開いて、会いたかった人、懐かしい人に

今また新鮮な気持ちで、やっほーって言えた。そんな一週間。

 
 
コロナの流行もあり妊娠後期から市外に住む友人とは

まったく会っていなかった。

 

それが「冬の流行が始まる前に会いに行くわ」と

宝塚で暮らす友人が、ひょいっと会いに来てくれた月曜日。

 

地下鉄の改札で彼女の姿を見つけたとき、うわぁ!本物!と嬉しくなった。

姿勢がいい彼女のまっすぐな背中にぴしっとリュックを背負った姿。

赤毛のおかっぱに、いたずら少女のような目。

「かわいいね」って娘を抱っこしてくれた。

娘におっぱいあげたり、寝かしつけしたりもしつつ、

家で日が暮れるまでゆっくりふたりで話した。

みかんを一緒に食べながら「けっこう甘いね」「ね」という会話は

会っているからこそのこと。

何気ないのに、なんだか心に残った。

 


その翌日、大阪で働いていたお芋屋さんの社長に電話をして

春から京都のお店で働かせてほしい旨を伝えた。


ずっと考えて、夫ともたくさん話を重ねてきて、そうなった。

ひとまず相談してみよう、そう思って社長と話すと

すると、ただお店に立つだけじゃなくて、もう少し私が自由になる働き方の提案をくれて

働けることになった。

久しぶりに社長と話して、春からまた一緒に働けることになったら

ずっとそわそわしていた気持ちが落ち着いて、地に、ふんわりと足がついた。


 

そして木曜日には、埼玉から大切な友人が親子でやってきてくれて

はじめて京都で再会できた。

娘はにこにことみんなに順番に抱っこしてもらって、ずっとご機嫌だった。

私は友人の言葉を聞きながら、ぱーんと心が軽く明るくなった。

心の真ん中に、小さな火がゆらいでいるのを感じる。

そのあかりは、小さいけれどとても明るくて

漕ぎ出すボートの先を照らしてる。


 

それからそれから

土曜日、埼玉でお世話になったギャラリーの方からご連絡をいただいて
その方に私の連絡先を問い合わせている人がいるという。

ギャラリーの方とも久しぶりのやりとりが嬉しく

また、私の連絡先を問い合わせてくれていたのは

私が以前介助の仕事をさせていただいていた方を、

取材して番組を作られたというディレクターの方。

 

ディレクターの方との問い合わせのやりとりを通して、

介助させていただいていた方がご結婚され、ご出産されて

今お子さんを育てられていることを知り、嬉しくなった。


障害を持った体での妊娠、出産、それから子育てのこと

深く物を考えて、また、周りの人のことをよくよく考えている彼女のこと

ものすごくたくさん考えて、決断したんだって、想像がつく。

 

私の携帯電話に彼女の電話番号が残っていたので

思いきって彼女に電話すると、電話口の向こうに変わらない明るい声。

懐かしいけど、全然、ひさしぶりな気がしない。

彼女の笑顔が、とても近く思い出された。

 


 

そして

週の終わりの日曜日には

県をまたいで、夫の兄家族がみんなで会いにきてくれた。


娘にとっていとこになる、甥っ子と姪っ子。

5歳になる姪っ子が、娘のことを「抱っこしたい」って言って

細い腕で抱っこしてくれる。

「かわいい」って何度も言って、小さな手を、もっと小さな手に重ねていた。

 

 

なんだか、なんだか、すごい1週間。

 

空気が入れ替わった。

そんな感覚がある。


懐かしくって、新鮮。

 

きれいな空気をたっぷりふくんで

土がふかふかになったみたい。

2020年10月24日土曜日

 

夕方に出かけたスーパーで

ホッケのひらきが半額になっていたので買って帰る。

お肉を解凍してしまっているけど、最近お魚を食べていなかったから

ホッケも焼こう。

あと買ったのは、ヨーグルトと牛乳とお味噌と小松菜、お豆腐。

 

帰り道はもう暗い。

 


この頃、娘のお風呂を夫ひとりにお願いしていて

夫が娘をお風呂に入れてくれている間

ひとりで晩ご飯の食器を洗う時間が好き。

 

ゆっくりととのえられることにほっとして

束の間ひとりになれる時間が嬉しい。

 

お風呂場の前を通ったら夫が娘に話しかけてる声が聞こえてきて

なんだか胸があったかくなったり。

 

 

 

 


2020年10月21日水曜日

 

 

朝、夫が娘を見てくれている間

布団をかぶっておいおい泣く。

 

本当は、そのたび、自分の感覚に触れながら

自然体で子育てもできたらと思うのだけれど

どうしても、ぐっと自分に蓋をして、黙々と頑張りぬく、という場面が日々にはあって

かたくなってしまっているところが、あるなぁ…と思っていた。

 

娘が朝早く起きてから、一緒にしばらく遊んで

頭が少し痛かったので、眠っている夫を起こして娘を見てもらう。

ひとりで眠らせてもらっていたら、涙がやってきたので

「あぁ、よかった。涙がやってきた。かたまっていたところ、解けてきたぞ」

と思い、そのまま泣かせてもらう。

 

涙が出ると、陰っていたところに日があたるようにして、

ふっとかるくなる。

かたまって、感じられなくなっていた心が、またふわっと膨らむ。

 

涙になったのは、ぐっと蓋をして、黙々と頑張り抜いている間

蓋のしたで堪えてくれていた小さな私で

やっと私は、そのこに触れられたから

「頑張ってるね」「ごめんね 」と声かけた。

「頑張ってるね」と私から声をかけられたら、私はほっとして、緩み、安心した。


小さなこどもが、自分の中にもいる。

 


 

9月のはじめ頃から、整体に2度行ったけれど

またすぐに授乳の体勢で体が歪んでしまうので

整体に通い続けるよりも、こまめに自分でケアをして、

毎日少しずつ調整することの積み重ねがいちばんよいように思えて

夜眠る前に、巻き肩を直すストレッチと、足の指のストレッチを始めたら

肩の力がすとんと抜けて、よく眠れるようになった。


 

娘は4ヶ月半を過ぎて、よく笑うし、それから怒るようにもなった。

例えば、おっぱいを飲みながら娘がうつらうつらしているとき

私が夫と話していて、話声で眠れないと

娘はパッとおっぱいから口を離して、きっとこちらを睨んできたり

手でバンバンと私を叩いたりする。

 

ごめん、ごめん、と謝りながら

感情があらわれて、それを表現できることが新鮮で

心の中で拍手してしまう。



泣き終えてすっきりしたあと

夫が朝ごはんを作ってくれた。


コーヒーを

休みの日とか、ちょっと特別なときに使う

ウェッジウッドのカップアンドソーサーに入れて出してくれた。

 

 

天気がいいので、おむすびをむすんで

ウィンナーと卵焼き焼いて

3人で京都御所へ。

 

御所の中の公園へいくと、子どもたちがたくさん遊んでいて、

木漏れ日がきらきらとして、娘の顔が輝いていた。

 

抱っこ紐で娘をだいて、一緒にブランコに乗ると

わーと口を開けて喜ぶ。


生まれて、はじめての秋。

 

ぐんぐん成長していく娘は、きっと忘れてしまう秋の日。

 

わたしにはきらきらと残って

娘を寝かしつけたあと、夜になった今も

まだ日差しが、近くにあるみたい。

 


 

 

 


 


2020年10月12日月曜日

 

肌寒くなったと思ったら、今日は気温が高くなった。

それでも、空気は秋から夏へは戻らない。

芯の部分が、すん、と冷たい気がする。

 

 

娘は私の膝の上で朝寝を1時間ほどして

私の膝の上から布団にうつしてみて、目が覚めたら児童館へ行き

そのまま寝ついたら児童館はおやすみしよう、と思ってお布団へうつしたら

ぱちっと目を開けた。

 

児童館では、ベビーマッサージを教えてもらった。

 

ベビーマッサージの講師の方が

「自分の娘が赤ちゃんのときに、自己流で、歌いかけながら毎日マッサージをしていて

大きくなってからも、マッサージして、と娘から言ってくる日があった。

そうしてマッサージをしていると、今日な、学校でな、って、

つらいこととかをぽろっと話してくれたりする。

今はもう大学生で、きつい言葉を言ってきたりもするけれど

それでもなんでも話してくれる。

コミュニケーションの基礎に、マッサージも歌も、なっている気がする」

と、はじめに話してくれたとき、聞いていてなんだか涙が出そうになって

講師の方を見ると、彼女の目にも涙が滲んでいた。

 

きっと話しながら、彼女は

赤ちゃんの時の娘さんとの時間に触れて、

大きくなってきた娘さんがマッサージして、と言ってきた日に居て、

そうして今、向き合っている娘さんの姿を思い浮かべてる。

 

そこにある慈愛みたいなものが、涙になって

やってきてるんだろうって、そんな気がした。

 

 

 

先日、30歳になる友人と久しぶりに会った。

娘と3人でお茶をして、夕方までずいぶん長く、一緒に過ごした。

 

彼女は

「娘さんといるなおみさんを見て、なんだか大丈夫って思った。

子どもを産みたいし、結婚したいって思った」と言った。

そうして彼女は笑って、

「人間が育つところを見てみたいから」と言い足した。


その前に、彼女の友人の話で

彼女の友人が「人間がどうやって言語を獲得していくか知りたいから子どもを育てたい」

と話していた、ということを彼女から聞いていた。

 

それらを聞いて、私は

(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)

と、思った。

 

なんとなく


もしかしたら本気で、そう思っているのかもしれないし

言葉の背景を聞いていないから、それぞれの言葉のむこう側に触れてはいないけれど

でもなんとなく、自分を納得させる理由を、あとから持ち出しているように

そんな風に、感じられて。

 

というか、

自分を納得させる理由を求めていた

数年前の自分を、彼女らに重ねて、

(はっきりと説明できるような、理由がなくても、いいのに)

と、思ったんだと思う。


自分ごとの理由を越えて

多分、命はやってくる。

 

だから「なんで欲しいか」に

こたえられなくても

それは、自然なんじゃないか。


今はそう思う。

 

 

理由がなければ、自分の望みを望みとして置けなかった過去の自分の心細い肩を

今の私が眼差す。


どうしてもそう思ってしまうこと

なんだか涙が出るくらい多分望んでいることも

理由がわからないから、そのたび濁すことも、してきた。

(素直に、従ったことも、もちろんある)



深呼吸。







マッサージをしたら、

娘の手足はポカポカになって

私もなんだか血が巡って、楽しくなった。

 

 

ベビーカーに娘を乗せて、家までの帰り道


「気持ちよかったね」って、娘に話しかける。


娘は眠たそうで、口の端をちょっとだけあげて笑った。

 

 

 


2020年10月9日金曜日

 

ここ数年のうちに起こった出来事で

私がいないと思って言われた陰口を聞いてしまったことや

真っ直ぐに「あなたのためにこういう場を開くよ」と言われた日

違う場で開かれた飲み会で「あんなこと言っちゃった」って笑いながら

話されていたと聞いたこと

そういう様々が、日々の暮らしの中でふと思い浮かんできては

何度も思い返してしまうということがあった。

 

ぺったりと薄く張り付いているようで、何度でも思い返してしまうその景色を

やっぱりまた、見つめてしまっていたとき

ふと

「どうしてこればっかり、見てしまうんだろう。チャンネルを変えよう」

って、思った。

 

自分の今までの体験の中には

いろんな経験があって、嬉しかったことや、喜ばしいことも、すごくたくさん、ある。

 

でも何度も、苦い景色が浮かんでくるのは

(そこにまだ解けていないメッセージがあるから)とか、そういうことでもなく

ただ単に、チャンネルの設定のような気がしたのだ。


…むしろ

(何度も浮かんでくるのは、そこにまだ解けていないメッセージがあるに違いない)

と思い込んだり
(なんであんなことが起こったんだろう)と、

自分の人生についた傷のようなものを、もうなかったことのように消し去りたいと思っている、ある種貪欲な私が、そのチャンネルを好んで見続けてさえいるような。


それで、意識の上でだけれど

チャンネルを変えることにした。

 

そうしたら、その日の晩、夢に懐かしい友人が出てきてくれて

その友人と、話すことができた。

 

起こったことは起こったまま。

間違えも正しさもない。


もしもリモコンを自分が持っているのなら

映っている番組に文句を言い続けるよりも

テレビを消すか、チャンネルを変えるか、すればいいだけ。